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郷ひろみの初婚相手・二谷友里恵の現在は再婚で家庭教師のトライ社長?

郷ひろみさんの妻である二谷友里恵さんは離婚後、トライグループの創業者・平田修さんと再婚し現在は社長を勤めています。二谷友里恵さんの二人の娘さんはテレビ局に入社しているようです。二谷友里恵さんの生い立ちや現在の活動をご紹介します!

【この記事は2020/01/09に更新されました。】

郷ひろみの初婚相手・二谷友里恵の現在は?

郷ひろみさんの妻である二谷友里恵さんは離婚後、トライグループの創業者・平田修さんと再婚し現在は社長を勤めています。二谷友里恵さんの二人の娘さんはテレビ局に入社しているようです。二谷友里恵さんの生い立ちや現在の活動をご紹介します!

二谷友里恵のプロフィール

本名(ふりがな/愛称):二谷 友里恵(にたにゆりえ)
生年月日:1964年11月16日
現在年齢:54歳
出身地:東京都
血液型:
身長:
体重:
活動内容:日本の実業家、元女優。トライグループ代表取締役社長
家族構成:夫、娘二人

父は俳優の二谷英明・母は女優の白川由美

二谷友里恵は1964年に俳優の二谷英明と女優の白川由美との間に一人娘として生まれました。

慶応幼稚舎から慶応義塾女子中学校・高校へ進学し、慶応義塾大学文学部国文学科に内部進学しました。母親である白川由美は非常に教育熱心な方で、慶応幼稚舎の受験1年前には仕事を入れずに支えたといいます。

ニ谷友里恵は学生時代には、1カ月ほどヨーロッパ一人旅などの経験もしています。このあたりのアクティブさは父親譲りかもしれません。父親である二谷英明は2012年、母親である白川由美は2016年に亡くなっています。父親の二谷英明のお通夜には元夫である郷ひろみも参列しました。

慶応女子在学中にCMデビュー

二谷友里恵は、1982年、高校3年生在学時に父と一緒に出演した資生堂エクボデオドラントのCMで2世タレントとして芸能界デビューを果たしました。

女優としての二谷友里恵

二谷友里恵は大学一年生の時にいきなり宮本輝の青春小説がもとになっている連続ドラマ「青が散る」で主演を務め、女優デビューを果たしました。

その後も学業と仕事を両立しながら数々の作品に出演しました。

その他多数の作品に出演

ニ谷友里恵のその他の出演作品では、家族ゲームII(1984年、TBS)、新・事件 断崖の眺め(1984年11月17日 - 12月22日、NHK)、女たちの場所(1986年、フジテレビ)、ドラマ人間模様 妹(1986年、NHK)、連続テレビ小説 はね駒(1986年、NHK)、翔んでる警視II(1987年、TBS)などがあります。

1987年郷ひろみと結婚!披露宴中継では視聴率47%を叩き出す!

二谷友里恵は、1987年6月、松田聖子との交際・別れでひと悶着あった人気歌手郷ひろみと結婚し、東京都港区高輪の「新高輪プリンスホテル」にて結婚披露宴を行いました。

結婚披露宴の出席者は1000名にも上り、古館一郎の司会のもと盛大に行われ、披露宴と同時にフジテレビの番組では題して『おめでとう郷ひろみ・二谷友里恵結婚披露宴』が完全生中継され、視聴率47.6%を記録しました。

二谷友里恵と郷ひろみは結婚後、3年間ニューヨークへ移住しました。

大学卒業と同時に結婚&女優を引退

二谷友里恵は、1987年6月に人気歌手の郷ひろみと大学卒業と同時に22歳の若さで結婚します。そしてまた、結婚と同時に二谷友里恵は女優を引退し、ファッションブランド「YURIE NITANI」を立ち上げ実業家やデザイナーとして活動を始めました。

二谷友里恵は1990年に出版した「愛される理由」という本の中で郷ひろみと結婚した理由について、「平凡なんて大キライ」という理由から、あえて結婚する道を選んだと書いていました。若い頃から向上心でいっぱいだったようです。

郷ひろみがクラブでナンパしたことが交際の始まり

郷ひろみと二谷友里恵の出会いは、1985年9月に六本木のディスコで来店していた二谷友里恵を、同店で合コンをしていた郷ひろみが見かけ、一目ぼれしたことがきっかけです。

郷ひろみはその場で二谷友里恵に声をかけ、ゴルフデートの約束を取りつけ、交際がスタートしたのです。

結婚後はニューヨークへ

郷ひろみは、23歳の時に、アメリカにダンスレッスン旅行に出掛けて以来、1980年、1981年、1982年、1983年と、レッスンを目的に渡米したことがあります。

二谷友里恵との婚約を発表した翌年の1986年3月には単身でアメリカのカレッジに留学し一年弱滞在するほど彼にとってNYは新しいことを学んだり鋭気を養ったりする大事な場所なだったようです。

