2024/02/16
r.y6
幼い頃から「天才少女バイオリニスト」として注目をされた鰐淵晴子さんですが、現在では70代を超えておられます。
幼少期の面影が残る、今でも衰えを見せずお綺麗な鰐淵晴子さんの簡単なプロフィールをご紹介いたします。
新潟県長岡市出身のバイオリニスト・鰐淵賢舟さんとハプスブルク家の末裔の1人であるオーストリア人の母・ベルタさんの間に生まれた鰐淵晴子さん。
ハーフということですね。
鰐淵晴子さんの顔立ちもハッキリとしていますよね。
写真を見てわかる通り、オーストラリア人の母親に似てとっても綺麗ですね〜!
父親の鰐淵賢舟さんは、渡米ののちプラハ音楽院でオタカル・シェフチクに師事され、その後帰国し、バイオリンの演奏家・指導者として活動しておられました。
バイオリン界でもとても偉大な方。
鰐淵家は貴族の家系だったのですね、すごい!
現在のスイス領内に発祥したドイツ系(アルザス系)の貴族。
あのマリー・アントワネットもハプスブルク家です!
中世から20世紀初頭まで中部ヨーロッパで強大な勢力を誇り、全ドイツ人の君主であった為、ヨーロッパ随一の名門王家と言われています。
世界的有名なバイオリニストを父に持つ鰐淵晴子さん。
幼い頃からバイオリンの英才教育を受けていたそうです。
音楽のセンスもあり、才能も溢れる鰐淵晴子さんの天才バイオリニストの経歴をご覧ください。
有名なバイオリニスト・父親の鰐淵賢舟さんの指導で3歳でバイオリンを始めた鰐淵晴子さん。
幼き頃から英才教育を受けておられました。
才能も相当のものだったみたいですね。
さすが二世です!
6歳の頃に父親と共に日比谷会堂で初演奏を成功させ、8歳の頃には演奏旅行として全国を巡った鰐淵晴子さん。
可憐な美貌と実力のあるバイオリンの演奏で世間を認めさせ「天才少女バイオリニスト」と賞賛されていました。
幼い頃、バイオリンと同時進行で女優業もこなしていた鰐淵晴子さん。
映画初主演の年齢がわずか7歳!!
7歳の子供がこんなにも器用にお仕事をするなんて今では考えられません。
本当の天才なのでしょう。
女優でも成功をした鰐淵晴子さんの経歴・活動をご覧ください。
1952年公開の映画「母子鶴」で映子の少女時代を演じて、女優として初主演を果たした鰐淵晴子さん。
わずか7歳で女優としてデビューをされました。
バイオリンでも成功をし、女優業にも進出した小学生・・・。
凄すぎて、世間も業界もほっときませんよね!
1995年に新東宝のファンタジー映画「ノンちゃん雲に乗る」で主演のノンちゃんを務め女優業を本格的にスタートさせました。
正統派美人として「原節子の再来」と高い評価を得ました。
1951年に出版された石井桃子の児童文学作品です。
2008年にこの作品をモチーフとしたオリジナル楽曲として、大橋のぞみさんがCDアルバムを発売しました。
8歳の女の子ノンちゃんが、悲しくて泣いている時に木の上からひょうたん池に映る空を覗いて池に落ちてしまいます。
気がつくと水の中の空の上にいておじいさんが熊手ですくって助けてくれるお話です。
1960年に「銀嶺の王者」でトニー・ライザーの相手役に抜擢され、「1960年代前半の松竹を代表するスター」と高く評価をされました。
正統派美人として「原節子の再来」とも言われておりました。
1960年代だけでも「銀嶺の王者」「伊豆の踊子 」「あんみつ姫の武者修行 」「猟銃」「丹下左膳 」「二十一歳の父 」「眠狂四郎無頼控 魔性の肌 」などの作品に参加し大スターの仲間入りを果たしました。
1920年生まれの日本を代表する女優です。
「永遠の処女」と呼ばれ、戦前から戦後にかけて活動されていました。
日本映画の黄金時代を体現し、代表作は「わが青春に悔なし」・「青い山脈」・「めし」・「東京物語」などがあります。
1963年に女優業を引退されました。
1995年に「平成無責任一家 東京デラックス」「遙かな時代の階段を 」「眠れる美女」に出演し、個性的な役柄にも関わらず見事に演じ切り、1995年第50回毎日映画コンクールの女優助演賞を受賞されました。
鰐淵晴子さんは二度の結婚をし、二度目の結婚の時に子供に恵まれています。
その子供の名前は鰐淵理沙さん。
元モデルでタレントをしていました。
鰐淵晴子さんの元夫や娘の鰐淵理沙さんについて詳しくまとめてみました。
写真家のタッド若松さんと二度目の結婚をした鰐淵晴子さん。
その二人の間に鰐淵理沙さんが生まれました。
1991年に、ロッテが発売した高級板チョコ「ティラミスチョコレート」のCMで芸能界デビューを果たしました。
洗足学園大学声楽科を卒業し、その後、ドイツに渡りケルン音楽大学で声楽及び音楽教育学を学び修士課程卒業されました!
