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    世界三大美女は日本だけ?世界では小野小町ではなくヘレネーが好評?

    日本人であれば世界三大美女と言われればクレオパトラ・楊貴妃・小野小町を思い浮かべると思います。しかしこの「世界三大美女」という概念は日本にしかないそうです。また、三代美女は小野小町ではなく、ギリシャ神話のヘレネーだという声もあります。その真相をご紹介します。

    世界三大美女の概念は日本だけ?小野小町ではなくヘレネーが美女?

    世界三大美女と伝えられる3人の絶世の美女をご存知でしょうか?よく耳にするのが、クレオパトラ楊貴妃小野小町の3人です。この”世界三大美女”の概念は世界という名がついているだけあり、世界でも認知されているものだと思われているかもしれません。

     

    しかし、この概念は日本だけでしか知られていないようです。また、世界三大美女の一人である小野小町は実は美女の一人に含まれず、ギリシャ神話に出てくるヘレネーとの噂もありました。

     

    今回は、三大美女とは?小野小町とヘレネーはどちらが三大美女の一人なのか三大美女とは誰が決めたのかなどの真相をご紹介します。

     

     

    世界三大美女1人目:クレオパトラ  

    映画『クレオパトラ』より

    世界三大美女として最も有名な人物は古代エジプト王朝 女王・クレオパトラ7世です。

     

    クレオパトラは絶世の美女として、後にローマの英雄2人を次々と自分の虜にしていくのが有名です。世界三大美女として語り継がれるクレオパトラはどのようにしてローマの英雄を自分の虜にして行ったのでしょう。

    世界三大美女クレオパトラのプロフィール

    • 実名  :クレオパトラ7世フィロパトル
    • 誕生  :紀元前69年1月又は紀元前70年12月
    • 生誕地 :首都アレクサンドリア
    • 身分  :古代エジプト女王
    • 名の由来:(ギリシア語)父の栄光
    • 父   :プトレマイオス
    • 母   :クレオパトラ5世
    • 姉   :クレオパトラ6世・ベレニケ4世
    • 妹   :アルシノエ4世
    • 弟   :プトレマイオス13世・プトレマイオス14世
    • 死去  :紀元前30年8月29日(39歳)

     

    クレオパトラはエジプト王家、8人家族の3女として誕生しました。クレオパトラは小鳥のさえずりのような美しい声で、一度話したら目を反らせなくなる妖艶な話術で誰をも魅了したと伝えられています。

    クレオパトラが18歳の時、父であるエジプト王が死亡し、1番年上の弟であるプトレマイオス13世と姉弟で結婚。父の遺言で、クレオパトラと夫となったプトレマイオス13世は共同で王位を受け継ぎます

     

    古代エジプトでは、王の血族は純血であるのが望ましいとされており姉弟、親族間での婚姻は当たり前に行われていました。

    18歳で古代エジプトの王になったクレオパトラですが、39歳という若さでこの世を去ります。

     

    原因は自殺と伝えられており、死因はコブラに腕か乳房を噛ませて自害した猛毒を染み込ませたクシで自害したなど、いろいろな説がありますがどれが真実なのかは未だ特定されていません。

    顔の美しさではなく頭の良さ

    映画『クレオパトラ』より

    クレオパトラは、王である父や弟さえ習得できなかった10種類以上の言語を巧みに使い分け多数の民族と会話し、さらに軍事力もあわせ持ち共同統治を任されていた弟より格段に有能だったと言われています。

     

    また、哲学・数学・天文学の素質、生まれ持っての弁論術の才能も合わさりまさにパーフェクト。

     

    人の主観による印象操作も得意とし、式典などで女神イシスの装いで自身が神であるかのように人々に印象づけたと残されています。

    『女神イシス』画

    絶世の美女として、後に世界三大美女とまで語り継がれるクレオパトラですが、クレオパトラより妹のアルシノエ4世のほうが美しかったという話もあります。時代が進化して、妹のアルシノエ4世の顔が復元されたのです。

     

    クレオパトラは見た目の美しさより、頭の良さが秀でていたと言われています。

    世界三大美女 クレオパトラのエピソード

    ① ローマ帝国の英雄カサエルを魅了し愛人へ

     

