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2023/12/28
大今里
スポーツ観戦が好きな方は、レイ・セフォーさんを知っている方も多いかもしれません。レイ・セフォーさんは、ニュージーランドの元キックボクサーであり、元・総合格闘家、元・プロボクサーという経歴があります。
現在は、引退をしています。現役時代は、華々しい活躍をされた方です。現在は、どんな活動をしているのか迫っていきましょう。
K-1が、設立された当初から、試合にたくさん出場をしていたレイ・セフォーさんです。レイ・セフォーさんの入場曲は、テンポの良いリズムに乗れるものが使用されていました。観客も入場曲に合わせて、ヒートアップしていく展開が見られていたようです。そんな、レイ・セフォーさんのファンは、おそらく年齢が30代以上の方が多いのではないでしょうか?
ここからは、元キックボクサーであり、元・総合格闘家、元・プロボクサーとして活動をしていたレイ・セフォーさんの現役時代についてみていきましょう。
レイ・セフォーさんは、「南海の黒豹」という異名がついていました。この「南海の黒豹」は、レイ・セフォーさんは、強かったことに由来しています。
「黒豹」は、遺伝子の突然変異によって毛色が漆黒色に染まった動物だと言われています。あまり見られない動物であることから、非常に珍しい動物と言えます。
レイ・セフォーさんは、顔立ちもくっきりとしていている方です。しっかりとした体形であり、ガテン系ともいわれていました。筋肉質な体格から、がっちり系が好きなタイプの人に人気があったと言われています。「とてもかっこいい」と評判の高い選手で有名でした。
レイ・セフォーさんは、ある人に憧れていてキックボクサーを目指していたそうです。アメリカ合衆国の男性プロボクサー「シュガー・レイ・レナード」に憧れていたそうです。海外では「Sugar(シュガー)」とも呼ばれていました。
2004年に、日本映画『ゴジラ FINAL WARS』でスクリーンデビューをしています。レイ・セフォーさんの将来の夢は「スクリーンデビューすること」だったそうです。この映画で夢を叶えたレイ・セフォーさんです。
必殺技の「ブーメランフック」を使い、ノーガードで相手と打ち合う戦い方をしている選手です。常に観客を楽しませようとしてくれる選手でした。
キックボクシングでの戦績は、79試合中56勝22敗です。KO勝ちしたのは38試合ありました。総合格闘技での戦績は、4試合中2勝2敗だったそうです。プロボクシングでの戦績は、6試合中5勝1敗です。
これだけを見ても華々しい成績を残していることがわかります。
「南海の黒豹」という異名がついていたレイ・セフォーさんのベストバウト(最高の試合)となったのは、下記で紹介をしていく「マーク・ハント戦」などがあります。
ここでは、レイ・セフォーさんの対戦者を紹介していきます。ファンの間で、レイ・セフォーさん記憶に残る試合いくつかあるようです。皆さんの記憶に残っている試合について紹介をしていきますので見ていきましょう。
2001年10月8日に行われた『K-1 WORLD GP 2001 in FUKUOKA【敗者復活戦 Bブロック1回戦】』のマーク・ハントとの試合は、ファンの間でも歴史に残る試合になっています。
この試合は、ミルコ・クロコップと試合予定でしたが、欠場になったため急遽マーク・ハントとの試合となりました。両者ともにガードせず、打ち合い観客の熱もヒートアップしたものです。ノーガードでの殴り合いとなってしまい、レイ・セフォーさんは勝ったものの試合後に、右目の視力が低下を訴えたそうです。医者の判断により、決勝戦を棄権しています。
マーク・ハントは、この試合の決勝戦で戦い見事に優勝を決めてたそうです。当時無名の選手だったそうですが一気に知名度が上がった大事な試合となりました。
レイ・セフォーさんとルスラン・カラエフさんは、2005年6月14日『K-1 WORLD GP 2005 in HIROSHIMA TSS開局30周年記念』と、2006年6月3日『K-1 WORLD GP 2006 in SEOUL』という試合で戦っています。
2戦とも、レイ・セフォーさんが勝ちました。この2試合とも、秒殺だったと言われています。
2007年3月4日に『K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMA』で、「スーパーヘビー級」でのタイトルマッチの試合です。当時のK-1では、レイ・セフォーさんもセーム・シュルトさんも無敵と言われていました。
試合結果は、レイ・セフォーさんが負けてしまいましたが、とても強かったセーム・シュルトさんに1ラウンド目にダウンを奪うことができ試合を盛り上げていたとファンの間では記憶に残る試合となったようです。
レイ・セフォーさんは、2013年の試合で引退をしています。レイ・セフォーさんの現在の活動の様子についてここからは紹介をしていきます。
2013年8月11日に、『WSOF4』で引退試合をしています。対戦相手は、デイブ・ハッカバという選手です。総合ルールによる対戦をしています。結果は、レイ・セフォーさんは、TKO負けてしまいました。
引退のコメントは「長い間サポートしてくれたファンとメディアに感謝している」としてすぐにリンクを立ち去ったと言います。最後まで、かっこいい選手であり続けたレイ・セフォーさんに拍手が鳴りやまなかった伝説の試合になったようです!
2011年頃に、ファイトマネーの不払い問題などが起きていました。2012年11月にレイ・セフォーさんは、自ら主催者(社長)となって、総合格闘技団体「WSOF」を立ち上げました。そして、お金の不払いなどをなくすために、テレビでの放送なども積極的に行って最初は、不安な流れなどもあったようです。
しかしながら、K‐1の有名選手であるジェロム・レ・バンナなどとも契約して試合に出場させるなどし、ファンに興味を持たせることに成功している様子です。このやり方は、見事に成功を収めています。
元・総合格闘家、元・プロボクサーのレイ・セフォーさんを検索すると「死去」という言葉が検索上位に挙がってきます。これはいったいなぜなのでしょうか?調べてみるとある事実が判明しました。
【訃報】K-1四天王マイク・ベルナルドさんが死去した。ということでレイ・セフォーさんの名前も一緒に出てくるということのようです。マイク・ベルナルドさんが死去したことで、レイ・セフォーさんもコメントを寄せていたようです。
レイ・セフォーさんが亡くなったわけではなく、マイク・ベルナルドさんが亡くなったということになります。ご冥福をお祈りいたします。
元・総合格闘家、元・プロボクサーのレイ・セフォーさんは、現在も活動をしています。引退後は、『WSOF』という団体を立ち上げて、主催者であり社長でもあります。
現役時代は、数多くの記録を樹立したレイ・セフォーさんを表舞台で見ることは少なくなってきているようですが、公式Twitterなども開設されているようです。現在は、トレーナーとして活動をしているようなのでその様子も公式ツイッターからわかります。こちらもぜひご覧ください。
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