鰐淵晴子さんは二度の結婚をされています。
一度目の結婚は服部時計店の服部歊さん。
現在のセイコーホールディングス株式会社。
凄いですね・・・。
ですが、結婚生活期間は1968年〜1969年のわずか1年しか続きませんでした。
二度目の結婚は写真家タッド若松さん。
タッド若松さんとの出会いは、アメリカ。
鰐淵晴子さんが離婚後アメリカに渡り、そこで出会ったそうです。
結婚生活期間は1972年〜1986年の間でした。
その間で生まれたのが、娘の鰐淵理沙さんです。
鰐淵理沙さんには既に子供が誕生しているそうです。
プライベートなことで、夫は一般人としか情報がありません。
子供の情報も詳しくはわかっていないのですが、子供がいることは確かなので鰐淵晴子さんはおばあちゃんなのですね。
美人なおばあちゃんですね!
祖父になる鰐淵賢舟さんの指導により、鰐淵晴子さんと同様、幼い頃から英才教育を受けた鰐淵理沙さん。
ピアノとバイオリンを習っていたそうです。
洗足学園大学声楽科に進学をし、卒業。
その後は、ドイツに渡りケルン音楽大学で声楽と音楽教育学を学び、修士課程を卒業されました。
祖父と母親の才能をしっかり受け継いだ鰐淵理沙さんは、アーヘン市立歌劇場の歌手を経て、2014年から日本に活動拠点を移し、歌手やタレントとして活躍されているそうです!
鰐淵晴子さんの母親は、ハプスブルク家の末裔の1人であるオーストリア人のベルタさん。
ハプスブルク家といえば、10世紀頃から存在したスイス領内に住んでいたドイツ系の貴族で、中部ヨーロッパで強大な勢力を誇り全ドイツ人の君主だったそうです。
ヨーロッパ随一の名門王家と言われるほどの名家です。
父親はバイオリニスト、母親は名家の末裔とは・・・。
凄すぎですよね!
鰐淵晴子さんは1945年生まれ、現在(2019年)では74歳になります。
今でもとても綺麗に着飾っていて美しさは保たれていますね。
こんな綺麗な74歳はなかなかいませんよね。
若い頃の鰐淵晴子さんは、ハーフの綺麗な顔立ちが目立ち、バイオリンでも有名になりその美貌から天才美少女と言われていました。
その後、美少女から艶やかな美人女優へ進んでいきました。
若い頃の鰐淵晴子さんは、娘の鰐淵理沙さんに似ていますね。
さすが親子です。
娘の鰐淵理沙さんにも子供がいるので、鰐淵晴子さんは孫がいることになります。
74歳のおばあちゃんになります。
女優さんで、貴族のハプスブルク家の末裔なので、かなり裕福でそれなりに美容にもお金をかけているのだとは思いますが、それにしても美貌を維持するのは凄いです。
女性として尊敬します!
