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2023/12/28
大今里
ディストピアは、理想の社会とされるユートピアを否定することから生まれたと言われています。ディストピアは現実に起こりうると言われますが、現実には架空のディストピア以上に過酷な世界が存在したこともありました。
フィクションの世界では、ディストピアが描かれることは非常に多いです。ディストピアの特徴やディストピアを描いた作品などについてまとめてみました。
ディストピアは問題のある恐ろしい社会を表すことが多いですが、理想的な社会とされるユートピアという言葉が生まれた後にディストピアという言葉も誕生しました。ユートピアとディストピアの関係はどうなっているのでしょうか?
ディストピアと混同されるポストアポカリプスという言葉もあります。ユートピアとディストピアの関係やポストアポカリプスの意味について解説します。
ディストピアはユートピアの反対の意味を持つ言葉として生まれました。語源は、古代ギリシャ語で悪いを意味する「ディス」と場所を意味する「トピア」を組み合わせて作られました。ちなみにユートピアの「ユー」は「どこにも無い」という意味と「良い」という意味の両方があると言われています。
そこから、ユートピアはどこにも無い理想郷を意味するとも言われています。ユートピアの意味とディストピアの語源を考えれば、良い意味でないのは明らかですね。日本語では地獄郷や暗黒郷と訳されることもあります。
英語ではユートピアと反対の意味を強調して、アンチユートピアとされることもあります。この言葉が、初めて登場したのは1868年に行われたジョン・スチュアート・ミルの演説と言われています。
ディストピアは、ユートピアが実現不可能と考える時代背景から生まれたとされています。ディストピアは意味合いを考えると単純にろくでもないような世界に思えますが、そもそもユートピアの裏返しであり、極論すると同じものという意見もあります。
ユートピアという言葉が生まれた時代には理想郷と思われた世界も、その後の時代にはディストピアとされることもあります。ユートピアを作ろうとした結果、ディストピアに変質する物語は非常に多いです。
ユートピアを作ることのできない人間の限界を嘆いた言葉が、ディストピアと言われる場合もあります。表面的には平和で秩序があるように見えても極端な管理によって成り立っており、様々な自由が許されない社会として描かれています。
ディストピアと混同されるものとして、ポストアポカリプスと呼ばれるものがあります。これは、戦争や疫病などによって文明社会が滅んだ世界を表す言葉です。ディストピアとは全く意味が違います。有名なものとして「北斗の拳」を想像するとわかりやすいでしょう。
秩序が崩壊し、暴力に支配された世界として描かれることが多いです。台風や地震などで一時的にポストアポカリプスに近い状況になることも考えられるので、現実的な恐ろしさがあると言えるでしょう。一時的な秩序の崩壊ではなく、救助が期待できないのがポストアポカリプスの恐ろしさです。
ディストピアとポストアポカリプスは別ですが、ロボットによる人類の社会の滅亡を描いた「ターミネーターシリーズ」はディストピアとポストアポカリプスを同時に描いた作品と言えるでしょう。
ユートピアには元々どこにもないという意味がありますが、理想の世界を描いたユートピア小説が流行した反動としてディトピアという言葉が生まれたと言われています。現実に存在しないユートピアに対して、ディストピアは現実可能な最悪の世界として描かれます。
そんなディストピアを描いた作品には共通した特徴があります。ディストピアの特徴についてご紹介します。
ディストピア作品では、絶対的指導者や実際には存在しない神のような絶対者による統制が行われていることが多いです。絶対的な存在を必要とするのは、安心感を抱かせるとともに疑問を抱かせることや反抗心を持つことを防ぐためです。
形のある存在ではなくても、一方的な思想を絶対的に正しいものとして教え込むことも、ここで取り上げる絶対的な存在に当たります。絶対的な存在に従っていれば安心だと思わせると共に逆らうことができないと植え付けることで、ディストピアの統制は強くなるのです。
厳しい制限や徹底的な管理が行われているのも、ディストピアの特徴です。24時間に渡ってあらゆる行動が監視されるディストピア作品は多く、市民がお互いに監視しあう場合や秘密裏に監視を行う存在も登場します。
