あの有名なタケモトピアノのCMでおなじみ!財津一郎の現在は?

    タケモトピアノの「ピアノ売ってちょうだ~い」のセリフで有名な財津一郎さんは現在どんなことをされているのでしょうか。芸能活動はまだ続けているのか、病気の噂、死亡説など、財津さんの現在について、徹底的に詳しく調べてみました。

    財津一郎のプロフィール

    • 本名:財津永栄(ざいつ ながひで)
    • 所属事務所:志母澤事務所
    • 生年月日:1934年2月22日
    • 現在年齢:85歳
    • 出身地:熊本県熊本市
    • 血液型:O型
    • 身長:176cm
    • 体重:80キロ
    • 活動内容:映画、テレビドラマ、CM、歌手
    • 家族構成:妻、息子

    財津一郎の経歴

    お笑い芸人に歌手活動、そして俳優と、様々な分野で活躍している財津一郎さん。タケモトピアノのCMが有名ですが、最近はその姿をあまり見かけないという声があります。彼は今、何をしているのでしょう?まず、財津一郎さんの経歴を調べてみました。

    熊本での暮らし

    財津一郎さんは、神武天皇の時代から続いている由緒正しい財津家に生まれました。父親は農林水産省に勤めており、財津一郎さんは三人兄弟の末っ子でした。最初は家族で東京暮らしでしたが、父親が中国へ出征することをきっかけに、財津一家は郷里の熊本へ避難します。

    当時財津一郎さんは10歳でしたが、戦時中で父親不在もあり、とても苦しく貧しい幼少時代を過ごしたそうです。母親も体が弱く病気がちだった為、いつも家族の食べ物を得ることに苦労していました。財津さんは家族のために、いつも奔走していたそうです。

    財津一郎の高校時代

    それから三年後、財津一族が所持していた阿曽の土地を守るため、財津一家は阿蘇郡黒川村へ移り住みます。その為、財津さんは済々黌中学から阿蘇農業高等学校(現・熊本県立阿蘇中央高等学校)へ転校することになりました。

    理不尽ないじめの日々

    やがて戦争は終わりを迎えました。しかし大切な土地は、農地解放で手放すはめになりました。地主と小作人が、突然立場が逆転したのです。そのことをきっかけに、財津さんは壮絶ないじめを受け始めました。

    いじめは日に日にひどくなっていきました。財津さんは、木刀でいじめっ子と戦ったこともあるそうです。父親を早くになくし、学校では不条理ないじめを受ける日々。財津さんの悲しさや苦しさは、生半可なものではありませんでした。

    先生の励ましが心の支えに

    そんな時、誰よりも心強い味方になってくれたのが、当時の農業高校の先生でした。いじめに悩んでいた財津さんと一緒に麦踏みをしながら、「今は勝負の時ではない。踏まれた麦ほど、豊かに実るものだ。今は耐えなさい」と励ましの言葉をかけたそうです。

    先生のその教えは、これから先、何度も財津さんの心強い味方になりました。つらい時にも負けない、歯を食いしばって耐える勇気をもらえた、と財津さんは後に語っています。

    水球に夢中だった

    壮絶な高校時代を過ごした財津さんですが、この頃彼が熱中したものがあります。それはなんと、水球です!しかし歌を歌う楽しさや映画の魅力に目覚め、水球は続けませんでした。財津さんは水球の高い実力の持ち主で、そのまま続けていたら全国大会に出ていた可能性もあったそうです。

    財津一郎の上京後の生活

    高校卒業後、財津さんは受験の為に上京します。映画の世界に魅了され、早大文学部演劇学科を目指しましたが、残念ながら受験に失敗してしまいます。

    そして、財津さんは帝劇ミュージカルの研究生になります。また、バイトで生活費を稼ぎながら、榎本健一映画演劇研究所(エノケン)に入り、本格的に演技の勉強を始めました。

    財津さんが尊敬する仲代達也さんに出会い、それを機に財津肇メ(ざいつ・はじめ)の芸名で石井均一座に入門します。奥さんとの出会いは、この一座でした。

    コメディアン財津一郎までの道のり

    俳優を目指して様々な活動を始めた財津一郎さんでしたが、なかなか順風満帆とはいかなかったようです。「30歳になるまでは、砂を噛む思いで頑張ろう」と心に決め、財津一郎さんはどんな辛い仕事も真面目にこなしました。

    不況の波に飲まれ、財津さんが所属する劇団がどんどんつぶれてしまうこともありました。そんな中でも財津さんは、「辛い思いをすればしただけ、味わいがある顔立ちになれる」と、歯を食いしばって俳優活動を続けました。

