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2023/12/28
大今里
登山家で実業家の栗城史多さんは2018年5月21日に亡くなりました。8回のエベレスト登頂に挑みました。当日は山頂付近で強風が吹き荒れ、また体調不良の影響もあり撤退を余儀なくされましたがその下山途中に低体温症によるもので帰らぬ人となりました。
2012年に起きた出来事、それは凍傷によって指が失われたことでした。なぜ、栗城さんは指を失ってしまったのか?その理由とは意外なものでした。画像も交えてご紹介します。
その他、栗城史多さんの登山を始めたきっかけ、栗城さんの活動テーマである「冒険の共有」のことや栗城さんの登山活動についてネット上では否定的なコメントがあり登山家からは「下山家」などと揶揄されていたことなどご紹介します。
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栗城さんは登山映像をインターネット中継する為、穴あき手袋でスマホを操作していたことが原因で凍傷しました。
凍傷は低温が原因で生じる皮膚や皮下組織の障害で、極度の低温から0℃を少し下回る程度の温度でも長時間晒されると発症すると言われています。栗城さんは穴あき手袋でスマホを操作し長時間冷気にふれていた結果、凍傷に至ったものと思われます。
凍傷に罹った際は、その部位を40℃から42℃くらいのお湯に浸すなどの処置が必要とされていますが、登山中の栗城さんにはそれを必要とする水やガスなどの物資は持ち合わせていなかったものと思われます。
そして、栗城さんは凍傷の程度としては最も重い”壊死”した状態になってしまいました。
2012年10月に4度目のエベレストに挑戦した際に凍傷しました。栗城さんがエベレストに登山する時期は概ね秋で気象条件の厳しい時期と言われています。かつてその時期に単独、無酸素登頂した登山家がいないからという栗城さんの拘りがあったようです。
その時の山頂付近(8000m」ではジェットストリームと呼ばれる風の塊におそわれ、命の危険に晒された模様。風速にして40m、巨大台風クラスの気流は登山家の呼吸さえ許さない状況にあるようです。
その後、下山も不可能になったため救助を要請し命からがら下山しましたが重度の凍傷という代償が両手指、両足指、鼻にまで深刻な凍傷を負ってしまいました。
栗城さんはすぐに指の切断ではなく指の再生をさせるために様々な指の蘇生治療をうけました。日本、インドでは高濃度炭酸治療、薬草を用いた薬湯や幹細胞再生治療、サプリなどを試しましたが効果は得られんせんでした。
また、アメリカ、ウクライナでは「細胞外マトリクス治療」と呼ばれる夢の再生治療も受けたがこちらも効果は得られませんでした。凍傷の度合いも重かったため感染症の恐れもあることから、2013年に左の指の切断手術、翌年に右の指も切断手術を行いました。
栗城さんは登山家としての活動のほか実業家としても活動されていました。そんな栗城さんのプロフィールや登山を始めたきっかけご紹介します。
生年月日 1982年6月9日
出身地 北海道瀬棚郡今金町
出身校 札幌国際大学
職業 登山家 起業家
肩書 株式会社たお代表取締役
業務提携 よしもとクリエイティブ・エージェンシー
付き合っていた彼女にフラれ一時期引きこもりをしていた時期があったようです、自分を変えるためなにかをはじめようと元彼女が趣味としていた登山に興味を持ち始めたことがきっかけだったようです。のちに大学の登山部に入ったそうです。
栗城さんはエベレストの登頂ルートはいろいろな場所から挑戦し続けたようです。そして突然の”死”についても調べました。
・1回目、2009年チベットからの登頂・失敗。
・2回目、2010年ネパールからの登頂・失敗。
・3回目、2011年8月と10月ネパールからの登頂・失敗。
・4回目、2012年西陵ルートの登頂・失敗。
・5回目、2015年南東陵ノーマルルートの登頂・失敗。
・6回目、2016年中国側からの登頂・失敗。
・7回目、2017年ネパールからの登頂・失敗。
・8回目、2018年ネパールからの登頂・失敗。
8度目のエベレスト登頂に挑んだ日、日本時間5月21日10時ごろ、栗城さんのブログに関係スタッフによる投稿があり「栗城は体調を崩し標高7400m地点から下山することになりました。今後の行動は未定です。」といった内容で投稿されました。
後に栗城さんの撮影スタッフ隊が低体温症で亡くなっていた栗城さんを発見しました。因みに前日は高熱と咳に悩まされていたようで通院して薬も処方されておりましたが、スタッフの心配をよそに翌日エベレスト登頂に向かったようです。
ネット上では栗城さんが嘘つき呼ばわりされていたこととは?著名な登山家からは”プロ下山家などと揶揄されていました。
栗城さんは自身の活動について七大陸最高峰の単独・無酸素登頂に挑戦していと発表していたようですが、無酸素登頂についてはエベレスト以外の六大陸は元々酸素ボンベを必要としません。
単独登頂については明確なルールはなく基本的には登山ルート全行程を自分で行い山に設営されている固定ロープ、ハシゴなども使用せずに登頂し誰の手助けも受けず自力で下山することのようです。
しかしネット上ではその活動について「他者の設置した固定ロープの使用、”栗城隊”と呼ばれるサポート隊を編成していたこと、自力で下山が困難な状況になり救助された」ことなど矛盾、否定論が飛び交っていたようです。
著名な登山家からは「勉強もしないのにお金をもらって東大を受け続けるようなもの」と東大をエベレストに例えた厳しいコメントや別の登山家からは登頂に失敗しては下山を繰り返す姿から「プロ下山家」と揶揄されたりと多方面からも厳しいコメントがあった模様です。
栗城さんがテレビ番組の企画内容を放送前にネットでバラしたこと、栗城さんの活動テーマ「冒険の共有」についてご紹介します。
『世界の果てまでイッテQ!』の登山企画でタレントのイモトアヤコさんが登山する企画での出来事でした。2013年にイモトさんがヒマラヤ・マナスル登頂をめざしていました。無事に登頂成功できましたが番組放送前に栗城さんがツイッターでバラしてしまったようです。
その栗城さんがツイートした内容が「某ヒマラヤ登山テレビの企画であの方とメンバーが無事に登頂。まだ下山途中ですが、まずは良かった」とツイート。その後、栗城さんのツイッターが炎上した模様です。
無謀な挑戦と否定されてきましたが、栗城さんにとって登山とはただ上ることだけではなく、皆と感動を共有したい思いで、インターネット中継を配信するため数十キロの機材を背負い登山を続けてきました。
栗城さんは「冒険の共有」をテーマに全国各地へ講演活動をしていました。自身の登山をしている姿、山頂から見える景色をインターネット配信してそれを見ている人達に感動やチャレンジする勇気を与えてきました。
その活動の結果、より多くのファンやスポンサー企業の支援がエベレスト8回の挑戦にまでつながったようです。
ネット情報に終始することは否めませんが、”嘘つき”、”無謀な活動”などと否定的なものも多数あった印象でしたが「挑戦は重要だ」とチャレンジし続けることについては否定派も栗城さんをリスペクトしていたようです。
肯定派には感動や勇気を貰った人はたくさんいると思いますが、栗城ファンにとって彼のやっていることが登山として正しいものかどうかは別としているようです。ただ前向きになれる、希望を貰えるという理由で支持しているようです。
今となっては栗城さんの心情を知ることはできませんが、賛否両論ありさまざまな人たちに影響を与えてきました。人生という山を登山し続ける事を自ら体現し映像を残しこの世を去ったのではないでしょうか!ご冥福をお祈りいたします。
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