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2023/12/28
大今里
2019/01/12 更新
スケートの住吉都選手はオリンピックにも出場経験のある有名な選手でした。2018年1月に自宅で死去しているのが確認されその早すぎる死に驚いた方も多いのではないでしょうか?今回はスケート住吉都選手の死因は?死のについての真相を追ってみたいと思います。
スピードスケート住吉都選手、日本代表としてオリンピックに出場したこともある有名な選手でした。その若きアスリート住吉都選手が死去したというニュースは衝撃的でした。住吉都選手の死因は?早すぎる死の真相を調査してみました。
スピードスケートの住吉都選手、その死の真相に迫る前にまずは、住吉都選手についてプロフィールや略歴をご紹介したいと思います。
名前 :住吉 都(すみよし みやこ)
生年月日:1987年3月19日→2018年1月20日没(享年30歳)
身長 :162cm
出身地 :北海道釧路市
出身校 :釧路北陽高等学校→信州大学(教育学部生涯スポーツ課程卒業)
所属 :ローソン
住吉都選手がスピードスケートを始めたのは姉の影響で、小学校1年生の頃だそうです。
釧路北陽高校を卒業後、信州大学に進学。同じくスピードスケートの小平奈緒選手とは大学時代の同級生のようです。
釧路北陽高校在籍時、インターハイ1500メートルで8位入賞。
信州大学在籍時、インカレで総合3連覇を達成。
2013年:ソルトレイクシティで開催された世界スプリントスピードスケート選手権大会で13位入賞。
JOCの仲介による就職支援ナビゲーションシステム「アスナビ」によりローソンに入社。
2014年:長野で開催された世界スプリントスピードスケート選手権大会でも総合13位を獲得。
ソチの冬季オリンピックに出場。500メートル(14位)、1,000メートル(22位)。
2017年:12月に行われた平昌五輪代表選考会では500メートル18位、1000メートル16位に終わり日本代表には選ばれなかった。
2018年:1月20日、長野市内の自宅で死去。(所属先のローソンにより明らかにされた)
住吉都選手と小平奈緒選手は信州大学の同級生で、大学4年間を共に過ごしているようです。
二人は同じ競技、同じ種目の日本代表選手という立場以前に友人であり、良きライバルといった関係だったと思われます。
名前 :小平 奈緒(こだいら なお)
生年月日:1986年5月26日
身長 :165cm
出身地 :長野県茅野市
出身校 :伊那西高等学校→信州大学
所属 :相澤病院
平昌オリンピック日本女子スピードスケート史上初の金メダルを獲得。
ちなみに、住吉都選手と共に出場したソチオリンピックでは、500メートル5位入賞、1000メートル13位の成績だった。
スケート住吉都選手はJOCの仲介による就職支援ナビゲーションシステム「アスナビ」により所属先が決まったそうです。「アスナビ」とはどのようなシステムなのか?また、住吉都選手のの所属先ローソンについてをご紹介します。
スケート住吉都選手は2013年6月よりローソン株式会社の所属選手となりました。
ローソン株式会社には住吉都選手の他に2名の選手が所属しているようです。
アイスホッケー :平野 由佳 選手(2013年6月~)
車いすバスケットボール:川原 凜田朱 選手(2017年8月~)
スケート住吉都選手はJOCの仲介による就職支援ナビゲーションシステム「アスナビ」により所属先が決まったそうです。
「アスナビ」とは、就職難に悩むトップアスリートを救うため、JOCが2010年秋に始めた就職支援制度。JOCがアスリートの履歴書を公開したり、説明会を開いたりして、無料で企業とのマッチングを行うシステムとのこと。これまでに100名以上のアスリートの就職先が決まっているようです。
さて、スケート住吉都選手についてプロフィール・略歴・所属先などについてご紹介しましたが本題の死因について報道された内容を見ていきたいと思います。
住吉都選手が死去したと各社・各紙から報道された内容を箇条書きでまとめました。
◆2018年1月20日に長野市内の自室で死去していた。
◆23日に所属先のローソンが明らかにした。
◆詳しい死因などは公表していない。
◆遺族の希望で葬儀・告別式の日取りなどは非公表。
