2015/10/09
NANAT197
2020/04/09 更新
中国四大奇書のひとつを原作に、すでに生ける伝説だった『巨匠』堺正章さんを主演に制作された『西遊記』。堺正章さん自らアクションを演じ、当時は無敵を誇った大河ドラマをしのぐ高視聴率をたたき出し、新たな伝説を産んだ『西遊記Ⅰ、Ⅱ』をご紹介します。
堺正章(さかいまさあき)
本名:栗原正章(くりはらまさあき)
生年月日:1946年8月6日(69歳)
出身地:東京都世田谷区
身長:165 cm
血液型:A型
デビュー:1951年
愛称:マチャアキ、巨匠、Mr.かくし芸、堺先生(しゃかい しぇんしぇい)
所属事務所:エスダッシュ
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」では、医師・望月東庵を演じられました。
1951年、5歳の時、子役として映画に出演し、芸能界デビュー
1962年、かまやつひろし(ムッシュかまやつ)らが所属するバンド「ザ・スパイダース」に加わり、井上順とともにボーカルを担当し、「夕陽が泣いている」などのヒット曲がある。
1970年、「ザ・スパイダース」解散後は、ソロ歌手として活躍。テレビドラマ『時間ですよ』に出演し、人気を博す。
1976年、『新春かくし芸大会』に出演し、毎年プロ並みの個人芸を披露し、「Mr.かくし芸」と呼ばれるようになった。
1978年~1980年、日本テレビ系テレビドラマ『西遊記』『西遊記Ⅱ』で主演の孫悟空を演じ、大きな話題となった。
1994年4月9日~、TBS系料理バラエティ番組「チューボーですよ!」放送開始。「巨匠」として、料理を作り、ゲストに星いくつかの判定を得る。
2013年、第6回したまちコメディ映画祭in台東にてコメディ栄誉賞を受賞した。
2015年、浅草公会堂の正面にあるスターの広場に手形が設置された。
ザ・スパイダース時代には、こんな曲も出されていました。
この時期から、モンキーのイメージがあったのでしょうか。
1978年10月1日~1979年4月1日放送、4月8日は、総集編、2時間スペシャルを放送。
天竺へありがたいお経を取りに行く三蔵法師を孫悟空、沙悟浄、猪八戒の三人が助ける旅の物語は、ここから始まりました。
当時はめずらしい中国ロケ(国交回復した直後ですから)で話題をさらいました。が、相手は共産国家。思い通りに行くはずもなく、パート1では仕方なく背景だけスタッフが撮影しにいったそうです。(OPなどでイメージ映像のようにカットが登場しています)
当時、特撮技術が向上していた時期ですから、そちらへの期待も大きかったのでしょう。
ちなみに、パート1の特撮は円谷プロ、パート2では東宝映像が協力しています。
パート1と2の間に、やっと中国ロケは実現したそうですが、参加したのは堺正章さん、岸部シローさん、左とん平さん、藤村俊二さんだけで、夏目雅子さんは不参加でした。
これも、OPで映像がつかわれています。
他にも、第一話の2時間スペシャルで三蔵法師の愛馬になる白龍の模型にはミニチュアも含めて850万円かかっています。
どれだけ気合いが入っていたか、わかる費用です。
(当時はドラマの第一話スペシャルに破格の予算をかけて宣伝することがよくあったのです)
それもそのはず、裏番組の大河に負けじと投じられた予算が10億円ですから。
オープニングとドラマパートの全編通じてフィルム撮影で、CGはほぼつかっていません。ビデオ画面では出せないこの質感に芥川 隆行さんの名調子で語る『講釈』は、不思議な引力に満ちあふれていました。
今ではテレビの視聴率もそれほど高くはありませんが、インターネットもないこの時代では娯楽の中心。NHKの大河ドラマは化け物のような視聴率を誇っていたわけですが、この西遊記はそこへ真っ向の勝負を挑み、太刀打ちしきったわけです。
そしてかせいだ平均視聴率が約19.5%です。最高視聴率に至っては最終回の27.4%を記録しました。
あまりの追い上げに、大河ドラマのスタッフが見学に来るほどだったそうです。
また、この番組は海外でも人気を誇ったそうです。
ちなみに、英語版のタイトルは『Monkey』ですが、そのまんますぎると思うのは私だけでしょうか?
