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ギネスにも登録されたアド街司会者、愛川欽也の晩年について

俳優、声優、タレントとマルチに活躍していた愛川欽也さん。そんな愛川欽也さんと言えばはやりアド街の司会という印象が大きいですよね。2015年に亡くなる直前までアド街に出演し続けた愛川欽也さん。今回は病気発覚後からアド街最後の出演までの事をご紹介します。

最後までアド街に出演した愛川欽也

2015年の4月、惜しまれつつこの世を去った愛川欽也さん。俳優、タレントとしての活躍はもちろん「アド街ック天国」ことアド街の司会としても有名ですよね。

亡くなるその寸前まで司会として出演し続けるほど、愛川欽也さんが愛したアド街。今回はそんな愛川欽也さんとアド街についてご紹介します。

愛川欽也のプロフィール

愛川 欽也

本名:井川 敏明(いがわ としあき)
生年月日:1934年6月25日
没年月日:2015年4月15日(満80歳没)
出生地:東京府東京市豊島区巣鴨(現:東京都豊島区巣鴨)
死没地:東京都渋谷区
配偶者:うつみ宮土理

様々な俳優、声優としての活動をする中で、1995年からはアド街こと「アド街ック天国」の司会を務めていました。現在でも放送されている番組ですが、愛川欽也さんは記念すべき1000回記念の回まで出演。そしてその回が愛川欽也さんが出演する最後のアド街となりました。

アド街に出演していた愛川欽也の急死に日本中が驚きました

2015年の4月15日の朝5時、愛川欽也さんは肺炎のため亡くなりました。17日に密葬が行われるまで、死について明かされることはなく、遺体は自宅に安置されていたそうです。この2日間は、奥様のうつみ宮土理さんにとって最後となる夫婦二人だけの時間を過ごしたそうです。

愛川欽也さんの死は日本中に大きな衝撃を与えました。それまでそんな大きな病気があるとはだれも考えていなかったからです。

愛川欽也さん亡き後、うつみ宮土理さんは憔悴しきり、見ているこちらが心配になるほどでした。夫の病気を隠し続け、最後まで愛川さんに尽くしたうつみ宮土理さんにとっても、辛い日々だったのではと思います。

アド街に出演していた愛川欽也の強い意向とは?

アド街1000回記念の回では、愛川欽也さんのがんはかなり進行しておりとても辛い状態であったはず。なぜアド街が1000回を迎えるまでは食らい付けたのでしょうか。

また愛川欽也さんの体調不良が噂されるようになったのはアド街を降板したからです。なぜ病気のことを隠してまで出演し続けたのでしょう?それには愛川欽也さんの強い意向があったからです。

愛川欽也さんは最後まで仕事に復帰するつもりで頑張っていました。その為自分の病状について公表し迷惑をかけたくなかったとのことで、かたくなに公表しなかったそうです。

俳優、愛川欽也として、最後までしっかり仕事をこなし、病気を治して、また次の仕事へと繋いで行きたかったという強い思いが、愛川欽也さんの意向から伝わってきます。

発見した時には愛川欽也の肺がんはすでに末期だった

しかし、惜しまれるのは末期の状態になるまでにがんを発見できなかった事です。実はガンが発見されてから亡くなるまでの間は半年もありませんでした。きっとうつみさんをはじめとするご家族の方も気持ちの整理すらできなかったのではと思います。

2014年12月、体調不良が続き都内の病院で診断したところ、見つかったのが肺がんでした。仕事が忙しかったせいか、なかなか病院へ行くことができなかったようです。自分の体調よりも仕事を優先させるのは、がんが発覚してからも同じでした。

手術をすれば長期入院、抗がん剤治療でも週5~6日の通院を最低二カ月続ける。そうなると仕事に穴を開けざるを得ません。しかし愛川欽也さんはそれを頑なに断り、仕事を続けられる道を探したそうです。

その後愛川欽也さんは仕事を続けながら治療できる道を見つけました。それは「重粒子線」という治療法。一体どのような治療法なのでしょうか?

重粒子線治療とはどんなもの?

仕事の為、手術や抗がん剤治療を拒んだ愛川欽也さんが選んだ治療法「重粒子線」。放射線よりもより局所的に体内の奥まで届く重粒子線を照射することで治療する方法です。体への負担も少なくて、治療期間も週3日、早ければ2週間で終わる治療法でした。

たしかにこれならお仕事を続けやすい治療法ですね。ただ、この治療法は保険適応外でとても高額。治療費は300万にもなるそうです。

日本国内でも4つの病院にしかない為、高額なのは仕方がないのですが、残念ながらこの治療法では愛川欽也さんを救う事はできませんでした。

自分は治ると信じ、アド街の収録も続けた愛川欽也

頼みの綱だった治療法は最終的に病気を治すことができませんでした。しかし愛川欽也さん自身はこの治療法にすべてをかけていたようです。

治療の合間にアド街の収録があったことはもちろん、新作映画の脚本まで書いていたそうです。まだまだ仕事をしたかったのでしょうね。

末期の肺がんと宣言されても自分は治ると信じ続け、バイタリティあふれる活動をし続けた愛川欽也さん。しかしそんな彼にいよいよ限界が訪れたのは2015年の2月の事でした。

最後のアド街は高熱でまともに歩けず、記念パーティーも欠席

愛川欽也さんが1995年から出演し続けたアド街を降板したのは2015年2月4日(放送は3月4日)の収録でした。ちょうど1000回記念と言う素晴らしい節目で、愛川欽也さんは番組を去ったのです。

2014年には世界最高齢の司会者としてギネス認定までされた愛着のあるアド街。実は1000回記念のこの回、ご本人は高熱でまともに歩くことさえできない状態でした。気合のみで番組収録はしたものの、その後ホテルでの1000回記念パーティーには出席することができませんでした。

通常であればとても仕事なんてできなかったはず。しかし病気のことを誰にも知られず、アド街の記念すべき1000回記念まで司会であり続けた愛川欽也さん。アド街に対するとても強い愛を感じることができますね。

アド街での最後の姿をYOUTUBEで

それではここで、そんな愛川欽也さんが高熱を押して収録に挑んだアド街の1000回記念を、動画で見ていただきましょう。

追悼 愛川欽也さん(アド街1000回)

オープニングのほんの少しだけの動画ですが、これを見ても体調が悪いなんてとても考えられません。

最後まで病気だと言う事を感じさせない素晴らしい司会です。本当にお疲れさまでした。

アド街降板後に出た愛川欽也の重病報道

先ほども少し触れましたが、愛川欽也さんの体調不良について噂が出たのはアド街を降板したからです。その後その噂が確信に近くなったのは、3月に入って愛川欽也さんの自宅に介護ベッドや点滴器具が運び込まれていたという目撃談があったから。

しかしこの時も重病であることは奥様のうつみ宮土理さんから否定されています。「ただの風邪」とその時は語られましたが、愛川欽也さんが亡くなったのちに「主人の意向を尊重してついた嘘だった」と告白しています。

うつみ宮土理さんは自分のベッドの隣に愛川欽也さんの介護ベッドを移し、つきっきりで看病していたそうです。その時のうつみ宮土理さんの心境たるや、想像することもできません。

愛川欽也さんのご冥福をお祈り申し上げます

迷惑がかからないようにと、病気をひたすら隠し続けアド街の1000回記念の日まで頑張り続けた愛川欽也さん。アド街でその姿を見なくなって久しいですが、いつまでもアド街には欠かせない人物です。

きっと天国でも仕事の続きを一生懸命されているに違いありません。仕事に全人生を捧げた、愛川欽也さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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