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    若い頃の樹木希林はこんなに可愛い!内田裕也とのツーショット画像も

    多くの映画やドラマに出演し、味のあるお婆ちゃん役を演じてきた樹木希林さん。先日の訃報から再び注目が集まっています。若い頃からメイクや小道具で年寄りを演じていた樹木希林さん。可愛い若い頃の樹木希林から、現在の味あるお婆ちゃんまでの活躍を追います。

    樹木希林は、若い頃、悠木千帆だった

    悠木千帆(ゆうき・ちほ)の名前で活動していたころの樹木希林さん=1966年3月

    樹木希林は、1943年1月15生まれ、本名は内田 啓子(うちだ けいこ)、旧姓は中谷(なかたに)でした。

    樹木希林の父親は薩摩琵琶奏者、母親はカフェやアパートなどを次々と経営する女性企業家だったそうです。

    若い頃の樹木希林は、薬剤師を目指していましたが、大学受験直前にスキーで足を怪我し、大学進学を断念、元々演劇部に所属していたのもあり、1961年に文学座付属演劇研究所に入りました。

    その時、悠木千帆(ゆうき ちほ)の芸名で活動を始めたのです。

    個性派女優として多くのドラマ、映画、舞台に出演し、若い頃から老人の役を演じ、出演するドラマ、映画などでは老け役が当たり役だったそうです。

    若い頃の樹木希林(悠木千帆)の笑顔も、今と変わらない、素敵な笑顔ですね。
    こんなに可愛いくて、若さで頬もぽっちゃりした顔をなのに、若い頃から年寄り役ばかりしていたなんて不思議ですね。

    若い頃から老人の役を続け、その内に、年齢に役柄が合うようになったそうです。

    若い頃の樹木希林の顔も、年取った現在の顔も、同じような笑顔です。

    樹木希林(悠木千帆)の、最初の結婚

    岸田森と悠木千帆時代の樹木希林

    悠木千帆(現樹木希林)と岸田森の仲睦まじい夫婦生活についてのグラビア記事。
    二人が押入れの上下に寝ている変わった写真から記事が始まる。

    樹木希林の旦那さまと言えば、内田裕也!
    一度見たら忘れられないあのルックス、ロックなお爺さんですよね。

    が、内田裕也は、樹木希林の2番目の旦那さまだったのです。

    一人目は、岸田森という俳優さんでした。1964年に結婚、4年後に離婚しています。
    若い頃の樹木希林と岸田森の、仲睦まじい様子が、雑誌の記事になり写真も載せられました。
    それが、この上の画像です。

    押入れをベッド代わりにしたり、ちょっと変わった若い頃の樹木希林と岸田森だったそうですが、新婚の幸せな雰囲気で溢れていますね。

    二人で実家に押しかけて食費を浮かすなど、義父母との付き合いも良かったみたいです。

    樹木希林の若い頃の作品

    寺内貫太郎一家 (1974), 小林亜星 当時42歳, 悠木千帆 (現 樹木希林) 当時31歳

    1974年、ドラマ『寺内貫太郎一家』で、樹木希林(悠木千帆)は、小林亜星が演じた主役の貫太郎の母親役を演じました。

    まだ30歳前半だった樹木希林(悠木千帆)が、自分より年上の小林亜星の母親役をしたのです。

    そのために、樹木希林さんは髪を脱色し、「老けメイク」をし、手の若々しさを隠すために手袋を外さなかったそうです。

    沢田研二のポスターを見て「ジュリー!」と興奮する演技で話題になりました。

    ドラマ「ムー」より伊東四朗、樹木希林、伴淳三郎、と㊙︎ゲストの掛け合い

    1977年から始まった、コメディ仕立てのホームドラマ「ムー」でも、樹木希林はその個性を活かし、見る人を笑いの世界に連れて行きました。
    創業90年の足袋屋「うさぎ屋」が舞台で、樹木希林は、うさぎ屋のお手伝いさんという役柄でした。

    1978年には、「ムー」の続編、「ムー一族」が始まりました。ドラマの名前は変更されましたが、舞台となるうさぎ屋は同じ、樹木希林をはじめ出演者もほぼ同じでした。そして、更にコメでディーの要素が強まったホームドラマになりました。

    郷ひろみ、樹木希林(1977年)

    郷ひろみ&樹木希林、36年ぶりに「林檎殺人事件」披露

    このドラマには、郷ひろみも出演していたのです!しかも主役。大学浪人中という役柄でした。

    樹木希林と郷ひろみは、役上でも仲が良いという設定で、この時、「林檎殺人事件」という歌を、2人でデゥエットしています。

    上の写真は、「ムー」時代の樹木希林と郷ひろみの画像と、36年後の画像ですが、若い頃に引けを取らず、コンビの息が合ってますね。

    樹木希林は、若い頃の芸名、悠木千帆の名を売った!

    1977年に、バラエティ番組内のオークション企画にて、「売るものがないから」と自分の芸名を競売にかけてしまいました。

    この発想は、樹木希林さんならではですよね。

    芸名の「悠木千帆」が20,200円で世田谷の飲食店店主に売却されると、自身は悩んだ末に「樹木希林」に改名しました。

    その後、古い芸名の「悠木千帆」は巡り巡って女優の山田和葉さんに渡り、今では山田さんが「2代目悠木千帆」を名乗っているそうです。

    なんとも樹木希林さんらしい、変わったエピソードですよね。

    若い頃の、樹木希林と内田裕也

    樹木希林は、1973年に、内田裕也と再婚しました。結婚当初はとても仲が良く、若い頃のオノヨーコとジョンレノンのような、2人でのヌード写真も撮っていたとか。

    が、1年半で別居。その後、別居生活を続けているのです!
    これも、驚きの夫婦ですよね。

    1981年、内田裕也が、無断で離婚届を区役所に提出するという大胆な行動に出ましたが、樹木希林は離婚を認めず、離婚無効の訴訟を起こして勝訴したのです。

    1年に1回連絡を取り合う程度の仲でしたが、2005年に樹木希林が乳癌になり、それからは月に1回程連絡を取り合うようになり、今では、正月をハワイで一緒に過ごすほど距離が近まったそうです。

    樹木希林と内田裕也の間には、1人娘の内田也哉子(うちだ ややこ)がいますね。

    今ではすっかり年を取った2人ですが、これほど、若い頃からずっと、自分の個性を前面に出し、格好いい夫婦は他にいませんよね!

    樹木希林一族が揃うと、見応えありますね。
    言わずと知れた、内田也哉子の旦那さんは、本木雅弘。
    お孫さんの内田伽羅(きゃら)ちゃんは、もう、芸能活動をしており、評判も上々のようです。この血筋ですものね。

    意外と可愛かった、若い頃の樹木希林さん

    味のあるお婆ちゃん役を演じる樹木希林は、若い頃からずっとお婆ちゃんを演じていた、お婆ちゃん役のプロの中のプロでしたね。

    樹木希林さんは亡くなってしまいましたが、個性豊かな演技で味わい深いものへと変わった作品たちは後世にも残り続けると思います。
    個性が濃い内田家の血を継いだ人々からも、目が離せません!

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