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島田陽子の現在は?内田裕也と不倫して略奪結婚するも離婚!av出演へ

国際派女優として活躍していた島田陽子さん。内田裕也さんとの不倫をきっかけに、多額の借金を背負うことになってしまいます。一人の男性との出会いによって輝かしい功績に傷をつけてしまった島田さんは現在どんな暮らしをされているのでしょうか

島田陽子の現在まとめ!内田裕也と不倫して略奪結婚するも離婚!

国際派女優として活躍していた島田陽子さん。内田裕也さんとの不倫をきっかけに、多額の借金を背負うことになってしまいます。一人の男性との出会いによって輝かしい功績に傷をつけてしまった島田さんは現在どんな暮らしをされているのでしょうか

島田陽子のプロフィール

女優島田陽子はどのような生い立ちをして女優となったのでしょうか?

島田陽子の幼少期から国際派女優としてデビューするまでの輝かしい軌跡をご紹介いたします。

島田陽子のプロフィール

本名(ふりがな/愛称):島田陽子(しまだようこ)
所属事務所:MIRAI ACTORS PROMOTION
生年月日:1953年5月17日
現在年齢:66歳
出身地:熊本県・熊本市
血液型:O型
身長:167cm
体重:?
活動内容:女優
家族構成:夫(米山仁)、妹(タレントの島田まりこ)

幼少期はスポーツ万能!

島田陽子は3人姉妹の長女として生まれました。3歳の頃から習い事としてバレエを習っていました。

小学生の頃に生まれ故郷の熊本から東京に一家で移り住みました。幼少の頃から続けていたバレエでは、母親の勧めもあり牧阿佐美バレエ団に入り中学時代まで続けるも背が高かったため後にバレリーナになる夢はあきらめてしまいました。

島田陽子はスポーツ万能でしたが、学業も万能で成績はオール5でした。その中でも特に英語が得意で、高2の時に英検2級を取得しています。このように島田陽子は文武両道だったことからリーダー的存在でした。

「おさな妻」にて女優デビュー

島田陽子は中学時代、劇団若草に入団し、70年、『おさな妻』でテレビドラマ初出演し清純派女優としてデビューしました。

71年にはファッション・デザイナーの大関早苗に勧められてテレビドラマ『続・氷点』のオーディションを受け、12740人の中から主役に選ばれて出演し最終回では視聴率が42.7%にも達しました。また同年春より始まった『仮面ライダー』にもレギュラー出演し、子どもたちの間でも知名度を上げていきました。

続けて72年のドラマ『わが恋の墓標』『愛子よ眠れ』などにも起用され、また同年『愛のナレーション』では歌手デビューも果たしました。また、島田陽子の勢いは留まらずさらには森谷司郎監督が小椋桂とタッグを組んだ恋愛映画『初めての愛』ではヒロインで映画デビューをしました。

その後も『銀座わが町』(73)、『花ぐるま』(74)、『われら青春!』(74)、『ほおずきの唄』(75)『おおヒバリ』(77)など多数のテレビドラマのヒロインを立て続けに演じ、若手ドラマ女優としての地位を築き上げていきました。

その後も松本清張原作、野村芳太郎監督の名作『砂の器』愛人を演じて注目されたり、江戸川乱歩傑作シリーズ(小野寺昭主演)や華麗なる一族、山河燃ゆ、名無しの探偵(緒形拳主演)、犬神家の一族など話題作に出演し清純派女優から演技派女優へと華麗に変化していきました。

国際女優デビューも!

順風満帆に女優業を邁進していた島田陽子は、アメリカNBCで80年に放送された長編ドラマ『将軍 SHOGUN』で、日本に漂着した西洋人ウイリアム・アダムスをモデルとするイギリス人航海士(リチャード・チェンバレン)と愛し合うようになる日本側のヒロインまりこ役に大抜擢され一躍国際派女優になりました。

このドラマはアメリカで一躍将軍ブームが起き、島田陽子にもスポットが当たり、ゴールデングローブ賞やテレビドラマシリース部門女優賞、ゴールデンアップル賞を受賞するとともに、日本女性の象徴ともみなされるようになりました。

アメリカで知名度を上げた島田陽子は引き続き81年に女性マラソン・ランナーのミチコ・ゴーマンの半生を描いたアメリカ映画『リトル・チャンピオン』に主演しました。

内田裕也との関係は?

