2024/02/16
r.y6
若林志穂は女優であり歌手でもありました。そんな若林志穂は現在どうなっているのでしょうか。最近テレビで見なくなりましたが、何をやっているのでしょうか。そのことについて迫ってみました。
若林志穂は堀越高等学校を卒業しています。堀越高等学校は全日制課程での通学が難しい歌手や芸能人・スポーツ選手などに対応したコースを設置していることで有名です。若林志穂は中学1年生の時に芸能界入りをしているため「トレイトコース」に通っていました。
この堀越高校は校則が厳しい事で有名でもあり、現在も多くの有名人やスポーツ選手などが、プロの世界で活躍しながら、勉強も手を抜かず日々努力しながら高校に通っています。
芸能界から引退した後は、普通の一般人として幸せに暮らしています。引退後は化粧品会社を経営している方と結婚したとの噂があったが実際はどうなのか不明です。
結婚後に経営を始めたそうですが、現在はしていないようです。また子供に関する情報もなありませんでした。
若林志穂の芸能界引退後の情報はほとんどありませんでした。
実は映画『張り込み』で堺雅人と共演していたのが現在話題となっています。堺雅人と肉体関係をもってしまう団地妻を演じていたのがヒロインである若林志穂でした。今では珍しいキャスティングですが、この映画はレンタルでも借りることができますので、興味ある方はみてみるのもいいのではないでしょうか。
そして、その同時期に若林志穂は忌まわしい殺人事件の現場を目撃してしまいます。そのためにPTSDを負ってしまいますが、8年間女優として大胆な演技派女優として頑張りましたが、精神状態は戻らずに業界内の人間関係も悪くなってしまったのです。
若林志穂にとってこの2001年は人生を大きく変えてしまったのかもしれません。
堺雅人とも共演を果たしている若林志穂ですが、いったいどのような経歴で芸能界に入り、デビューをしていったのでしょうか。
まず芸能界に入った1984年で芸能界に入るきっかけになったのはレブロン・アクアマリンイメージガールのオーディションで優勝したからなのです。当時からメイクモデルはかなりレベルの高いモデルで女性の憧れでもありましたので、そんなオーディションに中学1年生で優勝してしまったので、世間の注目をかなり集めましたようです。
その後、順調に芸能活動を続け、1985年には早速歌手デビューします。デビュー曲は『テレフォン・キッス』でかわいすぎるととても話題になりました。歌手アイドルとして歌手の活動も広げていき、バラエティ番組などにも頻繁に出演するようになります。歌手として人気者となった若林志穂はついに女優業まで広がるようになりました。
1988年にドラマ初出演を飾り、それをもって女優デビューを果たします。モデルも歌手もアイドルも女優も、マルチに活躍するようになりました。若林志穂は当時の女の子の憧れの的でした。
若林志穂が最も有名になったきっかけがドラマ『天までとどけ』で長女役を演出したことなんです。このドラマが大ヒットし、メインキャラクターのひとりであった若林志穂の演技がすごいと話題になって、人気になりました。これがきっかけで、若林志穂の女優としての立ち位置がかなり決まりました。
若林志穂はPTSDの疑いがあるようです。それは事実なのでしょうか。そのことについて検証してみました。
ではPTSDとはどのような病気なのでしょうか。
若林志穂が発症したPTSDというのは、心的外傷後ストレス障害ともいいます。精神的に大きなショックを受けたことや経験があったことで、心に大きな深い傷をつくってしまいます。
これがトラウマとなってしまい、そのことから時間がたっても恐怖心がぬけないられなくなります。その時のことを強く思い出してしまい、動悸や不安感など様々な症状があらわれてしまうのです。
若林志穂は2001年8月26日に東京都世田谷区で殺人事件を目撃したことでPTSDを発症してしまいます。
2001年8月26日に東京都世田谷区で殺人事件はどのようなものだったのでしょうか。
この事件は奇声ををあげながらナイフを振り回した男性が暴れているところに、警察官が止めに入りましたが、その警察官は男性のナイフで刺されてしまったのです。
