木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
井上ひさしさんの短編小説「握手」は、中学三年生から高校を卒業するまで天使園という名前の児童養護施設で生活していた「わたし」が主人公の物語です。「わたし」は天使園の延長だったルロイ修道士と再会し、久しぶりに一緒に食事をすることになります。
2人は昔話に花を咲かせます。しかし、「わたし」はルロイ修道士の様子から、別れのあいさつに来たのではないかと考えるようになります。かつては、万力のようだと感じたルロイ修道士の握手は穏やかなものに変わり、ルロイ修道士の方が「わたし」に握られて痛がるようになっていました。
それから、しばらくしてルロイ修道士は亡くなります。
実は、この天使園は仙台の「ラ・サール・ホーム」という児童養護施設がモデルになっています。井上ひさしさんも「ラ・サール・ホーム」の出身です。ルロイ修道士のモデルは、園長のジュール・ベランジェさんだったと言われています。
「握手」自体が作者の井上ひさしさんの回想を元に作られた小説で、関係者が読むと誰がモデルになっているかわかる登場人物が描かれています。
ルロイ修道士は主人公の「わたし」が過ごした天使園の園長で、カナダ人の修道士です。戦前の日本で天使園を作った人物で、戦後も身寄りのない子供たちの面倒を見ています。ルロイ修道士は時に厳しい態度を取りますが、子供たちに愛情深く接する人物です。そして、ユーモアの心も忘れません。
かつて主人公が無断で東京見物に行った際に、平手打ちしたことを後に謝罪するなどとても優しい人物です。また握手がとても力強い人物で、子供たちとコミュニケーションを取るのに、指言葉を多用しています。タイトルの握手も、ルロイ修道士との握手から取られています。
ルロイ修道士が登場する「握手」ですが、国語の教科書に掲載されています。初めて「握手」が教科書に載ったのは1993年で、それ以降現在に至るまで中学三年生の教科書に掲載されてきました。2019年で26年目ということになります。
初めて、「握手」の載った教科書を読んだのは、昭和53年生まれの人です。多くの人が中学で「握手」を読んできたため、ルロイ修道士のことはかなり知られています。握手の中でルロイ修道士はインパクトを残しているので、ネタ的な意味でも有名になっています。
国語の教科書に載っていることで有名な「握手」ですが、井上ひさしさんの短編集「ナイン」にも収録されています。
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小説「握手」で、ルロイ修道士が使う指言葉が何種類も登場します。指を使ったサインは、現代の日本では珍しくなくなりました。しかし、作中の時代では珍しかったため、天使園の子供たちはルロイ修道士の真似をして遊んでいました。
握手というタイトルや握力の強さが強調されるように、手はルロイ修道士という人物を描く上で重要な要素です。ルロイ修道士は、日本語が得意な人物ではなく自分の考えを指言葉で子供たちに伝えていました。
作中で登場したルロイ修道士の指言葉についてまとめてみました。
サムズアップと呼ばれるもので、現代では日本でもかなり一般的になっています。意味としてはOKやGoodなど肯定的な意味に使われます。仮面ライダークウガでは、古代ローマで納得できる行いをした者がするサインとして紹介されました。
しかし、古代ローマで敗者を許せというサインが起原になったという説が一般的です。親指を下に向けると敗者を殺せというサインだったため、逆の意味で使われます。欧米では、「親指を上に向けピン!」は肯定的な意味で間違いありません。
しかし、南米、中東、南アメリカでは侮辱的な意味になるので注意が必要です。また、日本では男性を表すサインとしても、使われていました。同じ形の指言葉でも、場所によって全く意味は変わることがわかります。
握手の作中では、ルロイ修道士は「こらっ」や「よく聞きなさい」の代わりにこの指言葉をするのが癖だったそうです。この指言葉を見ると子供たちは、ルロイ修道士の言葉をしっかりと聞いています。「右の人差し指をピンと立てる」ことは、話をする際などに自分に注目するように示すサインなのです。
刑事ドラマ「相棒」では主人公の杉下右京が、話をする際にこの仕草をすることが多いです。杉下右京はイギリスと縁の深い人物なので、欧米式の指言葉を使うのでしょう。