島田陽子は女優として日本国内だけなく、国際的にも広く名前が知れ渡り、仕事は順風満帆に進んでいるように見えた矢先、既婚者である内田裕也とドラマを通じて知り合い、二人の仲を噂されるようになりました。

島田陽子と内田裕也の関係を詳しく見ていきましょう。

内田裕也のプロフィール

● 本名:内田裕也(うちだゆうや)
● 所属事務所:
● 生年月日:1939年11月17日
● 現在年齢:79歳没
● 出身地:兵庫県西宮市
● 血液型:B型
● 身長:174cm
● 活動内容:歌手、音楽プロデューサー
● 家族構成:樹木希林(1973年 - 2018年死別),内田也哉子(娘)、本木 雅弘(娘婿)、内田伽羅(孫)

内田裕也は、エルヴィス・プレスリーに憧れたことで学校をドロップアウトし、高校卒業後は佐川ミツオ(現・佐川満男)とともにバンドボーイ兼ヴォーカルとしてロカビリーバンドのブルー・キャップスを結成しました。

1970年代後半からは俳優としても活動し,映画出演や映画監督なども手掛け映画『コミック雑誌なんかいらない!』や『エロティックな関係』などでは脚本も担当しています。

プライベートでは1973年10月に当時「悠木千帆」という芸名だった樹木希林と結婚し、娘の内田也哉子が生まれました。内田也哉子の夫は元シブがき隊の本木 雅弘で娘婿にあたります。

内田裕也は、1991年には東京都知事選挙に無所属で立候補し、政権演説ではアカペラで「パワー・トゥ・ザ・ピープル」、後半にも「コミック雑誌なんかいらない!」を歌い、英語及びフランス語で主張しました。

2018年9月15日には、長年別居生活を送っていた妻の樹木希林と死別し、その約半年後となる2019年3月17日、肺炎のため東京都内の病院で享年79歳で死去しました。

内田裕也とのハワイ不倫密会がフライデーされる!

1973年に樹木希林と電撃結婚をした内田裕也は、自身のDVが原因で2年で別居してしまいます。81年には内田裕也が離婚届を樹木希林に無断で提出しハワイに逃亡しましたが、「きちんと話し合ってほしい」とテレビを通じて訴え離婚届けには判を押さなかったため訴訟に発展し、離婚は無効となりました。

 離婚無効の判決が下った後も内田裕也は自宅に戻らず、当時島田陽子が所有していたハワイのコンドミニアムで暮らしていて、その時の様子を、写真週刊誌に“不倫密会”と報じられたのです。日本に帰国した島田陽子にメディアが詰め寄った時も、島田陽子はあっさりと内田裕也との交際を認めたのでした。

島田陽子は日本に帰国した際には両親と一緒に暮らし始めたため、その家に内田裕也も樹木希林との婚姻は有効なまま島田陽子と島田陽子の両親と住むことになり奇妙な同居生活がしばらく続いたのです。

内田裕也との馴れ初めは?

内田裕也と島田陽子の馴れ初めは、88年に放映された、伊藤俊也監督のミステリ映画『花園の迷宮』で共演したことがきっかけでした。

当時島田陽子は映画の中で悩みがあり、それについて共演者である内田裕也が独自の意見を述べたメモを島田陽子が泊まっていたホテルのドアの扉の下に置き、それがきっかけで食事などをするうちに仲良くなっていったようです。

内田裕也と島田陽子の交際は1987年から実に4年間も続いたのです。

島田陽子は内田裕也を樹木希林から略奪しようとした?

先ほど少し述べましたが、既婚者だった内田裕也は島田陽子と交際を深めていくうちに、に樹木希林との結婚を終わらせるため一方的に離婚届を提出しています。

自分の周りにはいなかったタイプの内田裕也にどんどんと魅かれながらも、当時の島田陽子は仕事がノリにノッていて、恋愛よりも仕事優先であったため内田裕也を樹木希林から略奪して結婚しようなどという考えはなかったようです。

しかも、内田裕也の思惑とは裏腹に樹木希林から離婚を断固拒否され、結局離婚はその後もずっと成立しませんでしたので、略奪も何もなかったことになります。

樹木希林との離婚話が出たのは島田陽子が原因ではなかった?

島田陽子が内田裕也と付き合い始めたのは、1987年頃のことですが、内田裕也が離婚届を区役所に提出したのは、1981年頃のことで、島田陽子と付き合う以前のことだったようです。

ですから、内田裕也が離婚届けを提出したのは、島田陽子と付きあったこといがいに別の原因で樹木希林との離婚話が出たということになります。


しかしながら、もし樹木希林が離婚届けに判を押していて、内田裕也との離婚が成立していたらどうなっていたのか、気になるところですね。

内田裕也の東京都知事選挙出馬の費用を貢いでいた?

