木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
2019/05/27 更新
「TVチャンピオン」の大食い選手権で連覇を達成し、現在はニューヨークを拠点にプロフードファイターとして活躍している小林尊さん。現在はアメリカ人女性と結婚してセレブな生活を送っているそうです。たくさんのギネス記録も所有している小林尊さんの現在をご紹介します。
テレビチャンピオンや、フードバトルクラブに出演し、見事な食べっぷりで世間を圧倒し有名になりました。「底知れぬ貴公子」や「史上最強の胃袋」という愛称で呼ばれるようになります。
その後海外に進出した際には、「The Tsunami」の愛称で呼ばれています。現在はアメリカを拠点としてフードファイターとして活躍しています。世界で名前が通る有名人な日本人の1人です。
小林尊さんはフードファイターとして世界で勝負を続けています。様々な記録を塗り替えギネス記録をいくつか保有しています。ホットドック、ピザ、パスタ、ミートボールの記録があります。近年の具体的な事例をご紹介します。
2016年にイギリスの世界記録番組である「Lo Show Dei Record」で3分間でハンバーガーを何個完食できるのか、という記録に挑戦する内容が放送されました。バトル型式になっていました。小林武さんと対戦をする相手はイタリア人のヴィットリオという男性でした。
結果は3分間でハンバーガー12個を完食した小林尊さんが、ギネス記録として正式に認定されました。対戦相手のヴィットリオは別の食品でギネス記録を持っているので、撃破するのに、たやすい相手ではありませんでした。
小林尊さんは、多くの記録を更新しても満足すること無く現在もストイックに次の記録への挑戦を続けています。ここまでフードファイターと成功を収めるまでには、どのような経歴を歩んできたのでしょうか。
小林尊さんのフードファイターとしての1歩を踏み出してから、現在に至るまでの経歴や成し遂げた偉業の数々をご紹介します。
2000年に放送されたTVチャンピオンの「全国大食い選手権」でフードファイターとして、輝かしいデビューを果たしています。当時は複数の大食い関係の番組が流行していました。
この大会では、フードファイターとして王者として君臨する赤坂尊子さんをはじめ、強者を押しのけて優勝を獲得しました。女王赤坂と呼ばれた赤坂尊子さんは、この戦いの敗北からフードファイターとして引退を考えたと後年語っています。
赤坂尊子さんは2002年に現役フードファイターを引退し、大食い番組の解説をしていましたが、現在はバラエティ番組に稀に出演する程度の活動に留めています。
日本では2002年に中学校で給食を早食いして亡くなる生徒が出たことをきっかけに、早食いに関する番組は、自粛の傾向を辿り衰退していきました。今では大食いに関連する仕事に就く人はYoutubeなどの動画を使った宣伝活動がメインになっています。
TVチャンピオンで優勝した小林尊さんは、その後「フードバトルクラブ」などの大食い関連の番組に出演して名前を売ります。小林尊さんの脅威の食べる量と、整った容姿に目を付けたテレビ局からは、専属タレントとしてオファーもされますが、断っています。
契約の内容を見る限り活動に対して制限が多いことから、自由度を求める小林尊さんにとっては安定よりも、もっと上昇できる道を選びたかったのではないかと言われています。
2001年にアメリカで毎年開催されるネイサンズ国際ホットドック早食い選手権に挑戦します。体格に差がある海外の屈強なフードファイターを押しのけて50本を完食し、ギネスを更新しながらの優勝を飾りアメリカデビューを果たしています。
ネイサンズ国際ホットドック早食い選手権は、選手の後ろに完食した本数が分かるように数字を書いたプラカードが用意されています。2001年に小林尊さんが出場した際にはプラカードのアクシデントが起きました。
これほど食べる人が居ると想定されていなかったことから、用意されたプラカードの数字が足りなくなり、手書きでノートに数字を刻むという仰天エピソードが有名です。