そして、倒れこんだ警察官が男性に対して発砲をし、その銃弾が男性に当たり男性は亡くなってしまいます。。そんな2人も亡くなってしまう殺人事件の現場を若林志穂は目撃していたのです。
この殺人事件を見たことにより、若林志穂は精神的なショックからPTSDを発症してしまいます。その後、芸能活動を一時休止して休んでいましたが、またすぐに仕事に復帰しました。しかし、完全に回復していたわけではなかったそうです。
完全に立ち直ったわけではなかった若林志穂のもとにまたしても追い打ちがかかる出来事が起こります。
それは2008年3月22日のことです。ドラマ『天までとどけ』に出演していた三男役の金杉太朗が、泥酒状態のまま東京メトロ池袋駅のホームに転落したのです。
その後病院に搬送され手術が行われましたが、金杉太朗は一度も意識が戻らないまま5か月間に渡り入院し、結局意識は戻ることはありませんでした。2008年8月2日に33歳という若さで亡くなってしまいました。
この金杉太朗の事故死は若林志穂の心にさらなるショックを与えたのです。これにより、殺人事件の時のPTSDが再びでてきてしまい、統合失調症のようになってしまったそうです。
若林志穂はこの殺人事件を受けて精神的なショックを受けてしまい、芸能界から引退することとなってしまったようです。
若林志穂も「本物の殺人事件を見てしまったから、演技なんてできない」と語っていたそうです。この殺人事件を目撃したことが相当なショックだったようです。
一時は休養していましたが、金杉太朗の事故死もあり、再び殺人事件のPTSDがでてきたことや統合失調症の病気により引退となってしまったようです。
若林志穂はドラマの『天までとどけ』の出演者やスタッフからいじめを受けていたという噂があります。それは、本当なのでしょうか。
若林志穂は2017年7月発売の週刊女性にて『天までとどけ』のスタッフや共演者からいじめを受けていたということを明かしました。若林志穂はこの当時のことを涙ながらに語ったといいます。しかも、芸能界引退から公の場で話すのは、実に8年ぶりでした。
若林志穂は『天までとどけ』の撮影時に盗難事件があったと話しました。この盗難事件の犯人はわかっていたそうですが、その子の将来を考えて追及はせずに終わったそうです。その盗難事件がどうやらきっかけでいじめが始まっているようなのです。
しかし、数年後の打ち上げの時にスタッフから「コイツが泥棒だった」と言われたそうです。さらには、プロデューサーからみんなのいる前で「コイツ、頭おかしいから」と言われたのです。
この時、みんな見ていたにもかかわらず、周りにいた共演者やスタッフは誰もフォローはなかったそうなのです。若林志穂は自分でも、「私が盗んだのかも」と思ってしまうくらい錯乱した精神状態になってしまったそうです。
これまで、8年間に渡り撮影を続けていたスタッフや共演者からも裏切られたと感じてしまい、若林志穂の心はズタズタになってしまいPTSDと共に統合失調症をも発症してしまったそうなのです。
では、そのいじめの主犯は誰なのでしょうか。
このいじめの主犯は須藤公一さんだと言われています。『天までとどけ』の集まりがある時は、須藤公一さんが仕切ってみんなを集めている幹事的な存在だったといいます。
2010年に須藤公一から「食事会があるから」と連絡が若林志穂のところに入ったそうですが、若林志穂はこの時、PTSDと統合失調症の病気を患っていたため参加を断ったそうです。
その後そのときの食事会が『天までとどけ』の20周年のパーティーだったことを知ったそうです。若林志穂はこのことを知らされていなかったのです。若林志穂は知っていたら、行きたかったと明かしました。なぜ須藤浩一は『天までとどけ』の集まりだと明かさずに「単なる食事会」と伝えたのでしょうか。
若林志穂にこのような仕打ちをした須藤公一は、若林志穂に対して「みんな嫌いだから」とメールも送ってきたと言いっていました。須藤公一は若林志穂さんに対して常に突っかかっていたようなのです。
しかし、周りの反応もドラマ『天までとどけ』で母親役であった岡江久美子がいじめはなかったという発言をしていて、若林志穂との発言に食い違いがあるようなのです。