綺麗ですね。
2015年ドラマ「新・牡丹と薔薇」以降、女優としててれテレビ出演をすることがなくなった鰐淵晴子さん。
このことから引退したのでは?と言われていますが、特に引退宣言があったわけでもありません。
現時点では、アートプロモーションに所属されています。
1945年生まれの鰐淵晴子さん。
現在(2019時点)では74歳となっております。
1940年代生まれの女優さんは、鰐淵晴子さんを含め素晴らしい美貌の持ち主や演技力の方々が大勢います。
70歳を超える女優さんをまとめてみました。
1957年小学校6年生の時、ラジオ東京の連続ラジオドラマ「赤胴鈴之助」で芸能界デビューを果たしました。
1962年、 高校在学中に「キューポラのある街」にてヒロインに抜擢され、「寒い朝」でレコードデビューもし、20万枚のヒットを出すほどに成長。
早稲田大学第二文学部西洋史学専修に入学し、多忙の中、次席で卒業をされました。
1973年にフジテレビディレクター岡田太郎さんと結婚を発表。
・映画「キューポラのある街」
石黒ジュン 役
・映画「伊豆の踊子」
主演・薫、少女 役
・映画「映画女優」
主演・田中絹代 役
・映画「天国の駅 HEAVEN STATION」
主演・林葉かよ 役
・映画「ふしぎな岬の物語」
主演・柏木悦子 役
1960年、高校の時の通学姿を見初められスカウト、その後ドラマ「東京タワーは知っている」で芸能界デビューを果たします。
20歳の時に仕事や週刊誌の噂に嫌気がさし、人生をリセットする目的で半年先のスケジュールまでキャンセルしてパリに渡り、自分で稼いだお金で豪遊されていたそうです。
帰国後、劇団四季の舞台「オンディーヌ」に出演し、大盛況となり女優としての喜びを知り本格的に女優業に進むことになりました。
1972年に未婚のまま女児を妊娠しシングルマザーとして子供を育てることになります。
現在ではTBS社員の演出家と事実婚の関係となっているようです。
・澪つくし
古川るい 役
・ドラマ「あすなろ白書」
掛居 みつ子 役
・ドラマ映画「花より男子」
道明寺楓 役
・陽炎座
みお 役
・麻雀放浪記
ママ 役
6歳から日本舞踊を初め、8歳で舞台に立ち、1956年ニッポン放送「ものまねのどじまん」で優勝し、その後修行をし、16歳でキャバレーでの初舞台を踏みました。
1958年に「お座敷ロック」でレコードデビューをしたがなかなか売れず。
デビューから3年が過ぎた時に「おひまなら来てね」を発売し大ヒットをしました。
翌年の紅白歌合戦に出場!
1965年に結婚し芸能界を引退するも離婚して復帰され、それ以降はタレント、女優業にも力を入れられました。
三度の結婚をし、いずれも離婚をしておられます。
・映画「五月みどりのかまきり夫人の告白」
五月みどり 役
・ドラマ「早春物語〜私、大人になります〜」
大宅敬子 役
・ドラマ「な・ま・い・き盛り」
樋口タカ子 役
・映画「男はつらいよ 寅次郎物語」
ふで 役
・映画「釣りバカ日誌3」
雪子 役
世界的有名なバイオリニスト・鰐淵賢舟さんとハプスブルク家の末裔の1人であるオーストリア人の母から生まれた鰐淵晴子さん。
幼き頃からバイオリン、女優で活躍し続ける鰐淵晴子さんは多才で艶やかな美貌に恵まれ、輝かしい人生を送られてきたことが分かりました。
家柄も素晴らしくとても魅力溢れる方でしたね!!
そんな鰐淵晴子さんは70代を超えました。
とても素敵な年齢の重ね方だと思いました。
2015年以降はテレビへの露出がなくなりましたが、完全なる引退宣言はされていません。
年齢的なこともあるので事実上の引退かも知れませんが、今後でもテレビで拝見したいですね。
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バイオリニスト・鰐淵賢舟とハプスブルク家の末裔の1人であるオーストリア人の母から生まれた鰐淵晴子さん。
父の指導のもと3歳からバイオリンを始め、8歳で全国を演奏旅行し「天才少女バイオリニスト」として世間を騒がせました!
1958年には、映画「母子鶴」で女優として初出演され、「1960年代前半の松竹を代表するスター」と高く評価をされていました。
才色兼備兼ね備えた大スターの鰐淵晴子さんは、現在何をしているのでしょうか?
気になる真相を突き止めます!