毎年アメリカの独立記念日である7月4日に開催されるネイサンズ国際ホットドック早食い選手権に2001年に初参加にで優勝とギネス獲得という話題をさらった小林尊さんは、その後も大会に参加して2006年まで毎年優勝を重ね6連覇という偉業を達成します。
アメリカで行われる大会には多くの体格が屈強な外国人に並んでも怯むことはありませんでした。小林尊さんが優勝したのは、いかに早く食べるかを理論的に突き詰めた結果だと言われています。
ホットドックを早く食べるために各出場者は、ソーセージとパンを分けて食べています。小林尊さんは、ソーセージを食べながら、パンを水に浸し、絞ったパンを食べることで水を飲む時間のロスを省く独特な工夫をしました。
周囲からは「ソロモンメソッド」と呼ばれます。現在、大会に参加する人は、ソロモンメソッドを取り入れています。
咀嚼しながら体を左右に揺さぶる仕草を行います。食べ物が早く胃に届く工夫なのではないかと言われていました。この仕草は「コバヤシ・シェイク」という愛称が付けられています。
小林尊さんのコメントによると、単に音楽に合わせて体を動かしているだけであって、早く食べる工夫ではないのだそうです。
小林尊さんは、2004年にニューズウィーク日本版の「世界が尊敬する100人」にも選ばれた経歴があります。この時に選ばれた日本人は、イチローさんや、ソフトバンクの孫正義さん、松井秀喜さんと言った著名人が名を連ねました。
海外メディアにおいては、伝説のフードファイターとしての名声を得ています。FOXスポーツネットでは小林尊さんを「スポーツ界でもっとも恐れられている選手10人」として認定しました。CNNではアジアの偉大なスポーツ・ヒーローとして認定されています。
2000年に鮮烈デビューした小林尊さんは、数々のメディアで賞賛されつづけ現在も、日本を代表するアスリートとして、その名前を世界に知らしめています。
小林尊さんは、デビュー時から大食いをスポーツとして捉えていました。現在もストイックにトレーニングを日々行っています。小林尊さんの筋肉については話題となっています。日頃のトレーニングや、普段心がけていることをご紹介します。
咀嚼力を高めるためにウェイトトレーニングを重ね、戦術を作成するためにデータを元にトレーニングを考案しています。フードファイターにもオンシーズンとオフシーズンがあります。
オンシーズンの7月から10月にむけて胃袋を調整するための時期を設けられています。約3ヶ月程の期間を調整に充てているようです。
それに合わせてトレーニングを計画的に行い大食いのための、筋力を付ける努力をしています。フードファイターに必要な筋力は咀嚼力、胃袋の容量、基礎代謝をアップさせるトレーニングも実施しています。一時期はボディビルダーのような肉体になっていた時期があったようです。
トレーニング中に苦しいと歯を食いしばる癖があるようです。食いしばりが日常化することや、咀嚼回数が多いことなどが原因で顎に対する負担が大きくなり、2007年に顎関節症を発症しました。ボディビルダーのような肉体を保持していましたが、現在は普通の体系に戻しています。
現在も、トレーニングにおいて心がけているポイントがあります。睡眠時間をコントロールしてコンディションを保つことをベースとしています。以下のようなルールを課していいるそうです。
食べるトレーニングをする際に、決して食べ放題のレストランを利用しないそうです。どれだけ食べたのかが不明瞭になるという理由があるそうです。
トレーニング中は敢えて音楽を聴かないという、ポリシーを徹底することでパフォーマンスを高める追求をしています。
かつて2010年にアメリカで逮捕された過去を持っています。2000年代前半に、活躍の場をアメリカに移していることから、現在日本に住む人は、逮捕劇を知らない人も多数いるようです。
どのような犯罪で逮捕に至ったのでしょうか。
原因はネイサンズ国際ホットドック選手権で偉業を成し遂げたことから話が始まります。逮捕に至るまでの経緯や、その後についてご紹介します。
