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松田優作★40歳で逝ってしまった彼の死因はガンだったんです・・・。

松田優作の死因って?日本の俳優の中でハードボイルドと言えば、松田優作と浮かぶ人も多いでしょう。40歳で逝ってしまった彼。彼の死因はガンでした。あまりにも若すぎるその死を時々思い出しては、又、悔しく思う多くの人々。死因である、ガン。彼の生き様を振り返ってみる。

【松田優作★ブラックレインと共に逝ってしまった男】

この画像は1989年公開の映画、松田優作の遺作となった、「ブラックレイン」の1シーンのもの。映画公開の年に40歳の若さで逝ってしまった彼。若すぎる死でした。彼の死後、その死因を知った誰もが彼の壮絶な病魔との戦いを知ることになるのです。

映画@ブラックレイン(1989年・米)

1989年公開・アメリカ映画「ブラックレイン」。アメリカ映画といいつつ、この映画には松田優作、高倉健などが出演し、アメリカのマイケル・ダグラス 、アンディ・ガルシアとともに注目されていました。のちに松田優作の死因を知った関係者も驚いたといいます。

ブラックレインのワンシーンです。激しいシーンの撮影もあったこの映画、松田優作の病気を知らされていなかった共演者やスタッフも、のちに彼の死因を知って驚きを隠せなかったそうです。

【松田優作の病気・死因を知る前に彼自身について思い返しましょう】

松田優作
生年月日:1949年9月21日 。身長185cm@没年月日:1989年11月6日(満40歳没)。 1972年、文学座付属演劇研究所12期生として入所。73年TVドラマの「太陽にほえろ!」でジーパン刑事を演じ、鮮烈なデビューを果たしました。

「なんじゃこりゃ!」が有名になった「太陽にほえろ」の松田優作が演じるジーパン刑事の殉職シーンです。ドラマの中の死因、実際の死因と比べると、ちょっと複雑な気持ちになります。

73年『狼の紋章』でスクリーンデビューを果たす。
74年『竜馬暗殺』、同年初主演作品『あばよダチ公』などに出演。その後、77年『人間の証明』、78年には村川透監督と初めてコンビを組み、『最も危険な遊戯』に主演。アクションスターとしてその個性をいかんなく発揮した。村川透監督とは以降『殺人遊戯』『処刑遊戯』の遊戯シリーズや、大藪春彦原作の角川映画『蘇える金狼』(79)『野獣死すべし』(80)と数々のハードボイルドアクションの傑作を続けて発表していく。

出典:http://blog.livedoor.jp

ドラマ@探偵物語(1979~1980年)

1979年「探偵物語」に主演、企画段階から参加。探偵・工藤俊作役を軽妙に演じ、その人気を絶大なものにしていきます。松田優作の俳優としての幅の広さを感じますね。そして、魅力にはまる人も多かったでしょう。

映画『蘇える金狼』(’79)や『野獣死すべし』(’80)で日本の俳優の中でハードボイルドの地位を決定づけた演技力を認めつつも、松田優作という人のどこか自然体のようなコミカルな演技のファンも多かったはず。今の言葉でいうところの、ギャップ萌えでしょうね。彼の死因になった病気のことなんて誰もが思わなかった時代です。

【松田優作とその家族】

松田優作の奥さん@松田美由紀

松田優作の奥さん、女優・熊谷美由紀 (現・松田美由紀) とはドラマ「探偵物語」の共演で知り合いました。当時、既婚者だった松田優作と不倫関係にありましたが「今まで見たことが無いエキセントリックな女だ」と衝撃を受けたそうです。のちに「この女から離れられない」と感じたとのこと。龍平出産後に結婚しました。亡くなる前には、死因になった「ガン」について、美由紀さんにも告げられなかったとのことです。

松田優作の長男@松田龍平

松田優作と美由紀さんの長男・松田龍平さん。彼もまた俳優になり父と同じ道を歩んでいます。この二人・・それにしても似ていますよね。お父さんである優作さんが亡くなったとき、まだ幼かった龍平さん・・お父さんの死因をどう思っていたのでしょうね。

松田優作次男@松田翔太

松田優作と美由紀さんの次男・松田翔太さん。彼もまた、今や人気の俳優です。彼は、父である松田優作についてこのように語っています。「1回もオヤジのことでぶれる話を聞いたことがない。そういうことが僕の中で一番美しい美学」。父親のことが自分の中の美学だと思えるところが素敵な親子関係ですね。その後、父である松田優作の死因になったガンについても息子として向き合っていたことでしょう。

松田優作長女@Yuki

エレクトロニックユニット「Young Juvenile Youth」のボーカルとして音楽活動をしている松田優作の長女、Yuki。彼らが父であるお父さんの死因を知ったときにはまだ幼かったと思いますが、理解出来る様になった頃にはどんなふうに思っていたのでしょう。

【松田優作さんの死因「ガン」と宣告されるまで】

1988年、深作欣二監督の時代映画『華の乱』で吉永小百合さんと共演した松田優作。この撮影の頃に彼がのちに死因となる病魔の兆候を感じていたのではないでしょうか。

死去の約1年前の1988年9月27日。一人で来院した彼は若い医師に、「血尿が続いていたが、とうとう尿が出なくなった」と訴えたといいます。診察すると、血の塊が尿道を塞ぎ、おなかはパンパンに腫れ上がっていた様でした。彼の死因は「ガン」でした。とてもつらかったことでしょう。

