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    京都の住んではいけない場所って?今も続く部落差別がやばい!

    多くの歴史的建造物がある観光都市、京都。実は京都には住んではいけない地域が存在し、今でも住人たちが差別を受けていると言います。今回は差別を受ける理由や、京都の具体的に住んではいけないという場所について徹底的に調べてみました。

    京都の住んではいけない場所って?

    京都には住んではいけない地域とされている地域があります。それはかつて差別によって蔑まれていた地域であり、現在もその名残によって偏見や差別が続いているとされています。

    では、そもそもなぜそんな地域が出来たのか。また、どんな歴史があり今に続いているのか、その成り行きを詳しくご紹介していきましょう。

    被差別部落・同和地区って?

    被差別部落とは、江戸時代に身分制度で賤民(せんみん)と言われる身分に属していた人達が集まっていた地域であり、行政上の正式名称では同和地区と言われています。

    身分制度が撤廃された後でもこの地域の人達は就職や結婚などで差別を受けていた現実があり、そこに住んでいたというだけで偏見を持たれていました。

    その為、平成である現在でもその差別の名残りとして住んではいけない地域として語り継がれており、マンションなども増えてきたものの、まだその悪しき印象は拭えずに残っています。

    京都・崇仁地区

    京都駅から歩いて数分のところに、崇仁地区(すうじんちく)という地区があります。ここに「柳原銀行記念館」という青い建物があり、かつてこの地区で実在した酷い差別の痕跡が展示されています。

    貧困地域は全国各地に点在していますが、関西最大の差別による貧困地域の代表例がこの地域であり、明治時代の差別撤廃があるまでは、身分や社会的地位による差別を受けていた人達がここに集落を作っていました。

    差別撤廃が実施された後もここには差別の名残りが残り、その後もしばらくは差別が続いたと言われています。現在でもこの地域にはその差別の爪痕が残っており、京都ではここは住んではいけない地域とされています。

    昔の崇仁地区はやばかった?

    昔の崇仁地区はまさに世界で言うところのスラム街。貧困と治安の悪さから、暴力団や地上げ屋がはびこる地域でもあり、その危険性と凄惨な様子はとても子供を連れては歩けない様子でした。

    崇仁地区出身の方から体験談を聞くと、職場でも「あいつはあそこの出身だから何をするかわからない」と蔑まれ孤独になり仕事を転々としたとのこと。結婚後も夫から出身地を理由に暴力を受け離婚した事もあったそうです。

    こんな差別を受ける地域では当然一般の商売は成り立たず、崇仁地区はどんどん過疎化していき若者もいなくなっていきました。まさにお先真っ暗な状態、所々廃墟と化していたこの地域は、もう未来に希望の持てない捨てられた地域とされていました。

    今の崇仁地区はやばくない?

    そんな崇仁地区に明るいニュースが。2015年に「京都市立芸術大学移転整備基本構想」が策定され、この地域に日本を代表する大学の一つが移転する事に!予定では2023年に建築完成予定とのこと。ようやくこの地域にも希望の光が見えました。

    さらに、これに足並みを揃えるかのように動き出したのがラサール不動産投資顧問株式会社。投資開発に着手し、同社の中嶋康雄代表取締兼CEO最高顧問に、元宝塚市長・正司泰一郎氏を理事長とする「京都駅東地区市街地再開発準備組合」が結成されました。

    これまで過疎化の一途を辿っていた崇仁地区を「学生街」として発展させる計画であり、その計画が成功すれば崇仁地区はようやく黒い歴史と決別できる事が予想されます。

    京都・ウトロ地区

    京都にはウトロ地区と呼ばれる地域があります。崇仁地区とは違った歴史によって同じく過疎化となっている地域ですが、ここもまた治安が悪く差別されてきた地区とされています。

    では、この地域では一体どんな歴史があったのでしょうか?その黒歴史について詳しくご紹介すると同時に、現在のウトロ地区にも触れてみましょう。

    ウトロ地区ではなく宇土口地区?