アメリカで次々と各種大会で目を見張る成績を残した小林尊さんは、ネイサンズ国際ホットドック選手権で次々に記録を塗り替えます。ネイサンズ側では直接契約を申し出て来たのです。しかし、そのオファーには契約内容が不利であったことから、許容出来ずに契約を見送りました。
結果的に大会への参加を見送ることになりました。ネイサンズ側から出場を拒否されたからです。相手の仕打ちに対して留飲を下げることが出来なかった小林尊さんは無理やりに、ネイサンズ国際ホットドック選手権の舞台に無理やり登ってしまいます。
警備員からその場で取り押さえられて逮捕に至りました。出場する権利が無いのに大会に出ることは契約違反であることから、致し方ありませんが、小林尊さんが契約内容に納得できない理由がありました。
ネイサンズから社から提示された契約内容は、小林尊さん側に不利な条件ばかりで到底契約を締結できるものではありませんでした。具体的には以下のような条件が契約書に記載されていたそうです。
「独占契約する代わりに、他の大会に出場しないこと、許可なくメディアに出演してはいけない、その代わり年間で400万円を支払うものとする」という内容でした。他の大会に出れば、それ以上に稼げる自信があったことから、契約を断ったのです。
ネイサンズ社は他のフードファイターに対しても直接契約を提示していたのですが、このような酷い契約内容は、小林尊さんだけでした。
逮捕をされたものの、その後の、保護観察処分として無事に釈放されました。罰金も無く、犯罪履歴にも残りません。世論としても寛大な措置をしていると判断しているようです。しかし、翌年もホットドックの早食い大会には出場は叶いませんでした。
一時とは言えホットドック早食い選手権の舞台に上がっただけで逮捕をされてしまうのは、アメリカならではの契約第一の文化に則っており、権力行使の威力の凄まじさは日本と比較すると厳格さがよく表れています。
逮捕された翌年2011年もネイサンズ国際ホットドック選手権への参加をすることが叶いませんでした。へこたれずに、独自でテレビ中継の相手として1人早食いに挑戦しています。
優勝者よりも7個多い69個を10分間の内に平らげて世界記録として正式に残ることになりました。
アメリカを拠点として世界の様々な猛者であるフードファイターを相手に戦ってきた小林尊さんは、いよいよ獣を相手にライオンやクマといった強敵とバトルに挑戦を行いました。どのような対決を行ったのでしょうか。そして勝敗の行方も併せてご紹介します。
様々な強者に挑戦する小林尊さんは、対戦相手が人間では飽き足らず、ライオンにもフードファイトバトルを繰り広げました。2018年のお正月特番で、レオンという名前のライオンが対戦相手でした。
ルールは10分間、400gのステーキを多く完食した方が勝者になります。結果はレオンよりも5皿多い17皿で約7㎏のステーキを完食して勝利しました。
一般的にはライオンが一度に食する肉の量は5㎏とされており、人間の成人男性は300g~400gが平均であるとされています。生物上のハンデを物ともせずに勝利したことに対して視聴者からは、驚きのコメントが上がりました。
動物と対決したのはライオンだけではありません。分かっているだけでもクマ、ハムスターとも対決をしています。クマとは、ソーセージの早食い対決を行いましたが、完敗でした。さらにハムスターとも対決しています。
体は小さくとも、頬袋に沢山の食糧を詰め込むことが可能です。さらにハムスター用の小さなホットドックを用意してフードバトル対決を行いました。結果はハムスターの勝利でした。
ホットドックの大きさ自体にハンデがあることから負けではないという声も上がりましたが、「負けは負け」とハムスターへの勝利を称えました。
現状に満足することなく、結果を出し続けるフードファイター小林尊さんは現在既婚者です。嫁の具体的なプロフィールは、公にされておらず、いつから結婚しているのかも不明です。果たしてどのような女性なのでしょうか。
現在、アメリカ人の一般女性との結婚をしています。嫁は、アメリカ人でヴィセント・オリヴィエさんという名前であることが判明していますが、画像が決定的なものがありません。一般人であるため、明確な写真が無いのが現状です。
