2024/02/16
r.y6
芦川いづみさんは映画黄金時代に日活を代表する女優として活躍しました。全盛期だった1968年に藤竜也さんと結婚し、引退した後はほとんど公の場に姿を現すことありませんでした。しかし、藤竜也さんとは仲が良いことでも有名で、様々なエピソードもあるようです。
2019年はデビューしてから65周年ということで、記念祭も行われます。芦川いづみさんの経歴や代表作、現在の様子などをまとめてみました。
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芦川いづみさんは1956年から1968年まで日活で活躍した女優でした。日活が映画の撮影を再開してから黄金期までを支えた女優で、石原裕次郎さんの相手役を演じることも多かったです。
葉山良二さんとの恋愛が噂されたこともありますが、藤竜也さんと1968年に結婚し33歳の若さで女優を引退します。彼女が引退後にまもなく日活の撮影所が一部閉鎖され、テレビ全盛の時代になったという意味でも日活を象徴する大女優でした。
芦川いづみさんは、1935年10月6日に東京市滝野川区田端町に生まれました。高校は法政大学潤光女子高校に入学しましたが、1952年に中退して松竹歌劇団付属松竹音楽舞踊学校に入っています。芸名は入学時に決まりました。おムギという愛称も、この頃につけられています。
顔立ちが有馬稲子さんに似ておりより逞しいイメージだったから、稲より逞しい麦を連想しておムギとなったと言われています。1953年にファッション・ショーに出ていた時、松竹の川島雄三監督の目に留まり『東京マダムと大阪夫人』で女優としてデビューします。
その後、川島監督が日活に移籍した縁で、芦川いづみさんも日活に移ることになります。日活は日本で最も古い映画会社でしたが映画製作から一時撤退しており、新たに撮影所を建設して映画製作を再スタートする段階でした。芦川いづみさんは看板女優の1人として、日活の復活に貢献しました。
芦川いづみさんは、日活に移ってから短期間で日活の中心的存在になっていきました。更に、1956年の「乳母車」で石原裕次郎さんと初共演を果たします。まだ、デビュー3作目の石原裕次郎さんは更に人気を獲得し、芦川いづみさんはこの作品で人気を揺るぎないものにしました。
その後、石原裕次郎さんは国民的スターとしてますます人気を上げていきました。芦川いづみさんは、北原三枝さんと並ぶ石原裕次郎さんの相手役として数々の映画で共演を果たしています。後に北原三枝さんは、石原裕次郎さんと結婚しています。
この頃の芦川いづみさんは、その美しさで和製「オードリーヘップバーン」とも呼ばれるほどでした。
女優として華々しい活躍を続けていた芦川いづみさんですが、1968年に藤竜也さんと結婚して引退するという驚きの展開になります。藤竜也さんは入社6年目でしたが、この当時は無名の俳優でした。しかも、芦川いづみさんと交際して、1ヵ月のスピード結婚だったそうです。
当時、女優は結婚と同時に引退することは当たり前でしたが、その分会社から反対されるのも当然の時代でした。やはり、かなり結婚を反対されたそうですが、石原裕次郎さんの応援もあり2人の結婚は無事に認められました。
その後、芦川いづみさんが結婚後に女優として復帰することはなく、公の場にはほとんど姿を現しませんでした。家庭を守り、藤竜也さんを支え続けたようです。2007年に日活OB会に数十年ぶりに姿を現して、話題になりました。
藤竜也さんは、現在でも活躍を続ける俳優です。芦川いづみさんと結婚して直にスターの座に上り詰めましたが、日活に入社して人気が出るまではかなり時間がかかっています。現在は、藤竜也さんほど、ダンディーという言葉が似合う俳優はいないと言われることもあります。
芦川いづみさんと結婚した藤竜也さんについてご紹介します。
芦川いづみさんと結婚した時は無名に近かった藤竜也さんですが、翌年の1969年に出演した「野獣を消せ」で凶暴なアウトローを演じようやく話題になります。本人も、日活の中で独自の役柄を手に入れたと感じていたようです。
1971年には日活の撮影所が一部閉鎖されますが、「時間ですよ」で元ヤクザの風間役を演じブレイクを果たします。町ですれ違う人が藤竜也さんの顔を見て振り返ることが多くなるなど、人気俳優の仲間入りを果たしました。
ブレイクした時点では30代前半ですが、この時点でダンディーな魅力を発揮する貫禄のある俳優でした。日活にはいないタイプの俳優と評価されましたが、今の時代にはいないタイプのイケメンとも言われます。
