木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
2019/06/24 更新
ザ・スパイダースの最年少メンバーとして堺正章ら共に歌手・タレントとして活躍していた井上順さんは現在30歳年下の女性と再婚しました!耳の病気を患っているとの噂もある井上順さんの過去の出演や生い立ち、現在の活動をご紹介します!
ザ・スパイダースの最年少メンバーとして堺正章ら共に歌手・タレントとして活躍していた井上順さんは現在30歳年下の女性と再婚しました!耳の病気を患っているとの噂もある井上順さんの過去の出演や生い立ち、現在の活動をご紹介します!
本名(ふりがな/愛称):井上 順(いのうえじゅん)
所属事務所: オー・エンタープライズ
生年月日: 1947年2月21日
現在年齢:72歳
出身地:東京都渋谷区
血液型:
身長:170㎝
体重:
活動内容:タレント、歌手、俳優、コメディアン
所属グループ:
家族構成:
井上順は、東京都渋谷区の代々木公園前で馬場を営む家の兄2人からなる3人兄弟の末っ子として、麻布龍土町で育ちました。
井上順の家族は比較的裕福な家系で、祖父は日本で初めて競走馬を輸入した人物でもあります。
井上順は、当時フジテレビのディレクターだったすぎやまこういちが当時流行の最先端であった六本木で遊んでいた良家の若者たちを集めて組織したティーンエイジャーの遊び人グループである「六本木野獣会」に13歳で加入し、最年少メンバーとして年上に混じって毎晩のように六本木で遊んでいました。
井上順は、六本木野獣会のメンバーでバンドを結成してボーカルを担当していたこともありました。六本木野獣会のメンバーには富裕層の子女が多く、峰岸徹、大原麗子、田辺靖雄、ジェリー藤尾,中尾彬らがおり、最大30人前後いたといいます。
特に峰岸徹に対して井上順は兄貴分として慕っていてデビュー前から飲食や遊びなどにしばしば誘われていました。メンバーの多くは若手スターとなり、野獣会自体は数年で自然消滅しました。
井上順はジャガーズの前身バンドに加入した後、当時の音楽の先端であったビートルズ、ローリング・ストーンズなどブリティッシュ・ビート・グループに強く影響を受けた人気バンドグループであるザ・スパイダースのメンバーの一員として活躍しました。
井上順のスパイダース時代の経歴をまとめてみました。
井上順は、1963年成城学園高等学校在学中の16歳の時に鑑賞したザ・スパイダースのライブに触発され、その場でグループに加入を申し出てメンバーの一員になりました。メンバーは、井上順を含め田辺昭知、加藤充、かまやつひろし、大野克夫、井上孝之、堺正章、前田冨雄の8名で構成されています。
バンドの由来は「蜘蛛の巣の様に世界を席巻する」という想いを込め命名されたそうです。井上順は、加入後はグループ・サウンズ時代の最年少メンバーとして、ツインボーカルを堺正章と共に行ったり、楽器が演奏できなかったことからサイドタンバリンなどを担当しました。
ザ・スパイダースは、軽快な音楽と流行のファッショに身を包み圧倒的な人気を誇っていましたが、、ザ・タイガース、ザ・カーナビーツ、ザ・ジャガーズなどの若手グループが次々に台頭し、観客数の落ち込みが進みメンバーそれぞれのソロ活動をメインに活動を行うようになっていきました。
井上順はザ・スパイダースの最年少メンバーとして人気を博していった様子を画像とともにご紹介していきます。
井上順は日本人離れした彫りの深い甘いマスクで人気を博しました。
その顔の濃さからハーフかクウォーターではないかと思われている方もいるかもしれませんが、純日本人のようです。
日本で初めて競走馬を輸入した人物である井上順の祖父は、2012年に102歳でお亡くなりになっています。
競馬文化がなかった日本に新しい文化を取り入れた人ですから、かなりハイカラだったことは容易に想像がつきますし、競馬といえばイギリスが発祥の地ですから、イギリスの文化にもかなり精通していて、イギリス紳士の基本も身につけていたのではないかと思われます。
井上順がメンバーだったザ・スパイダースは、もちろん音楽によって人気を博しましたが、一方で、音楽以外にも堺正章、井上順、かまやつひろしの3人を中心に繰り広げられる軽妙なやりとりによるコミカルな要素も人気が出た要因になっています。
ザ・スパイダース時代に培ったトークの技術により井上順はソロデビュー後は音楽活動以外にも映画・テレビドラマ・バラエティ番組などで、マルチなエンターテイナーとして活躍しました。井上順のソロデビュー後の活動をご紹介していきます。
