2021/12/10
セラフィム
2015/12/25 更新
「キンキン」の相性で親しまれていた愛川欽也。そんな愛川欽也が司会を務めていた番組「アド街」とはどんな番組なのか?愛川欽也が「アド街」を降板した理由とは?「アド街」でギネス記録を持っていた!?など、愛川欽也が出演していた「アド街」について調べてみました。
愛川欽也
本名 井川敏明
1934年6月25日生まれ
東京都出身
1971年より深夜番組『パックインミュージック』でパーソナリティとなり、若者を中心に人気を得る。このときより、「キンキン」の愛称が一般に定着した。深夜番組『11PM』の司会を大橋巨泉とともに1974年から1986年3月まで長年にわたり務め、司会者としての人気を確固たるものにした。
2015年4月15日午前5時11分、肺がんのため東京都内の自宅で死去。満80歳没(享年82)。4月17日に所属事務所から正式に発表された。2014年冬に体調の不安を訴え検査したところ肺がんであることが判明したが、本人の希望で自宅療養を行い、最後まで仕事復帰する可能性に懸け病状を伏せていたという。
愛川欽也が初代司会を務めていた「アド街」は
このような番組です。
『出没!アド街ック天国』(しゅつぼつ!アドまちックてんごく)は、テレビ東京系列でテレビ東京とハウフルスが共同制作し、1995年4月15日から毎週土曜日の21:00 - 21:54(JST)に放送されている「地域密着系都市型エンターテイメント」の副名称を持つバラエティ番組。略称は「アド街(あどまち)」。
毎週、さまざまな「街」にスポットを当て、「アド街ック高感度30人委員会」選定の、その街に関する名所・建造物・店舗・名物・特徴・風土・自然・人物などを30位から1位までのランキング形式で紹介する「○○ベスト30」のコーナーを軸に、その街の魅力を多方面の角度から伝える。
愛川欽也が司会を務めていたアド街は
テレビ東京が放送を続けているバラエティ番組の中で
第2位に輝く長寿番組になっています。
そんな「アド街」という番組で
愛川欽也はギネス記録を持っています。
2015年、「アド街」は
放送1000回を達成しました。
そんな「アド街」の放送1000回を機に
愛川欽也は「アド街」の司会を降板しました。
降板時には「重病説」が流れましたが
妻ののうつみ宮土理が否定し
愛川欽也もこのようにコメントしました。
「これからは、このキンケロ・シアターで映画を撮ったりしたものを映したりしながら、のんびりやっていこうかと思っています。次回からは新しい方が就任しますので、レギュラーのみんな、1つ新任さんをサポートしてあげてやってくださいね。じゃあね!」
愛川欽也が「アド街」を降板したため
2代目司会者にはV6の井ノ原快彦が抜擢されました。
愛川欽也が司会を務めていた「アド街」について
ネット上ではこのような声が聞かれています。
愛川欽也さん、親しみやすくて好きだったわ…
アド街、中学生の頃から観てたからね、役者よりも司会者の愛川欽也の顔が印象に残ってる。でも、ドラマ見て特急踊り子号乗りたくなったのも事実。すごく大袈裟かもしれないけど、自分の人生いい意味で変えてくれたよ♪愛川欽也…ありがとう!
歳をとっても仲良く笑ってられる夫婦になりたいな。愛川欽也とうつみ宮土理見てたらホントにそう思った。
何気に愛川欽也好きだったからショック。
いつも録画してたアド街を見ながら切なくなる。
「アド街」の初代司会を務めていた
愛川欽也は病気のため、この世を去ってしまいました。
しかし、愛川欽也亡き後も
2代目司会者や、出演者たちが
「アド街」という番組を支えています。
愛川欽也の姿はもう見ることはできませんが
これからも「アド街」を見続けていきたいですね。
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