「右の人差し指に中指をからめてつき掲げる」は、少し難しい指言葉で日本ではそれほど行う人はいないようです。作中では「しっかりおやり」「幸運を祈る」という意味だと説明されています。「握手」の作中では汽車に乗ろうとするルロイ修道士が、主人公に向けた別れのサインになっています。
外国の映画では、この指言葉が登場することは珍しくありません。この指言葉が忍者や仏教の印に似ているという意見もあります。
「両手の人さし指を、せわしく交差させ打ちつける」という指言葉も登場します。せわしないという言葉のせいかなんとなく神経質な感じで、良くないサインだと考える人が多いでしょう。この指言葉は、ルロイ修道士が怒った時のサインです。また、作中では危険信号とも説明されています。
主人公が無断で東京見物に行った時も、ルロイ修道士が人差し指を打ち付けた後に平手打ちをしています。後に、東京見物に行った際の費用をどうやって作ったのか告白した際に、ルロイ修道士は再びこの指言葉を使っています。
しかし、この時のルロイ修道士の顔は笑っていました。最後にルロイ修道士が病に侵されたと知った時の主人公もこの指言葉を使っています。本来は、あまり良い意味では使われない指言葉ですが、作中では登場人物の心情によって色々な意味で使われています。
ルロイ修道士は、なぜ作中で指言葉を使うのでしょうか?ルロイ修道士は日本で暮らしていますが、日本語がそれほど得意ではありません。そのため、子供たちとのコミュニケーションに指言葉を使っていました。また、ルロイ修道士は指言葉を使うのが癖になっていたというのも、理由の1つです。
井上ひさしさんが、ルロイ修道士が指言葉を使う人物にした理由はわかっていません。モデルとなったブラザ ー・ジュール・ベランジェさんが指言葉を使ったのではないかとも言われています。
推測に過ぎず真実は不明ですがもしモデルになった人物が使っていたのだとすれば、作中でルロイ修道士が指言葉を使うのは当然でしょう。ただし、指言葉はルロイ修道士の感情を表すサインにもなっているので、「握手」という物語がより味わい深いものになっています。
20年以上に渡って教科書に採用されてきた「握手」には、ルロイ修道士の名言が数多く登場します。中学三年生の教科書という大勢の人の目に触れるものだけに、ルロイ修道士の名言を覚えている人も多いでしょう。今回は、ルロイ修道士の名言から一部をご紹介します。
ルロイ修道士の名言の中で最も有名なのが、「困難は分割せよ」と言われています。中には、この言葉を見て因数分解を連想する人もいるようです。東京見物に行った主人公に思わず平手打ちを食らわせたことを謝ったルロイ修道士が、何かあった時は「困難は分割せよ」を思い出してくださいと伝えています。
難しい問題は、細かくかみ砕いて1つ1つ解決していくようにルロイ修道士は説明しています。難題を簡単にできる問題に分割して解決するのは問題解決の常とう手段であり、実際に実践している人も多いです。
実生活で、そのありがたみを実感しやすい名言と言えます。
これは、「わたし」とルロイ修道士の別れ際に登場する名言です。「わたし」は、ルロイ修道士がもうすぐ亡くなると理解しています。そのため、死ぬのは怖くないかと尋ねてしまうのですが、天国に行くのだから怖くないとルロイ修道士は答えます。
それに対して、「わたし」は「天国は本当にありますか」と聞き返します。それ対する返答がこの言葉でした。更に、「そのためにこの何十年間、神さまを信じてきたのです」と続くのです。ルロイ修道士は、妄信的に天国を信じているわけではないことがわかります。
その上で、信じた方が楽しいと言っています。全てのことは、捉え方しだいで変わってしまうことをこの名言は教えてくれます。
実在の人物がモデルであり感動的な物語の登場人物のルロイ修道士ですが、なぜかネットでは国語の教科書最強キャラという不思議な肩書をつけられています。ルロイ修道士は、なぜ国語の教科書最強キャラと呼ばれているのでしょうか?それには、作品のタイトルでもある握手が関わってきます。
ルロイ修道士が国語の教科書最強キャラと呼ばれる利用についてご紹介します。
ネットでは様々なランキングが勝手に作られていますが、国語の教科書に登場する人物で誰が一番強いかというランキングも作られています。国語の教科書最強キャラとは、このランキングで1位になっている人物のことです。
かなりネタ的な意味合いが強いランキングです。しかし、国語の教科書には昔話や伝説も多いので、不死身の登場人物などかなり強いキャラが多いことも事実です。なぜ、ルロイ修道士が国語の教科書の中で最強と言われるのでしょうか?