人間の階級が決まられていたり、思想、芸術、職業、言論などあらゆるものが厳しく制限される超管理社会は、ディストピア作品に多く登場します。これらは支配者側が民衆を支配するために行われることが多いですが、善意として行われる作品も少なくありません。
信じられないような格差や差別が平然と行われていても、民衆は幸せに暮らしているディストピア作品も登場します。しかし、いくら平和で幸せそうに見えても、歪みが存在するのがディストピアです。
必要悪とされるものが、積極的に認められているのもディストピア作品の特徴です。多数を優先する考えが異常に極端で、多数の人間を助けるためなら平然と少数の人間が犠牲にされます。こういった考え方は全体主義とされます。
体制に逆らうものも、簡単に粛清されてしまいます。階級社会の場合は、上の者が下の者を犠牲にするのは当たり前とされることが多いです。階級はなくても富裕層や貧困層などの格差社会を描いたディストピア作品では、富裕層が貧困層を簡単に犠牲にします。
階級社会を描いたディストピア作品では、全体主義とは逆に少数が多数を犠牲にすることもよくあります。
言論の弾圧などで徹底的に情報をコントロールしようとするのも、ディストピアの特徴です。ディストピアでは、国家や社会にとって都合の悪い情報が手に入らないように徹底的に管理されます。必ずしも暴力的に行われるわけではなく、幼いころから教育を行うことで自然に価値観を植え付けていくことも多いです。
むしろ、抵抗を感じさせずに教育などで情報をコントロールしていくのは、非常に巧みで恐ろしいと言えるでしょう。単純に情報を与えないわけではなく、民衆から考える力を奪おうとすることも少なくありません。
情報操作によって、判断力の低下した民衆を統制していくディストピア作品は多いです。しかし悪意はなくても、結果として判断力が低下した人間や衰退した人間ばかりになってしまうディストピア作品もあります。
ディストピアという言葉が使われてから、ディストピアを描いた小説が流行りました。現在でも、ディストピアを描いた小説は非常に多いです。ディストピアを描いた有名な小説や最近の小説の一部をご紹介します。
タイムマシンを発明した科学者が主人公のディストピア小説です。80万年以上先の未来の世界を見に行った主人公ですが、とんでもない生態に進化した人類を見ることになります。支配階級と労働階級の二極化した階級社会の果てに、エロイ種とモーロック種と呼ばれる2種の人類が生まれています。
裕福で楽な生活を送っていたせいで、知力体力ともに完全に衰退してしまったエロイ種と過酷な環境で強靭な種になったモーロック種との関係が考えさせられます。
階級社会というディストピアの行きつく先だけでなく、進化の行きつく先は本当に進歩なのかということまで考えさせられます。19世紀の小説ですが、普遍的に通用する内容の作品です。
『鉄の踵』は20世紀初頭に書かれた小説です。当時としては未来の1912年から、2600年まで描いた小説になってます。資本主義の台頭したアメリカで、中流階級が消滅しわずかな資本家による独裁国家に変貌していきます。
その後の戦いが描かれ、真の平等が認められた国家の樹立から更に未来までを描きます。資本主義や社会主義を説明した教科書のようという意見もあり、読みやすいのに面白くないとも言われています。理想を思い描いた国家が、その理想ゆえにディストピアになっていく様子が描かれた作品です。
『R.U.R.』は、ロボットという言葉を作り出した小説として有名です。タイトルは略称で、正式名称を日本語に訳すと「ロッサム万能ロボット会社」になります。この作品のロボットは生体部品から作られており、完成すれば生物と変わりません。現在のロボットとはかなり異なります。
外見も人間と全く変わりません。人間の労働力として作られたロボットが便利すぎることによって人間は衰退してしまい、ロボットは心まで人間そっくりになってしまいます。作中ではロボットとされていますが、現実の労働者階級が権利を主張し始めたことがこの作品に影響を与えています。
階級社会を描いたディストピア小説であると同時に、現代ではロボットが便利になり過ぎることへの警鐘とも読める作品になっています。
『われら』はソ連の全体主義的政策を批判したディストピア小説で、執筆された当時は出版できませんでした。ソ連で出版されたのは、アメリカで発表されてから60年以上経ってからでした。全世界が1つの国家に統一された世界を描いています。
人々は透明な家に住み生活の全てが監視されています。しかし、ほとんどの人間はそのことを疑問に思わず、むしろ喜びを感じています。現実に、ここまで管理された社会になるとは思えない人が多いでしょう。