内田裕也は島田陽子に、東京都知事選挙に出馬する意思があることを相談したといいます。

島田陽子は内田裕也の出馬には反対の立場でしたが、内田裕也は結局は自分の意思を貫き出馬し、島田陽子は立候補した内田裕也に宣伝カーなどを提供するなど、かなりの額のお金を工面したようです。結局選挙結果は落選で島田陽子には借金だけが残りました。

メディアはこぞって島田陽子が内田裕也に貢いだと書きたてましたが、島田陽子自身は貢いだ意識は全くなく、好きな人の意思に沿ってサポートしたような意識だったようです。

別れを切り出したことでストーカーの被害にあう!

内田裕也の東京都知事選に立候補したことで、島田陽子は内田裕也に別れを切り出しました。

結局二人は別れることになったのですが、島田陽子との関係をあきらめきれない内田裕也は夜中に島田陽子の家を訪ねストーカーまがいの行為をしたこともあるのです。

その際に内田裕也は刃物を振り回したそうで、島田陽子は何事もなかったから良かったものの、内田裕也は以前にも増してお騒がせ体質のレッテルを世間に貼られてしまうことになりました。

その後の島田陽子の生活は?

内田裕也との不倫愛に終止符を打った島田陽子のその後の生活はどのようになったのでしょうか?

内田裕也とは完全に縁が切れたのでしょうか?内田裕也が原因でできた借金は返済できたのでしょうか?

島田陽子のその後の生活を詳しく見ていきましょう。

借金地獄を抜け出すためセクシー女優デビュー

内田裕也の東京都都知事選立候補のために島田陽子が用立てたお金は5億円にものぼると言われています。内田裕也にお金を用立てたおかげで2億5千万円ともいわれる横浜市の豪邸のローンや税金も支払えなくなり、さらに愛車の修理代金や引越し代金の未払いなど、金銭トラブルが続出しました。

国際派女優として名を馳せた島田陽子でしたが、借金地獄から抜け出すため1992年には、ヘアヌード写真集「Kir Royal(キール・ロワイヤル)」を発売し、55万部を売り上げ借金返済に努めました。他にも不定期で銀座のママにもなっていたようです。

島田陽子のヘアヌード写真集について、テレビのワイドショーでコメンテーターをしていたカメラマンが、「鶏ガラのような裸体だ」と暴論を吐いた際、樹木の夫でありながら、かつて不倫関係にあった内田裕也は、「ふざけるな、殴ってやる」とカメラマンに憤慨したのでした。

2011年には、57歳でMUTEKIからセクシー女優デビューしファンを驚かせました。一部ではギャラは3000万円といわれています。島田陽子はこれらの収入により借金は返済したと主張していますが、真相はいかがなものでしょうか。いつの世にも男性に身も心も捧げるいちずな女性というものはいるものですね。

米山仁と結婚

島田陽子は、1993年に放送されたTBS系ドラマ「丘の上の向日葵」の製作スタッフだったテレビ照明技術者で3歳年下の米山仁氏と1994年に結婚し実母も含めて三人暮らしを始めました。

米山仁氏は島田陽子と知り合った際には妻子ある身であった為、島田陽子と結婚した際には、略奪婚とマスコミで大いに叩かれました。

島田陽子と米山仁との間には子供はいないようです。

米山仁と離婚間近の状態に

現在島田陽子と米山仁は婚姻関係にありますが、離婚間近という噂もあります。すでに夫婦仲は冷え切っていて別居生活に入り、すでに協議離婚に入っているという噂まであります。

そもそも島田陽子と米山仁氏との結婚は不倫略奪婚でしたので、世間では最初からあまり良く思われておらず、結局は自分にツケがまわってきたのだと世間からは厳しい批判の声が出ています。

ただ、島田陽子が海外ロケなどで長期に家をあける際には料理が得意な米山仁氏がすべて料理を作り義母に食べさせているなどという話もあります。夫婦で助け合って島田陽子の母親の介護をしているのですから、離婚間近の話は噂なのかもしれません。

島田陽子の現在!

最近の島田陽子の話題では、ある宗教に入団し、没頭しているとの噂があります。また体調もあまり良くないとのことです。

現在の島田陽子を詳しくご紹介いたします。

宗教に入団した?

島田陽子は、かつて「まこと教団」と言う名称で活動していて、芸能人の中にもたくさんの信者がいると言われている宗教法人「真如苑」に入信した熱心な信者だという噂があります。彼女が信者だと言われる理由は、真如苑が島田陽子を一時期広告塔として使っていたことがあるためです。

島田陽子は内田裕也に金銭的援助したことで多額の借金を背負った時期がありました。その後も略奪婚をしたりと、宗教によって”救われたい”という理由から広告塔を引き受けたのかもしれません。この宗教に入信して広告塔になったというよりは、広告塔としてお金を稼ぐ意味合いが強かったのかもしれません。

さらに島田陽子は、映画「堀の中の神様」で宗教団体「法の華三法行」の元代表福永法源氏の母親役を演じたこともあり、島田陽子が宗教に入団したという噂が広まったのかもしれませんので、実際に島田陽子が宗教に入団していた可能性は低く、デマである可能性が高いです。

リウマチを患っている?

