合気道の達人・塩田剛三とは?凄すぎる伝説と強さの秘密を徹底調査!

    皆さん、塩田剛三という方をご存知でしょうか?塩田剛三さんは合気道で有名な方でその強さはあのロバート・ケネディのボディーガードに圧勝したと言われているほどです。そんな塩田剛三さんですが一体どのような人物だったのでしょうか?徹底調査していきたいと思います!

    塩田剛三とは

    塩田剛三さんは、1915年9月9日生まれで医師の家庭に次男として生まれました。小学校時代から柔道、剣道を習い、当時の中学の5年時には講道館柔道で3段を取得しています。合気道の創始者である植芝盛平さんの道場を見学に行き、インチキだと疑って立ち会うことになりますが一瞬で投げ飛ばされます。

    その日のうちに入門を決意し、植芝盛平さんの門下生となります。大学卒業後に、中国や台湾など各地を回り合気道の普及を行いました。終戦後に帰国し、再び植芝盛平さんの下で修行をしながら、国内で合気道を指導していました。1956年には、合気道養神館を結成し、新宿に道場を作っています。

    1961年に、当時の最高位だった合気道九段を授けられました。その後は国際武道館から範士号、合気道10段、合気道名人位を授与されています。全日本養神館合気道連盟と国際養神館合気道連盟を設立したのが、1990年です。1994年に78歳で亡くなっています。

    塩田剛三は小柄だったって本当?

    格闘家や武道家というと体格が良いと考えるのが常識でしょう。しかし、塩田剛三さんは非常に小柄だったことで知られています。多少体重は前後するでしょうが、身長154cm体重45kgというデータが残っています。塩田剛三さんの世代の平均身長は、160cmほどでした。

    それでも塩田剛三さんの身長が平均以下で、小柄だったことは間違いありません。実は一般的な合気道のイメージに反して塩田剛三さんはかなり筋肉が発達していたそうですが、体格が重要な格闘技の世界ではかなりハンデになる体格でしょう。

    塩田剛三さんの身長、体重のデータは年をとってからのものです。若い頃は筋肉量が多く、体重はもっと重かったでしょう。それでも、塩田剛三さんがかなり小柄で、体重も軽かったことは間違いありません。

    塩田剛三はインチキをしていた?

    塩田剛三さんは、インチキをしていたのではないかと言われることもあります。格闘技の試合は、基本的に体重別の階級制になっています。これは体格差がある人間同士で試合をしないためです。相撲のように例外はありますが、柔道の試合でも階級制が取り入れられています。

    体が大きい方が小さい方より圧倒的に有利なのが、格闘技の世界です。塩田剛三さんの体格では、強いはずがないと言われてしまうのも無理はないでしょう。合気道の演武で塩田剛三さんが弟子を投げる姿も、あまりにスムーズすぎてわざと投げられているように見えると言われます。

    塩田剛三さんの強さがインチキだと主張する人達は、数々の伝説も真実ではないと言います。塩田剛三さんはすでに亡くなっているので、真偽を確かめることはできなくなってしまいました。しかし、数々の証言を考えるとインチキと考えるのはかなり無理があります。

    塩田剛三の強さの秘密は筋肉にあった!?

    合気道というと力はいらないようなイメージを持つかもしれませんが、塩田剛三さんの強さの秘密は筋肉にあったとも言われます。塩田剛三さんの内弟子が指導を受けた時の話が残っています。塩田剛三さんの体に触れた瞬間は力強さを感じませんでした。

    しかし、腕の奥に鉄の芯が通っているようにビクともしなかったため、全く印象が変わってしまったそうです。このエピソードから塩田剛三さんは、インナーマッスルが鍛えられていたのではないかとも言われます。

    その小柄な体格のせいで力は強くなかったように思われがちな塩田剛三さんですが、若い頃は相当に鍛えていたそうです。塩田剛三さんは、中学までは柔道をしていました。また、懸垂も300回はできたと言っており、若い頃はかなりの腕力の持ち主だったようです。

    漫画『グラップラー刃牙』作者・板垣恵介から見た塩田剛三とは



    格闘漫画の金字塔として知られるグラップラー刃牙の作者板垣恵介さんは、塩田剛三さんと親交があったことで知られています。塩田剛三さんの内弟子だった三枝誠さんと板垣恵介さんが自衛隊時代の友人だったことが縁になったそうです。