郷ひろみと二谷友里恵は、1987年に結婚した後ニューヨークの新居で暮らし、郷ひろみは芸能活動を休養したことも突発的ではなく自然の流れだったのかもしれません。

2人の娘を設ける

二谷友里恵と郷ひろみの間には2人の娘がいて、それぞれ1987年に長女薫子さん(かおるこ)と1992年に次女新子さん(わかこ)が生まれました。

二人の娘さんは、二谷友里恵と同じく慶応義塾幼稚舎に入学し、成人してそれぞれ日本テレビとテレビ朝日に就職したそうです。

二人の娘さんはアナウンサーなどではなく、裏方としてテレビ局に勤めているようです。

1998年二谷友里恵と郷ひろみは離婚 原因は浮気?

世紀の結婚を果たした郷ひろみと二谷友里恵ですが、1998年に離婚しています。
一体どのような原因で二人は離婚してしまったのでしょうか?

ニューヨーク生活がうまくいかなかったことが原因か

二谷友里恵と郷ひろみは、NYに三年間移住しますが、生活はあまりうまくいっていなかったようで、帰国しています。

そして、帰国後も二人の関係を立て直すことができず1998年に離婚してしまいました。

離婚の原因は郷ひろみの浮気か

離婚に合わせて郷ひろみはミリオンセラーになった「ダディ」』(幻冬舎)という本を出版しました。

その中では、二人の結婚生活について赤裸々に語られていましたが、離婚の原因は自身の女性問題にあると書かれていました。

もともと郷ひろみは女癖が悪いと以前から噂されていて、石原真理子とも関係がありながら結婚式にも招待したという噂があり、女癖の悪さは結婚してからも変わらなかったようです。

2人の子供の親権は二谷友里恵に

結婚後二人の子供の親権は二谷友里恵に渡ったようですが、それは一筋縄ではいかなかったようで裁判にまでもつれ込んだようです。

当時子供は9歳と6歳

二谷友里恵と郷ひろみが離婚した当時、二人の娘さんはわずか9歳と6歳で、まだまだ父親も母親も必要とする年齢です。

親の離婚で子供が受けるダメージは子供の年齢によって変わってきます。苗字などが変われば、学校でも言われるかもしれません。二人の娘さんぐらいの物心つく前の年齢で親が離婚した場合、喪失感も少なく済んだのではないでしょうか。

ニ谷友里恵はどうしても子供を郷ひろみに会わせたくなかったようで、2000年5月からは娘たちを一切郷ひろみに合わせていません。郷ひろみ側も2002年3月に家庭裁判所に訴えたものの、娘たちも面会を拒否したため、その後一度しか会うことができなかったようです。

裁判にまでもつれ込んだ親権問題

二谷友里恵と郷ひろみが離婚した際に問題になったのが、二人の娘さんの親権問題です。郷ひろみも子供好きで、親権は取りたかったようですが、親権は二谷友里恵の方に渡りました。

しかしながら、離婚問題は、郷ひろみの女性問題だけが原因だったわけではなく、妻であった二谷友里恵の浮気も原因ではないかという話も出てきて、親権について裁判で争われました。

離婚の本当の原因は二谷友里恵と平田修の浮気?

二谷友里恵は郷ひろみと結婚していた当時、トライグループ創業者で郷ひろみと共通の友達でもあった平田修氏と浮気をしていたのではないかという疑いが世間に出ましたがそれはなぜでしょうか?

二谷友里恵は大バッシング

先ほどご紹介した郷ひろみのミリオンセラー告白本「ダディー」ですが、その中で、二谷友里恵と郷ひろみ、また二人の共通の友達である平田修氏のおかしな関係が書かれていました。

そこには、郷ひろみ公認で二谷友里恵と平田修氏が旅行したこともあると書かれていました。

この告白本により二谷友里恵は、大バッシングを受けることになります。二谷友里恵は後に『楯』(2001年・文藝春秋刊)という暴露反撃本を出版し、いかに郷ひろみの女癖が悪いかを説明し、郷ひろみの『ダディ』が霞んでしまうほどになったのです。

夫婦にとって共通の親友だった平田修

もともと平田修氏は夫婦にとって共通の親友で、郷ひろみの告白本にも「希有で奇妙な三角関係」と記されています。

二谷友里恵と郷ひろみの結婚はすでに破たんしていて、郷ひろみ公認で二谷友里恵は浮気をしていたとも取れる発言で、二谷友里恵は週刊誌などで大バッシングを受けることになるのです。

2000年に平田修氏は「週刊現代」を相手に二谷友里恵との関係について悪質な記事を書かれたと裁判で訴えました。

離婚の1年前に平田修が離婚

二谷友里恵と平田修氏がダブル不倫をしていたかどうかの真相は本人たちのみ知ることですが、注目すべきは、郷ひろみと二谷友里恵が離婚する1年前に平田修氏は二度目の離婚をしていたという事実です。

