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日本映画界の大スター、高倉健さんが残したびっくり!な伝説

2014年11月、日本映画界を引っ張ってきた名俳優、高倉健さんが亡くなり、多くの悲しみが寄せられました。高倉健さんと言えば、多くの伝説を残していることでも有名なんです。そんな、びっくりするような伝説のエピソードをご紹介していきたいと思います。

大スター 高倉健とは

高倉健さんは、日本を代表する映画スターで、半世紀以上に渡り活躍してきました。

代表作は『日本侠客伝シリーズ』、『網走番外地シリーズ』や『八甲田山』、『幸福の黄色いハンカチ』、『鉄道員(ぽっぽや)』など、数多くの名作に出演されました。

2006年に文化功労者、2013年には文化勲章を受章しました。

残念ながら2014年11月にお亡くなりになりましたが、その際には世界中から多くの悲しみが寄せられました。

しかし、名優 高倉健はいつまでも私たちの記憶に刻まれ続けるでしょう。

多くの名作を残した高倉健さんですが、同時に数多くの伝説も残していることでも有名です。

今回は、そんな高倉健さんの男前な伝説をご紹介していきたいと思います。

『幸福の黄色いハンカチ』での伝説

映画『幸福の黄色いハンカチ』の冒頭で、刑務所から刑期を終え出所した直後の食堂で、女性店員についでもらったグラスに入ったビールを深く味わうように飲み干した後、ラーメンとカツ丼を食べるシーンはとても有名ですよね。

ここでも、高倉健さんは伝説を残しているんです。

その収録で「いかにも美味しそうに飲食する」リアリティの高い演技を見せ、1テイクで山田洋二監督からOKが出ました。

あまりにも見事だったので、監督が問い尋ねると、「この撮影のために2日間何も食べませんでした」と高倉健さんは言葉少なに語り、周囲を唖然とさせました。

映画の役作りのために2日間も断食をするなんて、驚きですよね!

これぞ高倉健!というような伝説ですね。

『八甲田山』での伝説

軍隊が訓練中に八甲田山で遭難してしまう映画『八甲田山』、その中で吹雪の中立ち往生してしまうシーンがあります。

現場に行くのに役者は歩いて行かないといけず、そうすると当然足跡がつきますよね。

しかしここでも高倉健さんは魅せてくれました!

立ち往生しているのに足跡がついているのはおかしいと、なんと雪山で4時間、足跡が消えるのを待ったのです。

ここまでこだわるなんて、さすが高倉健さんですね。

世界をも魅了する高倉健伝説

映画『ブラック・レイン』で共演したマイケル・ダグラスは大阪京橋の野外シーンロケで、日本人のファンが高倉健さんに憧れて接する姿を目撃しました。

その様子をダグラスは「アメリカではブルース・スプリングスティーンの時だけだよ。あんなに尊敬される姿を見られるのは!」と驚いていました。

また、高倉健さんのファンである映画監督・張芸謀(チャン・イーモウ)は、映画『単騎、千里を走る。』の撮影の際、高倉健さんが現地採用の中国人エキストラ俳優にまで丁寧に挨拶していたのを見て、「こんな素晴らしい俳優は中国にはいない」と発言しています。

どんな方にも礼儀正しく接する、高倉健さんの人柄が表れた伝説ですね。

高倉健は座らない!?

高倉健さんは座らないことでも有名ですよね。

撮影中以外でも、椅子に腰かけることなく立っていたといいます。

これについて高倉健さんご本人は、「他の共演者やスタッフが一生懸命頑張っている時に、自分だけ座っていられない」と語っています。

他にも「座ると役者としての魂というか、モチベーションが下がってしまいそうなので、撮影が終わるまでは座らないようにしている」という、徹底した役作りへの姿勢も見せています。

素敵すぎる伝説のひとつですね!

