高校3年生の秋に行われた、プロ野球ドラフト会議では、4球団から1巡目指名を受けました。その中から、読売巨人軍が見事に交渉権を獲得し、その後、巨人へと入団します。 背番号『55』は、監督長嶋茂雄さんが、当時の年間本塁打数55本の記録を持っていた王貞治さんを超えてほしいという願いが込められていました。 入団当初より、松井秀喜さんへの期待値が高かったことがうかがえます。 松井秀喜さんは、長嶋さんの期待を胸に、4番バッターとしての役目を果たします。 28歳になった2002年には、年間本塁打数を50本と、記録達成まであと5本と迫りました。 この当時の松井さんは、どんな球もホームランにしてしまうほど、誰にも止められませんでした。 ついたあだ名も『ゴジラ』であり、入場曲もゴジラのテーマ曲でした。

この画像が掲載されている記事

この画像が掲載されている記事

TOPへ