2015/10/09
jonasan
保阪尚希さんが両親を亡くしたのはまだ7歳のときでした。亡くなる前日の夜まで普通に両親とともに過ごしていた保阪尚希さんですが、ふと目を覚ますと家にはたくさんの警察官が。そこで両親が亡くなったことを知ったそうです。
保阪尚希さん
優しそうな笑顔を浮かべつつ、どこか満面の笑みではなく影のあるような・・・そんな保阪尚希さん。1967年12月11日に静岡県で生まれました。
19歳のころから芸能界で俳優として活動を開始、主にテレビドラマで活躍します。主な作品には「スクール・ウォーズ2」「家なき子」「踊る大捜査線」などが上げられますがどれも主演ではなく、名脇役といったイメージが強いです。
しかし近年はというと連続ドラマよりもいわゆる「2時間ドラマ」にポツポツと出演する程度で、以前のようにテレビで見かけることが減ってしまった保阪尚希さん。なにか原因があるのでしょうか?
2007年に開かれた会見により、同年4月12日より両親の供養を行うために仏門に入る、との発表がありました。両親のためにいっさいの芸能活動をやめて供養のため、仏門に専念するのでしょうか?
しかしこのときは両親の供養のためとはいえ芸能活動を休止、あるいは引退というようなことはなく活動を継続しています。翌年の2008年には両親の供養が終わったことをきっかけに僧侶としての活動を終えています。これが芸能活動から遠ざかっている理由とは思えません。
出家当時の保阪尚希さんの様子です。幼いころ亡くなった両親のために出家して僧侶となり、両親の三十三回忌を供養すると発表しました。両親への想いはそれほど大きかったのです。
保阪尚希はその番組に「副業で成功した芸能人」の一人として出演。
保阪いわく、自らプロデュースした商品が通販を通して1日1億5千万円以上を売り上げることもあったとか。
2014年11月に、保阪尚希さんは「ナイナイアンサー」に出演。副業が成功した芸能人として紹介され、その番組内で1億5千万もの売上をたった一日で達成したという驚きの実績を発表しました。
なるほど、それならスケジュールもタイトで撮影もハードな俳優よりも副業を選んで当然かもしれませんね。
保阪尚希さんが自ら手がけたグッズの一例です。煮る、炊く、蒸す、茹でる、保存する、の5つの機能がこの鍋ひとつでできるうえに、レンジ調理OKという優れものという触れ込みで販売されたこのグッズが大当たり!主婦層から大人気だったとか。
なんでも保阪尚希さんは料理が得意だそうで、自分の料理中の思いつきがグッズに反映されているらしいです。
中学生からイタリアンレストランの厨房でバイトをしていたという。そのため、料理の腕前はプロはだしであり、実際に毎朝子ども達のお弁当も作っていたと発言している。
料理上手の理由がこちら。幼いころに両親を亡くし家計が厳しくなったとき、レストランのアルバイトをしたことがあるそうで、そのときの経験から料理好きになったというのです。妹さんや自分のお弁当も両親のかわりに保阪尚希さんが作っていたほどだそうですよ。
両親を失った悲しみに浸る間もなく、中学生のころから家計を助けるために働いていたという保阪尚希さん。それが現在になって保阪尚希さんを支える経験になっていることは間違いありませんが、ではなぜ両親は亡くなってしまったのでしょう?
仏門に入ることが発表された2007年。両親の供養のためだと理由を語る一方でこんな衝撃的な真実が保阪尚希さんの口から語られました。
両親の自殺理由については現在もなお知らないという保阪尚希さん。恐らく最初に発見し通報したと思われる保阪尚希さんの祖母が警察に口止めしたと思われます。
両親が自殺する前日も、就寝するまで一緒に居たという保阪尚希さん。両親の死の真相も知らされず、幼いころ突然両親をいっぺんに亡くしてしまったことに恨みを感じたりしなかったのでしょうか?
両親の死によってイジメを受けながらも、両親を恨んだりしたことはないといいます。家計も苦しくバイトに学業にと壮絶な半生を体験してもなお、両親の命日には必ず手を合わせるといいます。
近年、児童の自殺があとを絶たなくなっています。理由はいじめ、両親からの虐待などさまざまですが、自身もいじめられたり両親を失った悲しみを体験したからこそ、保阪尚希さんはそんな子供たちの力になりたいと希望したようです。
子供はなにかあっても周囲に助けてと言えない状態の子もたくさんいます。そうした子供たちが命を絶つという最悪な決断をするまえに相談にのってあげたい。そう思った保阪尚希さんは出家することを決意したといいます。
上でも紹介したとおり、僧侶としての活動は保阪尚希さんの両親の供養が終わったからという理由で2008年には終了しています。この間に子供たちと実際にこのような話ができたかは不明ですが、誰かの助けになれたとしたらとても素晴らしいことだと思います。
保阪尚希さんの半生を振り返ってきました。その壮絶な体験を前向きにとらえ、誰かの役に立ちたいと思える保阪尚希さんはとても強い人間なんだと分かりました。
2015年に入ってからもいたましい事件が続いています。電車に飛び込んだ少年がイジメられていたことが分かったというニュースをついこの間聞いたばかりです。保阪尚希さんも再びこうした問題のために立ち上がるときがあるのかもしれませんね。
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