しかし、王族が透明な家に住み、生活を国民に公開していた国家も過去にはありました。本当に、全てを監視された国家が現実にならないとは誰にも言えないでしょう。
『審判』は管理社会の恐ろしさを描いたディストピア小説です。主人公の銀行員は、全く覚えがないのに逮捕されてしまいます。しかも、取り調べる人間ですら主人公が逮捕された理由を知らず、態度も不真面目です。
あまりのバカバカしさに状況を深刻に捉えていなかった主人公ですが、罪状は明らかにされないままどんどん追い詰められていきます。読み進めるごとに恐怖は増していき、全体主義と管理社会の恐ろしさを実感することになるでしょう。
大規模な戦争により疲れ切り安定した新たな世界を求めた人類を描いた未来の物語です。徹底的に効率を重視して作り出された新たな文明は、大量生産技術を確立したT・フォードを崇め奉る世界でした。
人間の誕生も管理されるようになり、全ての人間は試験管で生まれるようになります。更に、胎児の段階から洗脳された子供たちにはカースト制度が用意され、自らの階級に何の疑問も持たずに人生を送るのです。
幸福感すら支給される薬品によって得ることができるため、誰もが不満を持たずに幸福に生きています。現実的な価値観では徹底的に管理されたディストピアにもかかわらず、作中で不満を感じるものはいません。この世界は、本当にディストピアなのか考えさせられる作品です。
1930年代のモスクワ裁判がモデルとされている小説です。大粛清時代と呼ばれた物騒な時代を元にした小説で、非常にノンフィクションに近いと言われています。目的のためなら、全ての必要悪が認められた全体主義国家の監獄の中を描いた強烈なディストピア小説です。
主人公は政権を手に入れた党の幹部です。しかし、党の頂点に立つ「ナンバーワン」による粛清の対象にされてしまいます。濡れ衣を着せられた主人公は、過酷な取り調べを受けることになります。
何をしても、自分は正義だと考える人間がいるディストピアの恐ろしさが描かれています。これが、ほとんどノンフィクションなのですから、人間の恐ろしさも分かります。ジョージ・オーウェルの『一九八四年』に強い影響を与えた作品でもあります。
人間の農場主は登場しますが、登場人物のほとんどが動物というユニークな作品です。人間を動物に見立てて、スターリン時代のソ連の全体主義や管理社会を痛烈に批判したディストピア作品です。農場では、人間の農場主による搾取が当たり前になっていましたが、老豚の発言で革命が起こります。
豚の扇動によって農場主は追い出されてしまいます。賢い豚の指導により、全ての動物を平等に扱った理想的な社会が実現したかに見えました。しかし、豚は権力を持ったことで少しずつ腐敗し、恐怖政治を行うようになります。
動物が登場人物ですが粛清や情報統制による愚民政策など、ディストピアの恐ろしさがリアルに描かれています。
1950年に核戦争が起こり、革命によって実在の国歌が打倒された架空の世界を描いた小説です。「オセアニア」「イースタシア」「ユーラシア」という名前を付けられた架空の超大国が登場します。
動物農場と同じ作者で、やはり全体主義を痛烈に批判した作品になっています。密告することが奨励されており、家族ですらお互いに監視しあう恐ろしい監視社会が描かれています。作中の言論統制は非常に巧みで現実に行われたものとは違いますが、実現可能なところに恐ろしさと凄みがあります。
この作品はアメリカでトランプ大統領が当選してから、売上を伸ばしています。現実がディストピアになる危機感が増しているのかもしれません。ディストピアに関する作品を読みたいなら、おすすめの1冊になっています。
SM雑誌の「奇譚クラブ」に連載されていた小説で、作者の沼正三の正体は現在も不明とされています。白人女性が絶対的上位に位置する未来世界が舞台です。日本人は最も下の階級に位置し、ヤプーと呼ばれる家畜になっています。
日本人は、人体改造を施される描写があります。しかし改造する方に悪意はなく、ペットに芸を仕込む感覚でしかないことが恐ろしいです。しかも、日本人もそのことに幸福を感じているですから、この小説は狂気に満ち溢れています。
ある意味、幸せな人間しかいないユートピアを描くと同時に、階級社会を描いたディストピア作品と言えるでしょう。
『華氏451度』は、本を持つことが禁止された世界を描いた小説です。本を持っていることが発見されると、ファイアマンと名付けられた機関の人間が現れて本を焼却してしまいます。本が焼却されてしまう理由は、「本には有害な情報が書かれており、社会の秩序を破壊する」というものです。
しかし、本当の理由は民衆から考える力と記憶力を奪うためでした。考える暇を与えないラジオやテレビは、許されているところに現実的な怖さがあります。主人公は本を焼く側のファイアマンに所属しています。
