木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
筑波大学からフランス東部ブザンソンの大学に留学中の黒崎さんが行方不明になった事件で、元交際相手のチリ人の男性が犯人の疑いで国際手配されました。チリ人男性は逃げ続けていて、黒崎さんの遺体も見つかっておらず事件は未だに解決していません。国際間の問題としても、忘れてはいけない事件の真相に迫ります。
黒崎愛海さんは東京都江戸川区出身で、東京都立国際高校を卒業しています。タレントでいえばホラン千秋やKREVAと同じ高校です。筑波大学社会・国際学群国際総合学類に進学しました。現在3年生となります。
国際総合学類というのは、①急速に変化し複雑化する国際状況に対応し、「何が問題であるか」を追求し問題解決へと立ち向かう、シャープな問題意識及びバランスのとれた国際センスを育む、②上記の問題意識から問題の本質の把握へと向かう分析力の総合的養成、③国際的に通用する豊かで説得的な表現力の養成
というような教育を行っているようです。
黒崎愛海さんは高倍率の面接を突破して2016年9月から「フランシュ・コンテ大学」付属の応用語学センターに留学して語学を勉強します。
帰国後は筑波大学の文学部でさらに学ぶ予定だったといいます。いずれは母子家庭の経済的支援を強化するビジネスを立ち上げる夢を持っていました。国内では母子家庭の手当やサポート体制については課題があるので黒崎愛海さんの構想は需要があったのではないでしょうか。
黒崎愛海さん行方不明事件はどのようなものだったのでしょうか。どのようにして行方不明になってしまったのでしょうか。その概要について見ていきましょう。
黒崎愛海さんは、2016年の12月4日から5日にかけてフランスのブザンソンで行方不明になります。行方不明後、2週間経って警察に捜索願が出されました。
容疑者は元恋人のチリ人、ニコラスです。最後に黒崎愛海さんに会っていた人物で、既にチリに帰国しています。
行方不明になってから、約1年半で1500時間かけて、ヘリコプターや警察、警察犬などありとあらゆる手段を使って広範囲にわたって捜索したが、未だ見つからず。容疑者の借りたレンタカーのGPSの記録の詳細は保存されていなかったのです。
容疑者の足取りなどから、容疑者は用意周到に殺人の計画をしていたと思われ、警察は容疑者が黒崎さんのスーツケースを使って遺体を運び、河川などに沈めたか、地中に埋めたものとみています。
書類提出を出来るのが1度きりなため、遺体が見つかっていない現在、チリ政府へ身柄引き渡しを求める書類はまだ送られていません。ニコラスはチリから出国禁止命令が出ているからです。もし今後、遺体が見つかった場合、捜査が再開されます。
ご両親は2018年6月20日に渡仏し、予審判事に会っています。
黒崎愛海さんと同じ寮に住む学生が、12月に行方不明になる直前に「どんどんと何かをたたくような音がして目が覚めた。その後、女性が必死で叫ぶような甲高い絶叫が1、2分続いた」と証言しています。
検察当局者は記者会見で、叫び声が聞こえたとの証言があり、それ以降「(黒崎さんの)消息が確認できていない」と述べました。黒崎さんが最後に確認されたのは現地時間の昨年12月4日午後10~11時です。同じ階に住むフランス人女子学生アンヌロール・サイエさん(19)は翌日午前3時ごろ、就寝中に叫び声を聞いたと証言しています。他の学生も同様の証言をしているようです。
検察当局者は、黒崎さんが「自殺したり、自ら失踪したりする理由がない」と指摘し、監禁や誘拐の疑いで捜査を始めたとした上で「黒崎さんの家族の証言などから元交際相手が危険な性格でしつこく付きまとっていたとみられる」ことや十分な証拠があることから、遺体が見つかっていないものの殺人事件と判断したと説明しました。
さらに黒崎愛海さんには夢がありましたし、Facebookの不具合により友達が消えてしまったときに登録を再度呼びかけていたことから、自殺する可能性は低いです。
ブザンソン市の黒埼愛海さんの大学寮の部屋では、泣いている叫び声を12月4日、午前3時30分頃に仲間の学生が身体的な争いの声を聞いたというが、血液が見つかっていないことを確認しました。そこから窒息死ではないかと結論づけました。
ですから絞殺の可能が高いのです。