堺正章さんは、この役のために京劇の俳優から如意棒の扱い方を習ったそうです。
本人が演じていらっしゃるアクションシーンはその成果です。
さすが、ミスター隠し芸ですね。
(このアクションはスターウォーズエピソード1に出てきたダースモールのダブルブレイドライトセイバーのアクションに影響を与えたそうです)
觔斗雲(きんとうん)を呼ぶときに、右の人差し指と中指をそろえて手早く動かし、口をすぼめて「ひゅぃいい、ひゅ、ひゅ」と息を吹き出すあのポーズ、それからさっと雲に飛び乗って颯爽と飛び去るシーンまで含めて、堺正章さんのアイデアだそうです。
英語版では、劇中『モンキー』と呼ばれています。
三蔵法師を演じたのは、夏目雅子さんです。『西遊記』放送開始当時20歳の若さでした。
最初、坂東玉三郎さんにオファーがいって、断られた末のキャスティングのようです。
結果として夏目雅子さんのりんとした三蔵法師がおおあたりでした。
中国の方は、三蔵法師を女性にしたと怒ったようですが、あくまでも三蔵法師は男性で、それを女優の夏目雅子さんが演じただけです。
当時から持病をお持ちで、夏目雅子さんのために堺正章さんが自費でキャンピングカーを購入し、メインキャストの移動や夏目雅子さんのロケ現場での休憩に使っていたらしいです。
撮影中は、衣装とメイクそのままで中華料理をたべにいくなど、終始メインキャストのみなさんのマドンナでいらっしゃったようです。
女優が三蔵法師を演じることについて、海外でも評価が高かったそうです。
ちなみに、英語版では『トリピタカ』と呼ばれているのだそうです。
(サンスクリッド語で三蔵なのだとか)
夏目雅子さんは、急性骨髄性白血病のため、若くして亡くなりました。享年27歳でした。
岸部シローさんの画像、若いですね。『西遊記』放送開始当時29歳です。
堺正章さんのべらんめえ口調と岸辺シローさんの関西弁と西田敏行さんの関西弁のやりとりは実に軽妙で、そこへ夏目雅子さんのりんとしながらも品のある言葉が加わることで、何とも言えないたのしい空気がかもしだされていました。
沙悟浄を河童としているのは日本だけで(そもそも、河童が日本オリジナルの妖怪ですから)、中国の沙悟浄は特になんの妖怪であるという言及はないとか。(揚子江河イルカ、揚子江ワニとか、諸説あります)
あの、片方が三日月型をした武器は、降妖杖(こうようじょう)という法具です。
ちなみに、英語版では『サリィ』と呼ばれています。
西田敏行さん演じる猪八戒は、まさにはまり役でした。トラブルを起こすときは女か食べ物がらみという自分(の欲望)に正直で憎めない猪八戒は人気者でした。
途中から西田敏行さんのスケジュールの調整がきびしくなり、冒頭で豚にされ、あとは当てレコだけで、最後まで人間の姿が出てこない、という回があったりしました。
おかげで、Ⅱでは泣く泣く降板することとなりました。
猪八戒の武器は九歯のまぐわ(きゅうしのまぐわ)といい、れっきとした法具です。
英語版での呼び名は『ピグシー』。
高峰三枝子さんもまた、大御所女優ですね。
お話の都合上、最初と最後だけの出演でしたが、存在感のある釈迦如来でした。
本業は歌手で女優さんです。
90年にお亡くなりになりました。
1979年11月11日~1980年5月4日放送
『西遊記』の人気を受けて、作られたのが『西遊記Ⅱ』です。平均視聴率約16.5%で最高視聴率は第13話の21.1%なのですから十分なように思えますが、シリーズ打ち切りとなってしまいました。当時は、期待されるハードルが高かったのです。
悟空一行はお話の中で天竺へ到着せずに終わってしまいました。
スケジュールの都合から猪八戒の西田敏行さんが降板し、変わって演じるのが左とん平さんです。
また、三蔵法師の愛馬である白馬(もともと、竜の化身です)の人間体、玉竜として、藤村俊二さんが登場します。
西田敏行さんとはまた別の味があります。
三蔵の愛馬(竜の化身)の人間体をだすアイデアは、Ⅰの時からあったそうですが、実現したのはⅡからです。
竜は極めて長命なので、この外見でも竜としては精神年齢は12歳です。
ですから、喋る言葉は幼児言葉です。
このときの藤村俊二さんは44歳。本当に若々しい。
『西遊記』のオープニングテーマといえば、ゴダイゴが歌う「モンキー・マジック」。もちろん、エンディングの「ガンダーラ」も歌っています。
両方ともゴダイゴの出世作となり、8週にわたって2曲ともベスト10に入り、瞬間風速的に同時ベスト3入りも果たしました。
「モンキーマジック」は『西遊記Ⅱ』でも引き続き主題歌として採用され、エンディングは新たに「ホーリー&ブライト」を歌いました。この曲の少し前に銀河鉄道999のテーマ「銀河鉄道999
(THE GALAXY EXPRESS 999)」もヒットしましたので、「モンキー・マジック」「ガンダーラ」と続いて売れ続けたこの時期は、ちょっとしたゴダイゴブームでした。
他にも『西遊記』シリーズの魅力はたくさんあります。
たとえば、今は有名声優となられたクラリス役でおなじみの島本須美さん(カリオストロの城の前です)やシャアアズナブルで有名な池田 秀一さん(ガンダムの前です)も、素顔(当然ですが)でゲスト出演なされています。また、笑点で今の「山田くん」の前に座布団運びをされていた松崎真さんも出演されていました。
孫悟空を演じた堺正章さんといえば、TBS系料理バラエティ番組「チューボーですよ!」ね。
西田敏行さんも、岸辺シローさんも、左とん平さんも、現役でご活躍中です。藤村俊二さんは、仕事を受けていらっしゃらない様ですが、引退はされていないご様子。
もし、夏目雅子さんが現役だったらと思うと、その早すぎる死が残念でなりません。
三蔵法師一行は天竺へはたどりつかずに終わってしまいましたが、意外なところでけりがついていました。2006年フジテレビで放送された『西遊記』最終回で、天竺へたどりついた香取悟空をまっていたのが、堺正章さんのお釈迦さまだったのです。
「知っているよ、これ痛いんだよね」って笑いながら香取悟空の頭から緊箍をとり外し、如意棒をふりまわすその姿は、確かにあの悟空でした。
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【この記事は2020/04/09に更新されました】