本を焼くことを楽しむ主人公が、模範的な隊員とされているところにこの世界の怖さがあるでしょう。この作品で描かれているディストピアは、現実的な言論統制の範囲です。
『下ネタという概念が存在しない退屈な世界』はタイトルから連想される通りに、下ネタが許されない世界を描いたライトノベルです。公序良俗を取り締まる目的で性的な話題を全て禁止する法律が制定され、少しでも違反すると容赦なく処罰されてしまいます。
全ての行動は監視されており違反することができないため、この世界の人間は性的な知識をほとんど持っていないという異常な状態です。そのため、この作品では、下ネタテロリストまで登場します。
基本的にギャグとして書かれていますが、極端な情報統制による管理社会を描いたディストピア小説であることは間違いありません。下ネタを扱ったアニメや漫画のパロディが多く登場するライトノベルで、アニメ化もされています。
『シャングリ・ラ』は、地球温暖化が止まらない21世紀半ばの東京が舞台になっています。二酸化炭素を減らすために都市の森林化が進み、東京からの移住先として空中都市が建設されます。
移住できるのは富裕層ばかりで、貧困層から難民が続出するという格差社会を描いたディストピア作品になっています。
新世界よりは、アニメ化や漫画化もされたSF小説です。文明社会が滅んだ1000年後の世界を描いた物語です。人類は呪力と呼ばれる超能力を獲得しており、バケネズミと呼ばれる生物を操ることもできます。
一見平穏な世界の物語に見えますが、文明が滅んだ裏には恐るべき秘密が隠されています。のどかな物語に見えて、どんどん陰惨な展開になっていくのは作者の貴志祐介の真骨頂です。
階級社会と情報統制が描かれたディストピア小説になっています。最後にはとんでもない展開が待っています。かなり悲惨な展開になる話なので、苦手な人にはおすすめできません。
人権侵害など問題のある表現を取り締まる「メディア良化法」が制定された架空の世界の物語です。作中では検閲が許されているだけでなく、そのための武力行使まで合法化されています。そのため、非常に過激な表現弾圧が平然と行われます。
図書館が本と表現の自由を守るために「図書館の自由法」を制定して武装してしまい、作品のタイトル通りの戦争が始まってしまいます。表現が規制された世界を描いたディストピア作品ですが、現実の表現弾圧と似ていることでも話題になっています。
あくまでフィクションであり日本で現実になる可能性は低いでしょうが、表現の自由と規制は常に対立しています。表現によっては人権の侵害が起こるのは事実であり、表現の自由との両立は難しい問題です。
ディストピアはSFで描かれることも多いため、映画の中でディストピアが登場することは非常に多いです。ディストピアを描いた映画やディストピアが登場する映画についてご紹介します。
『ウォッチメン』は、スーパーヒーローが登場するアメリカが舞台の映画です。この作品では赤の他人を助けるために命がけになれるのは、異常者か本物の英雄という主張が強調されており、スーパーヒーローはどこかに破綻を抱えた人物が多いです。
最終的に全体を救うために、一部を犠牲にすることをためらわない社会が描かれています。全体主義を描いたディストピア作品と言えるでしょう。
人間ではなく人口知能で制御された軍隊が、人間に反乱を起こす世界を描いたディストピア作品です。核戦争によって、人類の文明社会は壊滅したポストアポカリプス作品ですが、ロボットの軍隊と人類のレジスタンスの戦いを描いたディストピア作品でもあります。
人間が管理に参加していない特殊なタイプですが、人工知能によって管理された軍隊が反乱を起こしたという意味で管理社会の恐ろしさを描いたディストピア作品と言えます。あまりに高度になった人工知能が人類を不要と判断するところにこの作品の恐ろしさがあります。
人類とロボットの戦争が続く世界を変えるために、未来からやってきたロボットと人間の戦いからターミネーターシリーズは始まっています。
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』というSF小説を原作にした映画です。近未来の世界を描いた作品で、遺伝子操作で生み出された人造人間レプリカントによって地球外の開拓はどんどん進んでいきました。
しかし、レプリカントは自我に目覚めるようになり、次々に脱走するという問題が起こり始めます。人類と人造人間の問題を描いた作品です。本来、人間が労働力として作り出した人造人間ですが、奴隷のように扱うことに問題はないのでしょうか?