    「ウトロ地区」という呼び名は「宇土口地区」の口がいつからかカタカナ読みとして呼ばれるようになり、その名が世間に浸透していきました。

    太平洋戦争中に京都飛行場と飛行機工場が建設され、その従業員として1000人を超える朝鮮人が移り住んで来ました。その飯場として栄えたのが始まりであり、その経緯からここには現在でも朝鮮人が暮らしています。

    GHQや西日本殖産とのバトルって?

    そんな歴史から朝鮮人の街と化したこの地域ですが、かつては地主企業である西日本殖産と法的争いをしていた時期がありました。

    その内容としては居住権を題材にしたものであり、「過去の歴史から日本とこの歴史に深く関わってきた企業はこの地域に住む朝鮮人の居住権を保証するべきだ」としたもので、その主張に反発した日本政府と西日本殖産が現地の朝鮮人とバトルをしたというもの。

    戦争によって飛行場の建築がストップしてしまい、それにより路頭に迷った朝鮮人達が不法に日本に滞在し続けた事が要因とされているが、とはいえ朝鮮人の立場から考えればやむを得ない事情とも言える為、一筋縄ではいかない話となっていました。

    実際の治安は?

    ウトロ地区では過去に朝鮮人による不法占拠が行われていて、それでいて居住者の多くが生活保護を受給していました。その為京都市の市民が「不法占拠者達に税金を投入するなって納得できない」とデモ抗議が相次ぎ、昔は一触即発の冷戦状態が続いていました。

    治安としては悪いわけではありませんが、朝鮮人による不法占拠の訴えを書き殴った看板が多く立てかけらており、建設されている家々もどれも老朽化が激しく、今にも崩れ落ちそうなものばかりとなっています。

    その模様はとても子供を住まわせる事ができる様子ではなく、その為ウトロ地区は「危険、怖い」を言われてきた由縁でもあります。

    ウトロ地区の今って?

    現在のウトロ地区は古い家の解体作業が進んでおり、空いた土地に市営住宅の建設が計画されています。居住していた住人たちは建設される市営住宅への引っ越しが決まっており、黒おい歴史が長く続いたウトロ地区にも和解の希望が見えてきました。

    世間の声は?

    韓国のウトロ地区への関心は強く、2005年には女優であるキムヘスがウトロ地区への支援金の募金活動を始めました。「差別に対して地域を守ってきたウトロの人達の歴史を記憶し広める為にも記念館の建設が必要だ」と訴えた。

    また、韓国政府からもおよそ3億6千万の支援金が拠出され、韓国市民団体が募金活動によって集めた6千万と併せ、2007年9月にはおよそ5億の金額で地区全体のほぼ半分を買い入れる話が合意され成立しています。

    被差別部落は関西に多い?

    関西の京都と大阪には日本最大の被差別部落地域が存在します。その為関西には日本の中でも被差別部落地域が多い比率となり、特に京都はその印象が根強く残っています。

    過去の歴史としても、平城京や平安京、室町時代や安土桃山時代などの首都が存在していた事から、その権力争いによって治安が悪くなったとされています。

    京都の同和地区の差別はなくなる?

    噂が独り歩きし現代でも京都の同和地区には差別が残ってるとされていますが、実際にはその差別は徐々に減りつつあります。2016年に「部落差別解消推進法」が設立され、法律としても差別をなくす運動の動きが見えます。

    しかし、実際問題はまだまだ差別はなくならず、社会的な悪い印象の払拭はなかなか難しいとされています。

    京都差別部落地域の未来

    韓国や市民による支援や募金、現地で暮らしてきた人達による同和地区の実態の誤解訂正活動などにより、京都の差別部落地域の偏見は徐々に解消されつつあります。それに伴い記念館の建築や市営住宅の建築が進み、この地域にも明るい未来が見えてきました。

    また、暴力団の抗争により危険とされた京都の崇仁地区にも飲み屋が多く増えてきて、人が集まる活気が芽生え始めました。日本最大の被差別部落地域はその歴史に終焉を迎え始めています。

    有名大学の新設によって学生も増える事で若い世代の住人も増える傾向にあり、ゴーストタウンと化していた街にも若い声が蘇りつつあります。地域を愛する人達の気持ちがこのような結果を生んだ事は事実であり、今後京都は生まれ変わっていく事が期待されます。

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