2024/02/16
r.y6
女優の安藤サクラさんは、実力派として朝ドラの主演も務めるほどです。父親は奥田瑛二で母親が安藤和津という彼女ですが、旦那は柄本明の息子である柄本佑なのを知っているでしょうか。
そこで今回は、安藤サクラの柄本佑との馴れ初めや子供について迫っていきたいと思います。
父である奥田瑛二が監督を務める『風の外側』という映画があり、クランクインの直前になって主演女優が降板しました。その代役をする形で2007年に安藤サクラはデビューしました。本作には、両親だけでなく姉である安藤桃子も助監督として参加していたのです。
『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』という映画を始めとして、次々と話題の作品に出演し、第84回キネマ旬報ベスト・テン助演女優賞を受賞したほどです。また、映画『かぞくのくに』での演技の評価により、第86回キネマ旬報ベスト・テン主演女優賞を受賞しています。
それだけの実力がある女優であることがわかるでしょう。
安藤サクラは、NHK朝ドラの『まんぷく』のヒロインを務めました。何度もオーディションに挑戦していたほどに朝ドラへは憧れていたのが安藤サクラです。しかし、当時は出産後であり育児の専念を考えていましたし、自分に声がかかるとは思っていませんでした。
それでも、家族の励ましやNHK側がサポート(育児面で)すると約束をしたことで、1か月間悩んだ末に出演を決めたのです。
安藤サクラの旦那が柄本佑であることは先述しましたが、ここからは柄本佑がどういった人物なのかを探っていきたいと思います。柄本佑のプロフィールや、家族のことについて見ていきましょう。
安藤サクラの親戚関係を知るうえで、旦那の家族をチェックするのも大事になります。安藤サクラの旦那である柄本佑の、両親と兄弟についても気になるところです。どういった両親で、兄弟はどんな人なのでしょうか。柄本佑の両親や兄弟を見ていきましょう。
柄本佑の父親は、個性派俳優の柄本明です。1948年11月3日生まれであり、コメディアンでもあります。それもあってか、志村けんの番組にも多くゲスト出演し、コントでお茶の間を楽しませています。
高校卒業後に商社に就職しましたが、俳優に憧れ『マールイ』という金子信雄が主宰する劇団の演劇教室の生徒になり、そこで松田優作と知り合いました。1974年には『自由劇場』に参加しますが、1976年に退団しベンガルや綾田俊樹と一緒に『劇団東京乾電池』を結成します。
その後風貌の特異さや存在感の独特さにより、テレビや映画に出演していくようになりました。そして、1998年には映画『カンゾー先生』において第23回報知映画賞主演男優賞および日本アカデミー賞優秀主演男優賞等を受賞しています。2011年6月には紫綬褒章も受章しました。
柄本佑の母親は、女優の角替和枝です。1954年10月21日静岡県生まれで、夫が立ち上げた劇団東京乾電池に所属していました。劇団東京ザットマンの立ち上げに参加して芝居をするようになり、つかこうへい事務所にしました。
それから東京乾電池に所属し、『コメディー道中でござる』等に出演し有名になっていきます。26歳で、東京乾電池の座長を務めていた柄本明と結婚し、柄本佑らを出産しました。2018年10月27日に、原発不明がんにより64歳で死去しています。
柄本佑の弟は、俳優の柄本時生です。柄本時生は1989年10月17日生まれで3人兄弟の末っ子となっています。兄の柄本佑が受けられなかったオーディションに合格して、2003年にJam FilmsS『すべり台』において俳優デビューを果たしました。
2008年には、『俺たちに明日はないッス』という映画で映画初主演を飾っています。そして兄である柄本佑と『ET×2』という演劇ユニットを結成しました。さらに2010年に父親の柄本明と『Q10』で親子役として共演しています。
安藤サクラと旦那である柄本佑は、2008年2月に秋田で開催された第17回十文字映画祭が出会いの場でした。映画『俺たちに明日はないッス』で安藤サクラと柄本佑の弟の時生が共演しています。
そして柄本佑の方は、『ボーイ・ミーツ・プサン』という映画で主役のクリハラを演じていて、それが映画祭で上映されたため参加していました。要するに、3人が同じ映画祭の場にいたということです。
