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殺人ピエロ、ジョン・ゲイシー!映画ITのモデルの最後の言葉とは?

世界には信じられないようなシリアルキラーが何人も実在していました。今回は、そのなかのひとりであるジョン・ゲイシーについて紹介します。ジョン・ゲイシーがどのような経緯で殺人鬼と化したのか、生い立ちや彼がモデルとなった映画などをまとめました。

ジョン・ゲイシーとは?

殺人ピエロの異名を持つジョン・ゲイシーをご存知でしょうか。

アメリカの重犯罪者、シリアルキラー(大量殺戮者)という観念を作るきっかけになった人物です。

 

ジョン・ゲイシーの生い立ちや、どのような人物なのかを調査いたしました。

アメリカを震撼させたシリアルキラー

1972年から1978年の間に、ジョン・ゲイシーは少年33人を殺害したことが明らかになっています。

ジョン・ゲイシーは、アメリカに実在したシリアルキラーでした。

強姦後に自身のホモセクシュアリティを隠すために殺害をしていたと言われています。

 

子供たちを楽しませるために、パーティーなどでピエロに扮することが多かったことから、【キラー・クラウン】【殺人道化】【殺人ピエロ】の異名を持ちます。

ジョン・ゲイシーの生い立ち

 

  • 本名(ふりがな/愛称):John Wayne Gacy Jr.(ジョン・ウェイン・ゲイシー・ジュニア/道化師ポゴ、キラー・クラウン)
  • 生年月日:1942年3月17日
  • 現在年齢:52歳没
  • 出身地:アメリカ合衆国・イリノイ州シカゴ
  • 家族構成:妻・キャロル(離婚)、子供二人

 

 

イリノイ州シカゴのポーランド系の父親デンマーク系の母親の間に生まれたジョン・ゲイシー。

心臓疾患のあったジョン・ゲイシーに失望した父親は、幼少期からジョン・ゲイシーを虐待するなど複雑な家庭で育ちました

 

虐待を受け続けたジョン・ゲイシーは、14歳から18歳までのあいだ、1年以上の入院治療を繰り返しています。

殺人鬼となったジョン・ゲイシー

結婚をし家庭も持ち、地元民主党党員としても活躍していたジョン・ゲイシー。

友人も多く、誰からも信頼される人物となったが、いつしか少年に対して性的興奮を覚えるようになり、少年を強姦したあと殺害するという殺人鬼になってしまいました。

 

ジョン・ゲイシーは葬儀屋のアルバイトをしていた過去もあり、「死体を見ると胸が疼く」との報道もされていました。

 

夜は死体を安置している処置室の隣に置いてある簡易ベッドで寝起きするほどだったので、精神的にもどこかおかしかったのではないでしょうか。

ジョン・ゲイシーの多重人格説

「私の中には4人のジャックがいます」と語ったジョン・ゲイシー。

「家であったことはすべて4人目のジャック"ジャック・ハンリー”が行ったことなのです」とも語り、自分は多重人格であることを主張。

 

ゲイシーは精神鑑定のため、精神病院の犯罪精神科病棟に移送されました。

ジョン・ゲイシーに下された判決と最後の言葉

ジョン・ゲイシーは、33人もの少年の命を奪ったシリアルキラーです。

9歳から20歳までの少年たちに性的暴行を加えたうえで殺害し、その遺体を自宅地下や川へ破棄したという残酷的な事件を起こしました。

 

多く物若い命を奪ったジョン・ゲイシーはどのような判決が下ったのでしょうか。

そしてジョン・ゲイシーな有名な有名の最後の言葉を調査いたしました。

33件の殺人罪で死刑判決

逮捕後、ジョン・ゲイシーは33人を殺害した容疑で起訴されました。

公判で多重人格で無罪を主張し続けました。

死刑判決後も再審請求を繰り返していたが、刑務所で面会した文通相手の少年を襲おうとした、34人目の被害者にしようとした事によって、請求は全て却下されました。

死刑になったジョン・ゲイシーの最後の言葉

ジョン・ゲイシーは、1994年5月9日に薬殺刑によって亡くなりました。

執行人がジョン・ゲイシーに「最後の言葉はないのか」と問うと、「FUCK(くそくらえ)」「Yeah! Kiss my ass (俺のケツにキスしろ!) 」など、人として最低な言葉を投げつけました。

ジョン・ゲイシーは、「死ぬことは怖くない」と言っていたが、直前になり「ちょっと待てないかな」と往生際の悪さを見せました。

 

