ビートたけしが芸能界引退?事故で顔面麻痺の過去や映画作品を紹介
2023/12/28
大今里
林マオさんは、小学生のころから関西を拠点にタレント活動をしていました。
小学生の頃は劇団ひまわりに所属し、学生当時は芸能事務所「ブルーシャトル」に所属していました。
大学時代は、読売テレビの『大阪ほんわかテレビ』や朝日放送(現:朝日放送テレビ)の『おはよう朝日です』などでリポーターなどを務めていました。
『おはよう朝日です』は、関西の朝の情報番組で、生放送です。当時は6:45~放送が始まっていました。林マオさんは、出演する際は、朝の3時に起きて番組に出演し、そのまま学校に行くという生活を送っていたそうです。
また、映画やCM、舞台にも出演していました。映画は、難波金融伝・ミナミの帝王劇場版に2本出演しています。
CMは、京阪電気鉄道「おけいはん」(2003年)、サンガリア「角切りりんごジュース」(2003年)、アートコーポレーション、(2005年)、小林製薬「アイボンAL」(2005年)・「ガスピタン」(2006年)などに出演していました。
大学時代にはタレント活動をしていた林マオさんですが、友達や知り合いから自分が出演していた番組の感想などを伝えられ、色々な人が見てくれていて、自分が関わっている番組を楽しんでくれているんだな、情報が誰かの役に立っているんだなと感じ、「伝えることの楽しさ」を知って、アナウンサーという職業を意識しだしたそうです。
また、『大阪ほんわかテレビ』で一緒に出演していた読売テレビアナウンサーの森武史(現在はフリーアナウンサー)の助言もあって、アナウンサーを目指すようになったんだそうです。
そして、大阪府立大学卒業後、2008年4月に読売テレビにアナウンサーとして入社しました。
続いては、林マオさんの旦那について、馴れ初めや姑との関係について見ていこうと思います。
林マオさんは、入社2年目の2010年7月26日に結婚しました。
林マオさんの旦那は、読売テレビの同期入社で、1歳年上なのだそうです。また、報道記者ををしている人で、ミヤネ屋のディレクターもしている方なんだそうです。
林マオさんは、職場結婚を若いころにされていました。
林マオさんと旦那さんは、オフィスでのデスクが斜め前同士と近く、それをきっかけに仲良くなったのだそうです。
林マオさんは、2013年9月に第1子となる女の子を出産しています。名前などは公表されていません。
林マオさんは、産前産後は、ミヤネ屋をお休みしていましたが、その後2014年6月2日に復帰しました。
そして、2018年頃に林マオさんが2人目を妊娠中だとの噂が広がりました。これはミヤネ屋で「重大発表」と題して林マオさんが1週間ミヤネ屋を休むという話が、休む=妊娠?と飛躍して、第二子を妊娠中だと言われるようになっただけだのようです。
ミヤネ屋に出演していた時代は宮根誠司さんに姑との関係を面白おかしくネタにされていました。
ある日、宮根誠司さんが「今日は林アナウンサーの義母がお好み焼きを作って差し入れしてくれました。日ごろ、いろんなこと言うてるけど、良さそうなお義母さんやんか」と林マオさんに振りました。それに対して、「何も言うてない!」とすぐさま突っ込む林マオさん。
また、「ハワイに一緒に行っても息できないくらいシンドイって言ってたやん」とさらに振る宮根誠司さんに対して、林マオさんは「面倒見てくれてはるから!ありがたいです言うてるでしょ!」と関西のノリそのものの、軽快なスタジオトークを展開しました。
実際は、宮根誠司さんが言うような関係ではなく、良好な関係を築いているようです。
ミヤネ屋出演時の林マオさんのヘアスタイルや衣装が好評だったようです。評判等、見ていこうと思います。
女子アナウンサーというと、ロングヘアーの人が多い印象ですが、林マオさんと言うと、ショートカットのイメージが強いですよね。
片耳だけに髪をかけるヘアスタイルで、トップにボリュームのあるふんわりとした髪型で、垢抜けたイメージがあります。
ショートカットが若々しくおしゃれで視聴者からも人気があります。
林マオさんは、20代はロングヘアだった時もあったそうですが、今のショートカットの方が垢抜けた印象で素敵だと評判です。
林マオさんのインスタグラムにミヤネ屋出演時の衣装が掲載されていますが、どれもおしゃれで可愛いく、コーディネイトを取り入れたいという声が上がっていました。
衣装については、スタイリストと、その日のニュースの内容や出演者の服装にまで配慮し、1週間のコーディネートを決めていたのだそうです。
また、TPOに合わせて衣装の色を決めているそうです。誰かが結婚する、といったお祝い事、おめでたいニュースがあるときは、明るい色を選ぶようにし、深刻なニュースがあるときは、明るい色は避けていたのだそう。
シンプルなコーディネイトであっても、どこかに遊び心を加えるようにしていたそうです。
そういった点が、林マオさんのコーディネイトが多くの視聴者から支持を得た点なのかもしれませんね。
続いては、林マオさんがミヤネ屋を卒業した理由や意外なキムタクとの関りについて見ていこうと思います。
林マオさんは、2015年から約5年間務めたミヤネ屋のアシスタントを2020年7月に卒業しました。
出演最後の日、林マオさんは、「あっという間だったが、5年半よく持ったなと思う。ここまで続けてこれたのは、家族やスタッフの支えがあったから。ゴジラみたいに暴れまわる宮根さんとともに生放送の番組でいろんなニュースをお伝えさせてもらって、本当にいい経験、たくさんの経験をさせていただきました」コメントしました。
この日、宮根誠司さんによくネタとしていじられていた義理の母もスタジオに来て、最後を見届けたそうです。
林マオさんの卒業理由については、明確には分かっていませんが、視聴率が低迷しているミヤネ屋のマンネリ化を改善するためにアシスタントを変えてみたのではないかと推測されています。
林マオさんの次のアシスタントは澤口実歩アナが務めることとなりました。
また、林マオさんは、卒業後は情報バラエティ番組、深夜番組、ドキュメントのナレーション、読み聞かせなどをやりたいと語っていました。
現在、「朝からみのもんた」「anna」「特盛!よしもと 今田・八光のおしゃべりジャングル」などに出演しています。
木村拓哉さんがミヤネ屋に出演した際に、宮根誠司さんとともに訪れたお好み焼き屋に林マオさんと姑がおり、そこで林マオさんが木村拓哉さんに嫁姑問題を相談することになりました。
義母は、週に1~2回娘を迎えに行ってくれており、週末はいつも旦那の実家で過ごすのだそうです。とても良い関係を築いていらっしゃるように感じますが、なんと林マオさん、自宅の合い鍵を義母に勝手に作られたんだそうです。
この件に関して、木村拓哉さんは「2か月間、合い鍵は返しましょう。」と答えていました。
読売テレビでアナウンサーをしている林マオさんについて、ご紹介してきました。
小学生のころからタレント活動を経験して、アナウンサーとなった林マオさんは、ミヤネ屋での宮根誠司さんとの絶妙なトークのコンビネーションが好評でした。
ミヤネ屋卒業後も、そのトーク力は健在で、担当番組で活躍されていました。今後も幅広く活躍さていくことでしょうね。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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