風間トオルさんに結婚歴はある?娘が事故死の噂や阿部寛との仲も解説
2024/02/16
himawari3232
日本の映画界で多大な貢献をし続けた、大スター・高倉健さんは、2014年に病気の為亡くなりました。その高倉健さんが亡くなった後に、養女・小田貴さんという方がいることが発覚し、話題になります。
小田貴さんは、高倉健さんの遺産40億円を相続し、不可解な行動が度々取りざたされ、高倉健さんの親戚や親しい周囲の人間は、納得がいかない事も多いそうです。
何故、小田貴さんが養女になったのか?遺産を手にすることが出来たのか?調べていきます!
小田貴さんは一体どんな人なのでしょうか?高倉健さんの養女という事は、きっと歳が離れているのでしょうね。
小田貴さんのプロフィールなどを見ていきたいと思います!
小田貴(おだ たか)
旧姓・河野貴(こうの たか)
芸名・貴倉良子(たかくら りょうこ)
生年月日・1964年1月13日
出身地・東京都板橋区
最終学歴・千代田女学園短期大学
職業・女優、タレント、声優、ライター
小田貴さんは、芸名・貴倉良子として1980年代に女優として活躍されていました。時代劇ドラマ「水戸黄門」や「必殺仕事人」シリーズなどに出演し、他にもテレビリポーターや声優としても活動していたそうです。
その後、ホテルジャーナリストやテレビディレクターとして、活動の場を変えていきました。ホテルジャーナリストとしては、本名・河野貴名義で本をいくつか執筆しています。
高倉健さんの養女になってからは、小田貴さんという名前が本名になっています。
小田貴さんが以前、女優などで活動していたのは分かりましたが、高倉健さんとは一体どこで知り合い、養女になったのでしょうか?
2人の出会いのキッカケや養女になった経緯を見ていきます!
小田貴さんが、高倉健さんと知り合ったキッカケは、1996年頃に知人からの紹介がキッカケだと言われています。小田貴さんは元々、高倉健さんのファンだったようです。しばらくしてから高倉健さんと小田貴さんは付き合うことになり、一緒に暮らし始めます。
当時、小田貴さんは32才、高倉健さんは65才で33才の年の差がありました。小田貴さんは高倉健さんとお付き合いする以前に、離婚歴が2回あったそうです。
2人は、高倉健さんが亡くなる2014年までの18年間を、共に過ごしていく事になります。
2人の交際は、高倉健さんの近くに居る関係者ですら知らなかったそうで、高倉健さんがプライベートをあまり明かしたくなかったのでは?と言われていて、ひっそりと2人は交際を続けてきたのでしょうね。
小田貴さんは2回の離婚歴があり、高倉健さんとお付き合いする際には、もしかしたら結婚するという事はもう考えていなかったのかもしれませんが、実際のところは分かりません。
しかし、高倉健さんも離婚歴が1回あり、高倉健さんは「一生で一人の人としか結婚しない」とずっと心に誓っていたそうです。
18年間の同棲期間がありながらも、小田貴さんと再婚して妻にしなかったのは、もしかしたらその誓いを守り抜きたかったのかもしれませんね。
小田貴さんと高倉健さんは、お互い再婚する事もなく日々を過ごしていき、その間に高倉健さんは大きな病で倒れてしまう事もありました。その間も、小田貴さんは高倉健さんの身の回りの世話などをずっとしてきたと言われています。
高倉健さんが亡くなる1年前に、小田貴さんは養女として書類を提出して、正式に養女になっています。高倉健さんはその時は体調が思わしくなく、自分の死が近い事を感じていたのかもしれませんね。
妻としてではなく養女という関係になり、18年間ずっと側にいてくれた小田貴さんに対して、感謝の気持ちを表す形で遺産を渡したかったのでしょう。それにしても、遺産40億円という金額には驚きです!
高倉健さんは、小田貴さんとは18年間同棲していたことが発覚しました。そして、小田貴さんが妻になる代わりに養女になったことで、高倉健さんの死後、遺産40億円を受け取る流れになっていったようです。
ここから高倉健さんのプロフィールや性格、高倉健さんが結婚は1回きりと決めた、元妻の江利チエミさんについても見ていきます!
