樹木希林と内田裕也の結婚馴れ初めは?離婚や別居など2人に迫る!
2018/10/16
mosanet2
本名: 内田 啓子(うちだけいこ)
生年月日: 1943年1月15日(72歳)
出身地:東京市神田区(現・東京都千代田区)
身長:159cm
血液型:A型
職業:女優
所属事務所:無所属(スケジュールは自分で管理)
樹木希林さんと聞いて思い浮かぶのは、昔コントチックなドラマに出てて郷ひろみさんとデュエットして、内田裕也さんが旦那で現在は癌と戦う女優さんといった感じでした。でも樹木希林さんのことを調べて初めて知りました。もの凄い方(旦那さんも含めて)でした…。
市ヶ谷にある千代田女学園に入学後、演劇部に在籍し、その傍ら薬剤師を目指していたが、大学受験直前にスキーで足を怪我したため、大学進学を断念。
1961年に文学座に入り、「悠木千帆(ゆうき ちほ)」名義で女優活動をスタートする。
樹木希林さんは元々は薬剤師を目指していたとは意外ですね。しかも怪我で女優の道へと進むのですから人生何が起こるか分かりませんね。一番驚いたのが樹木希林さんは以前は「悠木千帆」の名前で女優活動をされていたことです。ビックリですね。この頃に内田裕也さんと結婚されました。
1977年4月1日、『日本教育テレビ』(NETテレビ)から『全国朝日放送』(テレビ朝日)への局名・会社名称変更を記念して放送された、特別番組『テレビ朝日誕生記念番組・わが家の友だち10チャンネル・徹子のナマナマ10時間半完全生中継』の中のオークションコーナーで、「売る物がない」との理由で自身の芸名「悠木千帆」を競売にかけた。名前は2万2千円で世田谷の飲食店店主に売却され、自らは「樹木希林」に改名。
自分の名前を競売にかけるなんて凄いことしますね!この辺がやっぱり他の人とは違う感性の持ち主なんでしょうね。これがきっかけで今もお馴染みの樹木希林さんになられたのか…。ちなみに「悠木千帆」の名前は落札した飲食店店主の方が無償で2004年に女優の山田和葉さんという方に譲ったみたいですよ。
1964年に森繁久彌主演のテレビドラマ『七人の孫』にレギュラー出演し、樹木希林さんが一躍人気を獲得した作品です。
その後樹木希林さんは1966年に文学座を退団します。個性派女優として多くのドラマ、映画、舞台に出演。20代の頃から老人の役を演じていたんですが、これが当たり役でした。
1974年にTBSで放送されたドラマです。樹木希林さんは小林亜星が演じた主役の貫太郎の実母を演じました。
どう考えたって無理のある設定ですよねこれ。樹木希林さんの方が小林亜星さんよりも10歳以上も若かったんですから。でも樹木希林さんの凄いところは個性派女優としての意地で頭髪を脱色、老けメイク、指ぬき手袋で若い手を隠すなどの工夫で見事役を演じきったことですね。
これを見て旦那の内田裕也さんはどう思ったんですかね。
見た目や仕草が完全におばあちゃんです。さすがです。
郷ひろみさんと共演した樹木希林さんはデュエット曲をリリースしました。
「お化けのロック」「林檎殺人事件」は共に大ヒット!!
その他にもドラマや映画に出演された樹木希林さんですが、紹介しきれないので、女優としてどのくらい凄いのか過去に受賞された作品を紹介します。
『はね駒』第37回芸術選奨文部大臣賞
『半落ち』第26回ヨコハマ映画祭助演女優賞・ 第28回日本アカデミー賞優秀助演女優賞
第59回日本放送映画藝術大賞優秀助演女優賞
『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』
第31回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞・第20回日刊スポーツ映画大賞助演女優賞
第62回日本放送映画藝術大賞優秀助演女優賞
『歩いても歩いても』
第30回ナント三大陸映画祭最優秀女優賞・ 第33回報知映画賞最優秀助演女優賞
第50回ブルーリボン賞助演女優賞・第82回キネマ旬報ベスト・テン日本映画助演女優賞
第32回日本アカデミー賞優秀助演女優賞
第63回日本放送映画藝術大賞最優秀助演女優賞
『悪人』
第34回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞
『わが母の記』
第4回TAMA映画賞最優秀女優賞・ 第25回日刊スポーツ映画大賞助演女優賞
第36回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞
『ツナグ』
第25回日刊スポーツ映画大賞助演女優賞・第28回東京国際映画祭 ARIGATO賞
『あん』ほか
山路ふみ子映画賞女優賞(2015年)
こうして見ると改めて凄い女優さんだということが分かりますね。
しかも凄いのは女優だけではありません。プライベートでも凄い旦那さんと結婚しました。