    クレオパトラはエジプト王国を繁栄させるには、ローマ帝国との交友関係が大切だと考えていましたが、夫のプトレマイオス13世は違いました。頭が良いクレオパトラを妬んだプトレマイオス13世と妹アルシノエ4世は結託し、クレオパトラを国境へと追放したのです。

     

    半年ほど経った頃、ローマ帝国から英雄カエサルがエジプトへやって来ます。この英雄カエサルは、英雄シーザーでも有名ですね。カエサルとシーザーは同一人物です

     

    カサエルは、プトレマイオス13世とクレオパトラを仲直りさせようと2人を首都アレクサンドリアに来るように命じます。しかし、その頃クレオパトラはプトレマイオス13世の軍隊と戦闘中で、アレクサンドリアに行くにはかなり困難な状況でした。

    ガイウス・ユリウス・カエサル

    何としてもローマ帝国の英雄に会いたい…クレオパトラは考えました。『エジプト女王からの贈り物』として絨毯にその身を包み、警備の厳しい宮殿のカサエルの元へ。絨毯の中から突然現れたクレオパトラにカサエルは驚いた事でしょう。

     

    カサエルは、クレオパトラの美しさに一瞬で心奪われます。危険を犯してまで自分の元までやってきたクレオパトラの行動力、絨毯に隠れるという頭の良さ、話せば話すほど小鳥のような心地よい声と、目を逸らせない妖艶な話術。カエサルはクレオパトラに魅了され、クレオパトラを愛人にします

     

    カエサルを味方につけたクレオパトラは、見事プトレマイオス13世を倒しエジプト女王に復活したのです。

     

    カサエルに匹敵するローマの英雄アントニウスに接近し、アントニウスをも虜にする

     

    カサエルの愛人になったクレオパトラでしたが、わずか4年後にカサエルは議会で暗殺されます。カサエルの後ろ盾を無くしたクレオパトラでしたが、絶好のチャンスが回ってきました。見込み違いでクレオパトラが加勢していた軍隊が、カサエルの部下だったアントニウスの軍隊に負け、クレオパトラはアントニウスの元へ出頭することになったのです。

     

    クレオパトラは考えました。英雄カサエルの部下だったアントニウスが今はローマの英雄。この男を魅了できれば…

     

    クレオパトラはアントニウスのために宴を開き、女神アフロディーテを思わせる神々しい衣装に身を包み、全身に芳しい香りを焚きしめ輝きを放つクレオパトラを一目見たアントニウスは、一瞬で心奪われました。

    アントニウスを虜にしたクレオパトラでしたが、アントニウスの愛が深すぎるために、我を忘れたアントニウスは国(ローマ)よりも、クレオパトラを優先してしまうようになり身を滅ぼしてしまいます。

     

    世界三大美女クレオパトラに翻弄された2人の偉大なローマの英雄を嘆く名言があります。

     

    クレオパトラの鼻がもう少し低ければ歴史は変わっていただろう。

    世界三大美女。クレオパトラの名言

    世界三大美女クレオパトラは悲劇の女王として、短い生涯で3つの名言を残しています。

     

    ・悲しみは世界共通。笑いは文化によって異なる。

    ・国を支配するのは男。その男たちを支配しているのはわたし。

    ・お金では幸せは買えない。だが、お金はあなたが不幸である間、なに不自由ない生活をさせてくれる。

     

     

     

    世界三大美女2人目:楊貴妃  

    中国映画『楊貴妃』より

    世界三大美女として2人目に有名な人物、中国唐の『傾国の美女』と称される楊貴妃

     

    楊貴妃がなぜ『傾国の美女』と呼ばれるようになったのでしょう。

    それは楊貴妃が美しすぎた為の、玄宗皇帝とのエピソードがあるからです。

     

    世界三大美女2人目、楊貴妃の人生を見てみましょう。

    世界三大美女。楊貴妃のプロフィール

    中国映画『楊貴妃』より

    • 実名  :楊 玉環(よう ぎょくかん)
    • 生誕  :719年6月1日
    • 出身地 :中国の蜀。
    • 父   :楊 玄淡(よう げんたん)
    • 兄弟  :兄1人・姉3人
    • 夫   :玄宗皇帝
    • 身分  :誕生・庶民、最終・貴妃(順位2位)
    • 改名  :玄宗皇帝の妻となり楊貴妃と変更
    • 没年  :756年7月15日(37歳)

