樹木希林を襲ったがん!全身にがんが転移しても樹木希林が元気な訳
2016/08/01
たかあみ
樹木希林
本名:内田啓子
生年月日:1943年1月15日
出生地:東京都千代田区
身長:159cm
血液型:A型
千代田女学園に在校中は薬剤師を目指していたが、受験直前の怪我で断念。
1961年に文学座に入り『悠木千帆』という名義で活動。
1964年に森重久弥のドラマ『七人の孫』にレギュラー出演し人気に。
20代の頃から老人の役を演じ老け役があたり役だった。
ドラマ『ムー』などで共演した郷ひろみとのデュエットで『お化けのロック』『林檎殺人事件』をリリースしている。
最近では2008年に紫綬褒章を受章、2013年日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受そうするなど数多くの賞を受賞している。
『美空ひばり物語』『僕たちの戦争』などのドラマや『3匹の狸』『ツナグ』『海街diary』などの映画に出演している。
樹木希林の若い頃の芸名は『悠木千帆』でした。
文学座に入り『悠木千帆』という芸名で活動していた樹木希林。
どうして樹木希林になったのか見てみましょう。
特別番組『テレビ朝日誕生記念番組・わが家の友だち10チャンネル・徹子のナマナマ10時間半完全生中継』のオークションコーナーで、売る物がないとの理由で、自身の芸名「悠木千帆」を競売にかけました。
名前は2万2千円で世田谷の飲食店店主に売却され、自らは「樹木希林」に改名します。
売却された旧名は、飲食店店主から無償で2004年に女優の山田和葉に譲渡されました。
実は、樹木希林の若い頃の芸名『悠木千帆』を受け継いだ女優がいます。
2代目『悠木千帆』を譲り受けたのは、名古屋出身の山田和葉さん!
デビュー後は本名の山田和葉として活動していましたが、オークションで落札した店主から託されたのをきっかけに、数多くのドラマや舞台で活動しています。
無償で芸名『悠木千帆』を譲り受けたとの事で、「あなたならと思った。そのかわりしっかり頑張りなさい。」と励まされたらしいです。
若い頃の芸名『悠木千帆』として、山田和葉が頑張っていてくれるなら、樹木希林もオークションに出してよかったのかもしれませんね。
この樹木希林という忘れられない芸名になってよかったような気がします。
では樹木希林さんの若い頃の画像を見てみましょう!
キレイだったようですがどんな感じか楽しみですね。
肌もぴんっと張ってって笑顔がかわいい樹木希林!
若い頃は確かに綺麗ですね。
旦那である内田裕也さんとの過激な一枚!
ロングヘアーにメッシュ・咥えた葉巻がワイルドな樹木希林の画像です。
若い頃だからこそですね。
今の樹木希林の片鱗が見える1枚!
でも可愛らしい笑顔に癒されます。
20代・30代の若い頃から老け役をこなしていた樹木希林。
どっかのオバサン的な画像ですね。
『寺内貫太郎一家』に出演した樹木希林は、実年齢10歳上の小林亜星の母親役を演じるため、髪を脱色して『老けメイク』をし、手の若さを隠すため手袋を外さなかったそうです。
樹木希林は若い頃から演技にストイックで、手を抜かない、そんな女優だったようです。
郷ひろみとのデュエット『お化けロック』では、ペアルック姿で同じヘアスタイルがかわいい樹木希林!
若い頃の樹木希林の画像を見てきましたが、綺麗でしたね。
ドラマや映画では老けた姿も多いため綺麗さが分かりにくかったです。
しかし演技に対する姿勢はかなり若い頃からすごかったのは分かりましたね。
最近でも演技にはかなり厳しいようなので若い頃から色々な役をこなしてきた樹木希林さんだからなのでしょう。
樹木希林は意外にもバツイチです!
文学座に在籍中に結婚し、離婚します。
その後、今の夫である内田裕也さんと結婚しました。
若い頃の樹木希林と内田裕也
結婚式は二人ともジーパン姿で挙げたというバツイチの樹木希林と内田裕也の馴初めはどんなの?気になりますよね!
結婚式は、二人ともジーパン姿で挙げたそうです。
ロックですね。
バツイチの樹木希林と内田裕也の馴初めはどんなエピソードなのでしょうか。
気になりますよね!
樹木希林の旦那
内田裕也のプロフィール
生年月日:1939年11月17日
出生地:兵庫県西宮市
歌手
音楽プロデューサー
俳優
映画監督
脚本家
1959年に日劇ウエスタンカーニバルにてデビューを果たす。以降、グループ・サウンズ・「内田裕也とザ・フラワーズ」のヴォーカリスト、フラワー・トラベリン・バンドのプロデュース活動などを経て、1970年代後半からは俳優としても活躍、映画出演や監督なども手掛ける。映画『コミック雑誌なんかいらない!』や『エロティックな関係』などでは脚本も担当した。口癖は「ロックンロール」(Rock'n Roll)。
生年月日:1939年11月17日
出生地:兵庫県西宮市
職業:歌手・音楽プロデューサー・俳優・映画監督・脚本家
1959年に日劇ウエスタンカーニバルにてデビューを果たします。
以降、グループ・サウンズ・「内田裕也とザ・フラワーズ」のヴォーカリスト、フラワー・トラベリン・バンドのプロデュース活動などを経て、1970年代後半からは俳優としても活躍します。
また、映画出演や監督なども手掛けるほどの多彩さ。
映画『コミック雑誌なんかいらない!』や『エロティックな関係』などでは脚本も担当しました。
口癖は「ロックンロール」(Rock'n Roll)!
樹木希林の『時間ですよ』収録スタジオをたまたま内田裕也さんがのぞいたのがきっかけ!意気投合した樹木希林と内田裕也さんは交際5か月のスピード結婚で1973年10月10日に入籍したそうです。
樹木希林同様、内田裕也も若い頃はイケメンだったようです。
二人の間には娘が一人がいます。
夫の内田裕也が無断で離婚届を区役所に提出するも、樹木希林はその離婚を認めませんでした。
そして、離婚無効の訴訟を起こし、樹木希林が勝訴しています。
樹木希林と内田裕也の別居の原因は、内田裕也のDVでした。
ですが、離婚しない樹木希林には理由がありました。
内田裕也とは縁で結ばれた関係だそうで、自分に合った人と出会うと語っていました。
DVに対して、親がへたばって喜ぶ子供はいないということで、徹底的に戦う趣旨のことを言っていました。
スピード結婚した樹木希林と内田裕也が、きちんとした結婚生活を送ったのは、2年だけ、その後は40年ほど別居生活が続いています。
ただ、ファックスでのやり取りはしているようで。樹木希林さんは別れないと言っているようです。
ゼクシィのCMで共演した樹木希林と内田裕也。
このCMが放送され始めたころ内田さんはまた事件を起こしていました。
事件直前のCM撮影では、結婚以来30年近く別居状態にあった内田裕也は照れまくって樹木さんのことを「さすが凄い女優だ」と惚れ直していたそうです。
樹木希林の懐の深さに世間はびっくりだと思います。
「独特の感性は若い頃からなのでしょうが、こんな夫でよかったのか、樹木希林さん!」と思います。
樹木希林の若い頃を見てきましたが、綺麗なのにやっぱり樹木希林は、樹木希林でしたね。
柄案着に対する思い旦那や家族に対する思いは、若い頃から変わらず責任感の強さからくるものなのでしょうか。
樹木希林の懐ころの深さには頭が下がる思いですね。
大変な病気もしている樹木希林さんなので、若い頃のような元気はなくても、がんばって良い演技見せてくれるのが楽しみですね。
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