    そして新宿の劇団で舞台に参加するも、やはり不況の為か、劇団は解散してしまいます。

    活動拠点を大阪へ移動

    そこで気持ちを新たに活動を始めようと一念発起し、財津さんは活動の場所を東京から大阪へ移します。1962年に吉本興行に入り、その二年後には吉本新喜劇に加わりました。

    当時の吉本興行の林社長が、芸名について財津さんにアドバイスをしました。「(吉本では)大衆的な名前でいかなあかん。本名(財津永栄)は堅苦しい。一郎と言えば河野一郎、有島一郎。みんな大物や」という理由から、財津さんは財津一郎という芸名に改名しました。

    俳優、そしてコメディアン財津一郎がここで誕生しました。

    財津一郎の有名なギャグ

    財津一郎さんの持ちネタといえば有名なのが、「~してちょうだい!」です。このギャグはタケモトピアノのCMにも使われていますね。独特なギャグが大衆に大うけしました。

    もう一つ人気があるギャグは、頭の後ろに手を回して逆側の耳を引っ張り上げ、「ひっじょうに厳し~っ!」と叫ぶものです。奇抜な動きと個性的なセリフは、たちまち周りを笑いの渦に巻き込みました。

    後にとんねるずの石橋貴明さんが、バラエティー番組でこのギャグを使用しました。そのことをきっかけに更に若い世代にも親しまれるようになります。長く愛されているギャグの一つです。

    タケモトピアノのCMが流れると子供が泣き止む!

    ↑《15分連続再生》赤ちゃん泣き止み動画セット

    財津一郎さん出演のタケモトピアノのCMですが、なんとこのCMが流れると、赤ちゃんが泣き止むと話題になった事があります。某バラエティー番組では、この話について細かく検証しています。

    なぜタケモトピアノのCMで泣き止むのでしょうか?財津一郎さんの声を調べた所、440ヘルツ周辺の音域である事が分かりました。赤ちゃんは、440ヘルツの音を耳にすると泣き止む習性があるようです。

    それは、赤ちゃんが生まれた時に上げる泣き声が440ヘルツだからでは、という一説があります。赤ちゃんの産声が440ヘルツというのは、全世界の哺乳類全てに共通することです。

    その事から、赤ちゃんはタケモトピアノのCM、厳密にいえば財津一郎さんの声を聞くと泣き止むという事が分かりました。財津一郎さんは特徴的な声ですが、その声は他の人にはないスペシャルなものだったのです。

    財津一郎の芸能活動

    ↑財津一郎出演TVCM 1970~1980年代の動画

    素晴らしい声の持ち主である事が分かった財津一郎さん。彼は、俳優やコメディアンのみならず歌手としても活動をしていました。財津一郎さんは、どのような歌を歌っていたのでしょうか?さっそく、検索してみました。

    財津一郎の歌手活動

    ↑~財津一郎・坂上次郎~(歌の共演)の動画

    1967年:ピュンピュン丸の歌(アニメ『ピュンピュン丸主題歌』)
    1984年:野風増 (カバー曲)
    1989年:「ラストデイト」(片平なぎささんと)
    1994年:かどで歌(金田たつえさんと)

    1994年:バザール3兄弟音頭( NEC、PC-9800シリーズのCMソング)
    1996年:お前は小学一年生
    2003年:タケモトピアノの歌(大阪のピアノ買取専門店・タケモトピアノのCMソング。財津一郎 &タケモット名義)
    2007年:帰ってきたケロッ!とマーチ( テレビ東京系アニメ『ケロロ軍曹』6代目OP。小倉優子さんとデュエット)

    1991年:NHKみんなのうた大全集6・おふろのうた( 収録曲『ぼくは大きな石ころさ』を担当)
    1997年:モダンチョキチョキズのアルバム 『レディメイドのモダン・チョキチョキズ』( 収録曲『くまちゃん』で、濱田マリさんとデュエット。

    こうして調べてみると、有名なCMソングから演歌、アニメ主題歌まで、幅広い歌手活動をされていたのが分かります。また、NHKのみんなのうたも歌われていたのですね。赤ちゃんを泣き止ませる天性の声をお持ちの財津さん。その歌声は、たくさんの子供たちに愛されてきたのでしょう。

    財務一郎のナレーション

    また、1996~1997年に放送された旅バラエティー番組『メトロポリタンジャーニー』では、財津さんが番組のナレーターを担当しています。稀代な声をお持ちの財津一郎さん。彼が、様々な分野で活躍しているのもうなずけますね。

