木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
坂口杏里さんは、子供の頃に憧れたモーニング娘。がきっかけで、芸能界への道をすすみます。2008年(平成20年)頃より芸能活動を開始しました。
おバカタレントとして活躍し、母である女優の坂口良子さんと共にテレビのバラエティー番組に出演するなど、2世タレントとして活動していました。
坂口杏里さんは、2014年に、面接が不得意で内定がもらえない女子大生がひょんなことからキャバクラでアルバイトをはじめ、大人の世界で次第に成長していく姿を描き出した映画『ハニー・フラッパーズ』で映画初主演を果たしました。
それまでは、タレントとしてバラエティを中心に活動していましたが、女優へと転身を遂げました。
「2世タレントとして親と同じ道を歩むのは絶対に嫌だった」と女優は拒んでいた坂口杏里さんでしたが、2013年3月に女優で母の坂口良子さんが亡くなり、母親の背中を追ってみようと思うようになったと語っていました。
母の坂口良子さんが亡くなってから、坂口杏里さんは徐々にホストにはまったりと、坂口良子さんが残してくれた遺産も使い果たし、お金に困るようになります。
そして、坂口杏里さんは、2016年に所属事務所退社し、キャバクラ店のホステスとして働きながら、ANRIの芸名でセクシー女優としてメディアに出演していました。
2017年4月18日には、知人のホスト男性から現金3万円を脅しとろうとしたとして、恐喝未遂容疑で逮捕され、大きな話題となりました。
その後も、キャバクラで働いており、2017年9月29日には、自身のインスタでタレント引退を表明し、キャバクラ嬢として生きていく事と宣言しました。
しかしその後、デリヘルで働き、2019年には元交際相手のホストの30代男性の自宅マンション内に侵入したとして再び逮捕されてしまいます。
現在は芸能活動はしていない模様で、2020年には歌舞伎町のバーで勤務していたとされているものの、解雇されたという情報があります。
続いては、坂口杏里さんが3歳の頃に離れた、実父について見ていこうと思います。
田山恒彦さんは、一般人のため、調べてみましたが情報がほとんど出回っていませんでした。
田山恒彦さんは、2021年で83歳となっています。しかし情報はほとんどないため、存命なのかどうかは不明でした。
2015年12月に、田山恒彦さんは癌で入院したことが分かっています。
坂口杏里さんに、所属事務所を通して、父の闘病の連絡がきて、母親を苦しめた父(後述)に会いに行くか坂口杏里さんは葛藤したんだそうです。
坂口杏里さんは、悩んだ末、自分が今こうして生きてるのもママとお父さんが私とお兄ちゃんを産んでくれたからだと、坂口杏里さんは田山恒彦さんに会いに行きました。
3歳の時に別れて以来、20年ぶりの再会だったそうです。その際に坂口杏里さんは『自分を生んでくれてありがとう』と紙に書いて、伝えたのだそうです。
田山恒彦さんは、いったいどういう人なのでしょうか。詳しく見ていこうと思います。
田山恒彦さんは、ゴルフ場経営や都市開発を事業とする『本州開発』という企業の常務をしていて、地上げ屋をしていました。当時の年収は2000万ほどあったと言われています。
しかし、会社の所得隠しが発覚し、田山恒彦さんは退社しました。
その後は、不動産会社『ヤシマ産業』を立ち上げました。この頃には、田山恒彦さんは不動産王や地上げの神様とも呼ばれていたそうです。
それに伴い、坂口良子さんも「地上げ屋の女房」などと呼ばれるようになっていました。
独立後も順調に仕事を広げていた田山恒彦さんでしたが、バブル崩壊により、1992年には田山恒彦さんが建てたビルが仮差し押さえられてしまい、会社は倒産し、借金が残ってしまいました。
田山恒彦さんには、坂口良子さんを含め、3度の婚姻歴があります。
坂口杏里さんの母親である坂口良子さんと結婚する前に、死別と離婚をしていました。元妻との間に18歳の娘もおり、坂口良子さんと結婚した際には一緒に暮らしていました。
田山恒彦さんと坂口良子さんは、1984年12月に熱海温泉で出会いました。
きっかけは、熱海の温泉にあるカラオケスナックで、本州興発の社長が常務である田山恒彦さんを紹介したことでした。この時は、随分年上で、男性としては意識していなかったそうです。
田山恒彦さんと坂口良子さんは、出会ってから1年後のクリスマスに交際を開始しました。
田山恒彦さんが、坂口良子さんを金子由香利ディナーショーに誘い、そこで田山恒彦さんが独身であることが分かり、意識するようになったんだとか。
2人は、1986年5月に婚約会見を行い、11月にシンガポールにおいて挙式とハネムーンを行いました。
結婚した際、田山恒彦さんが49歳で、坂口良子さんは31歳であったことから、18歳差婚として話題になりました。
また、人気女優だった坂口良子さんとバツ2の18歳年上の不動産実業家との結婚は大きく報道されました。
続いては、田山恒彦さんと坂口良子さんの離婚の原因ともなった、40億ともいわれる借金について見ていこうと思います。
田口恒彦さんの不動産会社が倒産したことにより、田山恒彦さんには3億の借金があることが報道されました。
坂口良子さんは、最初は、苦しい状況ですが夫婦で仲良くやっていこうと思うと答えていました。
しかし、他にも坂口良子さんが知らない借金、連帯保証人などが発覚し、田山恒彦さんと坂口良子さんは1994年に離婚し、4月に坂口良子さんが離婚会見を開きました。
坂口良子さんは、知らぬ間に借金の連帯保証人となっていて、40億円という借金を背負うことになりました。
実は、田山恒彦さんが坂口良子さんの実印を勝手に持ち出して、坂口さん名義のマンションや一戸建てを担保に借金をしたすえ転売したり、差し押さえられていた事が発覚したのです。
それどころか、田口恒彦さんは逃げ出したため、連帯保証人にされていた坂口良子さんが返済することとなったと言われています。
40億もの借金を背負った状態で、二人の子供を育てるシングルマザーとして生きていくことになった坂口良子さんは、仕事を選ばず、安いギャラの仕事も受け、必死で働いて、わずか10年で借金を返済してしまいました。
独身時代の貯金も元旦那に引き出されて使われてしまっていた坂口良子さんは、交際中であったプロゴルファー・尾崎健夫さんの支えを受けながら、借金の返済をしました。
その後、尾崎健夫さんと交際を続け、2012年8月に入籍をしましたが、2013年3月に横行結腸癌および肺炎のため57歳の若さで亡くなりました。
元タレント・坂口杏里さんの実の父親である、田山恒彦さんについてご紹介してきました。
不動産と呼ばれていた田山恒彦さんはバブル崩壊で、多額の借金を妻であった坂口良子さんに押し付けたとされています。
また、2015年には癌を患っていて、坂口杏里さんに連絡が入ったことも分かっており、その後、田山恒彦さんがどうされているのかは分かりませんでした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
この記事に関する記事
キーワードから記事を探す
Copyright© 運営事務局