    板垣恵介さんは「板垣恵介の格闘士列伝」という著書で、実在の人物について書いています。その中で、板垣恵介さんは塩田剛三さんを本物の達人の1人として紹介し、才気の塊とも称しています。

    また、酔って戦時中の自慢話をした時は「俺は地面を武器にできた」と言っていたそうです。板垣恵介さんは笑うとその人の人間性が出るとも言っていますが、塩田剛三さんの笑顔からは狂気を感じだとも書き残しています。

    塩田剛三の伝説まとめ!

    その小柄な体格ゆえに強さを疑問視されることもある塩田剛三さんですが、数々の伝説を残しています。かなり昔のエピソードなので登場人物が亡くなっている場合もありますが、現在でも存命の人物は多いです。

    関わった人たちが塩田剛三酸の強さを認めているため、塩田剛三さんの強さには信憑性があると言われます。塩田剛三さんの伝説についてまとめてみました。

    ①ロバート・ケネディのボディーガードに圧勝

    塩田剛三さんはロバート・ケネディさんのボディーガードに圧勝したと言われてます。1962年に来日した際に、ケネディ夫妻が塩田剛三さんの養神館を訪問したことがありました。

    この時、ボディーガードと塩田剛三さんが戦っており、ボディーガードは取り押さえられて全く動けなくなってしまいました。この時の様子は映像も残されています。

    実際は試合をしたりしたわけではなく、ボディーガードが塩田剛三さんの腕を掴んだりした状態からスタートする演武に近いものでした。しかし、巨漢のボディガードの腕力が、塩田剛三さんに全く通用しなかったことは事実です。

    柔道家・木村政彦に腕相撲で全勝

    塩田剛三さんは、柔道家の木村政彦さんと腕相撲して全勝したという伝説もあります。木村政彦さんは、伝説的な柔道家で史上最強とも言われています。木村政彦さんは、睡眠時間を削って異常な量の稽古をしていたことで知られ、全盛期は圧倒的な強さを誇りました。

    木村政彦さんの写真が残っていますが、腕が非常に太く怪力の持ち主としても知られています。そんな木村政彦さんと塩田剛三さんは同じ拓殖大学に通っており、学生時代に腕相撲をしたそうです。当時、腕相撲では負けなしだった木村政彦さんですが、塩田剛三さんには勝てませんでした。

    3勝2敗だったとも言われていますが、木村政彦さん本人は10戦以上して1回も勝てなかったと言っています。この勝負は合気道の技で勝ったと思われがちですが、塩田剛三さんは懸垂などで鍛えていたおかげで勝てたとも言っています。実際は、力と技の両方を使って勝ったのが真実のようです。

    ③漫画『グラップラー刃牙』・渋川剛気のモデルになった

    塩田剛三さんは、漫画グラップラー刃牙に登場する渋川剛気のモデルとなっています。渋川剛気は、合気道ではなく渋川流柔術の使い手です。ただし、渋川流は合気柔術で、昔の合気道とほとんど変わらないと考えられます。

    渋川剛気は、グラップラー刃牙の最大トーナメント編で初登場しました。塩田剛三さんと全く変わらない体格で、出場選手の中で最軽量とされています。試合前に「達人は本当に強いのか」とアナウンスされますが、身長2m近い巨漢相手に圧勝します。

    その後も、合気を使い圧倒的な強さで準決勝まで勝ち進みました。渋川剛気は相手の攻撃に殺気がある場合はどんな攻撃でも対応できると言い切り、作中でもトップクラスの実力者として描写されています。

    ④格闘家・岩倉豪が左肩を外した?