    俳優としての財津一郎

    ↑「喜劇バカ一代」財津一郎 俳優の動画

    歌手としての活躍はもちろん、俳優としても数々の作品に出られています。財津一郎さん出演で特に注目度の高かった作品を、いくつか紹介させて頂きます。

    ↑喜劇 てなもんや三度笠~掛川の馬泥棒~の動画

    1996年~1968年:てなもんや三度笠
    1979年~1980年第1シリーズ:3年B組金八先生
    1988年:大河ドラマ(NHK) 武田信玄
    1996年:大河ドラマ(NHK)秀吉
    2000年:大河ドラマ(NHK)葵 徳川三代

    てなもんや三度笠で人気爆発

    「てなもんや三度笠」は、藤田まことさん主演の時代劇風コメディー番組です。当初、財津さんは浪人の蛇口一角(へびぐちいっかく)役で出演しました。刀をなめまわしたり、奇声を上げておかしな動きをとるなどの奇抜な演技が大衆の人気を集めました。

    財津さんは、「~してちょうだいっ!!」「非常に厳し~い!!」などと、劇中では素っ頓狂な声を上げて、奇人変人な演技をしました。その時は本人は笑いをとるつもりで言ったわけではなかったそうですが、これが世間で大ブレークしたのです。

    そのあまりの人気ぶりに、財津さんは桜富士夫と名前を変えて、写真家の役でレギュラーとして番組に出演するようになります。財津さんの個性的な行動は、全てアドリブだったとか。ここでの経験が、財津さんの芸の持ち味の原点となったようです。

    ここで生まれたギャグは、今もなお、たくさんの人々に愛されています。

    金八先生ではおとぼけ教師を演じる

    ↑3年B組金八先生 (第1シリーズ) 第01話 の動画

    金八先生では、英語の教科担任・左右田先生役を務めました。ここでは、財津さんが持つおとぼけな雰囲気を上手に活用して、ボケ風味のある教師役をこなしています。

    財津さんは、目をみはるような華やかな役ではなく、渋みのある落ち着いた役どころが多かったようです。苦労を重ねれば重ねるほど、役柄に厚みが出ると、努力を重ねてきた財津一郎さん。結果、ご本人の温かみや重厚さがにじみ出る、素晴らしい演技で大衆を魅了しました。

    ここで紹介した作品は、わずか一部です。実際は、財津さんは非常に膨大な量の作品に出演していらっしゃいます。それこそ、ここには記載しきれないほどの数でした。興味のある方は、調べてみてはいかがでしょうか?

    財津一郎に死亡説?

    色々なジャンルで活躍してきた財津一郎さん。彼が、実は亡くなっているのではないか?という噂が、巷では流れていました。2019年現在、確かに財津一郎さんの活動はあまり知られていません。果たして死亡説は事実なのか、検索してみました。

    財津一郎の死亡説が出た原因は手術!

    財津さんは、61歳の時に脳内出血で倒れてしまい、緊急手術を受けていたことがわかりました。このことが理由で、芸能活動をしばらくお休みしています。この活動休止期間と脳内出血で倒れたということが、財津さん死亡説につながってしまったのかもしれません。

    財津一郎の死亡説はデマ!

    財津さんは、一世風靡した持ちネタ「厳し~いッ!」や「~してちょうだい!」や、タケモトピアノのCMで大変有名な方です。もし亡くなっていたのなら、すぐにマスコミが取り上げ、トップニュースを飾っていたでしょう。

    今までそういった情報が取りざたされていないことから、死亡説はデマであった事が分かります。

    財津一郎の現在は?

    財津一郎さんを最近テレビで見かけなかった理由は、脳内出血の手術を行ったことにより、芸能活動からしばらく離れていた為でした。

    脳内出血は、脳の血管が破れて出血し、脳内を圧迫してしまう恐ろしい病気です。最悪、死んでしまうこともあります。大きな病気でしたが手術は成功し、財津一郎さんは一命をとりとめます。

    財津一郎が芸能界に復帰!