     

    世界三大美女2人目の楊貴妃は、日本では奈良時代に当たるころ、中国の蜀州の庶民だった父楊玄淡の4女として産まれました。

    中国映画『楊貴妃』より

    楊貴妃がまだ幼子だった頃に両親が亡くなり、その後は叔父に育てられました。叔父は蜀の役人で、庶民産まれだった楊貴妃にとって叔父の家での暮らしは、そこそこの中流家庭で充分な教育・教養を身に着けられる好条件でした。

     

    楊貴妃は、天真爛漫な性格で、とても明るく人を引きつける魅力のある人物だったとされています。また、琵琶などの楽器の演奏、舞踊などの類まれなる才能を発揮し、才色兼備の美人として知られるようになります。

     

     

    絶世の美女だった

    中国唐の時代の美人の基準は、ふくよかな女性。唐の時代は食糧不足により満足に食事が取れない人々が多く、ふくよかな女性は憧れでした。楊貴妃のことを体重が70kgあった、白豚だったと言う学者も存在しますが、楊貴妃は踊りが上手でいつも踊っていたとされています。

     

    その事から、踊っている楊貴妃が太っていたとは考えにくく、楊貴妃は太っていたのではなくグラマラスな美人だったとされています。当時の楊貴妃の見た目は、艷やかな黒髪、透き通るような白肌、パッチリとした大きな目、おちょぼ口だったと言われています。

     

    当時の人々の楊貴妃のイメージは百合の花、ヤナギ、狐とも言われしなやかな美女とされています。『三千の寵愛一身にあり』と、三千人もの美女が居る後宮で皇帝の寵愛を一身に…という言葉があるように、美女でも敵わない絶世の美女だったのでしょう。

     

     

    庶民から皇帝の後宮に

    世界三大美女である楊貴妃は産まれは庶民でしたが、両親との死別により叔父の元で中流家庭で育ち、16歳の時に玄宗皇帝の18番目の子息、寿王(じゅおう)の妻となります

     

    寿王の妻となった楊貴妃でしたが、見た目が美しいだけではなく、頭脳明晰、琵琶や笛などの音楽の才能、踊りの名手、それでいてグラマラスな体型とここまでパーフェクトな条件が揃った絶世の美女を、寿王の父である玄宗皇帝が魅了されてしまったのです。

    中国映画『楊貴妃』より

    すっかり絶世の美女、楊貴妃に魅了されてしまった玄宗皇帝は、なんとか息子の寿王から楊貴妃を奪おうと、楊貴妃を無理やり寺で出家させ、出家に伴い寿王とは離縁させ、ほとぼりが冷めた頃に自分の后として楊貴妃を後宮へ迎え入れたのです。

     

    玄宗皇帝55歳。楊貴妃21歳の時でした

    世界三大美女:楊貴妃のエピソード

    中国映画『楊貴妃』より

    玄宗皇帝は楊貴妃を寵愛し、片時も側から離さなかったと言います。城外視察などの外出は常に連れて行き、寒い冬には仲良く温泉に浸かり、2つが重なったミカンを仲良く食べる二人を絵に描かせ、ライチが大好きだった楊貴妃のために、数百キロの道のりを早馬を使い届けさせたり。

     

    また、玄宗皇帝は自分で作曲までするほど音楽が大好きで、玄宗皇帝が作曲した曲を一番上手に演奏できる楊貴妃を溺愛していたと言われています。お酒の席では、酔冷ましに玄宗皇帝と、楊貴妃が両陣営に分かれ数百人の人員を使い戦争ごっこをして遊んでいたとも。

     

    そんな玄宗皇帝と楊貴妃ですが常に仲良しだった訳ではありません。たまには喧嘩をすることも。しかし、玄宗皇帝が怒るたび頭をこすりつけ許しを乞う楊貴妃の姿が、玄宗皇帝は愛おしくてたまらなかったと言います。

    中国映画『楊貴妃』より

    玄宗皇帝は楊貴妃のために、身なり全般を取り揃える職人を何百人も雇い、役人が楊貴妃のご機嫌伺いで贈り物を贈った場合など、その役人を昇給させるなどしてお金を湯水のように使うようになりました。玄宗皇帝は楊貴妃の一族も大事にしており、楊貴妃一族は次々と昇格し、瞬く間に高級官僚となりました。

