2024/02/16
r.y6
皆さんは小田茜さんをご存知でしょうか?第4回全日本国民的美少女コンテストで見事グランプリを受賞し、芸能界デビューを果たしたアイドルであり女優で、たくさんのドラマに出演し人気女優となった女性です。そんな小田茜さんが現在どんな活動をしているのかを調べて書いていきたいと思います。
小田茜さんとは一体どのような人物なのでしょうか?小田茜さんのプロフィールについて調べてみたいと思います。
小田茜さんは出身地近くである上三川町の小学校に在学中の1990年にオスカープロモーション主催の第4回全日本国民的美少女コンテストに応募、グランプリを受賞しました。それがきっかけでその後芸能界入りを果たします。
受賞当時から、小学生で若干14歳であったにもかかわらず小学生には見えない大人びた外見と、欧米人の血が交じっているのかと思わせるような日本人離れした顔立ちが話題になりました。でも実際はご両親ともに日本人でハーフなどではないそうです。
小田茜さんは芸能界で女優として活躍するとともに、1992年には歌手デビューも果たすなど、多方面で活躍をしておりました。
そんな順調な芸能生活を送っていた小田茜さんですが、現在はほとんど姿をお見かけすることはなくなりました。小田茜さんは芸能界を引退してしまったのでしょうか?
小田茜さんは小2008年7月20日に当時交際していた航空会社勤務の男性と婚姻届を提出したことを発表しました。結婚当時小田茜さんは29歳で、旦那さんは37歳であり、旦那さんは日本航空の副操縦士をしていたとのことです。
当時のパイロットの年収は30代後半で1,500万~1,800万円だったようで、かなりの高収入の旦那さんだったようですね。ただし、パイロットということはかなりの割合で家を空けていたのではないでしょうか。
2人が出会ったきっかけは友人の紹介だそうで、2006年に知り合い2007年夏から本格的な交際を始めたそうです。詳しいなれ初めなどは「本人の希望で公表できない」とJAL関係者が言っていたとのこと。
しかし、JAL社内に「○○さんが小田茜さんと結婚します」というニュースが流れてJAL社内ではちょっとした話題になったそうで、そういうこともあり旦那さんがJALの方だということが分かったようです。
その後報道各社に送ったファクスで「時間を積み重ねていく中で、かけがえのない存在であることを確信しました」とコメントしています。ただ、一般の方であるため、これ以上の情報は発表されておりませんし、ネット上にも無いようでした。
小田茜さんは結婚から1年ほどたった2009年7月25日に妊娠を発表します。そして、2010年3月19日に所属事務所を通じて、2010年2月1日に無事第一子である長男を出産したことを発表しています。その発表によると出産当時の息子さんの体重は3042グラムで順調に成長しているとのこと。
また、出産から約1カ月半経っての発表となりましたが、これについては「日々の生活も落ち着いてきたところですので」と、このタイミングの報告となったことを説明しておりました。
そこから特に兄弟を出産したという発表はありませんので、小田茜さんは現在でも一児の母ということになっています。
そして長男を出産してから芸能界での活動が見られなくなっています。小田茜さんは事実上芸能界を引退してしまったのでしょうか。
小田茜さんは結婚、出産してからかなりメディアへの露出は減っていき、ほとんど姿が見られなくなりました。長男を出産してから子育てに専念するために芸能界を退いたのではないかと噂されています。
実際小田茜さんは暫く芸能活動を行っていませんし、現在でも芸能活動を再開する目途はたっていないとのことです。
しかしながら、プロフィールでも紹介した通り、小田茜さんは現在でもオスカープロモーションに所属していて、オスカープロモーションのホームページのタレント一覧にもプロフィールが掲載されております。
したがって、オスカープロモーションとの契約は現在でも続いており、事務所に所属しているということになります。今は実質休業中ということになるのでしょう。
2010年に出産しているので、小田茜さんのお子さんは現在9歳ということになります。小学校低学年ですのでまだまだ育児の手がかかる状況なのではないかと思われます。さらに旦那さんが家を空けていることが多い以上、小田茜さんが芸能活動をすることはまだしばらく難しいのでないでしょうか。
しかし、お子さんが成長して育児がひと段落したら、いつの日か芸能界に復帰してほしいものです。
小田茜さんがその後北海道に移住したのではないか、というウワサがネット上に流れているようです。しかしながら、小田茜さんが北海道に移住したという事実はなさそうです。
小田茜さんが結婚するより前に、一時芸能活動を休業していたのではないかというウワサがありました。果たして本当なのでしょうか。
小田茜さんは現在の旦那さんと結婚するより以前である1997年に、恋愛問題が発生したため芸能活動を一時休業していた時がありました。その時発生した恋愛問題とは一体どんなものだったのでしょうか。
恋愛問題のお相手は、なんとゴーストライターで世間を騒がせた佐村河内守さんでした。当時18歳だった小田茜さんは、映画、秋桜で主演の エイズに感染した高校生園田明子を演じていました。そして佐村河内守さんは秋桜の音楽を担当していたようです。
佐村河内守さんとはどんな人だったのでしょうか。
佐村河内氏は聴覚障害がありながら、ゲーム『鬼武者』の音楽をはじめ、2003年秋には「交響曲第1番 HIROSHIMA」を完成させ、アメリカの雑誌「TIME」には『digital-age Beethoven(現代のベートーヴェン)』と言わせしめた人物です。
