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2023/12/28
大今里
"ドカベン香川"こと香川伸行が亡くなってから、早くも4年の月日が流れました(2014年9月没)。甲子園で"ドカベン香川"ブームを巻き起こし、プロ入りしてからもそのキャラクターで人気者だったドカベン香川。しかし、引退後に急性腎不全を発症して以降、かなり不遇な人生だったことが最近明らかになりました。
家族との関係はどうだったのか?生活保護を受けていたという噂は本当なのか?また、現役時代の食事内容や、球場で受けたヤジの内容は?高校時代からプロ野球時代の話を交えながら、野球ファンに愛された男、"ドカベン香川"こと香川伸行を振り返ります。
引退後、不遇な人生を送ったと言われているドカベン香川。腎不全を患ったことから経済的に追い詰められ、生活保護を受けていたという噂もあります。そのような状態での家族関係はどうだったのか?引退後のドカベン香川を検証します。
プロ野球現役引退後は、引退したダイエーホークスの地元である福岡のテレビ放送局での解説者や、スポーツ紙での評論家としての活動を始めたドカベン香川。
また、それ以外にも「ドカベン」の作者である水島新司にパッケージデザインをしてもらった讃岐うどんの通信販売ビジネスや、11年務めたテレビ解説者の契約終了後は、居酒屋を経営し繁盛するなど、セカンドライフもそこそこ順調でした。
順調なセカンドライフを送っていたドカベン香川でしたが、2007年、長年の不摂生からくる糖尿病が悪化し、ついに急性腎不全を発症。そのまま3年間の療養生活を強いられることになります。
療養生活を終えた後も、週3回の人工透析が生涯必要となったドカベン香川。仕事がほとんど出来なくなり、経営していた居酒屋も手放さざるを得ず、経済面は一気に困窮します。
2001年に高校の同級生だった弘美さんと2度目の再婚をしたドカベン香川(以前に2度離婚している)。互いの連れ子2人に加え、後に産まれた次女・三女の6人家族となったのですが、ほぼ無収入になったために経済的に切迫し、2008年に自宅を差し押さえられ、ほどなく自己破産せざるを得なくなってしまいます。
ちなみに、自己破産のニュースが流れたことで、「ドカベン香川は生活保護を受けているのでは?」という噂も流れましたが、あくまでも噂であり、その事実はないそうです。
学費を払えなくなったことから、ドカベン香川の連れ子である長男は大学を中退。弘美さんの連れ子だった長女は、義父となったドカベン香川に強く反抗するようになり、さらに、家庭内のギスギスした空気が影響したのか、幼い次女と三女まで不登校になってしまいます。
"このままでは家族がバラバラになる"と危機感を強めた弘美さんは、家族との時間を優先させるために中学校教師の職を辞職。経済的不安を抱えながらもパート勤めを決意し、子供たちの世話と仕事の両立に奔走します。
家族の絆のために献身する弘美さんでしたが、2014年9月26日、ドカベン香川は急性心不全により自宅で倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。
携帯電話を握りながらこの世を去ったというドカベン香川。のちに弘美さんが通話履歴から内容を確認すると、倒れる1~2時間前まで、ドカベン香川は知り合いに仕事の斡旋をお願いしていたということが分かりました。ドカベン香川自身、一日も早く家族の役に立ちたいと考えていたのです。
ドカベン香川の死後、長男は就職し独立。長女もパティシエとして働き始め、不登校だった次女と三女も、おのおの通信制高校に通ったり、高校入学のための受験勉強を始めたりと、皆がドカベン香川の死から立ち直り始め、現在では弘美さん自身も、夫であるドカベン香川とのことを振り返る余裕が出てきたそうです。
大人気野球漫画「ドカベン」にちなんだ愛称で親しまれた甲子園のヒーロー、"ドカベン香川"こと香川伸行。その親しみやすいキャラクターがファンに愛され、常に注目を集める存在でした。そんなドカベン香川の高校時代を確認してみましょう。
1977年に浪商高等学校に入学したドカベン香川は、高3の春のセンバツにて、浪商の4番として初めて甲子園大会に出場し決勝進出。決勝戦では、その年の夏も制し春夏連覇を成し遂げる簑島高校に敗れたものの、大会中、ホームラン2本を放つ大活躍をし、一躍、全国の注目を集めました。
同じ年の夏の甲子園にも浪商は出場し、ドカベン香川は3試合連続ホームランを打つ大活躍。準決勝にて池田高校に敗れはしたものの、甲子園大会通算5本塁打は当時の高校生新記録でした。ドカベン香川は甲子園にてその人気を決定的なものにしたのです。
水島新司が描いた大人気野球漫画「ドカベン」。"気は優しくて力持ち"の主人公・山田太郎が、その野球選手らしからぬドッシリ体形にも関わらず、4番キャッチャーとして守備に打撃に大活躍する不朽の名作です。
ドカベン香川も、その野球選手らしからぬ"太っちょ"とも言える体形ながら豪快な打撃を見せる捕手ということで、野球ファンの間で、いつの間に"ドカベン"のニックネームが付けられていました。大人気野球漫画の主人公にちなんだ愛称をつけられたことが、ドカベン香川をますます全国の人気者としたと言えます。