現在でも、俳優として活躍を続ける藤竜也さんですが、俳優として成功するまではかなり時間がかかりました。藤竜也さんは、大学生の時にスカウトされました。その時は、非常に高給取りになれると誘われたということです。
それほど、深く考えずに俳優になろうとした藤竜也さんですが、現実は甘くなく通行人の役しかもらえない時期が何年も続いたといいます。まともな役がもらえないため、何とかしようとひげを生やしたりするなど工夫を続けたそうです。
仕事がない時は、撮影所にある道場で殴られる稽古をすることも多かったといいます。その結果として日活にはいないタイプのアウトローが似合う俳優になることができました。スポーツジムで体を鍛える俳優の草分け的存在と呼ばれることもあります。
芦川いづみさんは、日活の復活から黄金時代を支えた女優の1人でした。芦川いづみさんが引退してから、数年後に日活は撮影所の一部を閉鎖してしまいました。芦川いづみさんが引退したせいではありませんが、彼女の引退は日活のその後を暗示していたとも言えます。
女優を引退後は公の場に姿を現さない芦川いづみさんですが、その後の人生はどうなったのでしょうか?あまり情報はありませんが、藤竜也さんとのエピソードなど全く情報がないわけではなりません。芦川いづみさんのその後の情報についてまとめてみました。
芦川いづみさんが結婚した頃は、結婚するとそのまま女優を引退してしまう人は少なくありませんでした。同じく日活の看板女優の1人だった北原三枝さんも、石原裕次郎さんと結婚後に女優を引退しています。
引退しても、女優時代のことが忘れられずに復帰する人は少なくありません。しかし、芦川いづみさんは女優としての活動を再開したことは一度もありません。専業主婦なのかどうかは不明ですが、家庭を守り夫の藤竜也さんを支え続けています。
芦川いづみさんと同じく引退した北原三枝さんは石原プロモーションの経営に関わっていることもあり、時折マスコミの前に姿を見せています。しかし、芦川いづみさんは、マスコミの前に姿を見せたことはなく、その後の写真などもほとんどありません。
正確な年代は不明ですが、石原裕次郎さんの特番に藤竜也さんが登場した際に引退後の芦川いづみさんが映った写真が見えたことがありました。唯一、芦川いづみさんがマスコミの前に現れたのは、2007年に行われた日活OB会でした。
往年のスターが勢揃いし、72歳になった芦川いづみさんの姿もありました。まだまだ若々しい美貌は、当時のファンの間でも話題になりました。その時の画像はネットに残っているようです。その後、2009年には石原裕次郎さんの23回忌や南田洋子さんが亡くなったことについてコメントしています。
芦川いづみさんの姿が、最後に撮影された日活OB会から10年以上の年月が経ちました。2019年4月現在、芦川いづみさんは83歳になっています。現在の画像などはありませんが、まだまだ元気で過ごしているそうです。
10月6日は、芦川いづみさんの誕生日です。2018年の誕生日には、芦川いづみさんを祝うTwitterもありました。引退から50年経っていますが、まだまだ人気が健在なことには驚かされます。
マスコミの前には姿を現さない芦川いづみさんですが、藤竜也さんが時々芦川いづみさんのことを話すことがあります。2018年の2月に、藤竜也さんはTBSのサワコの朝に出演しました。
この時、結婚当時のことなどを振り返りながら、芦川いづみさんへの想いを語っています。藤竜也さんの俳優人生は順風満帆ではありませんでしたが、芦川いづみさんが近くにいてくれたおかげで不安はなかったといいます。
最近は、寝る前に「翌日も無事に会おうね」という思いを込めて握手をしているそうです。仲の良さが伝わってくるエピソードですね。
芦川いづみさんは、藤竜也さんと結婚後にほとんど表舞台に出ることはなく結婚生活に関してもそれほど情報がありません。お子さんについてもあまり情報ないのですが、1人いるということがわかっています。
両親が美男美女だということもあり、芦川いづみさんのお子さんについて興味がある人は少なくありません。お子さんは俳優をしているとも言われていますが、実際はどうなのでしょうか?芦川いづみさんのお子さんの情報についてまとめてみました。
芦川いづみさんには、息子さんが1人いることがわかっています。詳しい情報はありませんが、他にお子さんはいないと言われています。マスコミの前に姿を現さない芦川いづみさんが息子さんについて話さないのは当然ですが、藤竜也さんも息子さんのことを話したことはほとんどないようです。
息子さんの年齢に関しても全く情報がないようですが、40代だと言われています。これは、芦川いづみさんと藤竜也さんが結婚したのが、51年前だから息子さんの年齢40代だろうと推測されているのです。