作中では、非常に温厚な人格者として描かれているルロイ修道士ですが、握力が非常に強い人物だったらしいことが描かれています。ルロイ修道士は天使園にやってきた子供たちと握手していますが、その力はとても強いのです。幼い主人公はその力を万力に例えています。
万力とは対象物を金属で固定する工具です。当然ですが、ものすごい力があります。万力のような握力を持つ修道士ということで、ルロイ修道士は国語の教科書最強と呼ばれているわけですね。万力というのはあくまで比喩であり、実際にそんな力で握手したら人間の手など潰れてしまいます。
若者ゆえの大げさな表現というのもあるでしょう。しかし、高校生の主人公が手が痛くて痺れてしまったことや自分の手を組んだルロイ修道士の手がギシギシと音を立てた描写もあるので、元気だったころのルロイ修道士の握力がかなりものだったことは間違いないようです。
例え本当に握力が万力のようだったとしても最強かどうかはわかりませんが、なぜルロイ修道士の握力は万力のように強いと表現されたのでしょうか?それは病に侵されたルロイ修道士の衰えを表現するためでした。
タイトルにもなっているように、「握手」は作中で重要な意味を持ちます。かつては、握った手が痺れるほど強い力で握手をしていたルロイ修道士ですが、主人公と最後の握手をする際はすっかり力も衰えてしまい、ルロイ修道士の方が主人公「わたし」の握力を痛がっています。
ルロイ修道士の衰えを表現するとともに、「わたし」の成長も握力で表しているのです。
ルロイ修道士を語る際にかかせないものにオムレツがあります。小説のタイトルは「握手」であり、握手は作中で重要な意味があります。しかし、「握手」を読んで握手よりもオムレツの方が印象に残っているという読者も多いのです。
なぜ、「握手」のオムレツは印象的なのでしょうが?ルロイ修道士とオムレツの関係についてご紹介します。
「握手」の中では洋食店で「わたし」とルロイ修道士は再会します。ルロイ修道士はプレーンオムレツを注文しています。その時のプレーンオムレツの描写があまりおいしそうだっために、教科書を読んだ多くの中学生の心に強烈な印象を残したようです。
中には「握手」のせいで、オムレツの印象が全く変わってしまった人もいます。また、ルロイ修道士がおいしそうなオムレツを注文したせいで、ルロイ修道士はオムレツが好きというイメージも出来上がっています。
握手以上にオムレツの印象が残ったというほどおいしそうなオムレツが描かれていますが、実はルロイ修道士はオムレツを食べていません。「おいしそうですね。」とは言っているのですが、結局一口も食べていないことになっています。
ルロイ修道士は、病気でかなり体調が悪かったのでオムレツを食べることができなかったのです。ルロイ修道士が食べないことを強調するために、オムレツが非常においしそうに描かれたのでしょう。
おいしそうなオムレツも、ルロイ修道士の衰えを表現するための舞台装置だったのです。
遅筆堂というペンネームも名乗るほど書くのが遅かったと言われる井上ひさしさんですが、非常に多くの作品を書き残しています。小説家としてだけでなく、劇作家や放送作家としても活躍しています。有名な作品の数もかなり多いです。
井上ひさしさんの作品の中から一部の作品をご紹介します。
「青葉繁れる」は井上ひさしさんの高校時代の経験をもとにした小説です。同じ学校にいた菅原文太さんのエピソードが作品に取り入れられており、若尾文子さんがヒロインのモデルになったと言われています。
物語の舞台が仙台になっており、年代的にも「握手」との関連性は高いと言えます。1974年には4月から5月にかけてテレビドラマ化され、9月21日は映画化されています。ただし、テレビドラマと映画ではキャストは別になっています。
「ひょっこりひょうたん島」は、1964年の4月から1969年の4月まで放送されたNHKのテレビ人形劇です。 1967年7月21日には、「オールカラーで!東映まんがまつり」として映画化もされました。1990年代にはリメイク版も作成されました。
2003年には主題歌が「モーニング娘。」によってカバーされています。子供たちだけで生活する明るい物語になっていますが、後に登場人物が全員死亡した設定が発表されて話題になりました。しかし、死後の世界の物語というのは、井上ひさしさんが冗談で言ったのが始まりだったそうです。
そのため、本当に公式設定なのかはわかりません。人気の高い作品ですが、多くの回はマスターテープの映像が存在しません。そのため、一部の回しかDVD化されていません。
「父と暮せば」は、井上ひさしさん作の戯曲です。1994年9月に、2人芝居として紀伊国屋ホールで初演されました。昭和23年の広島を舞台に、父竹造と一緒に生活する主人公福吉美津江の物語になっています。
実は、竹造は既に死んでいるのですが、美津江の前に幻として現れています。2015年には上演回数は500回を迎えました。2004年には、福吉美津江役宮沢りえさん、竹造役原田芳雄さんで映画化されています。
2015年に山田洋次監督によって映画化された「母と暮せば」は、井上ひさしさんが晩年に構想した「戦後“命”の三部作」の3作目です。「父と暮らせば」は、三部作の1作目となっています。
短編小説「握手」に登場するルロイ修道士の人物像や指言葉の意味、井上ひさしさんの作品についてご紹介しました。作中では握手がテーマになっていますが、指はルロイ修道士の心情を表現するために様々な形で描写されています。
ルロイ修道士の握力が非常に強いことやおいしそうなオムレツも重要な役割を果たしました。現在は、指でサインを出すことも当時よりはだいぶ一般的になったと言えるでしょう。ルロイ修道士の指言葉の影響もあったのではないでしょうか?
現実でも指言葉を使う機会はありますが、誤解されないように正しく使うことが必要ですね。
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