    しかし、左半身に麻痺が残ってしまいました。そこで、演技に支障が出ないよう、財津さんはリハビリを行いました。そこからわずか三か月という驚くべきスピードで、財津さんは芸能界に復帰します。これは、財津さんのたゆまない努力あってのことです。

    役者人生をここで終わらせないという、財津さんの思いの強さもあったのでしょう。

    財津さんの右脳には、脳を固定する為の数多くの「びょう」が今もあるそうです。財津さんが、大きな手術をした証です。

    財津さんは手術後、「頭にピリピリと感じる時がある。『そろそろお迎えがきたか?』と不安になってしまう」と話しています。また、もっともっと長生きをする為に、50歳から始めたゴルフについても触れました。

    ゴルフは、生きている証

    健康の為に続けているゴルフを、財津さんは「生きている証」とコメントしました。更に「もっと腕前を磨きたい。目標は、18ホール全てやりぬくこと」とゴルフについて話しています。

    今現在は、財津さんは85歳と高齢ですので、ゴルフをやっているかは定かではありません。健康法の一つで、今は足踏みマッサージを行っているという情報がありました。年齢を重ねて、様々な健康法を使用しているのでしょう。

    芸能界復帰後の作品

    財津さんは芸能界に復帰してから、NHK連続テレビ小説など、さまざまな作品に出演されています。財津さんが76歳の時には、「ふたたび swing me again」という映画に出演しました。この作品について、「自己変革をさせてくれた映画だ」と財津さんはコメントしています。

    ハンセン病の頑固な祖父を熱演

    「ふたたび swing me again」は、ジャズを中心に繰り広げられる、祖父、父、孫の三代に渡る苦悩と再生のストーリー。財津さんは劇中で、50年前に友人と約束したことを守る為、孫と旅に出る祖父(ハンセン病の元トランペット奏者)を演じています。

    この映画では、財津さんは監督に存在感の重さを求められました。ただそこにいるだけで、存在している、と感じられるしっかりとした存在感。それは、財津さんが演じる中での長年の課題だったといいます。

    今までの個性的な演じ方を封じられた財津さんは、この映画のキャラを演じる事で、長年の壁に真っ向から取り掛かることになります。

    演奏に苦戦

    更に財津さんを悩ませたのが、トランペットの演奏シーンです。元トランペット奏者を演じるということで、撮影に向けて、財津さんはトランペットを猛練習しました。ところが、「どんなに練習しても、音がうまく出ない」と、ここでも壁に突き当たることになります。

    「このままでは、せっかくの良い作品を駄目にしてしまう」と、財津さんは一度出演を断念したことがあったそうです。その窮地を救ったのが、ジャズ映画「5つの銅貨」と「情熱の狂想曲」です。

    財津さんは、この映画でダニー・ケイやカーク・ダグラスといった名俳優も、現実には演奏は不可能であったということが頭に浮かんだのです。

    体で表現する

    「実際には吹けないとしても、役者なら真に迫った演技をすることで、突破口が見いだせる」と、財津さんは閃きました。そして、実際のトランペット演奏を受け持った演者、原朋直さんの演奏している動きや立ち振る舞いを、しっかりと目に焼き付け、体で覚えました。

    首筋や腕を痛めながらも、財津さんは体でトランペット演奏を表現してみせたのです。財津さんの、役者としての魂が感じられます。この映画に出演したことで、財津さんは長年の課題がクリアでき、本当に嬉しく、また誇りに思えたでしょう。

    財津一郎の家族は?

    「ふたたび swing me again」では、元トランペット演者として迫真の演技を見せてくれた財津一郎さん。劇中では孫との絆を取り戻す祖父を演じていますが、実際の財津一郎さんのご家族は、何をしていらっしゃるのでしょうか?

    奥様の名前やお子さんのことなど、財津一郎さんのプライベートが気になる方は多いですよね。さっそく、調べてみました。

    財津一郎の妻

    財津一郎さんの奥様ですが、名前は非公開でした。細かい情報は分りませんでしたが、噂によると、一般人ではないかと言われています。

    いつ頃結婚されたのかも、情報は公開されていませんでした。二人の出会いですが、上でも少し触れた通り、石井均一座で知り合われたということです。また、財津さんが大阪に移動された時には、すでにお子さんがいらしたようです。

    ですので、1961年には結婚されていた、と予想されます。あくまでも予想にすぎません。

    苦楽を共に過ごした

    大阪時代は、財津さんは奥様、お子さんと家族でお寺にお世話になっていたようです。この頃、食べ物を得るのにも非常に苦しかった、と財津さんは話しています。どんなに極貧生活でも、奥様は財津さんを蔭から長らく支えてきてくれたのでしょう。

    画像は非公開

    気になる財津さんの奥様の画像ですが、やはり公開されていませんでした。一般人の場合、やはり大っぴらに公開できませんからね。奥様の情報はあまりわかりませんでしたが、少なくとも内助の功を努める、とても素晴らしい女性ではないでしょうか。

    財津一郎の子供

    次に、財津一郎さんのお子さんですが、息子さんが一人いると言われています(正確にいうと、一人と確定してはいないようです)。名前は、財津功さん。生年月日は、1961年8月22日生まれです。