     

    しかし、それら全ては楊貴妃が望んだ訳ではありません。玄宗皇帝が楊貴妃が愛おしいばかりに、楊貴妃に喜んでもらいたい一心でやった事なのです。

     

    処刑されてこの世をさった楊貴妃

    楊貴妃は享年37歳という若さでこの世を去ります。楊貴妃の死因は処刑。首吊りの刑でした。

    中国で安史の乱が起きてしまいますが、陛下の部下たちは楊貴妃がいなければこんなに国が荒れることもなかったのに…と怒り、玄宗に楊貴妃を処分するように訴えました。

    皇帝は逃避行を手伝ってくれた部下に処分を嘆願されてしまっては流石に断ることもできず、玄宗自らの手で楊貴妃は首を絞められて殺されてしまいました。楊貴妃は自分の死を受け入れ、抵抗することなく従ったそうです。

    『楊貴妃』がこよなく愛したライチ

    しかし、玄宗皇帝がいくら楊貴妃に喜んでもらうためにやった事だとしても、楊貴妃の一族はそれに便乗しやりたい放題となり、それに反発をした勢力に滅ぼされることになります。そして、そもそもの原因は楊貴妃だとして処罰されることとなります。

     

    国のためだとしても、愛する寵姫を処罰しなければならなかった玄宗皇帝は、楊貴妃の誕生日の贈り物として海外から取り寄せていたライチが楊貴妃が亡くなった後に届き、そのライチを抱きしめて泣き崩れたと伝えられています。

     

    『傾国の美女』として悪女という人も多いですが、本当の楊貴妃は天真爛漫で政治には全く興味がなく、ただ皇帝に愛されただけの悲劇の女性という伝説も多いようです。

    楊貴妃の名前の意味

    楊貴妃の名前の"貴妃"という言葉は二番目にえらい奥さんを意味します。他にも○貴妃という呼び名の女性はたくさんいますが、楊貴妃の場合は楊という名字の家から来たため、楊貴妃と呼ばれていたようです。

    小野小町を世界三大美女に含まれない?

    世界三大美女として、唯一の日本人で知られるのが小野小町です。しかし一部では小野小町は世界三大美女に含まれないと言われていることもあるようです。

    歴史上には美女として数々の有名な女性が居るにも関わらず、日本が小野小町を世界三大美女とした理由を一緒に見ていきましょう。

    小野小町プロフィール

    『小野小町』

    • 名前  :小野小町(おののこまち)
    • 生誕  :おそらく825年頃
    • 出身地 :不明
    • 親族  :不明
    • 享年  :おそらく900年頃
    • 時代  :平安時代前期9世紀頃

     

    日本の歴史上、絶世の美女として今なお伝えられているのが小野小町です。日本で三大美女の一人に名を連ねていますが、この小野小町とにかく謎の人物なのです。謎が謎を生み、それでも絶世の美女という言い伝えが浄瑠璃や能といった日本の伝統芸の演目として使われ、多くの伝説が残されています。

    小野小町の墓

    産まれた年も没年も、何もかもが『おそらく』と付け加えの言葉が入っています。正没年がおそらく825〜900年とすると75歳位まで生きた事になり、結構長生きした事になりますね。

     

    親の名前も、小野小町だから小野良真の娘、小野滝雄の娘など数人出てきます。また、仁明天皇の更衣、文徳天皇の更衣、清和天皇の更衣と、天皇の后の中でも身分の低い后だった説など様々です。

     

    産まれた場所も北は秋田県や山形県、南は熊本県まで全国で小野という地名が付いている場所処々に生誕伝説があります。小野小町のお墓や塚や供養塔など、全国に数多くあり過ぎてどれが本物なのか謎だらけです。小野小町の死因などはもちろん謎です。

    小野小町は本当に美人?