二谷友里恵との結婚を見据えて離婚したのではないかと思われてもおかしくない行動ですよね。

離婚した2年後に二谷友里恵と平田修は結婚

二谷友里恵は郷ひろみと離婚した2年後の2000年8月に平田修氏と再婚しました。

二人が再婚してすぐに出た週刊誌『FOCUS』(2000年9月27日号)では、 二谷友里恵が先に知人である財界人から平田修氏を紹介され、郷ひろみへ紹介したことで夫婦共通の親友となり心から信用していたので、まさか2人が男女の関係になっているとは思ってはいなかったなどという記事が出ました。

郷ひろみは親友として「家庭教師のトライ」のパンフレットに登場し、全国ツアーのステージ上ではコンサート開始前に舞台のスクリーン上に「家庭教師のトライ」CMを流すなどして平田修氏の会社に貢献していたほどで、二人の再婚のショックは他人の目から見ても大きかったと思います。

2004年に郷ひろみは二谷友里恵と平田修氏に対して訴訟を起こし、離婚前に交わした娘二人への養育費1億5千万円の撤回と二人の結婚によって娘への面会妨害による精神的苦痛を理由に各2000万円の損害賠償を請求しました。

2005年には郷ひろみ自身も再婚したこと、また2006年に娘二人が「父親には会いたくない」という証言をしたことから訴えを取り下げ親権は引き続きニ谷友里恵側に委ねられました。

二谷友里恵の再婚相手・平田修はトライグループの創業者

二谷友里恵の再婚相手である平田修しは「家庭教師のトライ」のCM文句で有名なトライグループの創業者として有名な方です。

平田修氏について詳しく見ていきたいと思います。

平田修は学生時代に教育サークルを立ち上げる

平田修氏は富山大学在学中に「富山大学トライ」という教育サークルを立ち上げました。このサークルが家庭教師のトライの前身になっています。

この時立ち上げた教育サークルは、「大学生の教育サークル」としてマスメディアで取り上げられ話題となりました。

1990年トライグループ創業

平田修氏は、1990年4月現在のトライグループを創業しました。

家庭教師のトライの特徴は、高学歴である教師が多数在籍しているということです。

教師自身も数年内に高校・大学受験を経験していて、受験に対する学習方法などを熟知し、より良いアドバイスを与えることが出来る、また各専門科目の指導が充実していることはもとより、参考書やインターネットなどからでは得られない個々の実体験に基づくアドバイスをすることができるなどの点が挙げられます。

実業家としての二谷友里恵

二谷友里恵は、かつて女優として開花しましたが、現在は実業家として成功を収めています。

二谷友里の実業家としての業績をご紹介していきます。

女優引退後はアパレルブランドを立ち上げ

郷ひろみと結婚後女優を引退し、二谷友里恵自ら立ち上げたファッションブランド「YURIE NITANI」はその後も洋服だけでなくバッグやタオル、財布やジュエリーなどファッションに関係する小物を販売するさまざまな会社とライセンス契約を結び、今もなお成長中です。

My Gym Japanの代表に就任

二谷友里恵は2007年にNYに移住中に出会った「My Gym」の代表に就任しました。

アメリカのカリフォルニアで生まれた0歳児から13歳までの子供を対象としたジムで、年齢ごとに細やかな指導を英語で受けることができることから、体を動かしながら、英語も学べると評判です。

夫・平田修からトライグループ社長の座を譲り受ける

二谷友里恵の実業家としての熱は留まることを知らず、夫・平田修氏からトライグループ社長の座を譲り受け、社長に就任しました。

2005年社長に就任

ニ谷友里恵が2005年にトライグループの社長に就任したことで、平田氏は会長の座につきました。

この社長就任劇は、税金対策の為であり、二谷友里恵の実質的な権利はないなどとささやかれたりもしていますが、実際のところはどうなのでしょうか。楽しく仕事をしているのかもしれません。

2010年「トライ式高等学院」の学院長に就任

二谷友里恵はその後2010年2月に通信高校のサポート校である「トライ式高等学院」の学院長にも就任し、平田修氏と夫婦二人三脚でトライグループを支えているのです。

二谷友里恵の現在は再婚で実業家だった!

郷ひろみの初婚相手ニ谷友里恵の最初の結婚から、再婚、実業家になるまでをご紹介いたしました。

郷ひろみと二谷友里恵は世紀のカップルと言われ話題になり結婚式は中継までされましたが、その後離婚してしまいました。

しかし、郷ひろみも二谷友里恵も再婚をし、別々の道を歩んでしまいましたが充実した日々を送っているようです。これからも精力的に活動して話題を振りまいて欲しいと思います。

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