薬物注射による死刑だったのですが、通常7分前後で静かに絶命すると言われているのですが、薬がうまく効かず、ジョン・ゲイシーは亡くなるまでに20分近く苦しみました

ジョン・ゲイシーの最後の晩餐

ジョン・ゲイシーが希望した最後の食事は、

 

  • 揚げエビ12尾
  • フライドポテト
  • イチゴ450g
  • ケンタッキーフライドチキン

 

ジョン・ゲイシーは、かつてケンタッキーの経営を任されていたため、自身の人生の成功を象徴するケンタッキー・フライドチキンを山盛り頼んでいました

ジョン・ゲイシーは映画「IT」のモデルだった!

ピエロが次々と人を襲い、殺人を犯していくというアメリカのホラー映画「IT」は、日本でも大変人気な映画です。

実は、この物語はジョン・ゲイシーを元にして作られていました。

 

「ジョン・ゲイシー」と「IT」について、まとめました。

映画「IT」とは?

1990年のアメリカ合衆国のホラー映画です。

テレビミニシリーズとして2回に分けて放送されました。

2017年にリメイクされ、日本では『IT/イット “それ”が見えたら、終わり』の名で映画化されました。

 

不気味なピエロに翻弄される人々を描いた作品です。

生前のジョン・ゲイシーもピエロだった

“ポゴ”という名のピエロに扮して、児童福祉施設や小児病棟などを訪れたり、チャリティーイベントに参加していました。

 

そこで捕まえた子どもたちを次々と殺害していたようです。

ジョン・ゲイシーのサーヴァントも話題

ジョン・ゲイシーをもとにしたサーヴァントが作られていて話題となりました。

 

サーヴァントとは、英雄が亡くなり魔力によって使い魔として現世に召喚したものです。

英雄ではありませんが、サーヴァントが作られるほど記憶に残る個性的な殺人鬼だったのでしょう。

ジョン・ゲイシーの絵画が人気

ジョン・ゲイシーは体が弱かったものの、頭が良く社会で次々と成功を納めました。

そして絵の才能が発揮し高く評価を受けております。

 

ジョン・ゲイシーはどのような絵画を描いていたのでしょうか調査いたしました。

ジョン・ゲイシーが描いたピエロの絵

1980年3月13日に死刑宣告を受けたジョン・ゲイシーは、無実だと訴えると同時に色々な悪あがきをしました。

その一つが絵画です。

自身がピエロに扮した絵や、自身とイエス・キリストを重ね合わせた絵など描いて刑務所で過ごしています。

展示会やオークションで人気

ジョン・ゲイシーの描いた絵はマニアに人気となり展示会オークションで高額取引されるほど。

ジョン・ゲイシーが死刑された後、オークションが行われました。

取引額が、195ドルから高額のもので9500ドルでした。

 

その他、被害者の遺族によって処分されるために購入された絵画が25点ほど。

こちらは全て焼却されました。

 

遺族からするといい話ではありませんよね。

いくらいい絵が描けたとしても、現在まで受け継がれるのはとても残念な部分です。

過去にはジョニーデップも絵を購入

俳優のジョニーデップが、ピエロ恐怖症を克服するためにジョン・ゲイシーの絵を所有していたと言われております。

ですが、最終的には絵の暗い雰囲気に耐えられず、売却したようです。

「いずれにしろ、ジョン・ゲーシーのピエロの絵が持つあまりにもダークな側面は、
自分の精神的な部分を魅了するには、あまりにも暗すぎたんだ。」

と、ジョニーデップは語っていました。

ジョン・ゲイシーは最も残酷なシリアルキラーの1人

アメリカ合衆国のシリアルキラーキラー・クラウンの異名を持つジョン・ゲイシーについて調査いたしましたが、いかがでしたでしょうか。

 

幼少期から虐待を受け続けたジョン・ゲイシーは、心まで歪んでしまい、少年に特別な感情を抱き、33人の殺害をした残酷な事件を起こしました。

 

33人もの命を奪っておきながら、多重人格、無罪を主張し続けました。

結果有罪判決になり、死刑に。

遺族の方や全米の方からも、望んでいた結果となりました。

ジョン・ゲイシーは絵画の才能もあり、オークションでは高値で取引をされました。

 

日本でも有名なアメリカのホラー映画『IT/イット “それ”が見えたら、終わり』は、ジョン・ゲイシーがモデルとなった映画です。

ジョン・ゲイシーの怖さはこれからも語り継がれていくのでしょう。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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