松田優作さんの死因は「膀胱ガン」でしたが、本人も自分が「ガン」だと知らされたときはショックだったことでしょう。その診断を受ける1年半ほど前に、初めて血尿で病院に行ったときは「膀胱炎」という診断を受けていたとのことでした。

こんな記述もあります。『検査データによると膀胱内の壁内にできる移行上皮ガン(TCC)。このガンは、膀胱の壁の外側から発生し、進行が早い。おまけに、外から内へ、あるいは骨盤に向かってガン細胞が増殖していくかなり厄介なケースという。CTスキャン画像には、すでに膀胱の約四分の一が冒されていた。彼は他の病院で一年半前の血尿で診察を受けたが、結果は膀胱炎と診断された』これを踏まえてもブラックレインの撮影をよくこなしていたなと思います。

松田優作の死因であった「膀胱ガン」。そのときの医師は外科手術を勧めたそうです。それでも彼は、それまでの自分のカラダに起こっていることを予想していたのか、動揺は見せず、「ああ、そうですか」「病名は家族には告げないで下さい」と頼みました。

【松田優作、死因@膀胱ガンとの闘いと生き様】

松田優作の死因は「ガン」でした。「膀胱ガン」の進行状態は悪性度の高いT4。「一週間、考えたい」とした彼。その後、「ブラックレイン」のクランクインが待っていたため、医師との話し合い、本人の意向で「今は手術もできないし、強い薬も使って欲しくない」と決めました。亡くなった後に死因を聞いた誰もが信じられなかったでしょうね。

1988年9月27日にガンだと知り、緊急入院。10月6日に退院、10月12日東宝撮影所で「ブラックレイン」の衣装合わせなどをこなし、その後、松田優作は渡米して撮影にはいります。しかし病状が進行している中の撮影はとても過酷なものだったに違いありません。彼の死因「ガン」を知っていたのは、共演した安岡力也さんだけだったとか。

松田優作の死因は「膀胱ガン」でしたが、そんな病気の中で撮影していたということを映画を観ても信じられないという人も多かったのではないでしょうか。それでも、その演技の迫力は凄まじいものを感じました。

松田優作が亡くなる3か月前に収録されたトーク番組で。

オシャレ30◆30@MC 古舘一郎・阿川泰子

「太陽にほえろ!」の殉職シーンを観て。

ジーパン刑事のセリフ「俺は死にたくないよ!待ってくれよほらぁ!俺は死にたくないよ。会田、ちょっと待ってくれよ。な、どうして逃げちゃうんだよ・・・待ってくれよ!」松田優作はすでにこの番組出演時には自身が「ガン」だということを知りながらこの殉職シーンをみているんです。感慨深いですね。その後、彼の死因を知って古舘さんも阿川さんも驚いたことでしょう。

殉職シーンを観終わって

ドラマ、『太陽にほえろ!』の松田優作自身が演じた、ジーパン刑事の殉職シーンVTRを目にして、彼から出た言葉は「がんばってたねぇ」でした。なんだかその言葉がしみじみしていて・・・。その後、彼の死因がガンだったということを知りながら観るとつらいですね。。

収録後の会話

松田優作自身は言うんです「どうでもいいやな、もう、芝居なんて・・・。(笑)」なんだかそこに「悟り」のようなものを見ていた言葉に感じます。それも、今では彼の死因を知っているからかもしれませんが。

亡くなる一か月前ほどの松田優作

ブラックレインの試写会パーティの際、痛みに耐えられず、途中で病院に戻り、それでも、「痛みは我慢するから、麻薬は止めて欲しい。頭をクリアにしておきたいんだ」と医師にいったそうです。ここも松田優作の生きることに対して、死因になったガンとの闘い、そして彼の生き様が見えます。

10月下旬、松田優作がついに口にした言葉、「「もう、だめだね・・・」10月28日、治療の限界を感じた医師は睡眠療法に切り替えたとのことです。

松田優作最期の時

最期の日まで、彼の心臓は強靭さを見せていたといいますが、11月6日午後、病状が急変し、同日午後6時45分、松田優作は永眠。最期の瞬間に一筋の涙が流れたといいます。

2013年父・松田優作の憧れの「人」と息子・松田龍平がCM共演

松田龍平とロバート・デ・ニーロのCM@NTTドコモ

こんなCMがありました。松田優作が亡くなってから24年後に、彼が尊敬していたアメリカの俳優ロバート・デニーロと松田優作の長男・松田龍平がCM共演を果たしています。ブラックレインの後、ハリウッドからロバート・デニーロ主演の映画へのオファーが松田優作のもとにくることになっていましたが、時遅く、優作が病床で、しかも死の直前だったといいます。彼の死因を本当に悔しく思いますね。

松田優作という人

いかがでしたか?彼の死を知っている人も、彼が壮絶な病魔との戦いの中でどんな最期を迎えたか、本当のところはご家族しかわからないのかもしれませんが、今でも多くのファンを持つ彼の生き様をあらためて知り、松田優作という、一人の俳優を振り返ってみました。

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