生年月日:1939年11月17日(75歳)
出身地:兵庫県西宮市
身長:174cm
職業:歌手、音楽プロデューサー、映画監督、俳優
所属事務所:内田裕也オフィス
ご存知樹木希林さんの旦那・内田裕也さんです。
現在に至るまでをさらっと紹介します。
昔は映画に出演されていました。俳優さんです。もちろん音楽もやってましたよ。
1960年代中頃から、ベンチャーズやビートルズの影響により、ロック色を強めた活動に転換していく。
1973年、初のソロアルバム『ロックンロール放送局』を発表。10月には樹木希林と結婚。
ロック色は現在の内田裕也さんを見れば分かりますね。この頃からロックな活動が目立つようになりました。
1977年9月、大麻取締法違反で逮捕され、起訴猶予処分となった。
1979年1月、妻の樹木が『ムー一族』の打ち上げパーティーの席上、番組プロデューサー久世光彦と番組出演者の不倫を暴露し騒動となる。騒動を聞きつけた内田はパーティー会場へ乗り込もうとするが、入店を断られたため店員と押し問答となった揚句、パトカーが出動する騒ぎを起こした。
1981年、離婚届を区役所に提出するも、樹木は離婚を認めず、訴訟となり、離婚無効との判決が下る。
随分と問題を起こされていますね…。
樹木希林さんは過去に旦那の内田裕也さんにDVを受けてから別居生活をして30年以上経ってますが、それでも旦那さんと離婚しませんが、その理由が気になりますね。
「内田裕也の全てが、好きです。全てが…。」と語り、もし生まれ変わっても内田と出会いたくない。彼と出会ってしまえば、また好きになって大変な人生を送ることになるからだという樹木。
テレビに出演されたときに旦那の内田裕也さんの事を聞かれた樹木希林さんのコメントです。
樹木希林さんらしいコメントですね。随分苦労されましたもんね。今でも旦那さんのことが好きなんですね。現在は全身癌で病気と闘っている樹木希林さん。頑張って欲しいです。
2013年3月、「全身がん」であることを告白した樹木さん。
全身13カ所に、がんが転移して、2014年1月、放射線治療をいったん終えた。
樹木さんは「治療は続けていないの。もうあれで終わり。薬は全然飲んでないの。
樹木希林さんは癌と戦うっていう感覚がないようです。生活の質を下げないで、自然にいるような道を見つけようという生き方を選んでいます。樹木希林さんらしいです。
色々ありますけど、内田裕也さんは奥さんの樹木希林さんのことを今でも感謝されてるんですね。やっぱりお二人はお似合いです。
樹木希林さんが全身癌を告白した後、旦那の内田裕也さんから「お前は一人で逝ってくれ。ハンコは分かる所においておけ」と言われたことをばらし、さらに財産の半分をもらうつもり?ロックには負けるわと発言したことに激怒!!
ロック歌手の内田裕也(74)が18日、Twitterを更新。内田にまつわるエピソードを語った妻で女優の樹木希林(71)に対し「もう許せねえ!」などと激怒した。
意外にも内田裕也さんに対して否定的な意見と愛情表現だろといった意見がありました。
ただ共通して言えることはこの二人の仲は異次元だということです。凡人には理解できません。
小学校で「赤ちゃんは“ここの家庭に生まれたい”と思ってお父さんとお母さんを選ぶ」と、教えられて帰ってきた。口ごもりながら彼女は自分の母(内田也哉子)に、「お母さんも、ばぁばと裕也を選んだの?」と聞いてきた。内田也哉子は肯定することが出来ず、「ううっ」と絶句したという。
樹木希林さん、旦那さん、娘さんが絶句してますよw
2003年1月、網膜剥離で左目を失明した。2004年1月末に明らかにされる。「今まで色々な物が見え過ぎた」と達観したコメントを発表し、治療を受けなかったことで話題になった。しかしその後、生活を改善して少しずつ見えるようになったという。
治療を受けないとか凄いですね・・・。これには旦那の内田裕也さんも驚いたのではないでしょうか。
目標が旦那のようなロックではなくアメカジの所ジョージさんなんですねw
子供の自殺の多さに子供たちに向けて発したメッセージです。
さすがにいいこと言いますね。旦那さんからもこんなメッセージが聞きたいです
樹木希林さんの特集いかがでしたか。ついでに旦那の内田裕也さんも一緒に紹介しましました。個性派女優として物凄い実績を残されている方でしたね。プライベートでは旦那さんの数々の問題事件にも結局最後は許してしまう樹木希林さんでした。女優としても夫婦としても誰にも真似の出来ない生き方をされているのが樹木希林さんです。現在は全身癌の樹木希林さんですが、それでも前向きに仕事に人生に生きていく姿を見て感動しました。これからも長生きして下さい!!
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