木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
岩手県に位置する雫石町は、自然豊かでもあり小岩井農場という有名な場所もありますが、地域慰霊の森という場所があって、そこは心霊スポットとしても有名になっています。
国内には数多くの心霊スポットが存在しますが、『慰霊の森』があります。慰霊の森は航空機事故の現場となった場所です。今回は、この慰霊の森について航空機事故についてや心霊スポットの点などを伝えていきます。
事故の経緯やその悲惨さを知り、慰霊の森がどういった意味を持つのかを理解することもとても大事です。その上で、慰霊の森にまつわる心霊現象に関しても知っておくようにしましょう。
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まずは、慰霊の森がどこにあリどういった場所なのかを見ていきます。場所を知っておくことで、その場をイメージしやすいかもしれません。
続いては、全日空機雫石衝突事故の概要について伝えていきます。この事故は、どの様なものだったのかを知っておきましょう。そして、どういった方が犠牲になったのかも把握しておいてください。
全日空機雫石衝突事故は、1971年7月30日午後2時5分頃に発生しました。雫石町の上空において、全日空機58便と航空自衛隊第一航空団松島派遣隊に所属しているF86Fジェット戦闘機が衝突をしたのです。この事故は、1985年の日本航空123便墜落事故が起こるまでは国内の航空機事故としては最大の犠牲者が出ています。
当事故の犠牲者は162名ですが、そのうち122名は団体旅行客でした。静岡県富士市の吉原遺族会の北海道旅行団の一行だったとされています。全日空機58便は新千歳発大阪行きであり、皆さん旅行を楽しんだ後だったのでしょう。大変にいたましい限りとなっています。
航空機事故にも原因があるものです。ここで、全日空機雫石衝突事故が起きてしまった原因について迫っていきます。一体、どういった原因で事故は起きたのでしょうか。その全貌に関して見ていきましょう。
事故の原因に関し全日空機側の操縦者においては、自衛隊の訓練機を最低でも接触する7秒ほど前より視認していたと考えられるものの、接触するすぐ前まで回避のための操作はされませんでした。自衛隊の訓練機と接触をした際も、2機は同じ航路で異なる高度を飛行していたとされています。
ところが、全日空機側が自動操縦が効かなくなったためか、高度を下げてしまいます。
高度を下げたことで、訓練機の垂直尾翼と接触してしまったのです。、自衛隊側としては共感が訓練空域を外れてジェットルートJ11L内に侵入したことに気が付かず、訓練飛行を続けた点も1つとして言われています。また、訓練生が全日空機を視認する少し前に、教官が接触を回避する指示を訓練生に行ったのですが、それが遅かったことで訓練生が回避するのに間に合いませんでした。
さらに、訓練生は接触してしまう2秒ほど前に、自衛隊機の右側少し下方に全日空機を視認したために、すぐに回避のための操作をしたものの、接触を回避できなかったのです。
衝突をし、双方の機体は操縦ができなくなりました。全日空58便は下降しながらもしばらくは飛行していたものの、水平安定板と昇降舵といった機能が無くなってしまっていたために、下降の状態から元に戻ることができずに速度だけが加速し、いつしか音速を超えてしまい約5,000メートル付近において空中分解して墜落に至りました。
自衛隊機の方は、接触をしてから錐揉み状態となったのです。しかし訓練生は射出座席装置のレバーを引こうと試みるも、機体の回転での遠心力によって手をレバーへと動かせませんでした。それでも風防が無くなっていることに気付き安全ベルトを外して自力で脱出し、パラシュートで効果後に生還しています。
全日空機雫石衝突事故の現場は、とても凄惨だったとされています。しかしそれは本当にあったことですし、目を背けることのできることではないでしょう。どんな現場だったのかもしっかりと抑えておくことも大事です。
ある方は、子供の頃に事故を目の当たりにしました。偏西風に乗り機体の残骸が流されてきたと言います。その際には、黒い粒のような人の姿も見たのでした。事故の後にはテレビで速報が流されて、それも観ていたその方は『まさか自分のところでは見えないだろう』と思っていました。人が落ちてくる様は、当時実際に見た人の話では"ごま粒のようだった"としています。その方は、幼い頃より霊能力があったとしています。事故の後にとある寺を訪れ境内で1人で遊んでいました。