その映画祭の場において、弟である柄本時生が紹介したことで柄本佑と安藤サクラは出会いました。柄本佑は初めて会った時に『初めまして』と挨拶した時の安藤サクラの声に惹かれたとされています。それでも、この時点ではまだ交際はしていません。
夫婦のどちらも俳優でも、2人とも同じ場で賞を受賞するのは珍しいかもしれません。しかし安藤サクラと柄本佑の場合はそれを成し遂げています。それは素敵なことだと考えらえられますし、詳細を見ていきましょう。
『キネマ旬報ベスト・テン』は映画情報誌である『キネマ旬報』の主催で1924年度より始まっています。第92回キネマ旬報ベスト・テンで安藤サクラは映画『万引き家族』において3度目となる主演女優賞を獲得しました。
スピーチでは、「共演者やスタッフの方にこの場に導いてもらった」と話しています。
柄本佑は、第92回キネマ旬報ベスト・テンで『君の鳥はうたえる』『素敵なダイナマイトスキャンダル』『ポルトの恋人たち~時の記憶』の3作品において主演男優賞を初受賞しました。それだけ実力のある俳優であることがうかがえます。
2人の子供についても気になるところです。安藤サクラと柄本佑は、子供が何人いるのでしょうか。ここでは2人の子供について、スポットを当ててみたいと思います。
安藤サクラと柄本佑の子供は1人であり女の子です。2017年6月に出産していて、名前については明らかになっていません。子供の父親である柄本佑も、「こんなに可愛いんだ」と大変喜んだとされています。
『まんぷく』でヒロインを演じていた際には、育児中でもあったことからNHK大阪放送局内にキッズスペースが設けられるなどしてサポートがされました。それもあり、安藤サクラは大体毎日子供を撮影現場に連れていったのでした。
子育てをしながら朝ドラのヒロインを演じたのは、安藤サクラが初めてだったとされています。
安藤サクラの子供に障害があるのではないかという噂が流れました。しかし、それは全くのデマであり単なる噂に過ぎません。子供が生まれたということで、障害はあるのだろうかと考える人もいて、ネットで色々と検索をされたことも噂になった理由かもしれません。
安藤サクラは、様々な作品に出演しています。ここで、安藤サクラが出演した作品についてスポットを当ててみましょう。一体どの様な作品に出演しているのでしょうか。
『百年の恋』は2014年公開であり、安藤サクラは主演を務めています。だらしのない生活を送っていた主人公が、あるボクサーと出会い、人生までも変わっていくというストーリーです。ボクサー役であり、そのために体を絞り役作りをしたとされています。
この作品において、安藤サクラは日本アカデミー最優秀主演女優賞を受賞しました。
『ゆとりですがなにか』は2016年のドラマであり、安藤サクラは初めてヒロイン役で出演しています。岡田将生演じる正和の恋人役で、安藤サクラの自然な演技力が魅力となっていました。
ゆとり世代の同期に比べて、順当に昇進を果たすというキャリアウーマン的な役どころを見事に演じています。
2018年にNHK朝ドラの『まんぷく』で、ヒロインの立花福子を演じました。同作は、インスタントラーメンを誕生させた、日清食品創業者である安藤 百福(ももふく) とその妻である仁子(まさこ)がモデルになっています。
安藤サクラは育児中だったので、『ママさんヒロイン』として発表されました。
2018年公開の映画『万引き家族』は、万引きを通して結ばれた家族の絆について描かれた作品です。2018年のカンヌ映画祭では、最高賞であるパルムドールを獲得しています。安藤サクラは同作でリリー・フランキーと夫婦役を演じました。
犯罪によって家族の絆があるという、センセーショナルさもあるテーマですが、安藤サクラはオファーが入り大変驚いたといいます。
安藤サクラは英語が上手いという話があり、不思議な障害があるという話もあります。その両者について気になりますので探っていきたいと思います。一体どういったことなのでしょうか。
『まんぷく』の第2話で、安藤サクラは英語を話すシーンがあり、その英語が上手すぎると話題になりました。安藤サクラになぜ英語力がついたのかというと、学習院女子大学の国際文化交流学部出身というのが理由として考えられるでしょう。
そんなグローバルな学部で学んだことで、英語力が身に付いた可能性があります。
安藤サクラは、幼いころ2か月に一度階段から落ちていたといいます。その原因が分からなかったためMRIを撮りました。その結果は、病名がつくような障害ではなかったものの、『起きている時に脳波が寝ている』と診断されました。
