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元JKT48仲川遥香の現在が凄すぎ!?インドネシアで国民的アイドルに

AKB48の初期メンバーでありながら、インドネシアのJKT48への移籍以降日本でほぼ話題にならなくなった仲川遥香。実は、移籍先のインドネシアで超有名アイドルになっていました!さらに世界有数の影響力との評価も!?仲川遥香の壮絶サクセスストーリーまとめ!

インドネシアで一番有名な日本人・仲川遥香

AKB48初期からのメンバーとして知られる仲川遥香。当初からあまり人気は伸びず、2012年にJKT48(インドネシアのAKB姉妹グループ)に移籍してからはついに日本でほとんど名前を聞かなくなってしまいました。

しかし…そんな仲川遥香は、実は移籍した先のインドネシアでとてつもない有名アイドルになっているとの噂が!その人気たるや、インドネシアどころか世界中で見てもヒラリー・クリントンを超える影響力を持っていると評されるほど!?

今回は、仲川遥香が日本でアイドルとしてデビューしてからJKT48に移籍、現地で確固たる人気を確立するまでの壮絶な人生を解説!ユニークすぎるサクセスストーリーをまとめました!

壮絶人生!仲川遥香のプロフィール

仲川 遥香

愛称    はるごん、ごん、はるさん、はるか
生年月日  1992年2月10日
現年齢   26歳
出身地   日本・東京都
血液型   O型
身長    160 cm
活動期間  2007年4月8日 -
主な楽曲  「Fortune Cookie Yang Mencinta」

親は「元プロレスラー」、5人姉弟の大家族

1992年2月10日、次女として生まれた仲川遥香。その後、仲川家には妹2人・弟1人が生まれ5人姉弟となりました。仲川遥香は、インタビューで「子供の頃は自分の部屋が欲しくて嫌だったが、今は妹や弟がかわいい」と答えたそう。

また、家族については、仲川遥香本人が父親について「元プロレスラー」と話したことから、似た苗字のプロレスラーGOEMONこと中川浩二が父親だという噂が流れました。しかし、GOEMON本人が否定していることもあり反対意見は多いといいます。

幼い頃は大人しい性格だったものの、幼稚園から目立ちたがりな性格に変わったとか。小学校時代は野球に打ち込み、中学ではバレーボールに熱中したと話しており、かなり運動が好きだったようですね。

父が勝手に応募!歌と踊りはヘタでもAKB48に

もともと「アイドルになんかなりたくない」と考えていた仲川遥香でしたが、父親がノリで勝手に応募してしまったことがきっかけでAKB48追加メンバー(3期生)オーディションに参加しました。

仲川遥香は「オーディションなんか行かない」とさえ思っていたようですが、ほかに応募している人に失礼だと思い直し挑戦した結果、「歌と踊りが一番下手だった」ということがキャラとして評価されたためか見事合格!

AKB48として活動することが決まってからは、気持ちを入れ替えてアイドルの研究に励むようになったそうです。

仲川遥香はAKBで「パッとしなかった」?

2006年にAKB48に加入した仲川遥香。2007年にはチームBの一員としてAKB48劇場でのデビューを果たしました。2008年、AKB48の派生ユニットである「渡り廊下走り隊」のメンバーとしても活動を始めます。

しかし、CDシングルの選抜には恵まれず、2009年発売の渡り廊下走り隊としての1stシングル「初恋ダッシュ/青い未来」がCDデビューとなりました。

4年目で初のCD選抜入り、翌年は落選

2010年に開催された『AKB48 17thシングル 選抜総選挙「母さんに誓って、ガチです」』で20位にランクインし、AKB48加入4年目にして初の選抜入りを果たし「ヘビーローテーション」に参加しました。

当選スピーチでは、以前選抜に入れなかった際「もうAKBにいられないんじゃないか」とさえ思ったという悲痛な感情を告白。

その後、19thシングルの選抜メンバーを決める第1回じゃんけん大会で第4位となったため再び選抜入りを果たしましたが、翌2011年に行われた第三回総選挙では24位に終わり、選抜入りを逃しました。

総選挙で結果残せず不安・焦り

のちに仲川遥香は、当時について「他に活躍できる場所を探そうかな」と思い悩んだときもあった、と話しています。若かったからこそ、総選挙で満足のいく結果を残せなかったことに悩んだとか。

「渡り廊下走り隊」として活動できたことが自信につながっていたようですが…とはいえ、AKB48で活躍できないことに不安を覚えていたのは確かなようですね。

そんな中、仲川遥香の元にとんでもない話が舞い込んでくることになります。

JKTに電撃移籍の仲川遥香!現地で国民的人気に

2012年、6月の総選挙で44位に終わった仲川遥香。昨年からかなり順位を下げてしまいました。このタイミングで、仲川遥香は秋元康から変更を勧められたあだ名「はるごん」を卒業し、迷走するような姿を見せました。

そして2012年8月24日、東京ドームコンサートのラストで劇場支配人戸賀崎智信が衝撃の発表。AKB48全体の組織変更を宣言し、インドネシアの首都ジャカルタを拠点とする「JKT48」に仲川遥香と高城亜樹が移籍することを発表しました。

インドネシアのJKT48に移籍、ファン驚愕!