黒崎さん殺人の犯人は、昔の交際相手であるチリ人であるといわれています。この男は20代で、フランス語、スペイン語、日本語も話せるようで、数年前に日本に滞在したこともあるようです。同じ大学に通う男性でブザンソンのレストランで食事をしていました。
黒崎愛海さんはこの男とSNSで知り合いました。そして、その男の名前はニコラスということも発覚しています。
元交際相手のニコラスの行動には不可解な点が多いため、事件に関係しているとの見解が持たれています。
二コラスは、黒崎愛海さんが行方不明になる前にあるビデオ声明を撮影していました。その内容とは、黒崎愛海さんに対するメッセージでした。ただ、犯行をほのめかしているように思えるのですが、実際に犯行を行うなどは一切話していません。そのため、このビデオ声明が事件に関係しているかは不明なようです。
ただ、メッセージの中には「自分のしたことに対して少し代償を払う必要がある」と述べていることから、黒崎愛海さんに対して執着心を抱いていたことは明らかです。このビデオ声明は2016年に作成されているため、事件が起こる2018年まで過去のことを根に持っていた可能性があります。
ニコラス容疑者がブザンソン近くのホームセンターで工具類を購入、フランス東部のディジョンにあるショッピングモールで燃料やゴミ袋、洗剤を購入していることがわかりました。この購入品について、かなり怪しいとされています。
2016年7月以降に、ニコラス容疑者と黒崎さんの間に深刻な問題が発生します。黒崎愛海さんに新しい恋人ができてしまったのです。
二人の間に破局が訪れたのは、回転すし店でのデート以降といわれています。ニコラス容疑者が黒崎さんのフェイスブックのアカウントを乗っ取り、不正アクセスしてデータをすべて削除するという嫌がらせをしていたといわれています。
容疑者が嫉妬していたことが事件につながったのではないかと結論付けています。
留学期間後、ニコラス容疑者は一度チリへと帰国したのち、2016年4月に再来日しビザなしで滞在できる3ヶ月を過ごし、7月にチリへ帰国、直後に再来日しこの時は黒崎さんのアパートに滞在したとの事です。
しかし、10月頃にニコラスが黒崎さんのフェイスブックに無断でアクセスして全ての友達を削除するなど、ストーカー気質な性格があらわになります。これをきっかけに2人の関係は破局したと言われます。
また、日本で交際していた時期、黒崎愛海さんの家族はニコラス容疑者のこうしたストーカー的な性格を危険視し、2人の交際に反対していたそうです。
犯人だと言われているニコラスですが、SNS上でその容疑を否定していました。ニコラスが投稿したのはFacebookで「自分は悪くない。何もしていない」と投稿しているようです。また、黒崎愛海さんの家族に対して気遣うような言葉もあったことから、他に犯人がいる説も浮上します。
多くの情報を元に犯人は誰なのか考えるのであれば、ニコラス本人に詳しく話を聞かなければわからない部分もあります。そのため、ニコラス自ら出頭しなければ「やましい気持ちがあるのではないか」との疑問は拭えないでしょう。
事件後、ニコラスはブンザンソンからスイスのジュネーヴを経由して母国であるチリへと帰国しています。そのため、フランスはニコラスを調査したのち、引き渡すようにチリに正式要請をしたようです。しかし、ニコラスの姿は未だ確認されていないと言われています。
自分の国から犯罪者を出したくないチリがニコラスをかくまっているのか、それとも本当に見つからないのかは不明です。ただ、チリに帰国してからは一切国外に逃亡した形跡はないため、国内にいる可能性が高いです。
黒崎愛海さんの遺体が見つからないまま仏検察は捜査を続けていました。しかし、血痕や凶器が発見されてから一切証拠が見つからず、最終的に仏検察は捜査が終結したことを発表します。
2018年10月にフランスは「できることはすべてやり尽くした」と発表しており、そのまま終了しています。2016年の12月4日に起こった事件ですので、2年近くの捜査が行われたことになります。
有力な情報が入ったり、遺体が発見されたらまた捜査は再開されることでしょう。しかし、犯人が燃料を購入しているのが問題で、それが遺体を燃やすためであったのなら、見つけるのは困難なのかもしれません。
では、今現在の捜査状況はどうなっているのでしょうか。2018年の11月に新たな情報が入っていることがわかりました。その情報についてまとめていきます。
