木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
1985年から1987年にかけ、一世を風靡した伝説のアイドルグループ「おニャン子クラブ」。その中でも特に人気があったメンバー、高井麻巳子さんにスポットを当てていきます。
清楚な雰囲気と可愛らしい笑顔で、男女問わず人気があった高井麻巳子さんは、芸能界を引退後、一切メディアに姿を現すことがありません。いったいどこでどのように暮らしているのでしょうか?その謎に迫ってみました。
・本名:秋元麻巳子(旧姓:高井)
・生年月日:1966年12月28日
・血液型:O型
・出身地:福井県小浜市
・代表曲:シンデレラたちへの伝言、メロディ、情熱れいんぼぅなど
1985年4月、高井麻巳子さんは原宿で伊藤克信さんにスカウトされたことがきっかけで、おニャン子クラブの一員としてデビューを果たします。当時の会員番号は16番でした。
1985年10月、同グループのメンバーである“ゆうゆ”こと岩井由紀子さんとユニット「うしろゆびさされ組」を結成します。ユニット名と同タイトルのシングル「うしろゆびさされ組」は、アニメ・ハイスクール奇面組の主題歌にタイアップされ、瞬く間に人気アイドルへと成長しました。
【シングル】
・うしろゆびさされ組(1985年10月5日)
・バナナの涙(1986年1月21日)
・象さんのすきゃんてぃ(1986年5月2日)
・渚の『・・・』(1986年8月27日)
・技ありっ!(1986年11月23日)
・かしこ(1987年2月21日)
【オリジナルアルバム】
・ふ・わ・ふ・ら(1986年6月5日)
・AN bALANCING TOY(1986年12月15日)
・∞(アンリミテッド)(1987年3月11日)
1986年には、シングル「シンデレラたちへの伝言」でソロデビューを果たします。この曲はオリコンチャート初登場1位を記録しました。その後も数々のソロ・シングルを発表し、アイドルとしての地位を確立していきます。
【シングル】
・シンデレラたちへの伝言(1986年6月25日)
・メロディ(1986年9月21日)
・約束(1986年12月21日)
・かげろう(1987年3月18日)
・情熱れいんぼぅ(1987年6月10日)
・うそつき(1987年9月21日)
・テンダーレイン(1987年12月16日)
・木漏れ陽のシーズン(1988年4月6日)
【アルバム】
・いとぐち(1987年1月21日)
・こころ日和(1987年7月5日)
・私のままで…(1988年1月21日)
・Message(1988年6月5日)
1987年、高井麻巳子さんはおニャン子クラブを卒業し、同時に「うしろゆびさされ組」としての活動にもピリオドを打ちます。その後は歌手として、また女優業にも挑戦するなど、ソロ活動の場を広げていくのですが、翌1988年5月、突然結婚を発表し芸能界を引退してしまいます。
結婚した秋元康氏は、作詞家であり、音楽プロデューサーであり、そしておニャン子クラブを作った立役者でした。
本来ならば高井麻巳子さんを売り出す側である秋元康氏が、自身がプロデュースしている高井麻巳子さんと結婚、そして引退させたのですから、ファンが激怒するのも無理はありません。
しかも、前の月にはシングルを発売したばかりです。シングルを購入し、テレビで歌うのを楽しみにしていたファンの気持ちを思うと、あり得ない時期の結婚・引退だったことは否めません。
プロデューサーとアイドルの恋愛は御法度だとは思いますがなんと交際や結婚に至ったのは秋元康さんではなく、高井麻巳子さんからの逆プロポーズだと言われています。
高井麻巳子さんが結婚・引退を発表した3週間前、高井麻巳子さんの個人ファンクラブが発足されています。たくさんのファンの方がファンクラブに入会し、会員証が届くのを心待ちにしていた時です。
結局、ファンクラブは3週間で解散することとなりました。今なら炎上間違いなしの話ではないでしょうか。
高井麻巳子さんは結婚・引退し、ファンの前から姿を消してしまいましたが、置き去りにされたファンは、しばらく立ち直れなかったようです。