    総合格闘家の岩倉豪さんは、塩田剛三さんと戦っています。この時は、小柄な塩田剛三さんを舐めていたそうです。しかし、岩倉豪さんは突っ込んで行った次の瞬間にはふっ飛んでいたといいます。

    結局左肩を外されてしまい、岩倉豪さんは重傷を負ってしまいました。技を受けた岩倉豪さんは塩田剛三さんの技は人体の構造を理解した技術と語り、「本物と偽物は全然違う」ともコメントしています。

    また、「首を折るつもりだったら、折られていたと思う」という内容のコメントもありました。塩田剛三さんの強さが分かると共に、その怖さも伝わってきます。

    ⑤プロレスラー・前田日明を取り押さえた

    塩田剛三さんの伝説には前田日明さんも登場します。前田日明さんは現在引退していますが、格闘王と呼ばれたプロレスラーです。若い頃は力士に喧嘩を売ろうとしたこともあるなど、様々な逸話の持ち主でもあります。

    全盛期の前田日明さんが、塩田剛三さんに挑戦しています。二人が試合をしたわけではなく道場に見学に行った前田日明さんが、塩田剛三さんに技をかけてもらったそうです。その結果、前田日明さんは、全く動けなくなってしまいました。

    前田日明さんは192cmとかなり大きく、若い頃はヘビー級のボクサーになれるとスカウトされた人物です。そんな人でも塩田剛三さんに押さえつけられて動けなくなったのですから、合気道の技は完全に決まってしまうと抵抗できないことがわかります。

    ➅超人的な反射神経

    塩田剛三さんは反射神経を鍛えるために金魚の動きを見て、その動きを真似するという訓練を8年間を行っていました。金魚鉢を叩くと驚いた金魚は動きを変えますが、決してぶつかることはないそうです。

    その金魚の動きを8年かけて身につけた塩田剛三さんの体捌きは、相対した人間の視界から消えてしまうほどのものになりました。その凄さを表す逸話として塩田剛三さんが車に跳ねられそうになった瞬間に、何事もなく避けて無傷で済んだというものもあります。

    他にも、犬との散歩中に犬を蹴って怒らせ、噛みついてくる犬から身をかわす訓練もしていたようです。塩田剛三さんの伝説の中には、動物愛護団体から訴えられそうなものも残っています。強くなるためにはどんなことでもしていたようです。

    塩田剛三の師匠植芝盛平の伝説とは?

    塩田剛三さんには数々の伝説がありますが、合気道の開祖である植芝盛平さんにも、ものすごい伝説があります。インチキ扱いされることも多い合気道ですが、塩田剛三さん自身が植芝盛平さんをインチキだと疑って投げ飛ばされたことがきっかけで弟子になりました。

    植芝盛平さんの伝説についてご紹介します。

    プロボクサーのパンチを掴み、銃弾をかわす

    昭和初期の有名なプロボクサーピストン堀口さんが、植芝盛平さんに挑んだ逸話が残っています。この時、植芝盛平さんは、ストレートを鷲掴みにして投げ飛ばしたと言われています。

    また、軍隊の射撃場で6人の銃撃手が植芝盛平を囲んで、銃弾を発射したこともあったそうです。植芝盛平さんは、銃弾をかわして銃撃手の1人を投げ飛ばしたと言われています。

    これらのエピソードは、あまりにすごすぎて板垣恵介さんからも否定されています。しかし、ピストン堀口さんの話は、状況次第では可能という意見もあります。

    力士を投げる

    合気道の演武は見事すぎて、インチキだと思われることは多かったようです。1939年に満州で演武会が行われた際にも、やらせではないかという騒ぎになっています。この時、元力士で関脇だった天竜さんが出てきました。

    植芝盛平さんは腕を掴ませて好きにするようにいいますが、腕は鉄の棒のように固くびくともしなかったそうです。天竜さんが全力で力を込めると、気づいた時には投げられていたといいます。

    天竜さんは、187㎝で100kg以上ありました。現代の感覚でも、大男でしょう。その後、天竜さんは植芝盛平さんに弟子入りしています。

    塩田剛三とマイクタイソンの関係性

    実力を疑問視する人がいる一方で、塩田剛三さんの実力は格闘技界の著名人からも高く評価されています。マイクタイソンさんもその1人です。マイクタイソンさんと塩田剛三さんはどんな関係なのでしょうか?