    日本で世界三大美女とされている小野小町ですが、本当に絶世の美女だったのか?誰もが考えた事がありますよね。調べてみると小野小町は絶世の美女であったため、連日求婚者があとを立たなかったと伝えられています。

     

    小野小町の絵はたくさんありますが、どれも描いた人のイメージ画ばかりです。平安時代の美人の特徴は、黒髪・大きい顔(下ぶくれ)・白肌・一重まぶた・おちょぼ口・小鼻など言われていて、小野小町もそうだったのでしょうか。イメージしてみると絶世の美女とはかなりかけ離れているような…

     

    平安時代は現代と違い、電気設備が整っていないため広い屋敷は昼でも暗く、白い大きな顔は見つけやすく美人だったと言われています。

    小野小町を伝説の美女にしたのは『古今和歌集』に平安時代の有名な歌人、紀貫之(きのつらゆき)が『小野小町は衣通姫(そとおりひめ)の流なり』と歌を記した事にありました。衣通姫とは、日本書紀などの登場する伝説の美女のことです。

     

    光り輝く眩いオーラが衣を通しても伝わってくる。衣を着ていても美しい光が流れてくる。と小野小町の事を綴った(つづった)のです。この歌がきっかけで人々の間では、小野小町が絶世の美女であると伝説になったのです。小野小町が謎だらけの人物であると言うことも、人々にとっては魅力的だったのでしょう。

     

    また、小野小町が晩年に、小野小町縁の寺『随心院』で療養中に残したとされる有名な歌があります。

    小野小町。縁の寺『随心院』

    花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に』[古今和歌集]

     

    【現代語】花の色は、むなしくも衰え色あせてしまいました。春の長雨を眺めているうちに。(わたしの美しさはむなしくも衰えてしまいました。恋愛や世の中のいろいろな事に悩んでいるうちに。)

     

    この歌を読んだ小野小町は自分が美人だと分かっていました。そして、美人だからこそ、この評判だけを聞きつけて自分の元に求婚に来る男性が嫌いでした。求婚に来る男性の多さ数知れず、断り続けていたら、いつの間にか自分の美しさも虚しく衰えてしまった。と嘆く歌です。

    小野小町を伝説の美女にした『百通い伝説』

    平安時代、絶世の美女と言われる小野小町のもとへ、熱心に求愛にやって来る深草少将がいました。その頃の小野小町には、他にも毎日のように求婚者が次々と訪れて、世間の噂だけで求婚してくる男性たちに嫌悪感さえ抱いていました。

     

    断っても熱心に通う深草少将に、無理なことを言えば諦めるだろう…と思った小野小町は、『百夜、一日も欠かさず私の元へ通えたならあなたと契を交わします』と結婚の約束をしました。百日と言えば、途中で諦めるだろうと思ったからでした。

     

    それから深草少将は小野小町の元へ通います。雨の日も嵐の日も、毎日毎日。昼間は自分の仕事に励み、疲れていても一里半(5キロ位)離れた所から歩いて通い続けます。小野小町は深草少将が来たら毎日芍薬の木を植えて数えていました。80日を過ぎた頃、小野小町は深草少将の想いの深さに気づきます。

    芍薬の花

    だんだんと、深草少将の来る夜を待ちわびるようになったのです。そして毎日欠かさず通ってくれる深草少将に少しづつ恋心を抱き、この人となら…小野小町は決心したのです。『まだ百夜ではないけれど、今夜あの方が来てくれたら結ばれよう』小野小町は夜を待ちました。

     

    外は雪が降っています。雪をぼんやり眺め小野小町は流行る気持ちを抑えながら夜を待ちました。夜になり、いつもの時間になっても深草少将は現れません。『あの方なら必ず来てくれるはず』小野小町は信じて待ちました。とうとう深草少将は現れませんでした。

     

    深草少将は10日前位から高熱を患い、それでも毎日小野小町の所へと通っていたのです。そして雪の降る日の夜、いつものように小野小町の所へ通う途中、高熱で意識を失いそのまま帰らぬ人となったのです。99日目の夜でした。

    この『百通い伝説』は逸話です。実際には深草少将などは存在しません。しかしその逸話を信じた人々が、小野小町を絶世の美女にし、深草少将が通ったとする道や住んでいたとする随心院などが、京都に伝説とともに残されています。

    小野小町は素晴らしい歌人だった

    思ひつつ眠ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを』[古今和歌集]

     

    【現代語】愛おしい貴方を想いながら寝てしまったから夢で貴方を見れたのかしら。夢と分かっていたのなら目を覚ましたりしなかったのに…

     