2018年11月20日、フランス東部ブザンソンで2016年、日本人留学生の黒崎愛海さん(当時21)が行方不明になった事件で、仏検察当局は19日、黒崎さんが大学寮の自室で元交際相手のチリ人の男によって絞殺された可能性が高いとの見解を示しました。
黒崎さんは2016年12月4日夜、元交際相手のニコラス容疑者と夕食を共にした後、消息を絶ちました。
エティエンヌ・マントー(Etienne Manteaux)検事は、黒崎さんは殺害されたとみられるものの、近郊の森林地帯の広範囲を対象として行われた捜索にもかかわらず遺体は発見されておらず、死因の特定は困難だと説明。一方で、黒崎さんの部屋には血痕がなかったことから、絞殺された可能性が高いとの見解を示しました。
また同検事は、ニコラス容疑者が当時、黒崎さんが別の男性と交際を始めたことに嫉妬していたと指摘し、同容疑者は「これまで以上に、この殺人事件での主要容疑者であると考えられている」と説明しました。さらに、黒崎さんが行方不明となる数日前、同容疑者がスーパーで可燃性液体5リットルとマッチを購入していた他、利用したレンタカーが返却時に泥で覆われていたことを明らかにしました。
フランス当局はチリに帰国したニコラス容疑者に対し国際逮捕状を出したものの、チリ当局は身柄拘束を拒否しています。仏当局は、容疑者の取り調べのため予審判事をチリに派遣すべく、「今後数週間」以内にチリ当局に対し協力を要請する予定です。
マントー検事は「われわれは遺体の発見のために手を尽くしたが成果が出なかった。これを受け入れ、外交段階に移る必要がある」と言明しています。さらにフランスはチリに対し容疑者引き渡しの正式要請は行っていないとし、国外での裁判のために自国民の引き渡しに応じる国は少ないと説明しました。
ここまでで、黒崎愛海さんの行方不明事件をみてきましたが、別の行方不明事件はあるのでしょうか。海外での行方不明事件を中心におって行きましょう。
新潟県出身の日本人女性、佐藤綾子さん(47)が2013年5月28日から失踪し、7月11日に夫から捜索願いが出されています。在ニューヨーク日本国総領事館によると、本人の電子メールの内容や電話番号の履歴から7月初めにニューヨークに滞在してることが判明しています。
ニューヨーク市内では、マンハッタン、クイーンズのホテルに滞在していたことが分かっています。ニューヨーク市警察(NYPD)や地元紙の報道を総合すると、佐藤さんは、5月28日からカリフォルニア経由で米国各地を転々とし、6月22日から26日まではマンハッタン西35丁目45番地のメトロホテルに4日間滞在した記録があります。
夫が佐藤さんと最後に電話で話したのは7月9日で内容はお金をアメリカに送って欲しいというものだったといいますが、詳しいことは明らかにされていません。
彼女は一体どこにいってしまったのでしょうか。
2010年、年末年始に韓国を1人で旅行していた神奈川県の主婦、棚橋えり子さん(58)が同国内で行方不明となっています。これは韓国の警察当局が行方を捜していることを棚橋さんの家族が明らかにしました。
関係者によると、棚橋さんは「韓流」スターの大ファンで、これまでも何度か韓国を訪れ、韓国ドラマのロケ地などを見て回っていたようです。
家族によると、棚橋さんは昨年12月28日にソウルに到着し、今年1月4日に帰国する予定だったそうです。家族に詳しい日程を伝えておらず、友人に携帯電話から送ったメールで1月1日に東部の江原道江陵市にいたことが分かったが、それ以降の行動は不明です。
友人が同5日に棚橋さんの携帯電話にかけたところ、「アキヤマ」と名乗る男性が出ましたが電話はすぐに切られ、つながらなくなったといいます。
なぜ別の男性が携帯に出たのでしょうか。そもそも韓国でなぜ日本の名字の「アキヤマ」なのでしょうか。謎は深まります。
松倉崇太郎さんは2005年にトルコで行方不明となり、今も見つかっていません。松倉崇太郎さんは当時22才でした。松倉崇太郎さんの母、松倉寛恵子さんは「たくさんの人に息子のことを伝えて、有意義な情報が集まるよう祈っている。」と話しています。
松倉崇太郎さんは、2010年10月末に観光でイスタンブールを訪れ、ホテルに所持品の入ったリュックサックや航空券などを残したまま行方が分からなくなっているのです。トルコ警察も捜索していますがこの1年間で寄せられた情報は18件です。