    塩田剛三さんとマイクタイソンさんの関係についてご紹介します。

    マイクタイソンの経歴

    マイクタイソンさんは、アメリカ合衆国のニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区ベッドフォード・スタイベサント地区に生まれました。1966年6月30日のことです。元ヘビー級のプロボクサーで全盛期は短かったですが、史上最強のボクサー論争では必ず名前の挙がる人物でしょう。

    1985年にデビューし、圧倒的な強さで世界チャンピオンになりました。しかし、後援者だったビル・ケイトンさんが亡くなった後は、トラブルが続くようになり実力が衰えます。1990年に初めての敗戦を経験した後、チャンピオンに返り咲くこともありましたが成績はパッとせず、2005年に引退しました。

    身長180cmとヘビー級として小柄な体格ですが、ガードの上からでも相手を倒す圧倒的なパンチ力と優れたスピードとフットワーク、高度な技術でKOの山を築きました。

    塩田剛三とマイクタイソンの関係は?

    マイクタイソンさんは、1990年2月に初めての敗戦を経験しました。その時期に、塩田剛三さんの養神館を見学しています。塩田剛三さんの著書を読んだことで、合気道の呼吸投げに興味を持ったと言われています。

    マイクタイソンさんもヘビー級としては体格的に劣っていたので、合気道の技をボクシングに応用できないかと考えていたのでしょう。合気道を見て、「力ではなくタイミングの技」とコメントしたとも言われています。

    マイクタイソンさんが、塩田剛三さんと会ったのはこの時だけでした。しかし、マイクタイソンさんは、塩田剛三さんの実力を高く評価していたそうです。

    塩田剛三とマイクタイソンはどちらが強い?

    塩田剛三さんとマイクタイソンさんは、どちらが強いのかと言われることがあります。様々な意見がありますが、そもそも合気道とボクシングでは技術が違いすぎます。そのため、まともな戦いにはならないとも言われます。

    いずれにせよ体格が違いすぎるにもかかわらず、マイクタイソンさんと比較される事自体が塩田剛三さんの強さを証明していると言えるでしょう。

    塩田剛三の名言まとめ

    塩田剛三さんは、数々の名言でも知られています。それらは合気道に関することはもちろんですが、人生に関する教えになっています。塩田剛三さんの名言の一部をご紹介します。

    ①「武道は、一生であり、一瞬である。」

    武道は一生続けるものであり、一瞬の判断が重要ということでしょうか?意味についても色々と考えさせられる名言です。

    ②「合気道の心とはなんだ。『和』だ。『対すれば相和す』だ」

    塩田剛三さんは合気道の心について、男女に例えて説明したことがあったといいます。男と女に分かれているからこそ、お互いに主張しあい対立が起こります。相手を自分と同じだと思えば、争う気もなくなります。

    これは男女のことに限らず、全てのものに当てはまるでしょう。相手を自分と同じだと考えて尊重すれば、揉め事は起こらないとも塩田剛三さんは言っています。合気道の精神がよく分かる名言です。

    ③「合気道で一番強い技、それは自分を殺しに来た者と友人となること」

    戦うことよりも、仲良くなることの方が上ということでしょう。この精神があるからこそ、塩田剛三さんは戦う技としての合気道は自分が最後と言っていたのでしょう。

    ④「己を“無”にして、相手と一体となる」

    合気道では、相手の呼吸を読んで合わせることが大事だと言われます。相手に合わせるためには、己を無にしなければならないということでしょう。これも武道に限らず、仕事などにも関係してくる名言です。

    塩田剛三の動画まとめ

    既に亡くなった塩田剛三さんですが、数多くの動画が残っています。塩田剛三さんの動画の中から、印象的なものを解説しながらご紹介します。

    ①【合気道】怪物・塩田剛三の神業の合気道【Aikido】

    四方八方から襲い掛かる大勢の相手を触れた瞬間に投げてしまう、塩田剛三さんの演武が見られる動画です。喉をつくことで、相手を倒す様子も収録されています。あまりに自然な動きすぎてインチキと呼ばれることが多いですが、そもそもスピードが速すぎます。

    ②塩田剛三vs板東英二

    後半に、塩田剛三さんが板東英二さんに技をかける様子が収録された動画です。塩田剛三さんが金魚の動きを真似た逸話が解説されており、金魚と塩田剛三さんの演武の動きが比較できるようになっています。

    塩田剛三さんの動きも投げられる人間の動きも、金魚の動きに近いことがわかります。

    ③超偉人伝説 神様と呼ばれた男 合気道塩田剛三伝(2/2) (English)

    昭和39年に、機動隊の合気道研修が開始されたことが紹介された動画です。元機動隊員が塩田剛三さんの実力について語っています。元々は、塩田剛三さんの実力に対して半信半疑だったようですが、実際に稽古をして神業を実感したそうです。

    未だに機動隊の合気道研修は続いています。機動隊に採用されていることを考えても、インチキとは言えないでしょう。

    現代で塩田剛三級の人がいない理由は?