1979年のドラフト会議で南海ホークスから2位指名を受け、プロ野球入りしたドカベン香川。彼はどのようなプロ野球生活を送ったのでしょうか?ドカベン香川のプロ野球人生を振り返ります。
1980年にプロ野球選手となり、大注目を集めていたドカベン香川ですが、開幕から3か月後の7月、ついに1軍入りを果たし、なんとプロ初打席で場外ホームランを打つというド派手なデビューを飾ります。全国の野球ファンの大きな期待に応えたドカベン香川の人気は一気に爆発したのです。
当時、セ・リーグと比べ、完全に人気が劣っていたパ・リーグ所属の選手にも関わらず、ドカベン香川はその人気と愛すべきキャラクターが買われ、CM等にも多数起用され、一躍、プロ野球屈指の人気者なりました。
その後も順調に実績を積んだドカベン香川は、1983年には"105試合出場、106安打、打率.313"という好成績を収め、捕手部門のパリーグベストナインに選ばれるという最高のシーズンを送ります。
高卒4年目としてはこれ以上ない好成績を収めたドカベン香川。同じ南海球団ということから"野村克也2世"の呼び声もあがり、プロ野球界を代表するキャッチャーになることを期待されたのでした。
プロ野球界屈指の人気者だったドカベン香川でしたが、プロ野球選手らしからぬ"太っちょ"体形は、ファンからは絶好の"ヤジ"の対象でした。ここでは、ドカベン香川が受けた数々のヤジを振り返ります。
南海ホークスのパ・リーグでの在阪ライバル球団といえば、近鉄バファローズ。ドカベン香川は近鉄のフランチャイズである日生球場で、ヤジられまくりました。その内容はもちろん、ドカベン香川の体形についてですが、21世紀の現在とは違い、昭和の大阪のオッちゃんたちのヤジは、ユーモラスかつド直球です。
「コラァ~!かがわぁ~のボケがぁ~!三振しおって~。この使えんカスがぁ~!ぶくぶく太りやがって、肉屋に叩き売るぞ!ゴルァ~!」「香川!今日オマエ、グラムなんぼやねん?」など、現代ならハラスメント級なものばかりです
「ワシのプロ野球生活20年の中で、一番面白かったヤジ」と"昭和の盗塁王"福本豊が評したヤジもドカベン香川に対するこのようなものでした。「オーイ香川!来年は日本ハムにトレードやで!選手としてちゃうで、商品としてやで!」
このように大阪の"キツイ"ヤジにさらされたドカベン香川でしたが、彼の引退が決まると、今まで散々ヤジっていた大阪のオッちゃんたちは、「かがわ~、なんでやめんね~ん!」と皆、涙を流してドカベン香川との別れを惜しんだそうです。
ドカベン香川の引退を招いた「肥満」。なぜ、そんなことになってしまったのか?その食事の内容とはどのようなものだったのか?そして引退後のドカベン香川は?ドカベン香川の引退の原因、そして引退後を検証します。
高校時代からお世辞にも"太っていない"とは言えない体形だったドカベン香川。やはり、元々、暴飲暴食の傾向はあったようです。プロに入ってからも、練習中にも関わらず、ノドが乾くとコーラをがぶ飲みし、一日に10本以上は飲んでいたというのですから、これではなかなか痩せる訳がありません。
また、現在でも取り沙汰されている問題ではありますが、阪神タイガースを筆頭に、在阪球団の人気選手には多くの"タニマチ"がついており、連日連夜選手と共に食事やお酒の場を持ち続け、そのことによって選手が野球に専念出来なくなるだけでなく、正しい体調を保てなくなるという問題があります。
当時、ドカベン香川にも多くのタニマチがついており、人の良さからそれらタニマチの誘いを断れず、勧められるがままに暴飲暴食を繰り返していたというのです。そんな生活を続ける中で、ドカベン香川の体重は最も重い時期には150kgを超えていたという話もあります。
これでは成績が下がるのも致し方なく、結局、こういった問題を自らが断ち切れなかったことが、結果的にドカベン香川の選手生命を縮めたと言えるでしょう。
1983年にベストナインに選ばれ、キャリアハイを迎えたドカベン香川でしたが、太りすぎによる体形と体調の悪化から、その後の成績は下降の一途を辿りました。
1984年には、試合数こそ82試合に出場しましたが、43安打、打率.215と、前年が嘘のように急降下した成績は、その後も一向に上向かず、1989年、福岡ダイエーホークスから戦力外通告を受け、ドカベン香川はプロ野球選手としての現役を不本意のままに終えたのです。
名前:香川 伸行(かがわ のぶゆき)
出身地:徳島県阿波市
生年月日:1961年12月19日(2014年9月26日没)
身長:170cm
体重:96kg
1977年 浪商高等学校 入学
1979年 南海ホークス 入団
1980年 浪商高等学校 卒業
1988年 福岡ダイエーホークス入団(南海の球団売却により)
1989年 福岡ダイエーホークス退団
誰もが認める才能を持ちながら、性格の甘さから選手生命を縮めたドカベン香川。しかし、ファンの脳裏に浮かぶのはやはり、笑顔で"太っちょ"のドカベン香川なのです。誰からも愛される存在だったドカベン香川。野球ファンはあなたのことを決して忘れません!
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