2024/02/16
r.y6
2019/04/25 更新
皆さん、市毛良枝という方をご存知でしょうか?市毛良枝さんは嫁姑シリーズと呼ばれるドラマシリーズに出演していたことで「理想の花嫁ナンバー1」などと呼ばれていた女優さんです。そんな市毛良枝さんですが現在は何をしているのでしょうか?徹底調査していきたいと思います!
1971年にテレビドラマ「冬の華」で女優としてデビューします。ドラマ「嫁姑シリーズ」で新妻役を演じてから爆発的人気を得ます。最近では登山家としても活動をしています。
その愛くるしい顔立ちと、清楚なイメージが際立つ女優さんです。
市毛良枝は、1950年静岡県の修善寺町で生まれています。父親は医師をしており、クリスチャンでもありました。その父の影響を受け、キリスト系の立教女学院中学校・高等学校へと進学します。
高校卒業後に、憧れの宝塚養成所の受験もしたようなのですが、合格することは出来ませんでした。その後に文学部や俳優小劇場での養成所に入り、女優としての人生をスタートさせたのです。1971年TBSドラマ「冬の華」によって、テレビ初出演をしています。
その後、市毛良枝のイメージを決定づけるドラマに出演します。それが1977年から始まるフジテレビ系「ライオン奥様劇場 嫁姑シリーズ」なのです。
最近では、父親の主治医からすすめられた登山を始めています。それが講じて、環境省の環境カウンセラーや、環境調査隊にも参加しているのです。女優として、登山家としても活躍している市毛良枝です。
市毛良枝のイメージを決定づけたドラマ「嫁姑シリーズ」。1977年から87年の間で、9作品作られています。そのシリーズで市毛良枝の新妻役が、人気の的となるのです。その時共演した、初井言榮でした。癖のある姑・祖母役で人気があった女優さんです。
姑に虐められる新妻役の、市毛良枝。愛くるしい顔立ちの市毛良枝が、姑から虐められ必死に堪える姿を見て、世の男性は「守ってやりたい」と思ったほどです。その新妻役のイメージから、「お嫁さんにしたい女優No1」や「理想の花嫁No1」と呼ばれたのです。
「お嫁にしたい女優N01」の市毛良枝が、世の男性ファンを愕かせる事があります。1980年男性雑誌「GORO]でのフルヌードを披露して、今までのイメージを覆す妖艶さが話題を集めたのです。
「嫁姑シリーズ」で、世の男性から「お嫁さんにしたい女優N01」や「理想の花嫁No1」と呼ばれていた市毛良枝。男性ファンの夢を打ち砕くような事が起こります。
市毛良枝の結婚です。その結婚話に、多くの男性は悲鳴をあげたに違いありません。これからは市毛良枝の結婚事情について見てみたいと思います。
理想の花嫁No1といわれていた市毛良枝。そんな市毛良枝は、1988年37歳の時に結婚しました。そのお相手は、弁護士の小川敏夫さんです。お二人はお見合い結婚と言われています。小川敏夫さんは1970年に司法試験に合格し、1981年に検事を辞め弁護士へと転身しました。
市毛良枝の結婚生活は、そう長くは続きませんでした。結婚してから9年後の1997年に、2人は離婚をしています。
小川敏夫さんは、市毛良枝と離婚後に政治家へと転身しています。2012年野田内閣時代には、法務大臣として初入閣を果たすのです。その後は民主党が解党したので立憲民主党へと移り、参議院議員として4期目を迎えているのです。
小川敏夫さんは、市毛良枝との離婚してからは再婚されています。46歳の時に、現在の奥さんとの間にお子さんが生まれたと報告しています。
市毛良枝は小川敏夫さんとの離婚後は、ずっと独身を貫いているようです。もう結婚はこりごりと思っているのかもしれません。
市毛良枝は、9年間という結婚生活に終わりと告げました。その時の離婚の原因について、詳しいことはわかっていません。しかし週刊誌や新聞報道では、DVが離婚の原因ではないかと掲載されたのです。
2012年に週刊新潮が、1990年に、自宅にパトカーが呼ばれたそうです。なぜパトカーが呼ばれたのかというと、妻である市毛良枝と義理の母に暴力を振るったからと掲載します。そのDVが原因で、市毛良枝戸の結婚が終わったと言うことなのです。
しかしこの報道について、事実無根と小川敏夫は複数の週刊誌を提訴しました。東京地裁では週刊誌の記事がプライバシー侵害となり、220万円の賠償金の支払いを命じたのです。