    合気道の達人として有名なのは塩田剛三さんや創始者の植芝盛平さんです。しかし、現代では有名な合気道家は知られておらず、格闘技の試合に出たら勝てないとも言われています。

    なぜ、塩田剛三さんのような強い合気道家はいないのでしょうか?塩田剛三さんのような強い合気道家がいなくなった理由について解説していきます

    ①現代では稽古の質やレベルが違うから

    塩田剛三さんが若かった頃の合気道は、今とは全く別物でした。塩田剛三さん自身筋力トレーニングを行っていましたし、腕自慢の門下生は多かったといいます。また、合気道と言うと投げ技や関節技しかないイメージがありますが、塩田剛三さんは、植芝盛平さんの教えは当身7分、技3分と言っていたそうです。

    当身(あてみ)とは打撃のことであり、技とは投げのことを表しています。つまり、昔の合気道は普通に打撃を教えていたわけです。昔は、柔道にも打撃があったと言います。

    柔道がスポーツ化して打撃がなくなってしまったように、合気道は護身術となりました。昔のように格闘技的な意味で強くなるために、合気道を習う人はほとんどいなくなったのです。

    ②合気道は戦う武道ではないという教えが広まったから

    また、塩田剛三さん自身が戦うための合気道を教えるつもりがなかったとも言われています。戦うための合気道は自分が最後でいいとも言っていたそうで、そもそも合気道は戦うための技術としての指導は行われていないのです。

    現代の合気道は週に2、3回指導が行われることがほとんどで、老若男女関係なく楽しめる武道になっています。そもそも目的が違うのですから、強い人が出てこないのも当然でしょう。

    合気道とは

    合気道は武道ですが、その理念や精神性、武道としての在り方がかなり独特のものになっています。合気道の特徴についてまとめてみました。

    合気道における技の特徴

    戦前の合気道は打撃ありでかなり過酷な稽古も行う武道だったようですが、現在の合気道は投げ技や固め技で相手を傷つけずに制する武道になっています。また、体力に関係なく行うことができ、合理的な体の使い方を覚えるための武道でもあります。

    合気道の稽古は、試合をするように2人で行います。しかし、合気道は試合をすることがありません。また、決まった礼法がないのも合気道の特徴と言えるでしょう。

    合気道における理念・精神性

    合気道の開祖植芝盛平さんの影響で、合気道は精神性の強い武道と言われます。元になったのは敵を倒すための武術ですが、合気道では基本的に争うことを否定しています。合気道のほとんどの流派では、試合をしようとしません。

    練習は試合のような形式で行われますが、技を通して対立を解消していくという精神があります。最終的には自然宇宙との「和合」や「万有愛護」を実現することを目指しているのです。

    健康法としても人気に

    戦うための武道ではなくなった合気道は、健康法としても知られるようになりました。合気道は、筋力トレーニングを行いません。体力がなくても誰でも気軽に始めることが可能です。全身運動なので血行が促進され、受け身を覚えることで怪我を防ぐ事にもつながります。

    ストレッチ効果もあり柔軟性を増すことになるので、体の痛みを減らすこともできます。合気道は伝統的な武道ですが戦うためのものではなく、存在意義を変え現代の武道として広く愛されるものに生まれ変わったのです。

    合気道は平和的な武道

    塩田剛三さんと合気道についてご紹介しました。塩田剛三さんの強さを疑問視する意見は少なくありませんが、本当にインチキなら警察に合気道は採用されていないでしょう。また、実際に塩田剛三さんの技に触れて、インチキ扱いする人もいません。

    合気道の技も塩田剛三さんの実力も本物だということでしょう。とはいえ、時代が変わり合気道は戦うための技術として教えられていません。合気道の技術が戦うために使われることはないのかもしれません。

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