関東連合リーダー見立真一は現在フィリピン逃亡中?妻や生い立ちは?

    関東連合のリーダーでかの有名六本木クラブ襲撃事件の主犯者である見立真一は事件から6年以上たった現在も逮捕されていません。フィリピンに逃亡しているとの噂もあります。指名手配前から様々な悪態を行なって残虐王子とも呼ばれていた見立真一の現在をご紹介します。

    残虐王子!見立真一の現在

    真性のサディストとされ「残虐王子」の異名を持つ見立真一。見立真一は、極悪半グレ集団「関東連合」のリーダーであり、数々の残虐な事件の首謀者でもある極悪非道の男といわれています。

     

    一度は、終息しかけた関東連合を再度結成し、それまでの関東連合よりもさらに残虐な集団へと巨大化させていったことで闇社会では知らない人はいないであろう見立真一は現在、海外に逃亡中です。見立真一が逃亡を続ける理由はいったい何なのでしょう。また、今後どんなことを企んでいるのでしょうか。見立真一の現在に注目していきます。

    見立真一の生い立ちは?

    見立真一は1979年3月16日、静岡県沼津市に生まれました。「六本木クラブ襲撃事件」をきっかけに逃亡生活をしている見立真一ですが、この事件以前にも数々の悪行を繰り返しています。

    一般的に、極悪な人間に成長してしまうのには、生い立ちが関係していると見られることが多いですが、見立真一は意外にも普通の家庭で生まれ、何ら問題のない家庭で育ったとみられています。

    父はタクシー運転手

    見立真一の父親の職業はタクシー運転手であり、とくに反社会的勢力とは無関係な仕事についていました。また、家庭環境は、非行に走ることを想像できるような複雑なものでもなく、それほど裕福ではなかったものの、三度の食事に困るほど貧困な家庭ではなかったといわれています。

     

    見立真一は、極悪な半グレ集団「関東連合」の一員として知られていますが、そのような非行グループには複雑な生い立ちの人が多い印象を受けますが、関東連合のメンバーは比較的安全な土地で育ち、家庭環境にも問題がなかった人が多いことがわかっていて、見立真一も生い立ちにも何ら問題のなかったメンバーの1人と見られています。

     

    兄弟は姉が1人いるようですが、何ら問題のない良い人で知られていて、見立真一の家族を知る人は普通に仲の良い家族だったと話しています。

     

     

    中学2年で不良グループの一員に

    見立真一は何歳の頃かは不明ですが、家族と共に静岡を離れて東京都・杉並区に引っ越しています。当時から東京の世田谷や杉並区は、いくつかの暴走族が存在していましたが、その地域の暴走族が集まってできたのが、後に見立真一がリーダーを務める関東連合。見立真一が引越しをしていなければ、関東連合のメンバーになっていた可能性は低かったのでしょう。

     

    見立真一は、もともと明るい性格で成績も中の上に位置しており真面目な性格できちんと勉強もしており、後に極悪極まりない不良になるなど想像もできない人物であったそうです。

     

    そんな見立真一が不良の一員になったのは、中学2年生の時。急に不良グループの一員になったことは精神が病んでしまったことが原因といわれていますが、もともとサディスティックな一面を持ち合わせていて、猫を交通量の多い道路に投げつけたり、ナイフで刻んで殺すなどの残虐極まりない異常な行動をとっていたといわれています。

     

     

    高校入学の頃には手に負えないワルに

    小学校の見立真一は、周囲と喧嘩をしたりといった荒れている様子も無く、中学でも真面目に勉強をしていました。しかし、不良グループの一員になった杉並区立井荻中学校を卒業後は、ヤンキー高校として有名な都立永福高校に進学しました。

     

    都立永福高校は、現在偏差値50ほどの一般的な高校となっているようですが、見立真一が入学した当時は不良が多く、暴走族とも関わりがあったようです。高校に入学したものの、その頃にはヤンキーの枠におさまらないほど手に負えないワルになっていた見立真一は、入学後わずか2ヶ月で中退しました。

     

    見立真一が高校を中退する原因になったのは、学校で暴れて手がつけられなかったという説と女性に性的暴行を加えた説などが存在しています。

    関東連合を復活させた男・見立真一

    見立真一は関東連合のリーダーとして、闇社会で名を馳せることになりましたが、関東連合は、1976年生まれの世代が全員警察に逮捕されたことで代替わり出来ずに一時的に消滅状態にありました。その復活に一役買ってでたのが見立真一です。