    この小野小町の和歌は、映画監督の新海誠さんが『古今和歌集』の中で影響され、映画『君の名は』を制作したとして有名です。千年以上前の恋の歌がこうして、現在の映画監督の気持ちを揺さぶり、名作まで誕生するなんて素晴らしいことですよね。

     

    小野小町は女性でありながら六歌仙・三十六歌仙といった名誉ある称号まで贈られた素晴らしい歌人でした。

    小野小町『古今和歌集』

    小野小町は情熱的な恋愛感情を和歌で表現するのがとても上手でした。現代と違い好きな人にも女性の方からは会いに行けない、ただひたすら待ち続けるだけの切ない思いを情熱的に歌に込めたものが多く、恋しい人とも夢の中でしか会えない…といった『』を使った和歌が多数あり、小野小町は『夢の歌人』とも呼ばれ平安時代の奥ゆかしい気品が伝わります。

     

    うたた寝に恋しき人をみてしより夢てふものは頼みそめてき』[古今和歌集]

     

    【現代語】うたた寝をした時に愛しいあなたを見てしまった時から、あてにはならないと思っていた夢を、今は頼りに思い始めるようになってしまいました…

    世界では小野小町はメジャーではなかった

    日本では世界三大美女の中に小野小町が入っていますが、本当の世界三大美女は小野小町ではなくギリシャ神話のヘレネーです。よくよく考えてみると、世界の人々が小野小町を知っているのか?という所から疑問ですよね。日本人の私達でさえ、小野小町をよく分かっていないのですから。

     

    日本が小野小町を世界三大美女としたのには、小野小町が素晴らしい平安時代の歌人だったと言うのが理由です。平安時代という時代は、女性は成長してからは、家族でさえ男の人には顔を見られてはいけないという時代でした。

    その平安時代に男性がどうやって、女性を美女であると判断するのか?それが和歌でした。素晴らしい和歌を歌える女性こそが、教養があり、気品がある美女とされたのです。そして名誉ある称号まで与えられた歌人・小野小町は絶世の美女と言われるのです。

     

    また、『百通い伝説』などのたくさんの美女伝説を残し、まだまだ謎の多いミステリアスな魅力も相まってクレオパトラや楊貴妃に並ぶ世界三大美女に日本人はしたかったのでしょうね。

    小野小町に替わる世界三大美女ヘレネーってどんな人?  

    本当の世界三大美女は小野小町ではなくギリシャ神話の女神ヘレネーだと言われることもありますが、女神ヘレネーとはどのような女神なのでしょうか?

     

    世界三大美女女神ヘレネーについて詳しく見ていきましょう。

    ヘレネーのプロフィール

    『ヘレネ』画

    • 名前  :ヘレネー、(ヘレネ)
    • 生誕  :不明
    • 生誕地 :ミケーネ文明時代・スパルタ
    • 義父  :スパルタ王・テュンダレオース
    • 母   :スパルタ王妃・レーダー
    • 実父  :全能神ゼウス

     

    世界三大美女として小野小町ではなく、本当に名を連ねているのがこのギリシャ神話に登場するスパルタ王女ヘレネーです。ヘレネーは産まれて間もない頃より、その美しさはギリシャ1、いや世界1とまで言われ現代でも、絶世の美女の代名詞として使わることの多い人物です。

     

     

    その美しさが原因で、わずか10歳の美女を我が物にしようとしたアテネ国王テセウスに誘拐され、戦争になったというのです。

     

    ヘレネーの結婚相手を決める際には、富豪国スパルタ王国と、絶世の美女ヘレネーが揃って手に入るというラッキーな状況にギリシャ中の若者が宮殿に集まり、収集がつかない結果となりましたが、その中からヘレネーに選ばせミケーネ国の王子メネラオスが選ばれる結果となりました。

    美しすぎて戦争がおこる

    『ヘレネーの陵辱』

    ヘレネーのエピソードの中で一番有名なのがトロイア戦争です。

     

    スパルタの王テュンダレオースが死去し、スパルタ王妃になったヘレネーですが、トロイア王国の王子パリスが絶世の美女ヘレネーに心奪われ、ヘレネーを誘拐してしまいます。トロイア王国に連れて行かれたヘレネーを奪い返そうとまたまた戦争が起きます。

     

