【アイドル女優】裕木奈江が消えた原因は秋元康が関係していた!?
2016/08/01
グリ777
アイドル好きといえば秋元康
AKB48のプロデューサーでもある秋元康ですが、昔から秋元康自身もアイドル好きとして有名だったようです。そのため、秋元康は、当時の裕木奈江もかなり気に入っていたとか。
1981年、Alfeeの楽曲「通り雨」のB面を作詞する機会を得て、坂崎幸之助と高見沢俊彦の合作「言葉にしたくない天気」で作詞家デビューを果たした。これを機に作詞家としても活動開始。
紆余曲折の人生!?秋元康
元々は官僚になりたかった秋元康。しかし、バイトで始めた放送作家を経て、作詞家に転向し、さらにはプロデューサーまで務めるように。しかし、秋元康自身は、やはり官僚になりたかったようですね。
美空ひばりの「川の流れのように」を作詞したのも、実は秋元康なんです。その後もAKB48のプロデューサーとしても有名となり、秋元康の人生は順風満帆。しかし、一方で秋元康には黒い噂も沢山あり、秋元康のまわりには、常にお気に入りの子との枕営業の噂が絶えないとか。裕木奈江もこの秋元康の、枕営業の噂に関係があるのでしょうか。
Theアイドル顔だった裕木奈江
秋元康のドストライクだった裕木奈江。こんなに可愛いなら、秋元康が裕木奈江を気に入るのも、当然ですよね。
裕木奈江といえば北の国から
裕木奈江といえば、北の国からですよね。あの健気な役のイメージが、そのまま裕木奈江のイメージとして定着してしまいました。
愛らしい顔立ちと、マイペースな性格が見事にマッチし、裕木奈江は一躍有名人気女優となりました。しかし、ある時を境に、裕木奈江はパタッと見かけなくなってしまいました。色々な悪い噂も建てられた裕木奈江。では、秋元康とどんな関係があるのでしょうか。
裕木奈江は秋元康のプロデュース!?
実は、裕木奈江をゴリ押ししていたのは、秋元康だったようです。秋元康の作詞で曲をだしたり、ドラマで主演を務めていた裕木奈江。しかし、秋元康の思い通りには、行かなかった!?
3rd 1993年3月21日「拗ねてごめん」 作詞秋元康 作曲筒美京平
4th 1993年7月28日「この空が味方なら」 作詞秋元康 作曲村下孝蔵
あの裕木奈江のドラマも秋元康
裕木奈江といえば、ドラマ「ポケベルが鳴らなくて」が浮かぶ人も多いはずですよね。しかし、この裕木奈江のヒット作も、実は秋元康が関係していたのです。
すごい役どころだった裕木奈江ですが、このドラマがヒットし、人気女優になった裕木奈江。しかし、この裕木奈江のドラマもまた、秋元康の企画原案でした。つまり、裕木奈江をゴリ押しするための、ドラマだったのです。しかし、この頃から秋元康と裕木奈江の関係は、暗雲が立ち込めます。
裕木奈江が秋元康を拒否!
ゴリ押しだった裕木奈江に、枕営業を断られた秋元康は、態度を一変。ドラマの主題歌も、秋元康のもう一人のお気に入りだった国武万里に歌わせることに。
消された裕木奈江が密かに復活!?
その後、芸能界から姿を消した裕木奈江。LAでの結婚→離婚を経て、ハリウッドデビューしていました。また最近では、裕木奈江が日本の芸能界にも復帰し、その綺麗さが話題になっています。秋元康のほとぼりも冷めたのでしょうか!?
2006年 クリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』でハリウッドデビューを果たし。
2007年には デイヴィッド・リンチ監督の『インランド・エンパイア』に出演。
秋元康に消され、LA在住だった裕木奈江ですが、離婚を機に海外を転々とする生活をしているそうです。秋元康以上に、広い世界で生活している裕木奈江。もちろん英語はペラペラで、その後もギリシャに住んでいたり、今はスイスに家も持っているとか。秋元康に消されて、逆に人生が開けた裕木奈江。日本での活躍にも期待したいですね。
まだまだ綺麗な裕木奈江
いかがでしたか。秋元康は裕木奈江以外にも、山田優に枕営業をさせようとしたりと、黒い噂は絶えませんね。しかし、裕木奈江を筆頭に、被害にあいかけた女性はみんな幸せになっているとの噂も。今後の裕木奈江の活躍も楽しみですね!
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