僅か9年間の結婚生活をしていた市毛良枝。その結婚生活の間に。市毛良枝には子供が出来たのでしょうか。離婚後の小川敏夫は、46歳の時に子供が生まれたと自身のブログなどで公表しています。
しかし市毛良枝には、結婚当時も含めて子供が生まれたという事実はありませんでした。結婚したのが37歳の頃ですので、子供を作るとなったら高齢出産となります。市毛良枝は高齢出産のリスクを考えて、子供は控えたのかもしれません。
離婚後はずっと独身を貫いていますし、子供よりも登山をすることに一生懸命になったのでしょうね。
「お嫁さんにしたい女優No1」と言われていた市毛良枝。そんな市毛良枝が、芸能界から引退をするような事態になったことがあるようです。
一体何が原因で、そんな状態になったのでしょう、これから少し見てみましょう。
市毛良枝は、現参議院議員の小川敏夫氏と結婚をしていました。その結婚生活は、9年間という短い期間だったのです。離婚の原因について、週刊誌などはあれこれ書き立てます。一部では、ご主人のDVが原因ではないかとも言われていました。
元ご主人のDVは、裁判で決着していますのでなかったと思われます。しかし当時は、DVを受ける側にも問題があるのではないかという時代でした。「理想の花嫁No1」や「お嫁さんにしたい女優No1」と言われていたのに、今度は「悪い嫁」というイメージが付いたのです。
「悪い嫁」というイメージのせいで、ドラマなどの出演が激減しました。そんな時期があったことで、市毛良枝は引退も考えたのかもしれません。
女優にとっては、悪いイメージを払拭するには相当な努力が必要なのでしょう。しかし市毛良枝には、登山をすることでその悪いイメージを払拭したのかもしれませんね。
市毛良枝自身も、「登山をするようになってからこっちが本当の自分、女優は与えられたのを演じるだけで良い。そう考えられるようになりました。ブランド品も欲しくないし、Tシャツがあれば十分です」と語っています。
離婚を経験し、週刊誌やマスコミなどからのバッシングを受けた苦しい時期。その時期を乗り越えられたのも、登山という物があったからなんでしょう。
離婚をしてからの市毛良枝は、何をしていたのでしょうか。市毛良枝にはライフワークと言って良いほど、打ち込んでいることがあるようです。
これからは、そのライフワークと言える趣味について見てみましょう。
市毛良枝が登山に巡り会ったのは、40歳の時と言われています。父親の担当医が登山が趣味で、父親の他界後に挨拶へ行ったときに「今度登山に行かれるときは、私も誘って下さい」と社交辞令の気持ちで話したそうです。
社交辞令のつもりが本当に登山へ行くこととなり、迷ったあげく登山に行くことになったのです。そのことが登山の魅力に取り憑かれたきっかけとなりました。
登山をするようになって、様々な事に挑戦するようになった市毛良枝。1999年には、自分の体験を元に本を出版しています。「山なんて嫌いだった」という本です。どうして山に登るようになったのか、などが書かれているようです。
2007年から2008年までの約一年間、ブログ「遊歩の楽しみ~街から山へ、山から街へ」という登山ブログも開設していたようです。
スポーツ経験のない市毛良枝は、日本の山だけではなく海外の山にも挑戦しています。1993年にはキリマンジャロへの登頂を成功させています。その後20年近く登山に挑戦しており、八ヶ岳や倉ヶ岳、海外ではヒマラヤ・ヤラピークなど、そうそうたる山の登頂に成功しています。
最近では、特定非営利活動法人日本トレッキング協会の理事と勤めたり、自然環境保護にも取り組んでいます。また最近では登山家とまで言われているようです。
市毛良枝には、現在でも健在な母親がいます。母親は2度の脳梗塞や、骨折のために一時は寝たきりの状態でした。市毛良枝は、1~2年間は介護に専念しようと思い、介護が必要な母親のために仕事を減らしたのです。仕事の量を減らし、介護に専念する年数は6年を数えまるまでになったのです。
しかし要介護状態になったのは2002年から2003年頃のことです。その母親と一緒に海外旅行に行きたいと言う強い想いで、介護に取り組んだようです。その甲斐あって、母親と共にアメリカ旅行へと旅起つ事が出来たました。
当然寝たきりだったので、歩くのは困難だったようです。その変わり車いすでの旅行に、母親も満足して、帰国後にはもう一度行きたいとますますリハビリに力が入ったそうです。