どんな仕事も全力で

高倉健さんがタバコのLarkのCMをやっていた時の伝説です。

以前はヘビースモーカーだった高倉健さんでしたが、当時は一切タバコを吸っておらず、あくまでも仕事として割り切って受けたそうです。

しかしやはりそこは高倉健さん!
CM期間中はいつもワイシャツの胸ポケットにLarkを入れ、薄らと見えるようにしていました。

どんな仕事でも一切手を抜かない、高倉健さんの信念が伝わってくる伝説エピソードですね。

故郷の母へ

高倉健さんは独立以後も、映画スターでありつづけた一方で、テレビドラマへの出演は数えるほどしかありません。

その出演理由も「故郷にいる母親にテレビで毎週自分の顔を見て安心してほしいから」というものなのです。

思わず涙してしまいそうな、優しさに溢れた伝説です。

サプライズも素敵!

高倉健さんと言えば、気持ちの通じ合った共演者に高級腕時計に、「高倉健」の名前を彫ったものをプレゼントすることでも有名です。

過去には千葉真一さん、田中邦衛さん、坂東英二さんなどが貰っています。

『ブラック・レイン』で共演した松田優作さんにも腕時計を渡すつもりでしたが、松田さんの病状を知らず、旅先で訃報を聞き、帰国後に高倉健さん自ら松田邸まで出向き、夫人の松田美由紀さんに手渡したという伝説も残っています。

有名人が語る高倉健伝説

映画『幸福の黄色いハンカチ』で共演した武田鉄也さんも、高倉健さんの伝説を語っています。

『幸福の黄色いハンカチ』がデビュー作であった武田さん、実は監督からいつも怒られていたそうです。そんな時、高倉健さんが「お前、大変だったな。伸びない奴はしごかねえよ。」となぐさめてくれたそうです。

新人にも気をかけてくれる高倉健さんの伝説には感涙ですね!

岡村隆史さんも高倉健伝説を伝えるうちのひとり。

第23回日本アカデミー賞で同席し、長年のファンであることを伝えました。岡村さんは「将来は高倉健さんのような俳優になりたい」というスピーチで会場を笑いに包みました。

しかしその中で、高倉健さんは立ち上がって拍手を送りました。

岡村さんが病気で療養中の際にも、電話や手紙でメッセージを送ったそうです。

映画『ブラック・レイン』で共演した松田優作さんは、高倉健さんに関してこんな言葉を残しています。

「高倉健さんって、ありがたいよね。健さんが道をつけてくれたから、日本人の俳優というだけで尊敬される」

かねてより親交のあったビートたけしさんも、高倉健伝説に遭遇したひとり。

高倉健さんが銀座で車を停めていたら、酔っ払いがタクシーと間違って後ろのドアを開けて入ってきちゃったことがあるそうです。「日比谷まで行ってくれ」と言ったら、なんと「はい、わかりました」って運転して行っちゃったんです!

さすが伝説の男!でもちょっと危険だった気もしますね(笑)

この他にも、数多くの有名人が高倉健さんの伝説について語っています。

これもすべて、高倉健さんの人柄が多くの人を魅了しているのかもしれませんね。

まとめ

以上、高倉健さんの驚きの伝説の数々をご紹介してきました。

しかし、こんなもんでは語りつくせないほど多くの伝説を残してくれています!

こんなにも伝説が残っているのは、単に高倉健さんが名優だからというだけではありません。

礼儀正しく、優しさに溢れた高倉健さんだからこそ、今なお多くの伝説が語り継がれているのです。

みなさんも高倉健伝説を語り継いでみてはいかがでしょうか。

最後になりますが、今回高倉健さんの伝説をまとめさせていただくことで、私自身ますます魅力に気づかされました。

多くの伝説を残してくれた高倉健さんですが、亡くなられた今でも語り継がれ、これからも伝説は増えていくでしょう。

健さん、天国でもたくさんの伝説を作ってくださいね!

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