しかし、2014年自身が作曲していたものがゴーストライターによる代作だとという事実が発覚しました。きっかけは2013年に発売された月刊誌「新潮」において、佐村河内守さんは本当は耳が聞こえているのでは?との疑惑が出たことで新垣隆さんが告発したことでした。
佐村河内守さんのゴーストライターを務めていた新垣隆さんは佐村河内氏との関係解消を申し入れるとともに、自分自身が佐村河内守さんのゴーストライターを務めていた事実を公表し、ゴーストライター騒動へと発展したのでした。
そして佐村河内守さんがゴーストライターの新垣隆さんに初めて頼んだ仕事が秋桜の音楽だったとも言われております。
当時の小田茜さんはその時のマネージャーと揉めていた時期だったため、精神的に不安定で年上の人に依存しやすかった状況だったと言われています。そして音楽を担当してもらっていた当時33歳の佐村河内さんに色々相談しているうちに親密になっていたそうでです。
2人の関係は事務所内でも噂になっていたと言います。佐村河内守さんはすでに結婚されており、不倫関係でした。佐村河内守さんは奥さん以外に2人の女性と交際していたとされ、その一人であったようです。
小田茜さんが舞台「若草物語」で全国を巡業した時には、佐村河内守さんの姿が行く先ざきで目撃されていました。しかし佐村河内守さんは既婚者の為、いつまでもその関係は続かず2人は破局し、小田茜さんは舞台が終わった10月に芸能活動を休業すると発表しています。
公的な休業理由は心労が重なったためと発表されましたが、マネージャーとの関係に加え、佐村河内さんとの破局があり精神的に疲労が来ていたためと言われています。
小田茜さんは2001年ごろ、霊感占い師のMr.モーリこと勝見守利さんと交際していました。当時霊感占い師とのイタリア新婚旅行を報じられましたが、小田茜さんはMr.モーリと交際の事実は認めるものの、新婚については否定しました。
Mr.モーリは本名は勝見守利といって、霊感占い師であると同時に俳優や演出家としても活動していました。俳優であるということは小田茜さんと同業者でもあるため、なにかつながるものがあったのかもしれません。
しかしMr.モーリはなんと小田茜さんの28歳も年上であり、当時小田茜は22歳でMr.モーリは50歳だったそうで、実の父親よりも年上の男性と交際していたことになります。
その後、小田茜さんは2002年1月28日から放送開始した「ピュア・ラブ」で主演をつとめることになり、主人公の 麻生木里子 役で芸能活動に復帰しています。
女優として活躍してきた小田茜さんですが、これまでどのような作品に出演してきたのでしょうか。調べてみました。
最初にドラマ『先生のお気に入り』を紹介します。『先生のお気に入り』は1991年にTBSで放送されていたドラマで、芝浦芸術高等学校の音楽・ダンス・俳優を志す生徒と、それを支える教師を描いた学園ドラマでした。
出演当時中学1年生だった小田茜さんは、当時そのハーフのような大人びた顔立ちであったため、なんと高校2年生の宮本昌役で『先生のお気に入り』に出演をしたことで話題となり、ワイドショーなどでも注目されました。
次にドラマ『ピュア・ラブ』を紹介します。『ピュア・ラブ』2002年にTBS系列で放送され、このドラマ小田茜さんはでヒロインに抜擢され、主人公である小学校教師の麻生木里子役を熱演しました。
ちなみにこのドラマで小田茜さんが演じた役柄は母親がアメリカ人のハーフ役だったため、よくハーフに間違われていた小田茜さんにぴったりの役柄であったと評判になっています。
このドラマは放送開始直後から反響が大きかったため、『ピュア・ラブⅡ』や『ピュア・ラブⅢ』などの続編が製作されるほど人気のドラマとなり、小田茜さん自身の代表作ともなりました。
次にドラマ『腕におぼえあり』を紹介します。『腕におぼえあり』は1992年にNHK総合「金曜時代劇」で放送された藤沢周平原作の時代劇で、好評であったことからシリーズ化され、同年に『腕におぼえあり2』、1993年に『腕におぼえあり3』も制作されました。
このドラマで小田茜さんは相模屋の一人娘である、17歳のおいねを演じ、『腕におぼえあり』『腕におぼえあり2』に出演しました。
次にドラマ『八代将軍吉宗』を紹介します。『八代将軍吉宗』は、1995年1月8日から同年12月10日にNHKで放送された第34作目のNHK大河ドラマで、徳川光貞の四女であり、吉宗の姉である育姫(のりひめ)を演じました。
小田茜さんにとってはドラマデビュー作である『太平記』以来の2回目の大河ドラマへの出演となりました。
先述したとおり、小田茜さんは第4回全日本国民的美少女コンテストで優勝しています。全日本国民的美少女コンテストといえばオスカープロモーションが主催する、たくさんの有名女優を輩出してきたコンテストです。
小田茜さんはたびたびコンテストが行われるごとにコメントを出しており、ご自身がデビューするきっかけとなったこのコンテストのことをとても大切にされているもではと想像されます。
コンテスト出身の後輩たちには、米倉涼子、上戸彩、河北麻友子、武井咲など今のオスカーの看板となっている女優達がいます。彼女たちも小田茜さんの背中を見て女優として育って来たのではないでしょうか。
いかがでしたでしょうか?小田茜さんは大日本国民的美少女コンテストで優勝するという美貌の持ち主であり、小さいころからドラマや舞台で活躍を続けてきた女優でした。現在は40歳となりましたが、その美貌はおそらく衰えてないものでしょう。
今は育児に専念して芸能界から遠ざかっている状況ですが、育児が落ち着いたらまだ芸能界に復帰し、また私たちの前に姿を見せてくれるのではないでしょうか。その際の小田茜さんの活躍がとっても期待されますね!とても楽しみです!
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【この記事は2019/11/28に更新されました。】