人気に陰りが見え始め、1970年にザ・スパイダースが解散した後に、井上順は「井上順之(じゅんじ)」と芸名を改め「昨日・今日・明日」などをリリースし本格的にソロデビューを果たしました。このシングルは、オリコン最高7位とソロ歌手として快調な滑り出しを見せました。
しかし改名後に痔を患ったことから「『じ』は良くない」と1973年に芸名を「順」へ戻しました。
井上順は、1976年から1985年までの間 フジテレビ系列で放送された『夜のヒットスタジオ』の男性司会者を最長の9年半の間、3代目司会者として務め、干支が一回り上の芳村真理と絶妙なコンビネーションで番組黄金期を築きました。
この番組は、日本のポップス黄金時代のまさに凝縮図でサザンやYMOのテレビ初登場、山口百恵の最後のテレビ出演、U2をはじめとする大物海外アーティストの出演など、数々の伝説を作りあげた日本テレビ歴史において欠かせない番組です。
物心ついた頃から饒舌なトークと気さくな性格で多くの女性を魅了してきた井上順ですが、ついに人気モデルの青木エミと出会い年貢を納めました。
二人の馴れ染めから結婚まで詳しく見ていきましょう。
井上順は1964年、「週間文春」の表紙モデルとしてデビューされ、その後資生堂のモデルとして活躍していた人気モデルの青木エミと1970年に結婚しました。青木エミは、六本木のディスコ「ムゲン」などで彼女のプロデュースした商品が置かれていたほど、女性に圧倒的な人気があったモデルでした。
青木エミは、1949年5月24日にアイルランド系アメリカ人の父親と、日本人の母親との間に生まれたハーフで、生まれてから2歳になるまでニューヨークで育ちましたが、その後日本に移住しました。
1964年、中学3年生の時に写真家の秋山庄太郎氏に見い出され「週間文春」でグラビアモデルになったことがきっかけでモデルとしてデビューしました。当時はハーフモデルに対して偏見もあり、ハーフのモデル自体も少ない中で青木エミは頭角を現し、ハーフモデルの先駆けとも言うべき存在になっていきました。
その後カネボウ、コーセー、資生堂など大手化粧品会社のイメージモデルや女性雑誌の表紙モデルとなり、一躍、トップモデルとして活躍しました。
井上順と青木エミはトーク番組「ラブラブショー」の共演がきっかけで知り合い、結婚しました。青木エミは結婚した当時若干20歳で、大恋愛の末に結婚を決意したのです。
「ラブラブショー」は、毎回当時の若手歌手や若手俳優などが出演し、番組側が決めた演出上でのカップルとなり、司会の芳村真理とその他のゲスト、そしてリポーターの宮尾すすむがあたかも本物のカップルのように2人を盛り上げていく番組です。
関口宏と西田佐知子、石坂浩二と浅丘ルリ子、郷鍈治とちあきなおみ、三浦友和と山口百恵などのように、この番組がきっかけで本当に結婚した、あるいは交際に発展したカップルの出場例も多く、井上順と青木エミもご多分に漏れず、この番組がきっかけで結婚したのです。
結婚生活は順調で、1972年には Junji &Emi (井上順之 / 青木エミ)の名前で Love (ラヴ 順之とエミの世界)というレコードを夫婦でリリースしたりもしましたが、結婚から12年後の1982年に離婚しました。
青木エミは、離婚理由について、井上順が多忙、あるいは遊び好きなあまり帰宅時間が毎日夜中の2時3時となっていてさびしくすれ違いになってしまった。嫌いになったわけではないが離婚を選んだと語っています。
離婚という道を選んでしまった井上順と青木エミですが、お互いに嫌いになってしまったわけではなく、現在でも大親友として交友は続いているそうで、結婚という枠にとらわれず良い関係を築いているようです。尚、二人の間に残念ながら子供はいませんでした。
青木エミは井上順と離婚後、モデルの仕事はあまりせず実業家に転身しました。まずはファッションブランドである、「アルファキュービック」の食品部門で、カフェやケーキをプロデュースする仕事をされ、1993年には、西麻布に、ケーキショップ「ラ・ターブル」をオープンしました。
このケーキショップは最初は順調に成長し、百貨店などにも店舗を増やしていきましたが、景気の波に飲まれ、2006年に廃業に追い込まれてしまい、青木エミもたくさんの借金と残務整理に一時期追われてしまいました。
しかし、青木エミは実業家として果敢にチャレンジし、同年に芸能人ご用達の会員制バーである「ムーンダンス」をオープンし、現在も続けられています。店内は、カウンター6席に、4人掛けのテーブルが4卓と個室、2ドリンク&スナックで、5000円と高級志向のバーです。
井上順は最近めっきりテレビなどでお顔を拝見する機会が少なくなっているようですが、それは、井上順が病気を患っていて、それが関係しているという噂があります。
現在井上順は本当に病気なのでしょうか?一体どのような病気を患っているのでしょうか?