このことに関して、藤竜也さんは肯定も否定もしていないので、息子さんはもう少し若い可能性もあるでしょう。
芦川いづみさんと藤竜也さんの息子さんには、俳優をしているという噂もあります。この噂は本当なのでしょうか?残念ながら、現在活躍している俳優の中に2人の息子さんがいるという話は全くありません。
隠している可能性もゼロではありません。しかし、芦川いづみさんと藤竜也さんの息子さんが、俳優をしていて話題にならないというのはまず考えられないでしょう。どんな職業についているかという情報もありませんが、一般人なのは間違いないようです。
美男美女カップルの息子さんなので、俳優として活動していないことを残念がる声もあります。
芦川いづみさんは、15年の活動期間の間に100本以上の作品に出演したと言われています。芦川いづみさんの出演作の中から、代表的なものについてご紹介します。
1953年に公開された『東京マダムと大阪夫人』は、芦川いづみさんのデビュー作でした。東京の「あひるが丘」を舞台に月丘夢路さんが演じる伊東美枝子と大阪出身の西川房江が見栄の張り合いをする物語です。
西川房江を演じたのは水原真知子でした。芦川いづみさんは、美枝子の妹の康子を演じました。
1956年に公開された『風船』は、芦川いづみさんの代表作とされる映画の1つです。かつて天才画家として名を知られた村上春樹とその家族を描いた物語です。現在は写真工業会社の社長として成功した春樹ですが、家族は意外な問題を抱えています。
芦川いづみさんは、春樹の娘珠子を演じました。芦川いづみさんはヒロイン役ではありませんが、小児マヒの後遺症で引きこもりになった女性を好演しています。
1956年の『死の十字路』は、江戸川乱歩の小説を映画化した作品です。三国連太郎さん演じる事業家が、誤って妻を殺してしまったことから物語が始まります。芦川いづみさんは売れない画家の妹を演じました。
100本以上の作品に出演した芦川いづみさんですが、まだデビューして4年目の作品です。そのため、そこまで重要な役を演じているわけではありませんが、芦川いづみさんの代表作と言われるのはそれだけ彼女の演技が印象的だからでしょう。
1956年『乳母車』の乳母車は、芦川いづみさんが石原裕次郎さんと初めて共演した作品です。不倫を扱った映画なのに、すごくさわやかな雰囲気と言われる不思議な作品になっています。
芦川いづみさんはヒロインの桑原ゆみ子を演じました。石原裕次郎さんと芦川いづみさんの2人の存在が、圧倒的に明るく映画の雰囲気を変えているという意見もあります。
1965年『四つの恋の物語』は、芦川いづみさんと藤竜也さんが共演した作品です。4人姉妹の恋を描いた作品になっています。芦川いづみさんは、長女の三沢一代役を演じました。藤竜也さんは、十朱幸代さん演じる次女の恋人役でした。
しかし、この映画で共演したことがきっかけで、芦川いづみさんのことが好きになってしまったそうです。
2019年は芦川いづみさんが女優としてデビューしてから、65周年ということで映画の上映会など様々な動きがあります。
芦川いづみさんの映画上映会や発売されるDVDの情報についてまとめてみました。
東京の神田神保町にある神保町シアターでは「恋する女優芦川いづみ デビュー65周年記念スペシャル」というタイトルで、芦川いづみさんの映画20作品が4月26日まで上映されました。
ラインナップは、リメイク版の「嵐を呼ぶ男」や「真白き富士の嶺」、「霧笛が俺を呼んでいる」などになっています。
芦川いづみさんの出演作はVHSが多くDVD化されているもの少なかったのですが、65周年記念としてDVDの発売も決定しています。4月には『真白き富士の嶺』、『命の朝』『学生野郎と娘たち』などが発売されました。
芦川いづみさんについてご紹介しました。全盛期で引退してしまいましたが、そのことでファンの間では神格化され、より熱狂的なファンを生み出したと言われています。Twitterの様子から、若い人にもファンがいるらしいことに驚かされます。
5月10日には新たにDVDも発売されます。節目の年ということもあり、まだ何か動きがあるかもしれません。
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本名伊藤幸子(ふりがな/愛称):(いとうさちこ/おムギ)
所属事務所:日活
生年月日:1935年10月6日
現在年齢:83歳
出身地:東京都北区田端
血液型:不明
身長:不明
体重:不明
活動内容:女優
所属グループ:なし
家族構成:夫、息子