単なるSFアクション映画として宣伝された作品でしたが、難解ながら完成度の高いストーリで徐々に高い評価を得ていきました。レプリカントは本来人類ではありませんが、階級社会を描いたディストピア作品と言えます。
『マトリックス』は、どこからどこまでが現実で仮想現実なのかわからない不思議な世界観の映画です。本来、人間にとって便利なものとして作られたAIによって高度に管理された社会が、逆に人間を管理し支配するようになってしまったディストピアが描かれています。
現実がどこあるのか分からないのが、この映画の魅力であると同時に怖さになっています。ヒット作ということもあり、アニメやゲームにもなっています。
『未来世紀ブラジル』はブラジルが舞台ではなく、20世紀のどこかの国とされています。テロの容疑者の名前を間違って登録したせいで、全くの別人が逮捕されてしまいます。ミスだと分かっているのに、高度にシステム化された社会はミスに全く対応できない管理社会の皮肉を描いています。
ジョージ・オーウェルの『一九八四年』に強い影響を受けた作品で、全体主義的な官僚政治が極まったディストピアが描かれています。全く正反対のエンディングが2種類あることで、批判と反響を呼んだ作品でもあります。
ブラジルが舞台でもないのにタイトルにブラジルと入っているのは「ブラジル」というタイトルの曲を聞いたことから、この映画が生まれたことに由来しています。
『メトロポリス』は、1926年に作られた初期のSF映画の中では最高傑作とされています。舞台は作中から100年後を描いた2026年後の都市メトロポリスです。華やかな巨大都市では富裕層と支配者階級が暮らしていますが、地下で多くの人間が過酷な環境で働く階級社会のディストピアが描かれました。
映画では、支配者階級と労働者との戦いがメインになっています。この映画は手塚治虫に強い影響を与え、同名の漫画を描くきっかけになっています。
ディストピアは、アニメや漫画の中にも登場します。ディストピアが描かれたアニメや漫画の中から一部をご紹介しましょう。
国民的人気アニメ『ドラえもん』の映画『のび太の宇宙小戦争』でも、ディストピアは描かれています。身長5cmほどの住人が住むピリカ星は、軍事クーデターが起こり独裁者ギルモア将軍の支配化にあります。ギルモアの巨大な肖像画がビルに描かれ、国民は常に監視されています。
まさに、絶対的な存在による統制と管理が行われており、独裁者によるディストピアが描かれました。残酷なシーンは描かれていませんが子供向けの作品とは思えないほど、ディストピアの描写がしっかりしています。ギルモアの副官で秘密警察長官のドラコルルは、ドラえもん史上最も知力に優れた敵です。
どうやって倒すか、作者も苦労して考えたという話が残っています。ギルモアとドラコルルのモデルはアドルフ・ヒトラーとハイリンヒ・ヒムラーとも言われていましたが、ヨシフ・スターリンとラヴレンチー・ベリヤに似ているという意見もあります。
浦沢直樹による漫画で、実写映画にもなっています。主人公ケンジが少年だった昭和40年代から大人になった1997年、更に未来の3つの時代を描いた物語です。ともだちと呼ばれるカルト教団の教祖が自らテロを起こし、そのテロから世界を救った英雄として世界の指導者になるディストピアが描かれています。
ともだちに支配された世界は、巧妙に情報操作されています。ともだちは、世界中で尊敬される絶対者になっており、ともだちに都合が悪い情報は全て隠蔽されています。また、監視するはっきりした組織があるわけではありませんが、身近にともだちの部下が監視役として潜んでいます。
ともだちにとって都合の悪い人間は次々に粛清されていきますが、どこにともだちの手先が潜んでいるのかわからないところが怖いです。
フジテレビで放送されたアニメ『PSYCHO-PASS』では、包括的障害福祉支援システムのシビュラシステムによって管理されたディストピアが描かれました。シビュラシステムは人間の性格傾向や心理状態を計測することができます。
シビュラシステムによって管理された人々は自分に合った職業につき、ストレスを感じることもなく理想的な人生を送っているとされています。一方でシビュラシステムは人間が犯罪を犯しやすい状態にあるかを犯罪係数として計測します。
犯罪係数が一定の数字を超えると潜在犯とされ、なんの罪も犯していないのに裁かれてしまうのです。果たして、シビュラシステムは本当に理想のシステムなのでしょうか?終盤でシュビラシステムの驚愕の正体が明らかになります。
ディストピアの特徴やディストピアが登場する作品についてご紹介しました。ディストピアは基本的に恐ろしいもので、支配者によって意図的に作られたものもあります。しかし、ユートピアを作ろうとした結果、ディストピア化してしまうことは多いです。
より良いものを目指して行き過ぎた結果が、ディストピアとも言えるでしょう。何の問題もなかった社会が極限状態で、ディストピア化する作品もあります。人間の弱さがディストピアを作り出すこともあるのです。果たして、人間がユートピアを作り出す日は来るのでしょうか?
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