芸能界を引退後はテレビ等に出演することなく、私生活が謎に包まれています。しかし、夫である秋元康氏やその知人たちの証言によると、現在も都内で生活していることは間違いなさそうです。
2002年、日本テレビ系のバラエティー番組「メレンゲの気持ち」に秋元康氏がゲスト出演した際、自宅を撮影したムービーが披露されました。
そのムービーには高井麻巳子さんと1歳の娘さんの姿が映っており、結婚後初めてメディアに姿を現したことが大きな話題となりました。
このことがきっかけで高井麻巳子さんが2001年に出産し母になっていたことが確証されたと共に、彼女の幸せな姿に当時激怒していたファンの方もわだかまりが解けるような気持ちになったようです。
2013年、作家・林真理子さんのブログに高井麻巳子さんが登場しています。2人は以前から交流があり、ブログには2人で歌舞伎を見に行った時に撮った写真がアップされていました。
高井麻巳子さんは黄色の着物を身につけておr、その変わらぬ美しさが大きな話題となりましたが、現在は閲覧不可となっています。
2015年、ナインティナインの岡村隆史さんが秋元康氏のホームパーティーにお呼ばれした際、高井麻巳子さんと対面し、会話を交わしたとラジオで語っています。
岡村隆史さんは、おニャン子クラブのファンクラブに入会していたこともあり、高井麻巳子さんと会えたことがとても嬉しかったそうです。「当時と全然変わらず、お綺麗でした」との感想も上げていました。
2003年、高井麻巳子さんは秋元康氏と一緒に絵本を出版しています。タイトルは「ぞうネコ」。秋元康氏が話を考え、高井麻巳子さんは挿絵を担当しています。結婚後、公の場に公式として名前が出るのは、これが初めてとなりました。
高井麻巳子さんと秋元康さんの間に2001年3月に長女が誕生されました。ネットでお名前を探したところ「秋元せり」さんというそうです。お二人にのお子さんですから顔立ちも頭もよろしそうですね。
AKB48グループや乃木坂46グループ、ラストアイドル、ザ・コインロッカーズなど様々なアーティストをプロデュースされており、ドラマや映画の脚本・原案なども担当している秋元康さん。年収はすごいことでしょう。
娘のせりさんは、慶應義塾幼稚舎へ小学受験をし、慶應義塾系列の学校に通っていたのではないかと言われています。小中は慶應義塾ですが高校・大学についての情報は出回っていません。
高井麻巳子さんがおニャン子クラブ時代に組んでいたユニット「うしろゆびさされ組」、この時一緒に活動していたゆうゆさん(岩井由紀子)と実は仲が悪かったという噂があるようです。はたして本当でしょうか?真相に迫っていきましょう。
・本名:岩井由紀子
・生年月日:1968年5月26日
・血液型:O型
・出身地:神奈川県横浜市
・代表曲:天使のボディーガード、-3℃、25セントの満月など
「うしろゆびさされ組」として共に活動してきたゆうゆさんですが、1994年に毎日放送「明石家電視台」にて「あまり仲良くはなかった」「一緒にいなかった」と発言しています。
高井麻巳子さんのソロデビュー以降、「うしろゆびさされ組」としての活動が高井麻巳子さんのスケジュールを中心として組まれていたことを、ゆうゆさん不服に思っていたそうです。
会話も無く、決して仲が良い方ではなかった2人ですが、のちにゆうゆさんは「私が子供だった」「今ならもっと普通に話せるはず」と語っています。
確執があったわけでもなく、お互いを嫌い合っていたわけでもないようですが、2人とも芸能界を引退していますので、再結成は難しいかもしれません。
とはいえども、2人が揃う姿を見たいファンは大勢います。再結成とまでいかなくとも、メディア等で2人が対談する企画があれば大注目を浴びることは間違いないでしょう。
3年間の間に、おニャン子クラブ、うしろゆびさされ組、ソロ、そして結婚して引退した高井麻巳子さん。たった3年間の芸能活動でしたが、それでもファンの心に大きな思い出を残しました。
夫である秋元康さんと娘さんとも幸せに暮らしているそうでファンにとっては何よりですね。
今後メディアに出てきてくれるかは不明ですが、いつかまた素敵な笑顔を見せて欲しいものです。
この記事に関する記事
キーワードから記事を探す
Copyright© 運営事務局
【この記事は2019/8/16に更新されました。】