睡眠障害の種類なのかもしれません。ただそれでも、実生活では何も支障はないのです。この障害こそが、安藤サクラの子供に疑われた障害であり、子供に遺伝するかどうかははっきりしていていません。
安藤サクラの家族はどういった人たちがいるのか知りたいという方も多いかもしれません。ここで、安藤サクラの親などの家族について見ていきましょう。一体、どんな家族なのでしょうか。
安藤サクラの父親は奥田瑛二です。1950年3月18日愛知県生まれの俳優、映画監督、画家であり本名は安藤 豊明といいます。学生時代に議員秘書をしたりしたのちに、1976年に『円盤戦争バンキッド』という特撮で主人公を演じデビューしました。
それから、ドラマ『男女7人夏物語』などに出演し人気があがっていきました。映画監督としては、2001年に『少女〜AN ADOLESCENT』という映画でデビューしています。
安藤サクラの母親はエッセイストの安藤和津です。安藤和津は1948年3月6日東京生まれです。父親は犬養毅の息子である犬養健であり、安藤和津は妾の子として非嫡出子という立場で生まれました。
母親は荻野昌子で、芸者を経て料亭を開いています。安藤和津は非嫡出子ではありましたが、犬養健に認知され教育もしっかりと施され厳しく育ちました。
安藤サクラの姉は安藤桃子であり、1982年3月19日東京都出身の映画監督です。高校時代よりイギリスに留学していて、ロンドン大学芸術学部を次席で卒業しています。それからニューヨーク大学に進み、映画の作り方を学び監督助手という形で働き始めました。
2010年に安藤モモ子名義により『カケラ』という作品で監督デビュー果たしています。さらに2018年には一般男性と結婚しました。
芸能人同士でも、似ていると言われる人たちはいるものです。安藤サクラも江口のりこと大変似ていると言われています。そこで、江口のりことは誰なのか、2人の繋がりについて見ていきたいと思います。
安藤サクラと激似といわれる江口のりこは、1980年4月28日兵庫県生まれの女優で、本名は江口徳子といいます。江口のりこの方が年上ということになるでしょう。しかも、安藤サクラの義父である柄本明が立ち上げた『劇団東京乾電池』の所属である点からも、何かの縁があるのかもしれません。
安藤サクラと江口のりこは激似といわれてはいますが、血が繋がっているわけではなく姉妹でも双子でもありません。ただ単に似ているというだけであるといえるでしょう。人には3人自分に似ている人がいるとされていますが、お互いにその中の1人であると考えられます。
ただ、安藤サクラと江口のりこは接点がなかったわけではありません。2人は『こうのとりのゆりかご』というドラマで共演していたのです。実話が元になった作品であり、安藤サクラは助産師役で江口のりこは看護師役を演じていました。
放送当時は、役柄も似ていたこともあってか視聴者も困惑するほどだったとされています。
家族も芸能人である場合には、共演をすることもあるかもしれません。安藤サクラが主演を務めた『まんぷく』には、実父である奥田瑛二が出演していたとされています。その詳細について迫っていきます。
奥田瑛二は、『まんぷく』に安藤サクラ演じる福子の旦那である萬平(長谷川博己)の支援をする大物衆議院議員役で登場しました。元食糧庁の長官という役どころであり、食品業界には多大なる影響力を持つ人物です。
安藤サクラが父である奥田瑛二と共演するのは、今回が初めてであろうとNHK側も話しています。貴重な機会となったということです。
『まんぷく』のオファーを受けた奥田瑛二は、大変に驚いたとされていて、演じてみてさらに驚いたのでした。そして『僕の心はまんぷくだ』とコメントを残しています。ちなみに奥田瑛二は、1996年の「ひまわり」や2007年の「どんど晴れ」といった朝ドラに出演していました。
安藤サクラは、自らも有名人一家の中で育ち結婚相手も俳優一家という環境に身を置いています。安藤サクラ自身も女優としてますます演技に磨きをかけている中で、そういった中にいることは自然だったのかもしれません。
お子さんもできてまさに順風満帆と言えるのではないでしょうか。今後も、安藤サクラの演技には目が離せません。
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