一時期は体調を崩して、やせ細っていったのですが、その旅行を機に元気を取り戻したと言われています。娘と共に過ごす時間が、元気を与えたのでしょう。2015年には100歳を迎えられたと言うことですが、現在でも健在のようですね。
市毛良枝には、健在の母親の他に家族はいるのでしょうか。これからは、母親以外の家族の事を見ていきたいと思います。
市毛良枝の父親は、キリスト教徒の耳鼻科医をしていました。父親の実家は、茨城県で8代医者が続くその名家だったのです。その父親は、第4次中東戦争で貨物船の船医をしていました。その貨物船は山城丸といって、被弾しながらも荷物を運んだと言われています。
市毛良枝の父親が死ぬ間際には、自分の亡骸は献体にしてくれと言って亡くなったそうです。患者の治療はもちろんのこと、今後の医学の発展にも貢献した素晴らしい人だったのです。
市毛良枝には兄が2人いたようです。その兄2人とはかなり年が離れていたようで、詳しい情報は見つかりませんでした。
家族構成を見ると、両親と兄2人の5人家族でした。その実家は代々医師の家系だったようです。祖父も医師で父親も医師、それを考えると兄2人も医師の可能性がありますね。
その2人の兄は、父親と一時不仲だったと気にしているようでした。しかし晩年にはその関係が修復されたと、市毛良枝は喜んだそうです。
現在は登山家としても活躍している、市毛良枝。そんな市毛良枝は、若い頃はとても可愛かったようです。どのように可愛かったのか、見てみましょう。
新妻役のイメージが付いていた市毛良枝。その頃の画像を見ると、白い肌でつぶらな瞳がとても可愛いですね。
この画像を見ていると、お嫁にしたい女優No1ということが、良く分かります。それほどコケティッシュで可愛い女性です。
このCMは、市毛良枝が出演したライオンのレディーナのCMです。商品説明を、市毛良枝と赤木春恵が行っています。最近ではショートヘアーですが、ロングヘアーの市毛良枝も、とても可愛く見えますね。貴重なCMだと言って良いと思います。
市毛良枝が分かり時に出演した、黄桜「呑」のCMです、落ち着いた色合いの着物姿も、とても可愛く見えます。
その魅力はなんと言っても、つぶらな瞳にあるようですね。こんなに愁いを帯びたつぶらな瞳で囁かれたら、その魅力に取り憑かれてしまいます。
お嫁にしたい女優No1 と言われていた市毛良枝。若い頃の画像を少しですけどお楽しみ下さい。とても可愛らしい女優さんです。
この場面も同じく美女探偵シリーズの一場面のようです。あるヘルスクラブの美人トレーナーの元へ、旦那が浮気しているという情報が入ります。以前から冷え切った夫婦関係だったのですが、旦那の浮気がわかったことから美人トレーナーも一夜限りの浮気をするのです。
しかもその浮気相手が、翌朝死亡しているというストーリーでした。これでも美人探偵を市毛良枝が演じています。つぶらな瞳と愛くるしい笑顔が素適ですね。こんな笑顔で迎えられたら、仕事の疲れも吹き飛んでしまいます。
市毛良枝の美女探偵シリーズ「カルチャースクール連続殺人事件」の一場面です。カルチャースクールに通っている仲良し主婦グループの1人が他殺体で発見されます。エリート家族の仲良し主婦で、暇をもてあましているのです。退屈しのぎに、お互いに保険金を掛け
て受取人もお互いでと言う遊びです。
そんな遊びをしているときに、1人が犠牲になるのです。その事件を解決するのが市毛良枝です。愛くるしい顔立ちに大人の雰囲気のあるメイクで、美人探偵を演じています。
上の画像と同じ番組の市毛良枝です。こちらのヘアースタイルはロングヘアーを下ろしているので、全然雰囲気が違いますよね。しかもどこか淋しげな表情がまた素適です。何かを訴えかけるような眼差しがたまりません。
このような眼差しで見つめられたら、放っておけない気持ちになりますね。
若い頃は、「理想のお嫁さんNo1」や「お嫁さんにしたい女優No1」と言われていた市毛良枝。現在でもその可愛らしさは色あせていません。
最近は登山家やトレッキング協会の会長として、忙しい日々を送っていると思います。これからも、多くのファンを魅了してくれることを願っております。
女優として40年となるベテラン女優の市毛良枝。「私は女優よ」みたいな雰囲気を待たずに、優しくて可愛いイメージをいつまでも持っていて欲しいものです。
これからも女優として登山家として活躍する市毛良枝を、静かに応援したいと思います!!
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