    このトロイア戦争は10年も続き、10年間トロイア王国を包囲していたギリシャ軍が知恵を絞って、巨大な木馬(トロイの木馬で有名ですね)をつくり、その中に勇猛な兵士を忍ばせ、和解の贈り物と偽り開城させ、城に一気に攻め込みヘレネーを奪還したと言われています。

    ゼウスとヘレネーの関係

    『全能神ゼウス』画

    スパルタ王妃ヘレネーは、表向きはスパルタ王テュンダレオースの娘になっていますが、本当は王妃レーダーと全能神ゼウスの娘です。王妃も美しい人だったのでしょう。美しいものに目がない全能神ゼウスは白鳥の姿で王妃レーダーに近づき、無理やり王妃レーダーと関係を持ったとされています。

     

    そこで産まれてきたのが、ヘレネー。彼女が絶世の美女なのも当然ですね。半分とはいえ全能神ゼウスの娘、ヘレネー自体が女神なのですから。

     

    ギリシャ神話には数々のエピソードがあり、ヘレネーは全能神ゼウスが『人間が神に対して敬う心を忘れた事への制裁』としてトロイア戦争などを起こさせ、人間の数を減らそうとしたなどいろいろあります。しかし全能神ゼウスの娘とは…凄いですね。

    ヘレネーは神話上の人物なので含まない?

    世界三大美女として名前が連なる女神ヘレネーですが、実際生存したクレオパトラや楊貴妃とは違い、神話の中の人物です。そんな神話の人物を世界三大美女とするのか?と疑問に思う人も多いのでは無いかと思います。

     

    ヘレネーですが、全能神ゼウスの娘ではありますが半分は人間です。ヘレネーは成長するほどその美しさを倍増させ、人間界で最も美しい絶世の美女になったとされていますからヘレネーは女神ではあるけれど、人間界の絶世の美女という事になったのだと解釈されています。

    マリー・アントワネットを含めて世界四大美女

    『マリー・アントワネット』画

    クレオパトラ・楊貴妃・小野小町で世界三大美女と言われていますが、これにマリー・アントワネットを入れて四大美女とする事もあるようです。

    マリー・アントワネットとは一体どんな人物だったのでしょうか?

    マリーアントワネットは1755年11月2日から1793年10月16日まで生きた人物で、フランス国王ルイ16世の王妃です。

    マリーアントワネットは「美貌、純情な反面、軽率、わがまま」だったと伝えられており、国民から反感をえるなどあまり好かれていない人物だったそうです。

    また、「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」など、庶民をあざ笑うかのような上流階級の上から目線で国民をバカにしていた傲慢として有名です。

    そもそも世界三大美女は誰が決めた?   

    そもそも、世界三大美女って誰が決めたの?って疑問がありますよね。人によって好みも違えば、国も違う。

     

    広い世界の中から、また今までの歴史の中から三人を選び出すのはかなり困難なのでは?

    世界三大美女は誰が決めたのか?世界共通なのか?見ていきましょう。

    世界三大美女は日本独自のもの?

    世界三大美女という言い方は、世界でも使われているのでしょうか?答えはNOです。世界三大という使い方は、日本が独自に広めた言葉なのです。日本人の誰かが、最初に世界三大という言葉を使い、一般的に有名な、それでいて認識度の高いことに、世界三大や日本三大など名前を付けて紹介する事が多いようです。

     

    また日本で紹介される世界三大や日本三大は最初に言った誰かの主観に基づく事が多いので、皆が共通という認識とは異なるそうです。あくまでも、なんとなくそうであろう。という感じで決められるのだそうです。

     

    地域や国によって異なる!

    世界三大美女は日本ではクレオパトラ・楊貴妃・小野小町ですが、世界ではどういわれているのでしょう。

     

    中国では西施(せいし)・王昭君(おうしょうくん)・貂蝉(ちょうせん)・楊貴妃(ようきひ)の四人。中国では三大どころか四大なのですね。

    インドではシャクントラ・メンカ・ルップマティ

    ギリシャではビーナス(アフロディーテ)・ヘラ・アテナ

     

    など、国によって”美しい”の基準がこのなることも多々あるようです。

    世界三大美女の中で付き合うとしたら…?

    もし世界三代美女のクレオパトラ・楊貴妃・小野小町の中の誰か一人と付き合うことができるとしたら誰がいいか?という質問を社会人の男性にしてみました。

    日本人の社会人男性から人気の高かった世界三大美女は一体誰なのでしょうか?

