木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
浜田美栄自身は京都府の出身ですが、小学6年生だった1972年に札幌オリンピックが開催され、フィギュアスケート競技女子シングルフリー演技を真駒内屋内競技場で観戦しています。それだけでなく、その様子が朝日新聞に掲載されたのでした。
浜田美栄は、フィギュアスケートの選手として活躍し同志社大学へと入学しました。そして自身の最高位は全日本フィギュアスケート選手権大会での10位となっています。
同志社大学を卒業するとフィギュアスケート選手を引退し、コーチに転身しました。そして京都醍醐FSCや関西大学アイスアリーナでコーチを務めています。
浜田美栄は、有名な教え子がいることも特徴です。例えば2004年の四大陸選手権で優勝した太田 由希奈選手や2015年世界選手権で銀メダリストとなった宮原知子選手、本田真凛選手、紀平梨花選手など多くの教え子たちがいます。
関西圏を主軸として、選手を数多く指導してきた実績があるのです。
倫理あるいは道徳に反して相手に嫌がらせを行うのが、モラハラことモラルハラスメントです。そんなモラハラを、浜田美栄が織田信成に対して行っていたという疑惑があります。その顛末について見ていきましょう。
織田信成が、モラハラを受けたとして2019年11月に浜田美栄を大阪地裁に提訴し、1,100万円の支払いを求めました。それは、浜田美栄から無視をされたり陰口を言われたりしたことにより、織田信成が体調不良となったことが理由だったのです。
ところが、2019年12月に行われた1回目の口頭弁論では、浜田美栄側が織田信成の訴えは事実ではないとして、請求の棄却を求めました。そして、2020年2月の2回目となる口頭弁論において浜田美栄側の反訴状が読み上げられて、織田信成に対するハラスメント行為がどういったものなのか詳細の説明を求めたのです。
浜田美栄側は精神的苦痛を受けたとして、300万円を織田信成に要求しています。
2020年4月に3回目の口頭弁論が行われる予定だったものの、コロナの影響により延期となり8月になり裁判は再開されました。織田信成側は"事実と異なる主張はしていない"としていて、反訴内容を完全に否定しています。
そして、浜田美栄は元からモラハラをする人であり、事実であり名誉棄損ではないとも訴えているのです。その証拠として、浜田美栄のモラハラはフィギュアスケート界では知られたことであるとも、織田信成側は指摘しました。
織田信成は、『宮原知子選手が失敗をすると、浜田美栄が彼女の髪を掴んで振り回しリンクに叩きつけるといった暴行をした』などの証言をしています。ただ、この証言に浜田美栄側は『暴力をふるったことはない』と断言したのでした。
この裁判についてはまだ続いていて、双方共に徹底抗戦の構えであるでしょう。和解で決着をする可能性は低いものと考えられます。
浜田美栄は、クラッシャーと呼ばれたりすることがあります。では、一体どうしてクラッシャーといわれるのでしょうか。その理由について迫ってみたいと思います。
浜田美栄は選手を潰すコーチとして有名であり、選手に対して我が子のように厳しさを持って接することから"クラッシャー"といわれるようになりました。
教え子である宮原知子選手も、浜田美栄について『怖くない時が考えられない』や『怖くなかったらこちらがどうしたら良いかわからなくなる』と語っています。
浜田美栄を怖いと感じている宮原知子ですが、『どんなに厳しくても、浜田美栄コーチの精神的支えがあるから今の自分がある』とも語っています。ちなみに、宮原知子選手は"練習の虫"とも言われるほどの努力家です。
彼女が練習をし過ぎてしまいケガをしてしまったことも、浜田美栄が"クラッシャー"と言われる要因の1つかもしれません。
コーチングをしていた本田真凛選手と相性が良くなく不調が続き、2018年の平昌オリンピックに出場ができなかったことも、浜田美栄が"クラッシャー"とされる理由に含まれる可能性もあるでしょう。また、本田真凛選手に対しての当たりが強かったようだという話もあります。
クラッシャーと言われる浜田美栄ですが、フィギュアスケート界での評判や世間の見方はどうなっているのでしょうか。ここでは、浜田美栄の評判について見てみたいと思います。
浜田美栄は『指導者に意見する選手は上手くならない』という自身の哲学をテレビで語っています。しかし、それが『時代遅れ』だとする見方もあるのです。
選手たちからも"怖い"と恐れられている、浜田美栄の指導法は厳しいものとされています。しかしそれにはフィギュアスケートへの情熱や選手への愛情あってのものです。例えば、宮原知子選手ら選手が試合時にリンクに向かう際には、額をコツンと付けて、最後のエールを送っています。
ハウスメーカーである木下工務店を傘下とする、木下グループを知っているでしょうか。その木下グループが、アカデミーを発足させたというのです。その詳細や浜田美栄も関わりがあるのかについて、見ていきたいと思います。
2020年4月1日に、木下グループが木下アカデミーを発足しました。木下グループには、スポーツ事業の一環として宮原知子等のフィギュアスケートの選手が所属中です。木下アカデミーの発足は、フィギュアスケートの五輪メダリストの育成が目的となっています。
木下アカデミーは、集められたコーチ陣の顔ぶれが豪華となっています。浜田美栄がゼネラルマネージャーを務め、ゲストコーチとして羽生結弦のコーチも務めたジスラン・ブリアンらの名があがっているのです。
選手数はコーチの目が行き届く人数である点が特徴です。10人という少数精鋭であり、国内外の有望選手が参加する予定となっているでしょう。木下アカデミー京都アイスアリーナもしくは大阪にある木下グループアイスアリーナで通年にわたり練習が可能となっています。
浜田美栄には、1972年に開催された札幌オリンピックにおいて、フィギュアスケートの選手であるジャネット・リンに関する体験をしています。さて、それは一体どういった体験なのでしょうか。
京都で育った浜田美栄ですが、1972年の札幌オリンピックのフィギュアスケート女子シングルフリー演技を、真駒内屋内競技場で観戦していました。その際に浜田美栄は、アメリカ代表の選手だったジャネット・リンの演技に胸打たれたとしています。
札幌オリンピックのジャネット・リンの演技の記事が翌日の新聞に載り、その記事に掲載された画像に、観戦に来ていた浜田美栄が写っていたのでした。
浜田美栄は、どんなに忙しくても時間を見つけては今でもジャネット・リンの演技の映像を見返しているといいます。それだけ、幼い日の浜田美栄には、ジャネット・リンの演技が色濃く記憶されているのでしょう。
浜田美栄はモラハラだと訴えられてしまったこともありますが、数々の選手たちを立派に育ててきたことには違いありません。それに、厳しく指導するのも選手を強くしたいという思いの表れであり、そこには選手への愛が込められているものと考えられます。
これからも、浜田美栄には世界で活躍する素晴らしい選手を育てていって欲しいものです。
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