島田陽子は現在リウマチを患っているという噂があります。ただ調べても何も出てこなかったので、この件についてもデマである可能性が非常に高いです。

島田陽子は患者さんを元気づけたいという思いから、全国の病院を訪問するボランティア活動を長年行っています。そこでの活動が病院のブログなどにも掲載されたりしているのですが、いつも病院にいる島田陽子の姿からリウマチを患っているという噂がたったのかもしれません。

母親と同居している

島田陽子は現在90歳を超える高齢の母親と同居し、介護にあたっているようです。


島田陽子は、母親が脳梗塞で倒れたのをきっかけに仕事をセーブして母親の療養のため長野県軽井沢で介護生活をしていて、その後東京に戻って継続して行っている介護歴はすでに10年を超えています。

女性一人で高齢の母親の介護をすることは体力的にも心身的にも大変なことですが、近所には妹も住んでおり、デイサービスなどもうまく利用し助けを借りながら、妹と交代でお世話しているようです。

映画のプロデューサーをしている!

島田陽子は、2011年にセクシー女優としてデビューしファンを驚かせましたが、その後2015年より、女優としての経験やスキルを活かし、映画制作プロデューサーとしてのフィールドを開拓し活躍しています。

島田陽子は以前雑誌のインタビューにおいて、女優業をいつまでもするつもりはなく、今後は人種の違いを越え、国境を越えて世界の人々に伝える仕事をしたいと答えています。

島田陽子が胸に抱いていたそれらの希望が現在映画のプロデューサーとして形になりつつあるようです。

島田陽子に続け!国際派女優

島田陽子がかつて成し遂げたように、日本国内だけではなく世界をまたに国際派女優として活躍している女優はたくさんいらっしゃいます。

それらの女優をご紹介いたします。

工藤夕貴

工藤夕貴はこれまでにハリウッド初進出作「ヒマラヤ杉に降る雪」をはじめ、「SAYURI」「ラッシュアワー」など数々のハリウッド映画に出演しています。

彼女の得意とする英語はハリウッドでも十分活躍できる要素の一つです。

「ヒマラヤ杉に降る雪」の、繊細な演技を見てもわかるように工藤夕貴の演技は、世界で通用するトップクラスのものです。

菊地凛子

映画『バベル』(2006年)で第79回アカデミー助演女優賞にノミネートされた菊地凛子もまた、国際派女優として注目を浴び日本を飛び出して活躍している女性です。

所属事務所に頼らず、自ら積極的に国内外のオーディションを受けに行くガッツが高く評価され、これまでに「パシフィック・リム」や「47RONIN」などで重要な役柄を得ています。

近年もまた西部劇の世界を再現したテーマパークを舞台に、人間そっくりのアンドロイドの反乱を描く米国ドラマの大作『ウエストワールド』に真田広之、菊地凛子、祐真キキらと出演し存在感を増しています。

TAO

モデル出身のTAOは、これまでに「ウルヴァリン: SAMURAI」「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」に出演しています。

身長177cmと日本人離れしたプロポーションは、まさに海外で通用する大きな武器となっています。

TAOにとってハリウッド初進出作品となった「ウルヴァリン: SAMURAI」では、主演のヒュー・ジャックマンの相手役を演じていますが、華やかさでは全くひけを取っていません。

福島リラ

福島リラはこれまでに「ゴースト・イン・ザ・シェル」と「ウルヴァリン: SAMURAI」に出演しています。

彼女の日本人という枠にとらわれないエキゾチックな雰囲気と、抜群のスタイルで、海外の女優の中でも個性派女優として活躍しています。

すでに30代も半ばの福島リラですが、年齢のわりに若く見えるので、これからもいろいろな役を幅広く演じることができそうです。

島田陽子の現在!

島田陽子の過去の内田佑也との不倫から現在の様子まで詳しくご紹介いたしました。

島田陽子は内田裕也との関係により女優としてのキャリアは大きく後退してしまったようです。しかしながら、彼女の自分の気持ちに一直線でひたむきに男性を慕い、また借金を背負うなど逆境の中でもがむしゃらに走り続ける姿には脱帽するしかありません。

現在は女優以外にも映画のプロデューサーとして活躍し、自分が輝ける場所も見つけつつあります。これからも女優だけでなくいろいろな場所で活躍している姿を見せて欲しいと思います。

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