    ”永福町ブラックエンペラー”が関東連合を復活

    関東連合を復活させたのは、当時見立真一が中心となって結成されていた「永福町ブラックエンペラー」。見立真一と「永福町ブラックエンペラー」のメンバーより復活した関東連合の襲撃は、筋違いの人物や抗争相手には容赦しない「キチガイぶり」で、1976年代のメンバーを遥かに超える残虐ぶりが恐れられ、関東連合の名を一気に広めることになりました。

     

    見立真一が中心となった関東連合の主な活動内容は従来の暴走族のような集会や集団暴走ではなく、威嚇行為や喧嘩、凌辱、抗争、拉致監禁、脅迫。関東連合はあっという間に東京の闇界を牛耳る存在としてのし上がりました。

    残虐王子と呼ばれていた見立真一

    見立真一が復活させた関東連合は、抗争時に金属バットや刃物といった危険な凶器を使うだけではなく、さらに抗争相手に対して半殺し状態になるほどのリンチを加えるようになりました。当時の関東連合には止める先輩が存在しなかったため、見立真一の残虐さは増していき、命の危険にまで及んだため、東京の不良少年たちの間で脅威の存在に。関東連合を暴力で支配していた見立真一はまたたくまに残虐王子の異名を持つほどになりました。

     

    見立真一の残虐ぶりはゲリラの拷問レベルといわれていて、監禁した抗争相手の歯や爪を抜くといった極悪なリンチにはじまり、抗争相手の彼女や家族にまで危害を及ぼすようになっていったといいます。抗争相手の彼女に対しては拉致して性的暴行を加えたり、家を集団で襲撃したりともはや、当時の関東連合は、不良少年の領域を大きく超えた暴力集団と化していきました。

    闇社会の富豪になった見立真一

    10代の頃には数々の悪行を働き凶悪を繰り返した見立真一ですが、成人後には闇金業者として荒稼ぎをし、生計を立てるようになりました。闇金業はもともと違法性が高いものですが、見立真一の場合は多重債務者詐欺にまで手を染めるなど、お金のためには手段を選ばなかったようです。

     

    見立真一は、どこからいくら借りているかも把握できていないほどの多重債務者を利用して、自分が貸してもいない相手に返済を迫るといった不条理な行為を行い、月に3億もの金額を手にしたことが半年続いたといいます。それも、残酷な行いから半端ではない利益をあげていき、「30歳までに100億円持つ」と口にしていました。

     

    こうして闇金界の富豪にまで成り上がった見立真一でしたが、マルチ商法にまで手を出し、野球賭博運営や株の仕手戦に失敗したことで経済的に凋落していきました。

    見立真一が行なった数々の悪態

    見立真一がリーダーを務めることになった関東連合は、当時渋谷で幅を利かせていたチーマーとの度重なる暴力的抗争を経て渋谷の非行少年界を制圧していきました。さらにその悪行はだんだんとエスカレートし、「既存の暴力団ではないが暴力的な犯罪を行う集団」という、中途半端な‘半グレ集団’に。

    まとめ上げる者も止められる者もいなくなった関東連合は、愚連隊(ぐれんたい)と呼ばれ、様々な悪行を行ってきました。

    与国秀行を襲撃で失明させる

    見立真一には、「与国秀行(谷山秀行)襲撃事件」に関わっていたのではないか?という噂があります。「与国秀行(谷山秀行)襲撃事件」とは、見立真一の中学の先輩であり1990年代に都内最強といわれた伝説のアウトローである与国秀行さんが、奥さんと共に暴漢に襲われた事件で、これが原因で与国秀行さんは左目を失明しています。

     

    与国秀行さんは「幸福実現党都副代表」として「第45回衆議院議員総選挙」に出馬し、東京都第12区で最下位落選しています。与国秀行さんが暴漢に襲われたのはその直後ですが、被害届が出されなかったことで警察が捜査することにもならずに事件は闇に葬られています。しかし、事件後に関東連合のOBたちが金属バットで与国さんを襲撃をしたという噂がネット上で実しやかにささやかれました。

     

    見立真一は、2008年3月に起こった山口組弘道会系の暴力団の準構成員であり、関東連合OBたちの用心棒的な存在であった金村剛弘さんが自宅前で待ち伏せしていた男たち金属バットで殴り殺された「西新宿事件」をきっかけに与国秀行さんに恨みを持っていたといわれていていることからこの噂が流れはじめました。

     