    世界三大美女と付き合えるなら

    もし世界三代美女の中の誰か一人と付き合うことができるとしたら誰がいいか?という質問を社会人の男性にしてみたところ、1位小野小町、2位クレオパトラ、3位楊貴妃という結果になりました。

     

    この理由を聞いてみたところ小野小町は同じ日本人ということもあり、時代は違っても日本人同士で通じるところがあるからだそうです。

    クレオパトラや楊貴妃が選ばれた&選ばれなかった理由は?

    クレオパトラは強い女性の象徴として知られているため、そのような真のある女性にリードされたいという男性の意見がありました。

    第3位という結果になった楊貴妃は美しさゆえに安史の乱を引き起こしたことからスリリングな感じがして少し近寄りがたいとの声がありました。

    現代の三大美女といえば?

    『武則天』ファン・ビンビン

    現代で世界三大美女を選ぶとしたら?調べてみました!

     

    人それぞれ、主観が違うので、三人を選ぶのは難しいですが、現代で世界三大美女を選ぶとしたら?でコメントの多かった方々を紹介します。

     

    現代の三大美女・美女大国1の美女:ファン・ビンビン

    『ファン・ビンビン』

    中国の美女の頂点に君臨するのが、女優ファン・ビンビンさん37歳です。

     

    このファン・ビンビンさんの美しさは誰もが認めるナンバーワンです。人それぞれ主観はあるものの、知っている人なら必ずと言って名前が上がるほどの美女です。15億人の頂点ですから、やはり知名度も高いですよね。

     

    世界三大美女現代版に入れるとしたら?との質問に1番多く名前が上がったのがこのファン・ビンビンさん。なので、ファン・ビンビンさんは世界三大美女現代版の1人に入れても良いのではないでしょうか。

    世界三大美女現代版:2人目・3人目はだれ?

    『エマ・ワトソン』

    世界三大美女現代版を選ぶとしたら?で名前が多く上がったのが、イギリスの女優エマ・ワトソンさん28歳です。

     

    ハリーポッターシリーズのハーマイオニー・グレンジャー役で有名です。国連でスピーチをするなど、才色兼備として有名です。

    『ナタリー・ポートマン』

    世界三大美女現代版を選ぶとしたら?で名前が多く上がったのが、イスラエルの女優ナタリー・ポートマンさん37歳です。

     

    リュック・ベッソン監督『レオン』でマチルダ役を見事演じ、初映画デビューを果たした女優さんです。2012年に結婚し、現在2児のお母さんです。

    『アンジェリーナ・ジョリー』

    世界三大美女現代版を選ぶとしたら?で名前が多く上がった人、アメリカの女優アンジェリーナ・ジョリーさん43歳です。

     

    アンジェリーナ・ジョリーさんは日本でも何かと話題になることが多く有名ですね。誰もが認めるハリウッドスターでブラッド・ピットさんとは離婚しましたが、6人いる子供のうち3人が養子です。

     

    ボランティア活動にも積極的でとても素敵な女性ですね。

    『石原さとみ』

    この他にも、日本人だと石原さとみさんや北川景子さんデヴィ夫人、中国のアンジェラベイビーさんなど、たくさんの人たちが上がっていました。

     

    結局、世界三大や日本三大は言い出した人の主観が強いと言うことなので、人それぞれで良いのではないでしょうか。

     

    それにしてもみなさん本当に美女ですよね。

    世界三大美女の伝説は、まだたくさん存在します

    今回は世界三大美女は日本だけ?世界三大美女の一人は小野小町ではなくヘレネー?を紹介しましたが、世界三大美女という言い方は日本が独自に言っているのだと言うことには驚きでしたね。しかし、世界も同じ様に、世界三大美女と言う言い方はしなくても同じ様な感じにはなっているのではないでしょうか。

    世界三大美女に小野小町が含まれないのも少し残念な感じもしますが、世界でみるとやはりヘレネーの方が、有名で女神なだけあって伝説も多く、最もですね。今回紹介した世界三大美女の伝説もほんの一部です。まだまだ、いろいろな視点から、また、全く違う解釈をした伝説などもあり、いろいろと調べて見るのも楽しいですよ!

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