岡江久美子さんは「そんなこと、絶対ないですよ。」「五郎(須藤公一さん)が今でも本当に私たちの要になって声をかけてくれるし、いい子なんです。ケンカはあったかもしれないけど、仲はよかったですよ」と、語っていました。
共演者からはいじめはなかったと認識しているようで、須藤公一との仲も良かったと岡江久美子は語っているのです。
このように、若林志穂と共演者の間ではいじめに対する認識に違いが大きくあったようです。これは一体どういうことなのでしょうか。単に共演者の見ていないところでいじめが起こっていたとも考えられます。しかし、どちらにしろ、若林志穂が精神的ショックを受けてしまっていたことに間違いはないのです。
ではなぜ若林志穂はいじめを受けていたのでしょうか。
若林志穂がいじめを受けていたと認識しているのは本人の性格に問題があるのかもしれません。若林志穂は以前にPTSDを起こしているほどの繊細な心の持ち主でした。たしかに、殺人を生で見てしまうのはショックがでかいかもしれませんが、それを長いことずっとひっぱってしまうのがPTSDであって、やはり繊細なのでしょう。
共演者の岡江久美子も、若林志穂のことを「ガラスみたいに、すごく繊細な子」と言っていました。繊細な性格から、周りは軽い冗談のつもりで言ったことでも真に受けてしまっていたのかもしれません。つまり、プロデューサーも「コイツおかしい」は単なる冗談であって、それを真に受けてしまったというのも考えられます。
そのため、他の共演者や仕事仲間が冗談と思っていたことが若林志穂さんにとっていじめを受けていたと認識をしていたのかもしれません。周りとの認識の違いもここから生まれたのでしょう。
しかし、もちろん許されることではなく、冗談であっても言葉を選んで使わなければならなかったともいえるのではないでしょうか。
いじめの主犯とされていた須藤公一さんは若林志穂さんのいじめの告白を受けて、事務所を通してコメントを出していました。
「何度も何度も、そんな事ないよ、そんな事誰も思ってないよ、そんな事誰も言ってないよと言っても待姉の気持ちを変えてあげること、待姉の誤解を解く事はできませんでした。いつかまた家族皆で会えたら、食事ができたらと思っています」
このように発言していたようですが、本当に何度も伝えてあげていたのでしょうか。そのことが若林志穂からの発言からはなかったのです。そうなると、須藤公一自身は若林志穂さんに対していじめをしていたとは、まったく思っておらず、必死に言い訳をしているようにも見えてしまいます。
本当にいじめはあったのでしょうか。若林志穂が一方的にそう受け取ってしまって、きっかけとなっている盗難事件の犯人扱いされた不信感から周りの人の言葉が耳に入らなくなってしまっていた可能性もあります。しかし、若林志穂が統合失調症を負ってしまっているのは間違いないといえます。
そんな華々しくデビューを飾ったにもかかわらず、ショックな事件に見舞われてしまうことになりますが、若林志穂の現在はどうなのでしょうか。
芸能界引退後、若林志穂が太ったと言われています。
若林志穂は現在47歳です。そんな若林志穂は2009年に事務所を辞めており、芸能界から引退となっています。若林志穂の現在の姿はどのようになっているのでしょうか。
現在の若林志穂は昔と比べて太ってしまっているようです。芸能界という表舞台から引退したということもあり、特に体型には気を配らずに太ってしまったのでしょうか。
若林志穂は芸能界から引退後の2010年に自身のプロデュースした化粧品ブランド会社「S~SHIHOCOSME」を立ち上げています。
この化粧品会社で化粧品だけではなく「ラヴィングユー」という酵素ドリンクも販売していました。しかし、現在ではこの酵素ドリンクの販売も行っていないようです。
経営自体も辞めてしまっているということで失敗してしまったのかどうか、心配になってしまいます。
週刊女性のインタビューで「今は幸せに暮らしている」といった発言していました。
「今は幸せに暮らしています。お酒もたばこもやめました。普段は自分で発信できないから、こういう場を借りて、ファンの方に応援してくれてありがとうと言いたい。そして、今、私は元気だということを伝えたい。でも、芸能界に復帰することは考えていません。」