高倉健(たかくら けん)
本名・小田剛一(おだ たけいち)
生年月日・1931年2月16日
没年月日・2014年11月10日(83才没)
出身地・福岡県中間市
血液型・B型
身長・180㎝
職業・俳優、歌手
配偶者・江利チエミ(1959年~1971年)
高倉健さんは、元々俳優を目指していた訳ではなく、歌手の美空ひばりさんが所属している芸能事務所のマネージャーになりたかったそうです。しかし、面接の際にたまたま居合わせた関係者からスカウトされて、東映へ入社し、俳優になる為にレッスンを始めます。
その後、映画で主役デビューし、様々な現代劇映画に出演していましたが、任侠映画でイメージを確立させるようになり、東映の看板スターへと登りつめます。
そして、独立後は任侠映画のイメージから脱却したのがキッカケで、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞に輝いたり、ハリウッド映画の出演などが決まったりと、20世紀の映画スターとしての地位を確立していきました。
高倉健さんといえば、とても礼儀正しい人であり、仁義のある人間だと評される事も多いようです。そして、細やかな気遣いが上手にでき、人に対して嫉妬したり妬むことがなかったのだそうです。
高倉健さんの「不器用ですから」という有名な言葉は、多くの人の共感を集め、高倉健さんのイメージにもなっていきましたが、実際は処世術にも長けていて、女性好きという一面もあったようです。
高倉健さんは、女優・江利チエミさんと1959年に結婚し、1971年に離婚されています。元々、高倉健さんは江利チエミさんのファンだったようで、江利チエミさんも高倉健さんのことをとても気に入っていたそうで、結婚まで至ったのだそうです。
しかし、2人の結婚生活は江利チエミの異父姉がトラブルを起こしたのがキッカケで、12年ほどでピリオドを迎えてしまいます。
離婚後も2人の復縁話が噂されましたが、復縁することは無く、江利チエミさんは45才という若さで1982年に亡くなっています。江利チエミさんが亡くなった時には、高倉健さんは、江利チエミさんの自宅の前で1時間以上も手を合わせていたのだそうです。
高倉健さんの死後、養女である小田貴さんは、高倉健さんの親戚と仲が悪かったり、高倉健さんと一緒に暮らしていた豪邸を、取り壊していたという噂があります。どういうことなのでしょうか?
高倉健さんは、2014年11月10日に亡くなったそうで、その最後を看取ったのは小田貴さんだと言われています。実は、高倉健さんが亡くなった後、高倉健さんの親戚などには連絡を一切せず、すぐに密葬してしまったというのです。
その火葬場で密葬を取り仕切っていたのが、養女である小田貴さんで、特に高倉健さんの妹は、兄である高倉健さんの葬式に呼ばれなかったことを悲しんでいたそうです。
しかし生前、高倉健さんは遺言で密葬にしてほしいと言っていたようで、小田貴さんはその遺言通りに進めたとされています。遺言に従ったとはいえ、親戚の方達は最後にお別れを言いたかったでしょうね。
小田貴さんが養女になる際に書いた、申請書類に疑問点があったと言われています。それは、申請書類に高倉健さんの本名の「小田剛一」と書く時に、ふりがなを「おだ たけいち」ではなく、「おだ ごういち」と書いていたようなのです。
確かに、あだ名ではよく「ごうちゃん」などと呼ばれていたそうですが、親戚たちはみんな「たけいち」と呼んでいたそうなので、高倉健さん本人がまず本名を間違える訳がないと言っているそうです。
もし、小田貴さんが代わりに書いていたとしても、18年間一緒に暮らしてきたのに本名すら知らないのかと、親戚の方達は不信でならないようです。
小田貴さんは、高倉健さんが亡くなった後、一緒に暮らしていた世田谷の豪邸を取り壊したそうです。この時、まだお墓も作っていなかったことから、なぜそんなに早く取り壊してしまったのか、近所の方達は疑問に思っていたようです。
そして、高倉健さんが所有していたクルーザーや、高級車なども処分し、さらには高倉健さんと江利チエミさんとの間の水子の墓がありましたが、そのお墓も更地にしてしまったようです。
これらも高倉健さんの遺言通りに進めてきたのかは謎ですが、小田貴さんとしては、元妻の江利チエミさんとの思い出もある豪邸や、水子の墓を見るのは辛かったのかもしれません。
高倉健さんが亡くなり、小田貴さんは遺言通りに様々な事を進めていきましたが、親戚の方や近所の方からは、良く思われていない印象のようでした。
小田貴さんの現在は一体そうなっているのでしょう?遺産40億円の使い道も調べていきます!
小田貴さんは現在、高倉健さんの著作権を管理する「高倉プロモーション」という会社を設立し、社長として様々な高倉健さんのイベントを企画しているそうです。
全国の美術館などで高倉健さんの追悼特別展などを行っていて、高倉健さんのファンなどに向けて活動しているのかもしれませんね。
高倉健さんの豪邸を一部取り壊した後、小田貴さんは遺産40億円から費用を出し、増改築として総工費1億5000万円をかけて立て直したそうです。
さらに、高倉健さんの生前の遺言は、尊敬していたフランスの俳優であるジャン・ギャバンと同じように、葬式はせずに遺骨はお墓に入らずに散骨を希望していたことが明らかになりました。
小田貴さんは、高倉健さんが希望していた通りに、遺言通りに静かに進めていったようですね。小田貴さんは元々は女優だったこともあり、テレビ関係者からは腰が低くて気遣いが素晴らしいと、とても好評な方だったそうで、以外にもバッシングは少ないのだそうです。
今回は、高倉健さんの養女・小田貴さんについて見ていきました。小田貴さんに関しては高倉健さんの死後、色々な憶測が飛び交っていました。しかし、高倉健さんの意志を継ぎ、密葬や散骨などの高倉健さんの希望を叶えていたのが、本当だったようです。
高倉健さんの意志がこれからも受け継がれていき、高倉健さんの作品が色褪せることなく、いつまでも残っていくことを願いたいと思います!
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【この記事は2019/11/28に更新されました。】