    財津一郎の子供の仕事

    財津功さんは、日本テレビに勤めています。今までたくさんの番組のプロデュースをしており、中には「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」などの有名な番組も手掛けています。大変優秀な方であることがうかがえますね。

    画像は公表されていない

    財津功さんの画像が気になる方が多いでしょうが、残念ながら、彼の画像は公開されていませんでした。タレントさんとは違って、番組を蔭から支える立場ですからね。堂々と公開していないのは、うなずけます。

    AD時代の失敗

    財津功さんがADだった頃、ものすごく冷や汗をかくような失敗をした経験があるそうです。AD時代に、けっこうな空き時間ができた財津功さんは、その時間を使って映画を見ようとしました。

    財津功さんが気軽な気持ちで見始めたのは、「クレイジーキャッツの映画六本立て」という映画でした。一本だけ見たら、すぐに仕事に戻ろうと思っていたそうです。しかし、映画が予想以上に素晴らしく、財津功さんは、なんと仕事のことを忘れて六本全て続けて見てしまったのです。

    財津功さんが我に返ったのは、映画を見終わった後でした。慌てて仕事に駆けつけるも、時すでに遅し。財津功さんは、先輩たちにしこたま怒られたそうです。

    この映画から大切な事を学べた

    まさに冷や汗をかいてしまった財津功さんですが、この映画を見て本当に良かったと、後に語っています。財津功さんは、この映画から「苦しい時こそ笑え」ということを学んだそうです。この言葉は、様々な場面で財津功さんを救ってくれたとか。

    その頃の事を、財津功さんはテレビ番組で熱く語っていました。そんな財津功さんですが、現在は、総合演出家として活躍されているそうです。数々の有名な番組をプロデュースしてきた財津功さん。今も、面白い番組を作るために奔走しています。

    財津一郎と財津和夫は親戚?

    ↑財津和夫・青春の影の動画

    ご家族と固い絆で結ばれている、財津一郎さん。そんな財津さんには、なんと他にも縁で結ばれている有名人の人がいるようなのです。それは、歌手の財津和夫さん!苗字は同じですが、果たしてこれは事実なのでしょうか?さっそく、検索してみました。

    財津和夫とは

    ↑財津和夫:サボテンの花「一つ屋根の下」の動画

    財津和夫さんは、福岡県出身で1948年2月19日生まれのミュージシャンです。グループ「チューリップ」で主に活動しています。大ヒットドラマ「一つ屋根の下」の主題歌、「サボテンの花」で有名ですね。他にも、たくさんの名曲を生み出しています。

    財津一郎さんとの共通点は、苗字、出身地、歌手活動の三点あります。

    噂は事実だった

    調べた所、財津一郎さんと財津和夫さんは、本当に親戚でした!某番組で、財津和夫さんが出た時、彼のルーツを調べた所、なんと財津一郎さん(本名・財津永栄)と同じことが明らかになったのです。

    それは、財津和夫さんの祖父・緒方民平さんの恩師が亡くなったことから始まりました。その先生は、緒方民平さんが小学校へ通えるように尽力してくれた、まさに恩人だったそうです。

    財津家の跡を継ぐ

    先生の跡取りも死去したことを知った民平さんは、恩師の為に、次男の緒方國平さん(和夫さんの父親)に跡を継がせることを決意しました。そうして、緒方國平さんは財津姓を名乗ることになったのです。

    これは財津和夫さんも知らなかったそうで、番組内で「何かつながりがあるのでは?と、半分冗談で言っていたことは何度もあるんですが、まさか本当だったとは…」と、驚きを隠せない様子でした。

    財津一郎のファンだった

    財津和夫さんは、番組内で、元々財津一郎さんのファンだったと告白しました。「びっくりしましたし、本当に嬉しいです。まさか財津一郎さんとつながりがあるなんて」と、驚きつつも嬉しさに顔をほころばせました。

    この話がネットニュースなどで流れると、「すごい!」「ネタではなく、本当の話だったんだ」「本当に!?」など、次々と驚きの声が上がりました。事実は小説より奇なりとはいいますが、本当に不思議な縁ですね。

    タケモトピアノのCMは、今も昔も変わらず愛され続けている

    財津一郎さんは、85歳という高齢の為か、今現在は俳優活動はしていらっしゃらない様子です。しかし、タケモトピアノのCMでは、今も変わらず、財津一郎さんの朗らかな姿が拝見できます。

    これから財津一郎さんの新しい俳優活動を見ることは難しいかもしれませんが、タケモトピアノのCMは、今も昔も変わらず、たくさんの人々に愛され続けるでしょう。

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