保阪尚希さんは両親と死別、当初は事故と思われた両親の死の真相・・
2015/11/16
sura
保阪尚希
誕生日
1967年12月11日
星座
いて座
出身地
静岡
性別
男
血液型
A型
身長
180cm
体重
66kg
デビュー年
1986年
デビュー作品
この子誰の子? (テレビ)
俳優の保阪尚希さん。
近頃はテレビであまり見かけることもなくなりましたね。
保阪尚希さんは今は副業で料理グッズの販売もしているそうで、
そちらのほうがかなりうまくいっているそうです。
そんあ保阪尚希さんですが、生い立ちがかなり壮絶なんです。
保阪尚希さんもテレビや本で子供の頃からの壮絶な体験を
お話しています!!
その壮絶な生い立ちの中でも衝撃的なのが、保阪尚希さんのご両親が幼少期
に亡くなっていますが、その死因が自殺だったということです!!
両親が自殺する数時間前まで普通に会話していたそうです。
保阪尚希さんと妹さんが祖母に寝かしつけられた後、
両親が自殺し、保阪尚希さんが起きた頃には警察が来ていたそうです。
保阪尚希さんは交通事故に遭って重傷を負い、入院しましたが、
両親が自殺したのは保阪尚希さんが退院した3日後のことでした。
4か月もの間入院し、やっと退院できたと思えば
今度は両親が自殺という結果になりました。
保阪尚希さんが7歳の時に両親が自殺しているそうです。
しかも保阪尚希さんが寝ている横で!!!
とても悲しい生い立ちですね。。。
保阪尚希さんの生い立ちは両親の自殺というだけでかなり
壮絶な生い立ちですが、それだけではありません。。
保阪尚希さんは6歳の頃に大きな事故に合いかなりの重症を
負ってしまったようです!!保阪尚希さんはこの事故で何ヶ月ものあいだ
入院することになってしまいます。
この事故の話も保阪尚希さんの生い立ちの話でよく話されていますね!!
6歳の時に車に轢かれて、重症を負う。
意識不明のときに、死後の世界を垣間見るが、
三途の川のところで他の死者に「あなたは戻りなさい」と言われて引き返し、意識を取り戻す。
保阪尚希さんは4か月もの長い入院ののち退院しますが、なんと
その3日後に両親が自殺してしまうのです。
その後は、祖父母と妹と生活するが、家計を助けるために中学生からイタリアンレストランの
厨房ででバイトをしていたという。
そのため、料理の腕前はプロはだしであり、実際に毎朝子ども達のお弁当も作っていたと発言している。
それ以後、ずっと「どうやったら早く自立できるか」を考え、
小学生のときから自分でお金を稼ぐ方法を実行し、アルバイトなどでお金を貯める。
やがてスカウトされて上京し、芸能活動を始めるが、
最初は殆どお金がなく、食べ物にも困る生活が続く。
保阪尚希さんは長い退院の後、やっと家族でまた一緒に家で
生活を出来ることを楽しみにしていたと思います!!
しかしご両親と一緒にすごせたのはわずか二日間ということになります。
この保阪尚希さんの生い立ちは誰が聞いても言葉を失ってしまうと思います!!
幼少期から壮絶な生い立ちのために大変な苦労をしてきた保阪尚希さん。
芸能界に入り、女優の高岡早紀さんと結婚していますね。
保阪尚希の元妻!
高岡 早紀
本名
高岡 佐紀子
生年月日
1972年12月3日(42歳)
出生地
日本の旗 神奈川県藤沢市
身長
163cm
血液型
A型
職業
女優
ジャンル
映画・テレビドラマ・演劇
活動期間
1988年 -
週刊誌で2人の不倫がスクープされたとき、海外にいた保阪さんに高岡さんから電話が。「尚ちゃん、今から帰りの飛行機を変えられない?空港と家が大変なことになってるの」と。
高岡さんは結婚しても母になっても“女性”であり続け、ふいに「親権はあげるから離婚して」と言い寄ったりすることもあり、いつか離婚はやむを得ないと覚悟はしていたそうです。
籍を抜いた後も子供のために同居を続けたことで話題を集めた。
同居を続けた理由は自身が幼少時代、両親の自殺により親に育てられなかったため、
同じようなつらい経験を子供にはさせたくなかったからと本人は語る。
半年間同居の後、同居を解消した。子供達の親権は保阪、教育は高岡、母親である高岡と
子供たちが一緒に生活している
保阪尚希さんは自身の生い立ちが両親が幼少期にいなくなったことから
自分の子供たちに同じ寂しい思いをさせたくなかったという気持ちがあったようですね!!
保阪尚希さんは両親の自殺という生い立ちを体験しています!!
でもその自殺の理由は保阪尚希さん自身も知らなかったそうです!!
その理由を知りたい!!という想いから、出家しました。
自身の辛い生い立ちに向き合うことは本当に勇気のいることだと
思います。
毎月、月命日になると静岡の両親の墓を訪れ手をあわせていた保阪さんでしたが、この年はご両親の33回忌でした。自ら命を絶つという行為は、仏教的には非常に悪いこと。でも33回忌が過ぎればどんな魂も天に召されるという教えがあるそうです。
「ふつうなら親に大学まで面倒みてもらって、初任給で親父にネクタイ、おふくろに洋服とか買ったりするけど、僕は親に何もしてあげたことがなかったな。両親は自殺したけど、残された僕は生きている。生かされていることに感謝するべきじゃないか、って。天界に登ろうとする両親との最後の接点として、プレゼントとして、あれこれ悩んだ末に僕が選んだのが、出家だったんです」
保阪尚希さんは、その真実を知りたいという思いを持ち続けていたそうですが、おばあちゃんにその理由を聞くことはおばあちゃんを悲しませると思い聞けなかったそうです!!
出家して、両親と対話をすることでそのことを聞きたいと思ったそうです。
2007年3月22日、記者会見を開き、同年4月12日に熊本県合志市の六水院で得度を受け、両親の33回忌供養のために仏門に入る旨を明らかにした。剃髪は行わず、芸能活動も継続、法名は尚陽。翌年、両親の供養が終わった後に法名を返納、僧侶としての活動を終える。
保阪尚希さんの生い立ちは本当に壮絶な日々だったようですね!!
テレビではどこか冷たい印象もありますが、こういった生い立ちが関係しているのかもしれませんね。
辛い生い立ちであってもおばあちゃんや、兄弟のためにがんばって働いたりもしてきた
ようなのでとても愛情深い人ではあるかもしれません。。
高岡早紀さんとの間のお子さんに対しても、離れて暮らしてるものの
お子さんに対する愛情もとても大きいようです!!
息子さんたちには自分が経験したような、悲しい生い立ちにはさせたくないのかもしれませんね。。
保阪尚希さんは今している副業も一日の売上げが1億以上もあるそうでかなり成功しているようです。
生い立ちが壮絶だった分、今後は穏やかな生活が出来るといいですよね。
この記事に関する記事
Copyright© 運営事務局