その寺には供養するために事故の遺体が運ばれていたのです。寺にあるお堂から、幾人も人が出入りをしていました。それは意思を持っている影が動いているようだったそうです。その影がその方に気付き、『ここはどこだ』と声をかけてきました。その方が雫石だと教えると影がまた『雫石とは何だ』と聞いてきたので、そんなのも知らないのかとその方は返したのでした。するとその影は苛立ってお堂に消えていきました。雫石町内のボランティアをされている方達や消防の方達によって遺体の捜索がされましたが、遺体を全て見つけるまでに3日間を要したとされています。
しかも事故の季節が暑い頃だったこともあり、遺体の傷み具合も酷いものがあったのでした。それに血液または細かな内臓等、激しく傷んでいる部位に関しては見つけられないことから、その場において腐敗したのです。すると、リン酸が沢山発生して事故後に雨が降り化学反応を起こしたことで、今の慰霊の森一帯は夜でも光っていたという話があります。
心霊スポットを言われる理由や、あまりメディアで取り上げられない理由について迫っていきます。一体、どの様な心霊現象が起きているのかを、見ていきましょう。
ある日、友達数人と慰霊の森に肝試しに行こうという事になりました。
人数が多かったので車2台で行く事になり私は後続車の方に乗っていました。
最初は本当に軽い気持ちで、
おやつ等を買い込みカーステレオでお気に入りの歌をかけて、
皆でワイワイしながら慰霊の森へと車を走らせたのです。
ところが、だんだん慰霊の森に近づいてきた頃、
突然車中の空気が重くなるのを感じました。
何か嫌な感じだなと思ったその時、
誰も触っていないのに突然カーステレオの音量が最大になり、
車のエンジンが止まってしまいました。
しばらくして、前を走っていた仲間の車が異変に気付き戻ってきたそうです。そして前の車の運転手に事情を説明していると、かかるはずのないカーステレオから『来るな!帰れ!』という声が聞こえてきたと言います。
それは前の車も同様だったそうで、その方達は慰霊の森へと行くのを諦め帰ることにしたそうです。すると、車のエンジンがかかりました。そして数年が経ち、また慰霊の森に行くことにしましたが、その時期は冬でした。冬といってもそこまで積雪があったわけではなかったものの、タイヤが雪に埋まってしまい動けなくなったといいます。
レッカーを呼び帰ろうかと話していると、車はスーッと動き出したのです。さらに後から気付くとフロントガラスにべったりと手形が付いていたということでした。
数年前の夏の夜に僕は友達3人と岩手で飛行機が墜落した場所に肝試しに行く事になりました。
やはり若いという事もあり、ふざけ半分でしたね。
いざその場所に向かってると、だんだん明かりもなくなって、
森になり雰囲気も迫力満点になってきました。
すると、山の上の方から何かの明かりが下りてきました。
その明かりはタクシーのものであり、すれ違うとすぐにタクシーがその方達を追いかけてくるではありませんか。後ろにぴたりとついてクラクションなどを鳴らしたりしてきたため車を止めました。
するとタクシーの運転手は「お前達は何を考えているのだ」と言ったのです。何のことがわからずにいると、「車の上に女の子がしがみついている。可哀そうだ」と言いました。「そんなのはいない」と返すと運転手は渋々といった感じでタクシーで下りていったのでした。
実際に車を降りてみたところ、女の子はいるはずもなかったといいます。また上へと登っていくと、外から車を叩く音がして気味悪くなり道を下っていくことにしてUターンをしたのでした。何事もなく下山しコンビニの駐車場に停車すると、さきほど無数の人が車内に入ろうと車を叩いていたのだということだったのです。
当時、遺体の発見は比較的スムーズにいったのですが、ばらばらになった遺体は悲惨だったようです。
その遺体をつなぎ合わせ、町内のある場所に集められ、その後町内にある寺で供養されました。
わたしは、小さい時から霊を見る能力ももっていたのですが、何かノコノコ(蝉の幼虫の方言)を取りに行こうという声に誘われ、その寺に遺体が供養のため持ち込まれていることも知らず、寺の敷地内にある杉の大木でひとり遊びをしていました。すると、寺のお堂から何人もの人が出たり入ったりしていました。
しかし、その姿はまるで影が意志をもって動いているようでした。その影のひとりが、私に気付き、声をかけてきました。
「おい、ボク。ここはどこだ?」
「ココ、ココは雫石だよ」
「雫石ってなんだ?」
「盛岡の横だよ、知らねえの?」
そう言う会話をすると、その影は苛立ってお堂の中に入っていきました。
同じ頃、慰霊の森となる森の入口付近で、タクシーや車を必死で停めて家に帰ろうとした方もいたようです。