これまでにネットで上がっている証言を見る限りですと、土屋アンナさんによく似ている色白で目鼻立ちがハッキリした美人であると言われています。
40歳を過ぎても、「史上最強の胃袋」は衰えることなく、日々活躍をしています。現在の住まいはニューヨークで、夫婦で住んでいます。ニューヨークは元から小林尊さんが、多彩な人種、文化があることが気に入って在住している街です。
小林尊さんは、現在アメリカに活動の拠点を移してフードファイター業を継続しています。アメリカではフードファイターをスポーツとして扱うため、スポーツ専門チャンネルで各種大食い大会が放送されます。大会の賞金以外にも、テレビ放送の出演料という名目でも収入があります。
ニューヨークでかなりセレブな生活を送っているとされています。具体的な住まいや、現在の年収について調査しました。
2016年に放送されたテレビ番組「爆笑!THEフライデー」内で小林尊さんの生活をテレビカメラが撮影して自宅の内部まで放送されていました。
判明したことは、ニューヨークのブルックリンで家賃35万円のレトロなマンションで嫁と、生活を楽しんでいるという内容でした。そのセレブとも言える成功者の優雅なマンションの内装や家具を見たスタジオからは驚きの声が上がっていました。
ニューヨークは全体的に物価が高く設定されていることから、現在の年収が相当なものであると推察されています。
小林尊さんの正確な年収は公開されていませんが、少なく見積もっても現在は1000万円以上とされており、推定で数千万円とも言われています。ブログを公開しており、非常に豊かな生活を送っていることが推測できる内容の写真が公開されています。
日本のバラエティ番組である「マツコの知らない世界」に出演した際にはこれまでのフードファイターとしての累計売上額について、「1億以上は稼いだ」と小林尊さんはコメントしています。
現在はフードファイターの職業以外に実業家としての顔を持っています。2012年にフードファイターとしての実力を買った企業であるホフマン社から大使、投資家としての契約を結びました。企業の売上高の2%と年俸を別途支給されています。
また別の会社と業務提携を行ってソーセージブランドを自身で立ち上げる事業にも2013年に挑戦しました。ブランド名は「Kobi Dog」と言い、オンラインでソーセージの販売をスタートしました。
ネイサンズ国際ホットドック早食い選手権において、2001年から6連覇という偉業を達成した小林尊さんが与えた、イベントへの影響はかなり大きなものになりました。逮捕劇というトラブルが起きましたが、基本的にはイベントに対して良い影響を与えました。
ネイサンズ国際ホットドック選手権は、小林尊さんが参戦する2001年までの観客数は、数百人でした。伝統あるイベントの割にはマイナーだったようです。
日本人で体の細い小林尊さんが優勝し、連覇を重ねるうちに数千人の観客が埋め尽くすようになります。現在では、スポーツチャンネルで中継をしていることから、テレビを介しての観客を含めると100万人以上の観客がイベントを見守るようになりました。
小林尊さんがホットドック選手権で優勝してからは、参戦者に痩せ型や小柄なフードファイターが増えました。これまで諦めていた選手が、活路を見出すようになったのです。現在は、女性部門も設立されて、性別や体系関係なく多くの挑戦者が生まれました。
小林尊さんは、2000年に「TVチャンピオン」でフードファイターとして鮮烈なデビューを飾ります。世界の様々なギネス記録を保持しており、現在はアメリカを拠点として活動しています。
現在もなお、日々過酷なトレーニングを行い現状に満足することなく挑戦しています。猛獣を相手にフードバトルに挑むなどストイックさが有名です。
プライベートでは、現在アメリカ人の一般人の女性と結婚しています。具体的な婚期や、馴れ初めなどの情報は明かされていませんが、土屋アンナさんに似た美人の嫁と言われています。
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