井上順の病気について詳しく見ていきましょう。
井上順は周りの人間の声が小さいなど自覚症状が少しあり、耳鼻科で聴力検査などをし、難聴と診断されました。歌手としてタレントとして音感や音のキャッチは人一倍敏感でなければならない自分が耳の病気を患っていることを知り、芸能活動に少なからず影響が出ることは間違いないと、大変ショックを受けました。
井上順は、難聴について治療方法などについて専門医に相談すると、井上順は耳の奥にある内耳や聴神経の障害による「感音性難聴」であると診断され、またそれは一生治らないことも同時にわかりました。
左右どちらかの耳が感音難聴の場合は、音がどこから聞こえるかが分かりづらかったり、騒がしい場所で話を聴くのが難しくなってしまうため、井上順は、出演者が多い番組などでは音が遅れて聞こえたり誰がしゃべっているのかわからず、バラエティー番組への出演も避けるようになっていってしまったのです。
感音性難聴を患ってしまう原因には、先天性を除くと、外傷、加齢、過度の騒音、メニエール病、髄膜炎、腫瘍などさまざまな原因が考えられますが、井上順の場合、加齢やストレス、過労などが影響したようです。それ以上に歌手として耳を長年酷使してきたことが大きかったようです。
井上順は長年に渡りギターやベースの大音響を聞いたり、ヘッドホンを大音量で一日中聞いていたこともあり、知らず知らずのうちに耳に負担をかけてしまっていたようです。
現在の井上順は、仕事は控えめにしているものの、医師の薦めにしたがって、補聴器を使用して生活に支障をきたすことなく暮らすことができています。
井上順は、「リオネット補聴器」を愛用していて、最初は、補聴器の装用をためらっていましたが、耳にすっぽり入るタイプで見た目にもあまり響かず、気持ちもが前向きになったようで元気に生活しているようです。
井上順は青木エミとの離婚後ずっと独身を貫いていますが、ここにきて、30歳年下の美女と親蜜に交際していて再婚するのではないかと噂されています。
30歳年下との交際を詳しくご紹介いたします。
井上順は、2014年7月に写真週刊誌『FRIDAY』で年下の彼女との交際をスクープされました。交際相手の美女は、真木よう子似とも檀れい似ともいわれていて30歳年下の女性です。二人は7年ほど前に友人の紹介で知り合い、4、5年前から交際に発展したようです。
同誌から直撃を受けた井上順は、彼女とはいい時間を過ごしているとし、交際について否定しませんでした。
井上準は、スクープ後2017年に出演した『徹子の部屋』では、離婚してから、独身を通し、観葉植物と共に暮らす私生活をユーモアたっぷりに写真と共に紹介しました。そして、30歳年下の彼女についても言及しました。
交際については、「僕の意見より彼女の意見を尊重しているので、彼女がそうしたいと言ったら、そちらに進んでいこうと思っています。」と結婚も視野に入れた交際であることを語っています。
その後も同棲などはせず、彼女が井上順のマンションに頻繁に通い、家事全般をこなすなどして順調な交際を続けています。その後30歳年下の彼女も結婚に前向きであるとの報道もありましたが未だ結婚したという噂は聞こえてきません。井上順の年齢のこともあり大人のつき合いを続けているようです。
往年の人気を誇ったザ・スパイダースがかまやつひろしの死をきっかけに一日限りではありますが、再結成されました。
2017年にザ・スパイダースの中心的メンバーだったかまやつひろしが、すい臓がんのため3月1日に享年78歳で亡くなりました。
お別れ会では、メンバーの堺正章、井上順、井上堯之、大野克夫、加藤充、田邊昭知が集まり、10年ぶりにザ・スパイダースが再結成され、「フリフリ」「バンバンバン」「ノーノーボーイ」などを披露しメンバーとしての結束の強さを見せつけました。
お別れ会では、堺正章が、往年遅刻魔だったかまやつひろしのエピソードを面白おかしく披露しました。
生前かまやつひろしは遅刻の常習犯で、遅刻した理由を、『明日だと思った』など毎回信じられないような驚くべき理由を語り、メンバーのみんなを笑わせて、たとえ遅刻を繰り返したとしても、誰もかまやつひろしのことを責める人はいなかったそうです。
さらに堺正章は、かまやつひろしを裏の貢献者で、スパイダースを小さいお魚から大きいお魚に変えていってくれたのはかまやつさんの存在で、世間の形にハマることがない自由さがザ・スパイダースを作ってくれたと高く賞賛しました。
1982年に青木エミと離婚してから、ずっと独身を貫いてきた井上順。しかしその裏には30歳も年下のステディーな彼女がいました。ハーフとも見間違えられるダンディーな井上順のことですから、年齢とともに魅力も増し、若い頃と変わらず人気があるようです。
耳の病気を患い、仕事をセーブしたために、テレビで元気な姿を見る機会がぐんと減ってしまいましたが、機能的な補聴器や献身的に尽くしてくれる彼女のおかげで、精神的にも元気になり現在は仕事をする機会も増えていっているようです。
かつて、 『ネプリーグ』で「ジェームズ・ ボンドを日本の芸能人に例えると誰か」とする一般人へのアンケートで、1位に選ばれたこともある井上順。これからも、そのダンディーな日本人離れした魅力で中年の星として、世の中の男性に明るい話題を振りまいて欲しいと思います。
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