事故に遭われた方々は、自分が死んだことにまったく気付かなかったと思います。
上記の体験をされた方は、その時以降お寺には行かなくなったそうです。そのお寺がどうなったのかは分からないものの、それでも、噂などは聞こえてこないので何事も起きてはいないのではないかと推測されています。
免許取立ての若者が一度は行くスポットでありますが、その時は、なにもなくても連れて帰ってしまって後で怖い思いをした人は、数知れません。
私の会社の同僚も5人で肝試しに行き、その後5人とも会社で作業中右腕を火傷してしまいました。
後日その時撮った写真を見たら、火傷した見知らぬ男性が写っておりました。
又行った帰り道事故を起こしたり、金縛りにあったり下の県道で深夜車を止められ、静岡まで乗せていってくれとか血まみれの男に言われたり、とにかくやばい所です。
小さな男の子と手をつないだ若いお母さんが車に向かって手をあげるので、主人は親子のそばに車を止め、窓を開けました。
お母さんの方が主人にこう言いました。 「あのう…すみませんが、このお車は静岡の方に行きますか?」と。
その母親は、「静岡の方角が分かる人がいれば良いと思った」と言い、続けて「他もあたるから大丈夫です」ということも言ったとしています。そしておじぎをした後で男の子と共に遭遇し体験談を寄せた方の車とは別方向へと去って行ったのです。
その親子と遭遇した方は、その親子が残念そうに見えたとしていて僅かに気の毒に感じ、何気なく車の後ろ側を振り返ったのでした。しかし、つい今しがた通り過ぎたばかりのはずの親子は、もう姿がなかったのです。
すると、最初はついていなかったはずなのに、運転席ドアに大人と子供の手形が無数についていたのでした。
雫石の「慰霊の森」は日本国内最恐の心霊スポット、と言うより危険スポットで、慰霊以外の目的で行ってはいけない所です。
「止めて置いた車に戻ると手形が無数についている」
「車のエンジンが止まり、かからなくなる」
「悪ふざけで広場でキャンプしようとしたところ、すでに一人多い」
「テントの外から、何者かの手でテントを揺らされる」
「何人かで階段の段数を数えると、みんな段数が違う」などがあります。
上記のように慰霊の森に関する心霊の噂は数々あります。慰霊の森に行ったある方は、理由もわからずに無性に悲しくなり号泣にも似た感じに泣き出してしまったのです。そして、大の大人の男2人が泣き出すなんてあり得ない、と言っています。
その方達は、しっかりと帰りには手を合わせて拝んでからその場を後にしました。慰霊の森に行ったのなら、忘れずに拝んでから帰るようにと注意喚起までもしています。それほどに、心に感じるものがあったのかもしれません。
そこに肝試しに行ったバカな人がいたんですって。そこで慰霊碑までいってみようっていう話になって、行くまでは何にも無かったらしいんだけど、慰霊碑を確かめて帰ろうとして何気に慰霊碑のほうを振り返ったんだって。
そうしたら、慰霊碑の上に生首がズラって並んでこっちをにらんでいたんだって。怖くなって逃げ出したんだけど、いくら走っても自分の車は見えてこない。
走って走ってやっとのことで自分の車にたどり着きました。しかしエンジンがかからなかったのです。それだけでなく、車には手形がついていて車の持ち主は気を失ってしまいました。
朝になり目覚めてみると、白い車に血のりの手形がべっとりとついていたのでした。慰霊の森は、遊び半分の気持ちで訪れるべき場所ではありません。遊びのつもりで行ったりなどしたら、きっと良いことはないでしょう。
慰霊の森の付近には、今も彷徨っている霊魂達がいるのかもしれません。そういった人達が浮かばれるためにも、軽い気持ちで訪れるのではなく静かにしておくのがベストであると考えられます。
その後、2人は未だに行方不明で帰って来てません。それからB君は、あの日以来、家に閉じこもって昨年自殺してしまいました。
近いうちにまた神社に行こうと思ってます。冷やかしでそうゆう場所に行くのは良くないですね。
もし、そうゆう場所に行こうとしてるなら少し待ってください。取り返しのつかない事になるかもしれませんよ。
このエピソードは、2名の方が慰霊の森に行き戻っていないということだと考えられます。そして仲間の方に不幸が訪れてしまったということでしょう。体験をしたこの方自身も、慰霊の森に行ったことを大変に後悔をしています。
仲間達は慰霊の森に入ってから暫く経ってから、突然に肩を叩かれたり耳元で声が聞こえたりしたとも言っているのです。それでも意に関せず奥へと進んでいったのでした。そうしたら、ずらっとお地蔵様が並んでいました。