このような発言から、若林志穂は芸能界にいたときよりも今が幸せなのでしょう。心配が払拭される発言となりました。
引退後にTBSの「爆報THEフライデー」から出演オファーがあったようなのですが、若林志穂が断ったことようなのです。この番組は昔活躍されていたが、今ではあまりテレビでみなくなった人たちにフォーカスを当てた番組なのです。
また、2017年5月19日に放送されたTBSの『爆報THEフライデー』で若林志穂さんも出演していた『天までとどけ』の大家族ドラマに出演していた子供たちの現在の様子が放送されていましたが、このドラマで長女役を演じた若林志穂さんの姿はありませんでした。この時、TBSから若林志穂さんに出演のオファーはしていなかったそうなのです。
なぜオファーがなかったかというと、若林志穂本人にオファーをしたときに何度も断っていたため、さすがに出てくれないだろうという番組制作サイドも折れていたのではないでしょうか。
若林志穂はいじめの告白をした週刊女性において、「芸能界に復帰することは考えていない」とコメントをしていました。このことから、若林志穂さんが今後、女優として芸能界に復帰する可能性は皆無といえます。
振り返ってみると、芸能界で精神的にショックのでかい経験をした若林志穂なのでもう芸能界に未練はないのかもしれません。現在は幸せに暮らしているということですから、そちらの生活のほうが若林志穂にとってはあっているともいえるのではないでしょうか。
若林志穂の現在は幸せに暮らしているようですが、現役時代はどのような活躍をされていたのでしょうか。作品ごとにみていきます。
若林志穂さんの代表作でもある、『天までとどけ』は1991年からTBSにて放送されていました。この『天までとどけ』は大家族をテーマとしており、家族の成長や家族の絆が描かれています。
主人公である丸山家は8男5女の15人家族で、父親役には綿引勝彦さんが演じており、母親役は岡江久美子さんは演じています。この大家族の長女役を演じたのが、若林志穂さんなのです。また。次男役には河相我聞さんや四男役には須藤公一さんが出演していました。
『暴れん坊将軍』(あばれんぼうしょうぐん)は、1978年(昭和53年)から2002年(平成14年)にかけてテレビ朝日系列でレギュラー放映されたテレビ朝日、東映制作の時代劇シリーズです。主演は松平健。舞台版も上演されています。
この中で若林志穂は何度も別の役として出演されていました。
『暴れん坊将軍IV 』第36話「対決! 兇賊七変化」(1991年) - おしの 役、『暴れん坊将軍V』第18話「熱き血汐の乙女飛脚」(1993年) - おゆう 役、第40話「お泣き地蔵の恋」(1994年) - お比奈 役、『暴れん坊将軍VI 』第8話「め組が運んだ涙の訴状」(1994年) - おいち 役
です。
こんなに有名な作品に何度もオファーが来るので、実力も相当だったはずです。
『水戸黄門』(みとこうもん)は、tbsテレビとその系列局で月曜20時 - 20時54分(jst)のテレビドラマ放送枠『パナソニック ドラマシアター』(2008年9月まで『ナショナル劇場』)において放送されていた日本の時代劇です。
このなかで若林志穂は何度も別の役として出演しています。
第20部 第31話「娘と名乗れぬ女掏摸・宮津」(1991年6月10日) - お咲 役、第21部 第23話「母の秘密は卍の入れ墨・敦賀」(1992年9月7日) - おゆき 役、第22部
第27話「女たちの復讐・大聖寺」(1993年11月15日) - お美代 役、第35話「飛脚競べで悪を討つ・宇都宮」(1994年1月17日) - おこう 役、第24部 第25話「天下の名医は敵持ち・松本」(1996年3月11日) - あや 役、第31部 第17話「民をあざむく仮面の怪人・備中松山」(2003年2月17日) - 香織 役、第32部 第13話「赤ん坊背負った仇討ち・白石」(2003年11月10日) - 萩 役、第37部 第18話「真夏の恋の物語・尾花沢」(2007年8月6日) - 志津 役、第38部 第10話「人情長屋の心意気!・福井」(2008年3月10日) - お葉 役
です。
これだけ誰もが知っているドラマに何度もオファーがくるということは現役時代はかなりの実力はだったことがうかがえます。