松倉崇太郎さんの家族は行方不明になった直後から地元紙などに広告を出して、情報提供を呼びかけてきたが見つかっていません。11月6日、イスタンブールで再度会見し、更なる情報提供を呼びかけました。
この事件はとにかく情報が少ないですので、謎が多い事件です。
1992年4月25日、パキスタンへ氷河見学へ出かけた大阪府の会社員・藤田浩史さん(当時28)が行方不明になりました。藤田さんは中国国境付近のパスー氷河へ、現地で知り合った日本人男性と一緒に向かいましたが、日本人男性だけホテルに戻り、藤田さんは戻らなかったといいます。
どこに行ってしまったのでしょうか。
これはモスクワ邦人男性失踪事件と呼ばれている事件ですが、2003.年8月13日、ロシアを旅行中の無職、菅原伸一さん(当時55)が、モスクワで行方不明になりました。
菅原さんは友人と一緒に1日、富山から船でロシア・ウラジオストクに入り、
シベリア鉄道で11日にモスクワへ到着します。13日未明に宿泊先から1人で外出したまま、行方が分からなくなったといいます。
海外旅行に行ったスイス・ツェルマットで一人でユースホステルに宿泊していましたが、朝食をとったあと失踪してしまいます。荷物のバッグがベッドに残っていただけでした。日本を出たのは7月4日で、ヨーロッパ各地を旅行していました。失踪後不審な電話が計5回、決まって日本時間の8時半にかかりました。
電話の主は一体誰だったのでしょうか。
1999年2月から3月にかけてトルコ国内を旅行していた滋賀県の関西大4年生の児島
智子さん(22)が、トルコ中部のネブシェヒル訪問後、行方不明になりました。
児島さんは2月20日、イスタンブールに到着します。一人でエーゲ海沿いのイズミール
などを観光した後、3月2日、夜行バスで観光地カッパドキア近くのネブシェヒルに
到着したのを最後に足取りが途絶えました。
ネブシェヒルで一体何があったのでしょうか。
北京の日本大使館が1998年に明らかにしたところによると、中国チベット自治区を訪れた日本人男性3人が昨年夏から行方不明になっていることがわかりました。3人が同一行動を取り、事件・事故に巻き込まれた可能性もあり、現地の公安当局などが情報収集に当たっていました。
消息がわからないのは京大工学部修士課程・三好隆弘さん(25)、静岡大法学部学生・櫛引克彦さん(23)、元日本通運社員・二見哲也さん(29)の三人でした。
これまでの調査によると、三好さんは昨年6月23日までチベット自治区の区都ラサのホテルに、また櫛引さんは同8月6日にツアーでチベット入りしたことがそれぞれ確認されました。櫛引さんはこれに先立ち同6月にもチベットを訪ねており同17日、二見さんと西南部のシガツェから西へ向けて出発したことがわかっています。
3人は旅行前は交友関係はなく、チベットで知り合って一緒に移動していた可能性が高いといいます。チベットで何があったのでしょうか。
1996年、一人でインドを旅行中の金沢市出身の京都大学2年・高口和生さん(20)が、帰国予定の10月になっても戻らず、消息を絶ちました。
高口さんは9月4日からインド方面に旅行に出かけていました。9月16日、バスでパキスタン国境に近いアムリツァルに向かったのを最後に連絡が途絶えているのです。
アムリツァルで一体何があったのでしょうか。
1995年11月、ロンドン市内で日本人女子学生の五十嵐洋子さん(当時28)が、友人宅を出たまま行方不明になりました。五十嵐さんは昨年春に渡英、11月からロンドン市内のウエストミンスター大で英語を学んでいました。同月5日夜、市内の友人宅を出てから足取りが不明となっています。
一体どこに行ってしまったのでしょうか。
在ロサンゼルス日本国総領事館のホームページに、海外で身内が行方不明になった際の対処があります。
海外で行方不明になったご家族を探したいときには、①現地事情にあった捜索の方法、現地警察への照会、捜索願いに関する助言を行います。②犯罪に巻き込まれている可能性がある場合には、現地警察に対して捜査の申入れを行います。
以上2点のようです。
黒崎愛海さんは大きな夢を持ってそれを実現しないまま行方不明となっています。犯人はほぼ確定している状況です。しかし、チリ政府が動かないために難航を極めています。
なぜチリ政府は動いてくれないのでしょうか。そもそも黒崎愛海さんはどこに行ってしまったのでしょうか。今後、チリ政府が動いてくれるのでしょうか。
この記事に関する記事
キーワードから記事を探す
Copyright© 運営事務局