2015/10/09
obkana01_new
その頃に自動車の事故で大怪我(内臓破裂)。一時重体になり、生死の境をさまよう。この時医者から家族にも「諦めて下さい」と伝えられたが、長時間の手術の末一命を取り留める。このことから「好きなことをしよう」と、以前から思い馳せていた芸能界入りを心に決めたという。
16歳でかまやつひろし(ムッシュかまやつ)や大野克夫らの音楽バンド「ザ・スパイダース」に加入し、その後加入した井上順とともにボーカルを担当、「夕陽が泣いている」などでヒットする。
ヒロミは2003年までに出演したレギュラー番組は、延べ60本以上に上り、絶頂時にはレギュラーが週に10本、月収は6,000万以上あったと語っています。
芸風は、鋭いつっこみが本領で、先輩芸人や、大物タレントにも、タメ口で接し、タモリに面と向かって呼び捨てにしたり、たけしに対しても”おっさん””じじい”など乱暴な口をきいていました。
しかし不遜ともとれるヒロミの芸風は、微妙なバランスの上で成り立っていて、一歩間違えると、相手を不快にし、ファンからも批判されかねないものでした。
これを実現するため、2004年7月放映の「27時TV」内の「生・笑わず嫌い王決定戦」のコーナーでとんねるずが漫才を、ヒロミも十数年ぶりに「B21スペシャル」を復活させ、コントを披露しています。
この時作ったメニューは「鶏肉のトマト煮込み」でヒロミの判定は「星0.5」(笑)
ところが2007年にゲスト出演した「世界一受けたい授業」の収録の休憩時間に、ヒロミが堺正章に”マチャアキさあ”と話しかけてしまい、堺から鬼の形相で睨まれたという事件があったのです。
「先生(堺正章)の番組に出て。一緒に特番の司会を2人でやったりして。俺たちは俺たちで、(演技で)もめながらその噂、本当なのかな、って思わせながらやったりして」
堺正章との確執が原因でテレビから遠ざかったわけではないと否定したヒロミ。
「ADなど下っ端のスタッフを自分の使いっ走りのように扱い続けてきた。『自分の番組では絶対にヒロミを使わない!』と心に誓っていたADたちが、ディレクタークラスに出世しだした時期から、次第にヒロミも起用されることがなくなっていったんです」
「下のスタッフにほど気を使え」というのが芸能界の掟だそうです。
堺正章との不仲の噂をはっきりと否定したヒロミ。噂は噂のまま、当人たちにしか分かりません。ただ、ここまで大きな噂になり、実際にヒロミが芸能界から姿を消していた事実があるのでまるっきり嘘というわけではないのかもしれませんね!まあ何はともあれ、芸能界に復帰したヒロミと巨匠・堺正章の今後の活躍にますます期待したいと思います!
この記事に関する記事
キーワードから記事を探す
Copyright© 運営事務局