◆2017年12月末の平昌五輪代表選考会に出場したが、五輪切符を逃していた。
報道された内容は同じ物ばかりで、これ以上詳細に触れているものはなかったようです。
住吉都選手の死因について調べてみましたが、公式に発表されていませんでした。自宅で死去していたことは発表されていますが、病死なのか、事故なのか。それとも自殺なのか…各方面に色々な憶測は流れているようですが、どれも不確かな情報のままとなっているようです。
また、住吉都選手はご結婚されておらず独身でお子さんもいらっしゃらないようです。
死因については公表されていない中、NHKだけは”自殺とみられる”と発表しています。
「関係者によりますと、現場の状況などから自殺とみられるということです。」と報じていたからです。
NHKの報道が真実なのかはわかりませんが、もしこの報道が本当ならば死因を特定してしまっていることになりますね。
住吉都選手の死因については詳しいことは公表されていません。そこで、原因になりうることについてを調べてみました。
持病など、何か病気があったなら病名が公表されると思うのですが・・・公表されないということと自宅で亡くなっていたということから自殺の可能性もあったのかなと推測されます。
持病がなくても、スポーツ選手の場合には肥大型心筋症などの突然死の可能性も少なからずあるそうなので、病死でないとは言い切れませんね。
住吉都選手さんはソチオリンピックの代表選手でしたが、平昌オリンピックでは代表選考で良い成績を残せずオリンピック行きの切符を逃しており、そのことでかなり悩んでいたという噂もあります。
再度オリンピックの舞台に出ることを目標に頑張られてきたことと思うので、その悔しさやストレスは相当なものだった思います。心に色々な思いを抱えていらっしゃったことは推測できます。
住吉都選手の死去についてが報道された後、住吉都選手と付き合いが深いの関係者の方がコメントした内容をまとめてみました。
住吉都選手の大学時代の同級生の小平奈緒選手は…
「スケートに一生懸命な姿が頭から離れない。今でも信じられない。大学から4年間、一緒にやってきた。1番近くで一緒にやってきた仲間が、こういった形になってしまって、わたし自身も信じられない思いがある。」
1月初めに食事を共にした時は「前向きで、何か私からスケートを学ぼうと必死だった。にこにこ話を聞いてくれていた」そうで、特に変化は感じられなかったと振り返り涙ながらに語ったそうです。
また、平昌オリンピックで自身の金メダルを獲った後の記者会見上では…
以前、住吉都選手が「奈緒が金メダルを取ったら、私が金メダルを取ったのと同じ」と話していたと、関係者から伝えられたことを打ち明け「金メダルを取ることができて、今、本当は本人の目の前で金メダルとったよと報告したかったけれども、それができないのは本当に残念だ」と語ったそうです。
住吉都選手を高校時代に指導した釧路北陽高校の榊稔監督は…
「まさか、なぜ、どうしてという気持ち。今も気持ちの整理がついていない。高校時代は全国大会で入賞程度で際立った成績はなかったが、スケートだけでなく文武両道の努力家だった。」と振り返ったようです。
最後に住吉都選手と会話したのは亡くなる前年の8月、帯広での合宿中で「腰痛で十分な練習ができない」という住吉都選手に「焦らず、故障を治すことが先決」と励ましたということです。
信州大時代に小平奈緒選手と共に、住吉都選手も指導した結城匡啓コーチは…
「最近は調子があまり上がらず、体調不良などもあり悩んでいるというのは知っていた。住吉の気持ちが100パーセントは分からないが…」とお話した上で続けて、
「でもこれだけは住吉のために弁護したい。スケートで調子が上がらないからということではない。スケートが駄目で、というそんな負けた気持ちということではない。それはご理解してほしい」と、訴えたそうです。
今回、住吉都選手の死因や真相について調べてみた結果・・・一部「自殺ではないか?!」という情報もありましたが公式に発表されている資料は見つからなかったため、今も謎に包まれたままでした。
しかしながら、年齢30歳という若さでこの世を去ってしまった住吉都選手にはその生涯を惜しむ声が本当にたくさんありました。
住吉都選手に心よりご冥福をお祈りいたします。
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