北大路欣也主演『銭形平次』(ぜにがたへいじ)は、1991年から1998年まで毎週水曜20時にフジテレビで放映された時代劇シリーズです。
この中で若林志穂は第1シリーズ 第15話「涙の殺人者」(1991年) でおはる 役、第3シリーズ 第14話「死の花嫁衣裳」(1993年) でおきぬ 役を演じました。
『はぐれ刑事純情派』(はぐれけいじ じゅんじょうは)は、テレビ朝日、東映の制作でシリーズ化された日本の刑事ドラマです。主演は藤田まことです。スペシャルを含め、全444話が制作されました。
この中で若林志穂は
第12シリーズ第13話「安浦刑事が朝帰り!?証言を拒否する女!」(1999年6月23日・再放送日2009年8月3日) で広田涼子 役、第13シリーズ第16話「バス停を盗んだ女、500メートルの愛」(2000年7月19日) で滝沢友美 役、第16シリーズ第17話「スキャンダル殺人!女性エリート官僚の裏の顔」(2003年7月30日) で佐藤泉 役
を演じきりました。
『高校教師』(こうこうきょうし)は、1993年(平成5年)1月8日から3月19日まで毎週金曜日22:00 - 22:54に、TBS系の「金曜ドラマ」枠で放送された日本のテレビドラマです。脚本は野島伸司で主演は真田広之と桜井幸子です。
この中で若林志穂は田辺里佳 役を演じきりました。
『必殺仕事人・激突!』(ひっさつしごとにん げきとつ)は1991年10月8日から1992年3月24日まで、テレビ朝日系で毎週火曜日21:00 - 21:54に放送された、朝日放送と松竹(京都映画撮影所、現・松竹撮影所)共同製作の連続テレビ時代劇です。全21話で主演は藤田まことです。また、必殺シリーズの第30作、必殺仕事人シリーズの第9作、中村主水シリーズの第15作となっています。
この中で若林志穂は第14話「主水一家のバブル」(1992年、朝日放送・松竹) においてお照 役を演じきりました。
『赤い霊柩車シリーズ』(あかいれいきゅうしゃシリーズ)は、1992年からフジテレビ系で放送されている大映テレビ・フジテレビ製作の2時間ドラマシリーズで、主演は片平なぎさです。この中で若林志穂は遠山美加子 役を演じきりました。
『生徒諸君!』(せいとしょくん)は、庄司陽子による日本の学園漫画作品です。1977年から1985年に『週刊少女フレンド』(講談社)で連載されました。1978年(昭和53年)度第2回講談社漫画賞少女部門を受賞した作者の代表作となります。この作品を原作にして1984年に実写版映画が制作されました。
また、この作品は若林志穂にとってはデビュー作となります。
「はつ恋」の篠原哲雄監督が放つ異色のサイコ・サスペンスです。平凡な主婦が謎の男に追いつめられていくさまが、モノクロ&カラー映像を駆使し緊迫感たっぷりに描かれています。堺雅人と共演を果たし、若林志穂は一宮スミレ 役を演じきりました。
多くの女性を中心に支持された、携帯電子書籍の人気作家・井上香織による同名小説を映画化した純愛物語です。過去の恋愛で深く傷ついたヒロインが、運命の人と出会うまでを繊細ななタッチで描くかれています。
この中で若林志穂は早坂理沙 役を演じきりました。
若林志穂も出演していた『天までとどけ』で長男の正平役を演じていたのが、高尾晃市です。当時は佐藤晃市という芸名でしたが、俳優の佐藤浩市と間違えられるため、高尾晃市と名を変えました。
そんな高尾晃市にマジシャンになったとの噂があります。
高尾晃市は小学生の時から手品が好きだったようで、自身の夢を叶えるためにマジシャンとしての世界に飛び込んだようです。
『天までとどけ』でもマジシャンとして手品を披露していたようなのですが、俳優を辞めた現在では本格的にマジシャンとして世界的に活躍しているようです。
若林志穂は芸能活動中はショックな出来事に度々あってしまいました。そのことで精神的にショックをうけてしまい、現在は芸能界を引退されています。
今の若林志穂は幸せとのことで、芸能界に戻るよりも今のままでいることのほうが幸せなのでしょう。
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