その場で写真を撮影したのですが、撮った写真の隅には顔に見えるものが写っていたのです。友達らによると、あの場所にだけは行かない方が良いと言っていたとしています。行ったのなら、漏れずに何かが憑くのだということです。
強烈に恐怖を感じたためにそのまま車をバックさせて、その方はその時間帯にまだ人のいたタクシーの営業所に駆け込んだのでした。どういったことなのかをタクシーの運転手に話すと、「あんなところは行くものではない」と言われたのです。
そして、そこではなぜか分からないけれどミラーをセロテープで固定したのだとしています。その際には、ライトは右も左も点いていたと言いますし、後から思い返すと霊魂達からの警告だったのかもしれないということでした。
この方は、慰霊碑に書かれている文を読み涙が出てきたとしています。階段を降りているさなかにも何かの声がしたそうです。しかし、何を話しているのかは聞き取れなかったのでした。それに、その降りている途中にも脚がガクガクと震えたのです。
それから階段の場所よりもさらに奥まで進んでみたものの、女性の声を聞いたとしています。遊びの気持ちで行くものではないと痛感したそうです。
慰霊の森の近くには、特段に霊感を持っていなくても"ヤバい"と感じるような井戸があるという噂があります。これは、心霊スポット系のネット掲示板にも書かれているものです。何でもそれは、慰霊の森より車で10分ほどにある古びた井戸であるとされています。
霊感がなく、慰霊の森に行ってもそれほど何も感じなかったり何も起こらなかった人でも、その井戸に行くと"怖い"となぜか本能的に思うのです。調べてみるとちょうどそれらしき井戸はあり、橋場というところにある『鶴井戸』という井戸ではないかと推測されます。
事実、その場所を訪れたグループが恐怖体験をしたという噂もあるのです。ところが、盛岡在住のある方もその井戸の存在は知らないとしています。心霊情報もさほど聞かないということで、その付近は地元の方は昼間であれば散歩などをしているようだと話してもいるのです。霊と出くわしたという噂もありますが、やはり噂というだけでデマである可能性もあるでしょう。
全日空機雫石衝突事故と同様の航空事故である日本航空123便墜落事故でも、慰霊登山が行われています。では、慰霊の森では慰霊登山や慰霊祭は行われているのでしょうか。雫石町での事故以外に、群馬県の御巣鷹山に墜落する日本航空の事故がありました。
それは1985年8月12日のことです。この事故のケースでは、毎年時期になると遺族の方たちが慰霊登山を行っています。ニュースで報じられており、日本航空の社長も慰霊登山を毎年のように行っているとみられます。全日空機雫石衝突事故に関する慰霊祭は、慰霊の森において2003年まで33回にわたり執り行われていたとされています。33回忌が最後の慰霊祭となりましたが、総勢600名が参列しました。
その中には、市民122名が犠牲となった静岡県富士市の当時の市長や、遺族の会長、防衛庁関係者なども含まれているのです。慰霊祭が終了となった慰霊の森に関しては、『慰霊の森』という遺族たちが作っている財団法人が管理しています。
慰霊の森は、1971年に岩手県雫石町にある航空機事故の現場です。凄惨な事故現場となりましたが、心霊スポットとしても有名になりました。テレビなどで放映されることこそあまりありませんが、肝試しを試みる方なども多くいます。
しかし、この場は悲しい事故で亡くなった方の鎮魂の場であり、決して安易な気持ちで訪れて良いところではありません。まして、ふざけ半分で配信をして良い場所ではないはずです。
この場所にどういった意味があるのかを、しっかりと理解した上で訪れるべきでしょう。軽い気持ちで訪れたりすることで、霊達が怒り色々と恐怖体験をすることになるのかもしれないのです。死者を弔う一心で訪れることが大事となります。
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まず『慰霊の森』とは『全日空機雫石衝突事故』の墜落場所跡地となっています。慰霊の森は岩手県岩手郡雫石町西安庭第47地割にあり、大通りより山道に入っていく必要があります。登山口には『全日空機遭難者慰霊碑』という碑が建っているので、目印になるでしょう。
杖が用意してあり、登るのには15分程度の所要時間がかかるのです。慰霊の森はどの様な感じの場所なのかも気になるところです。慰霊の森には慰霊碑があり、亡くなった方々の名前が刻まれています。そして赤い屋根の納骨堂があり、その奥にも建物が存在します。
また他にも『航空安全祈念の塔』があって、こちらは『内閣総理大臣 三木武夫書』と刻まれているのです。この場所が、凄惨な事故の現場となったのです。事故の全容をこれから紹介していきます。