JKT48は、48グループ初の海外拠点の姉妹グループ。インドネシアの人口が世界第4位を誇り、さらにその半数が30歳未満と平均年齢が低いことが理由で、その中心であるジャカルタが拠点として選ばれたといいます。

JKT48はすでに2011年に発足して、現地で「ポカリスエット」のCMに出演するなどの活躍を始めていました。さらに2012年には劇場公演も行なっており、これからどんどん成長していく、という段階で仲川遥香らの移籍が発表されたことになります。

本人希望の移籍だがファンは賛否

JKT48への移籍が発表された後、仲川遥香は「ビックリさせてごめんなさい、前向きに、海外に行って自分を試したいと思って決めました。ジャカルタは日本から遠いけど応援してくれたら嬉しいです!」といった内容のコメントを発表しました。

それに対し、ファンの声は賛否両論。「本人が決めたことだから」と賛成する人もいましたが、「期限付きだろうから成長して戻ってきてほしい」と消極的に応援する声や、「海外での生活に溶け込めるのか?」と心配する声も多く見られました。

さらに、AKB48のコンセプトといえば「会いに行けるアイドル」。ジャカルタに行くとなれば容易には会いに行けなくなりますし、日本での握手会などにも現れなくなることになり、日本でのファンを見捨てるかたちになるのではという危惧もみられました。

半年でインドネシア語マスター!現地愛爆発

しかし、その後仲川遥香率いるJKT48はインドネシアで急成長。仲川遥香個人も、わずか半年でインドネシア語をカタコトながらマスターし、JKTとしての活動に熱意を注ぎます。

さらには、2013年の選抜総選挙は「JKT48での活動に専念したい」と辞退。仲川遥香はAKB48ではできなかった「チームを率いる」という立場を新天地で任され「チャンスをもらえた」と感じたといい、すでにインドネシアでスターとなる道に集中する覚悟ができていたのだと推測できます。

仲川遥香がTwitterで影響力のある女性7位に!?

しかし、いくら本人にやる気があっても、インドネシアで日本人がアイドルとして成功できるのか?というのは誰もが疑問に思うこと。JKTの他のメンバーは現地人の中で選ばれた「美人」ですから、日本人なんて相手にされないのでは?と不安になります。

しかし、AKB48以外では初めての総選挙となる「JKT48 6thシングル選抜総選挙」で、仲川遥香は3位にランクインするという快挙!当選スピーチで、「この国にも"家族"がいます!」とインドネシアへの愛を語りました。

現地アイドルを抑え総選挙2位の人気!

2015年にもAKB48総選挙の辞退を表明した仲川遥香は、コメントで「今はJKT48として上に立ちたいのが本音です。」「JKT48一本で行きたい!」と語りました。

その覚悟がインドネシアのファンにも伝わったのか、5月の「JKT48 10thシングル選抜総選挙」では21,882票で2位!しかも、1位とはわずか522票の僅差で、日本人でありながらインドネシアのアイドルとして確固たる地位を達成しました。

世界有数の影響力、ヒラリー・クリントン超え!

仲川遥香の凄さはそれだけではありません。インドネシアと日本、両方での知名度が評価されたためか…brandwatch.comによる「世界で最も影響力のあるツイッターアカウント」(女性の部)で2年連続7位を獲得!

これがどれだけスゴいかというと…まず、日本人でランクインしたのは男女合わせても仲川遥香ただ1人!しかも、世界で7位というのはただごとではありません。ヒラリー・クリントンやアリアナ・グランデ、エマ・ワトソンを抑えての順位なのです!

ちなみに、仲川遥香より上にランクインしているのは2位のケイティ・ペリーなど。英語でツイートしているわけでもないのにそれだけ評価されているということは、相当インドネシアで強い影響力を持っているんですね!

インドネシア最強の日本人、CMも20本!

現地の人も驚くほど自然なインドネシア語でTwitterに投稿しているという仲川遥香。もはやインドネシアで知らない人はいないといい、間違いなく「インドネシアでもっとも有名な日本人」だろうと評されています。

さらに、インドネシアでは20本以上のCMに出演し、毎日ゴールデン番組にも出演しているとのこと。そんな中、仲川遥香は2016年にJKT48を卒業し、現在はより幅広い活動に活躍の場を移しています。もちろん、卒業してもインドネシアでの人気は健在!

2018年が日本とインドネシアの国交が樹立してから60周年であることを受け、親善大使にも任命された仲川遥香。今後もますます活躍し、日本での知名度も上がっていくことが期待されています。

インドネシアと日本の架け橋・仲川遥香がすごすぎた

いかがでしたか?日本ではあまり人気の伸びなかった仲川遥香が、まさか移籍した先のインドネシアで爆発的な人気を得ているなんて…驚きですよね。

仲川遥香は、インドネシアでデング熱をはじめとするさまざまな伝染病にかかっていたことも明かしています。そんな辛い思いをしながらもインドネシアでの成功を夢見て活動した熱意には感動ですね!

自叙伝「ガパパ!〜AKB48でパッとしなかった私が海を渡りインドネシアでもっとも有名な日本人になるまで」も刊行されており、壮絶な人生に注目の仲川遥香。今後インドネシアと日本でどんな活躍を見せるのか楽しみですね!

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