木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
紀子さまの愛称で親しまれている文仁親王妃紀子さまは、幼少期は父親の仕事の関係で海外で過ごした経験があり、数カ国語話せるなどかなり優秀な人物です。
進学した大学である学習院大学で礼宮文仁親王と出会いました。交際から1年後、礼宮文仁親王から求婚され1990年にめでたくご結婚され、皇族の一人とされました。
穏和な雰囲気と、その気品さから人気の高い紀子さまですが、ネット上では紀子さまの性格が怖いとの噂が広まっています。今回は、紀子さまの性格が怖いと言われた原因や、その真相について迫りたいと思います。
紀子さまは優しそうな雰囲気で人気もありますが、一方では自ら望んで皇室に入られたという噂が広まっており、実は性格が怖いのではないかという噂が広まっています。
今回は、紀子さまの正体についてまとめていますが、その前に紀子さまのプロフィールをご紹介します!
本名:川嶋 紀子(かわしま きこ)
身位:親王妃(秋篠宮妃)
敬称:殿下
生年月日:1966年9月11日
出生地:静岡県静岡市駿河区
配偶者:秋篠宮文仁親王
文仁親王妃紀子さまは、父がペンシルベニア大学大学院に留学したことによって、幼少期をアメリカで過ごしました。
その後1973年、文仁親王妃紀子さまの父が学習院大学助教授に就任したため、日本に帰国し静岡市にある中田小学校に編入学しました。
しかし、数年後父がオーストリアウィーンにある研究所に招待されたため、家族揃ってオーストリアに引っ越すなど海外を飛び回る生活をされていたようです。
1979年に日本に再度帰国し、学習院女子高等科に進み、1985年には学習院大学文学部心理学科に入学されました。
大学では、ハンセン病患者など恵まれない人たちへの募金を自ら街頭に立って呼びかけたり、手話サークルに入り手話を勉強したり、言葉が不自由な学生に付き添って講義を受けて、通訳してあげたりとボランティア活動も積極的にされていました。
大学構内にある書店で礼宮文仁親王と出会い、その後サークル活動を通して礼宮文仁親王と交際を深めました。
1989年若々しい二人の結婚は国民から祝福され、ご結婚されました。
これに伴い戸籍から消去され、皇族譜に記載されることになりました。
礼宮文仁親王と結婚した後、1991年の10月に待望である第一子の眞子内親王が誕生。1994年には次女である佳子内親王が誕生しました。
その後、2004年には悠仁親王を出産し、男子の誕生は秋篠宮文仁親王以来41年ぶりで、これによって男系断絶は回避されました。
穏和な雰囲気と気品さで人気の高い紀子さまですが、ネットでは紀子さまの性格が怖いとの噂が流れています。
なぜ、そのような噂が流れてしまったのでしょうか?紀子さまの性格の真相について迫りたいと思います。
そもそもなぜこのような噂が流れてしまったのかというと、2017年末にある出来事がありました。秋篠宮家に雇われていた職員が立て続けに何人も退職してしまったそうです。
何か問題がない限り、立て続けに辞めるということはなかなかないと思います。話によると、秋篠宮家は職員の人手不足で悩まれていたそうです。当然人手が少ないので、お世話をする人の一人当たりの負担が大きくなってしまいますよね。
負担が大きいだけでも、精神的な疲労を感じていると思いますが、加えて紀子さまからの要求がかなり高かったそうで、秋篠宮家に仕えている方たちはかなりのプレッシャーを感じていたそうです。
紀子さまは責任感がかなり強く、そのため周りに求める要求もかなり高くなっているのだそうです。紀子さまのお世話を担当する方は、そのプレッシャーに押しつぶされてしまい、ノイローゼになってしまったのだそうです。
紀子さまは、海外で長年過ごされてきたため、思ったことをはっきり言う性格なのではないかと言われており、良い点でもありますが、返って周りを圧迫している可能性もあります。以前皇族に仕えていた方が週刊誌に、秋篠宮家で使えることは本当に大変で、ブラックバイトでしかないと暴露したことがあります。
実際に秋篠宮家で働いていた人が「紀子さまは凄まじく気が強くて陰険で恐ろしい人」と発言するなど、紀子さまは表で見せる顔と、メディアなどがいない状態での裏の顔はかなり違うようですね。皇族の家で働くことはやはり簡単ではないようです。
紀子さまの次女である佳子さまの服装に対し、美智子さまが少々心配したことがあったそうで、美智子さまが紀子さまに「少し控えめにするように」「国民の皆さまに不快な感情を与える恐れのないように」と注意しました。
それに対し、紀子さまは「美智子さまがおっしゃるような時代とは違いますから」と返事をされたようです。
美智子さまに対してもそのように反論するなんて、普通ならできそうにないですよね。
紀子さまは皇族になりたくて仕方がなかったと言う噂があります。
ご本人は「好きになった人がたまたま皇族だった」と発言していますが、皇族になりたくて仕方がなかったから秋篠宮殿下と同じ自然文化研究会のサークルに入り近づいたのでは?と言われています。
高齢にも関わらず、天皇の母親になりたいがために男の子を出産した、さらには男の子を産むために産み分けをしていたのではという噂もあるようです。
あくまでネット上の噂にすぎませんが、これが本当ならば怖いことですよね…。
紀子さまは若い頃は自然で素敵な笑顔を見せていらっしゃいました。しかし、近年の紀子さまは無理に作った笑顔であるかのように、かなり不自然な笑顔になっています。
ネット上でも、「笑ってないときとのギャップがすごい。」「絶対裏の顔あるでしょ。」「紀子さまの笑顔は無理矢理感がすごい。」と言われているようです!
紀子さまは幼少期を海外で過ごすなど、一般的な家庭とは違う生活を送られていました。
紀子さまの実家や家族、お父さまの職業などについてご紹介します。
紀子さまのお父様は川嶋竜彦さんで、東京大学を卒業後、アメリカのペンシルベニア大学大学院修士課程を修了しました。
日本とタイの学生交流をサポートしたり、ボランティア活動を行ったりと、頭が良いだけでなく人のために尽くすとても素敵な方のようです。
大学教授の父を持つ家庭なので、やはり一般家庭といっても上流階級なのではないでしょうか。紀子さまの若い頃の写真を見ても、お嬢様のような雰囲気が出ています。
紀子さまは秋篠宮様と結婚する際、「3LDKのプリンセス」や「一般家庭から誕生した現代のシンデレラ」とメディアで呼ばれていました。
この理由としては、結婚直前までは職員用共同住宅に暮らしていて、そこから皇族に入ったからだそうです。家賃3万円の3LDKの部屋に暮らしていた人が急に皇室に入るなんて、やはり普通なことではないですよね。生活水準レベルが格段にアップしたと思われます。
性格がしたたかで怖いと言われている紀子さまですが、やはり一般人だった方が皇族になるとなると、生活様式もなかり変わりますし、並々ならぬ根性が必要だと思われます。
紀子さまも皇族になることへの苦労をかなり経験されているでしょうし、責任感が強くどんなことにも屈しないという性格があるからこそ、現在も皇族で活躍できているのではないでしょうか。
紀子さまの性格が実際に怖いかどうかはわかりませんが、その可能性もなくはなさそうですね。これからも紀子さまの活躍から目が離せません!
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【この記事は2019/8/31に更新されました。】