    金村さんと親交の深かった見立真一は、金村さんの葬儀に号泣しながら参列し、犯人への復習を誓いましたが、同じく葬儀に顔を出していた与国さんから「これを機会に堅気になれ」と説教されたことで口論となってしまったそうです。そのことが引き金となって与国さんへの襲撃事件に発展したのではないかといわれたのですが、与国さん本人が襲撃事件の犯人が関東連合のOBであるという噂は否定しています。

     

     

    木村兄弟との関係

    不良グループ「新宿ジャックス」の出身で関東連合の最大のライバルといわれている木村兄弟ですが、反関東連合勢力であった「新宿ジャックス」の創設者である金村さんが見立真一を含め関東連合のOBたちと交流を深めていたことで不信感が募っていたといいます。そのため、金村さんが殺害された「西新宿事件」の首謀者は木村兄弟であり、腹いせのための犯行ではないかといわれています。

     

    また、木村兄弟の弟である木村孔次郎さんが当時、山口組極心会連合系の暴力団の構成員であることから金村さんを襲撃するだけの兵隊を集められることから信憑性の高い噂として流れていました。

     

     

    見立真一には内縁の妻と子供がいた?DVの噂も

    グループのリーダーに君臨していながらもどこか孤独のように見えた見立真一。意外も用心深い性格で、周りには敵が多いことも自覚していたため、返り討ちに会わないために仲間内にも住所や素性は明かしていなかったといわれています。しかし、実は都内に妻と子供がいたのではという噂もあります。

    都内マンションでアジア人女性と同棲の噂

    見立真一には、海外への逃亡前、都内の高級マンションで南アジア人の女性と同棲していてさらに娘がいたのではないかという噂があります。しかし、見立真一が結婚していたという事実はないため、同棲していた女性は内縁関係にあった可能性が高いようです。

     

    海外に逃亡するきっかけとなった「六本木クラブ襲撃事件」が起きたのは2012年ですが、当時、見立真一は幼い子供と暮らしているといわれていました。その後、見立真一が逃亡したことで、同棲していてたとされる女性と子供はマンションから姿を消したそうです。

     

     

    交際女性にはDVが日常茶飯事

    関東連合では女性に対しても残虐な逸話がある見立真一ですが、特定の彼女は存在したようです。関東連合の主要メンバーは、芸能人と付き合ってした人も多くいたようですが見立真一は一般人を相手に交際していたといいます。しかし、交際といっても幸せな恋愛とは真逆だったようで、交際した女性は1年もすると無感情になり、爬虫類のような目になることで有名だったといいます。

     

    見立真一は関東連合の仲間に対しても秘密主義で、交際している女性について話をするようなこともなく、交際女性との間に何があったかは明らかになってしませんが、DVなどは日常茶飯事であったと噂されています。

     

    六本木クラブ襲撃事件とは

    「六本木クラブ襲撃事件」とは見立真一逮捕が主犯格となり発生した事件で、見立真一が逮捕から免れようと逃亡するきっかけになった事件です。この事件は、「六本木クラブ集団暴行死事件」とも呼ばれていて、一人の男性に集団で暴行を加え、あっというまに殺害に至ってしまった事件です。その概要を詳しく振り返ります。

    2012年9月2日に発生

    「六本木クラブ襲撃事件」は、2012年9月2日午前3時40分ごろに発生しました。事件が起きた場所は、港区六本木のクラブ「フラワー」。犯行集団・関東連合からターゲットにされたのは、当時31歳の飲食店経営をしていた男性・藤本亮介さんでした。

     

    関東連合は、藤本亮介さんを集団が敵対視している人物と勘違いしたことから犯行を実施。本来であれば何も恨まれる覚えのない、失わずに済んだ命が奪われてしまったのです。

     

    目出し帽をかぶった10人あまりが凶器を持って襲撃

    当時、店を訪れていた藤本亮介さんは、金属バットを持って乱入してきた目だし帽姿の10人ほどのグループから襲われ、袋叩きにされてわずか1分間で死亡。男性3人・女性2人の計5名とともに酒席にあった被害者をグループの男らは無言で急襲した後ワゴン車2台で東京・東大和市方面を経由し、埼玉方面へ逃走しました。

     

    死因は頭蓋骨損傷による失血死または脳幹部損傷。事件当時、店内では音楽イベントが開催されていて500人から600人の来客がいましたが、大音量であったためとVIPルームでの犯行であったため、ほとんどのお客がこの暴行に気づかなかったといい、被害者の男性と同席していた友人2名も殴られて軽症を負っています。

     

