風間トオルさんに結婚歴はある?娘が事故死の噂や阿部寛との仲も解説
2024/02/16
himawari3232
柴田恭兵の『恭サマ』というニックネームは、『あぶない刑事』で共演した舘ひろしが付けたものでした。ニックネームを付けて以降は、舘ひろしは20年以上『恭サマ』と呼び続けています。
また、『あぶない刑事』の共演者では仲村トオルとも親交が継続していて、仲村トオルがバラエティー番組に登場する際には、柴田恭兵とのプライベートエピソードを明かすこともあります。
そして俳優のベンガルは同い年であり誕生日も一日違い、出身大学も同じ日本大学なのです。
『あぶない刑事』の挿入歌として用いられた、柴田恭兵のおしゃれな楽曲『ランニング・ショット』。その『ランニング・ショット』を含めた計43曲、2枚組の”柴田恭兵オール・タイム・ベスト『ランニング・ショット』”が2016年2月に発売されています。
柴田恭兵は音楽活動もしており、そのすべては凝縮したようなアルバムに仕上がっているでしょう。柴田恭兵の素敵な歌声を聴いてみるのも一案かもしれません。
柴田恭兵といえば、『あぶない刑事』での「関係ないね」というセリフが話題となり、物まねをする人がいるほどでした。しかしこのセリフは、『あぶない刑事』の作品中で1度しか使われていないのです。
この点は、『さらば あぶない刑事』のPRで映画の出演陣が登場したバラエティー番組で明らかにされました。視聴者はネット上で「衝撃すぎる」などと意表を突かれている様子です。
ちなみにこの「関係ないね」は、元は1980年代のポッカコーヒーのCMでのセリフであり、そこから『あぶない刑事』でも使用された可能性もあります。
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ここで、柴田恭兵は現在どうしているのかについて、迫ってみたいと思います。今彼はどうしているのでしょうか。現在の動向を見ていきましょう。
柴田恭兵は、2016年には映画『さらば あぶない刑事』に出演し、バラエティー番組にも登場していましたが、それ以降はテレビへの露出が減少しているように感じられます。年齢的にも仕事をセーブしている可能性もあるでしょう。
しかしながら、俳優としての活動が抑えられている理由に関しては、不明となっています。
柴田恭兵は、2020年5月に公開予定となっている映画『コンフィデンスマンJPプリンセス編』に出演が決定しています。柴田恭兵の役は『トニー・ティン』といい、撮影はマレーシアのランカウイ島で行われました。
コンフィデンスマンJPのSNSには、柴田恭兵の素敵な衣装姿がアップされています。
柴田恭兵は大ベテランの俳優ですが、年齢を重ねた現在も渋さを増し、格好良さには磨きがかかっています。若手俳優にも"かっこいい"と評判なのです。共演した吉沢亮は、柴田恭兵が現場にいると、その佇まいにまで渋さや風格を感じたといいます。
そして、柴田恭兵が現場にいるだけで、良い意味での緊張感が生まれるのだそうです。それだけのオーラが、柴田恭兵にはあるということでしょう。
会社員だと定年退職がありますし、年齢を重ねていくと仕事をするのは大変になっていくものでしょう。俳優である柴田恭兵の場合、引退はあるのでしょうか。
2020年現在は、柴田恭兵のはテレビなどへの露出は減少傾向にありますが、引退をするような話はないでしょう。ファンなら演技が見られなくなるのは寂しいことかもしれませんし、まだまだお元気で活躍されるのは嬉しいことであると考えられます。
『あぶない刑事』は2016年公開の映画が最終作となっています。その頃で既に柴田恭兵も64歳になっていました。しかしながら、映画公開時には「10年後にもしオファーがあったら、またやりたい」という趣旨のことを話していたのです。
なので、もしかしたら『あぶ刑事』のその後が描かれる日がまた来る可能性はゼロではないと考えられるでしょう。
柴田恭兵にとっては、『あぶない刑事』は自ら貪欲に作ってきた作品です。共演の舘ひろしとのコンビネーションも抜群でしたし、名コンビはいつかスクリーンに帰ってくるかもしれません。
ちなみに、舘ひろしは『あぶない刑事』で柴田恭兵に出会えたことにとても意味を感じていて、今作品以降の演技において最も影響を受けたとしているほどです。
柴田恭兵が病気を患ったという、大変に心配なニュースがありました。一体どんな病気に罹ってしまったのでしょうか。その詳細を探っていきたいと思います。
柴田恭兵が病気を患ったのは2006年7月のことであり、病名は肺がんでした。病院での診察で発覚したとされています。そして幸い初期段階であり、摘出手術を受けています。それから、術後の8月には退院をして自宅療養をしました。
それから後に、2006年12月になるとドラマ『ハゲタカ』で現場復帰を果たしました。ただ、新発田恭兵のあまりの激ヤセぶりに、周囲は驚いたとされています。また、ドラマの収録再開時の会見で、たばこは止めたことを話していました。
喫煙が肺がんリスクを高めるとされているからでしょう。
柴田恭兵が患った肺がんは、再発の確率が50%~60%と高いのですが、5年間再発しなければ完治したとみなされます。柴田恭兵も5年間で再発しなかったので、肺がんは克服できたということです。ファンの方も安堵したことでしょう。
『柴田恭兵』と検索をすると『死去』と出てくることがあります。心配になる言葉ではありますが、これは一体どういうことなのでしょうか。事の真相を見ていきたいと思います。
1983年に結婚した柴田恭兵には、妻に連れ子がいたのですが、1984年には次男が誕生しました。"鮎"という名前であり、2004年に20歳という若さで他界してしまったのです。次男は実家を離れて九州芸術工科大学に通い1人暮らしをしていました。
柴田恭兵の次男は幼い頃より気管支喘息を患っていたとされています。それから大学生になってからも気管支喘息は治まらず、死因である心臓発作もその気管支喘息から併発したと考えられるのです。
息子の死去から3か月後には、柴田恭兵は映画の撮影に臨んでいます。まさしくプロであるといえるでしょう。実際には、計り知れない悲しみの中にあったはずです。
柴田恭兵の次男と連絡がつかなくなったことを心配した友人が、自宅マンションを訪れたところ亡くなっているのを発見したのでした。死因は心臓発作であったとされています。第一発見者となった友人も、突然の友の死に大変動揺したものと考えられるでしょう。
そして、一方を聞いた柴田恭兵も酷く落胆したのではないかと推測されます。
柴田恭兵は、『あぶない刑事』で人気を博し劇中歌でもある『ランニング・ショット』では歌番組にも登場している俳優です。それ以外にも様々なドラマや映画に出演し、年齢を重ねるごとに円熟味も増してきています。
ご子息が亡くなられたりご自身が病を患ったりと、苦難も色々とあったと思われますが、今後も変わらず元気な姿をお茶の間に届けてくれるでしょう。これからの活躍もますます期待されるところです。2020年春には映画『コンフィデンスマンJPプリンセス編』の公開も控えていますし、目の離せない俳優でもあります。
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