    この事件は、関東連合が対立していた他グループの男性と被害者の男性が人違いされたことで勃発した事件のようです。

     

    見立真一以外の全員が逮捕

    「六本木クラブ襲撃事件」が発生した5日後、襲撃したグループが映っていた防犯カメラの映像と被疑者5人の写真を警視庁が公開すると、この映像に対し、暴走族グループの関東連合OBの関与を指摘する情報が寄せられました。

    その後、犯行後の逃走に使用されたワゴン車の1台が関東連合の元メンバーが役員を務める東京都内の会社の名義であったことが判明したことで、会社が家宅捜索され、事件後に名前を変えて営業していたクラブ経営者らが逮捕され、その後、21日までに関東連合OBや関係者らが逮捕されました。

     

    この事件には合計19人へ逮捕状が出され、2013年までで18人が逮捕されましたが、主犯格といわれている見立真一だけは海外逃亡のため逮捕には至りませんでした。

     

    見立真一はフィリピンに逃亡

    見立真一は「六本木クラブ襲撃事件」発生後に海外に逃亡し、現在も逃亡を続けています。潜伏先については様々な憶測が飛び交いましたが、事件発生直後に出国し、中国や韓国などを経て、2016年11月にフィリピンに渡った後の足取りは途絶えたままです。

    関係者の話によると、「一生、海外で逃亡生活を続けるほどの覚悟があるとも思えない」との指摘があり、見立真一が偽造パスポートなどで帰国した場合でも逃さないよう、国内外の入管当局との連携も強めているといいます。

    国際指名手配されるも未だ捕まらず

    見立真一は、現在フィリピンの離島に逃亡していて現地のマフィアに匿われて潜伏生活を送っているといわれていて、生活の資金は現地の構成員から手渡しされているのではないかと見られています。

     

    国際指名手配となった見立真一ですが、現在も連絡を取っている関東連合のメンバーがいるようで、話によると一時期、ペルー国籍を取って逃げ切るという策略もあったようですが、整形して顔も国籍も変えて日本に密入国する可能性もあるようです。

     

     

    逃亡の理由は金村剛弘の仇を打つため

    見立真一は海外逃亡前、「目的を果たすまで出頭しない」と話していたようです。海外逃亡してまで警察に捕まりたくなかったのは、金村剛弘さんの仇を討つことを諦めておらず、木村兄弟への復讐の機会を伺っているためといわれています。

     

    「六本木クラブ襲撃事件」では、人違いで1人の男性が殺害されていますが、人違いの本人であったのは金村さんとトラブルを起こしていた木村兄弟であったといいます。「六本木クラブ襲撃事件」では、クラブに木村兄弟がいるという情報を受けて襲撃しており、見立真一は結局木村兄弟へ復讐することができなかったのが未だに心残りであるようです。

    見立真一は逃亡後国内に戻っていた?

    見立真一は、「六本木クラブ襲撃事件」が発生した後の2013年頃、偽造パスポートを使って国内に戻っています。2013年4月に2度ほど見立真一に会ったという関係者は、千葉県のホテルで見立真一に遭遇したといい、見立真一は、当時、帰国した理由を聞かれると「金を取りに帰った。いろいろ集金しなくてはいけなくて。」と話していたそうです。

     

    見立真一が日本に戻っていた間、生活の拠点にしていたのは被災地であった福島県いわき市。同行していた女性が高い放射線量を避けて空き家になった一軒家を手配したようですが、六本木のキャバクラで働いていた女性と宮崎旅行に行ったり、新宿の高級ホテルや八王子駅前のホテルに泊まったりと日本を満喫していたということです。

    見立真一は死亡している?

    現在、実は死亡しているのではないか?とネット上では囁かれています。これには、見立真一の情報提供者には600万円の懸賞金が支払われるものの未だに有力な情報が得られないことや、周りには見立真一を敵対視する人物が多くいることが上げられるようです。

     

    しかし、見立真一が死亡したという確証はなく現在もフィリピンに潜伏しているという情報が有力なようです。

     

    見立真一の今後に注目

    「六本木クラブ襲撃事件」発生後に姿を晦まし、現在はフィリピンに逃亡中である可能性が高い見立真一。事件から7年が経過した今も日本での目撃情報は無く、逃亡を続けています。これまでの悪事の数々は目を覆いたくなるものばかりですが、今後の計画も黙々と進んでいるのかもしれません。今後、見立真一はどんな形で日本国民の前に姿を現すのでしょうか。一刻も早く警察に逮捕され、1人たりとも被害者が出ないことを切に願います。

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