2016/08/02
ぱぱだむ
本名:宇梶剛士(うかじたかし)
生年月日:1962年8月15日(53歳)
出身地:東京都新宿区
身長: 188cm
血液型:B型
職業:俳優
所属事務所:アベベネクスト所属
『ひとつ屋根の下2』
超人気ドラマの続編です。
前園 俊雄役を演じた宇梶剛士さん。前川の紹介で、小雪と見合いをする。一旦断られたが、その後も存在しない双子の兄に成りすましたりなどして付いて回る。通称「ピカリン」
この役でカツラを取り、ハゲ姿を披露する演技で一気に注目されました。
平均視聴率は27%でした。
NHKの大河ドラマにも出演されています。
北条時宗(2001年) - 九条頼経 役
新選組!(2004年) - 西郷隆盛 役
平清盛 (2012年) - 源頼政 役
軍師官兵衛(2014年) - 清水宗治 役
『ストロベリーナイト』
石倉 保役を演じた宇梶剛士さん。
姫川班では最年長のベテラン刑事であるが、班長の玲子には従順な部下でいる。玲子をはじめとする班のメンバーから厚い信頼を寄せられ、長年地道に培ってきた幅広い情報網や人間関係を武器に姫川班を支える巡査部長の役を演じました。
刑事役も似合ってます。
『ワンダーコア』
「倒れるだけで腹筋ワンダーコア~」の倒される前の宇梶剛士さんです。
こんなコミカルなCMに出ている方にどんな武勇伝があるのか気になります。
飛ばされる宇梶剛士さん。本当に武勇伝があるのかな・・・
ビックリしてますw
宇梶剛士さんの武勇伝を知ってこっちがビックリするかもw
こちらもビックりしてますw
宇梶剛士さんの武勇伝もビックリ仰天なのでしょうか
1962年、アイヌとロシア人の血が入った母と日本人の父のハーフとして東京都新宿区西大久保1丁目(現・歌舞伎町2丁目)の「東京都立大久保病院」で生まれる。母はバーを経営しており、米兵が出入りするような家庭だった。
母親の宇梶静江はアイヌの詩人・古布絵作家で、民族運動家でもある。この事情から母は家庭不在のことが多く、父親は酒に溺れていた。
小学生の頃から野球をし、拓殖大学第一高等学校では野球部に所属し大柄だったこともあり「将来の有望選手」としてプロ球団のスカウトが宇梶を見に何回か足を運びに来たほどの実力であった。
当時宇梶剛士さんは強肩ピッチャーでした。
剛速球を投げそうですね。これはこれである意味武勇伝ですよね。
だが、その高校時代に友人達と暴力事件を起こし逮捕され、少年鑑別所に入所。
暫く叔父のいる北海道浦河郡浦河町や二海郡八雲町で労働機会を得るも更生できず、東京家庭裁判所からの呼び出しを口実に帰京。その後は暴走族に加わり、当時日本最大組織とされたブラックエンペラーの三多摩地区のヘッドから後に7代目名誉総長となり、暴走族同士の抗争で再び逮捕。家庭裁判所へ送致され、少年院へ収容。
今ではこんな感じの方ですけど、昔は相当悪だったんですね。
さて、どんな武勇伝なのか気になります。
宇梶剛士さんが俳優になる前は相当ヤンチャをしてたことは分かりました。でも芸能界には元暴走族だった芸人のヒロミさんやバッドボーイズの佐田さんなどが有名ですが、宇梶剛士さんは比べ物にはならないくらいの武勇伝がありました。その武勇伝を紹介します。
野球少年だった頃、中学生に喧嘩を売られることがあり20人相手に一人ずつボコボコにし全員返り討ちにした。体が大きいこともありよく喧嘩を売られたらしいです。
喧嘩で超有名人だったので、中学時代は喧嘩を売られる毎日。唐突に他所の中学生から殴りこまれたが、一度も負けることはなかった。しかも喧嘩相手の親を呼び出し正座をさせて親子に説教をした。親子に説教した武勇伝!!
野球の名門校へ進んだ先で陰湿な先輩のシゴキにブチ切れ先輩全員を半殺しにする。
その後留置所から出た後、本格的に不良デビューをする。
先輩をボコボコにした武勇伝!!
当時日本最大組織とされたブラックエンペラーに入り間もなく7代目名誉総長となる。
200~300人で湘南を暴走してると地元暴走族1000人と揉め事に。
仲間は逃げ出したが、宇梶剛士は一人残り相手の20人を一気にボコボコにし、ビビッた相手が全員逃げ出す。
自動車教習所に通っていた時にヤンキーにからかわれバイクに唾を吐きつけられる。怒った宇梶剛士はヤンキーをボコボコに。さらにグループのトップのところまで案内させ、トップもボコボコにする。
さらに相手グループのバイクを全て没収させ、毎日教習所まで送迎させた。
当時の宇梶剛士の凄さは本職のヤクザも注目。ヤクザにスカウトされるもヤクザ嫌いだった宇梶剛士は断わる。
宇梶剛士さんのブラックエンペラー時代はマジでヤバイことが分かりましたね。これ以外にも住んでいたアパートにも度々襲撃を受けたり死傷者も出始めたり、結局昭和記念公園での乱闘事件の主犯格として逮捕されて、総長を辞めたんです。この状況でよく生きてましたね…。
若かりし頃の宇梶剛士さんです。
めちゃくちゃイケメンです!!
当時相当モテたでしょうね
母親の紹介で錦野旦さんの付き人になった宇梶剛士。そこで「鳥じゃないんだから首であいさつするな。腰からあいさつしろ」。錦野さんは、訪ねる度に鏡の前でお辞儀の仕方を教えてくれた。
事務所のお使いで台本を取りに行った時、ある出会いが待っていた。
そこで、菅原(文太・79)のおやっさんに、「お前は何だ」と、声をかけてもらって、「俳優になりたいのですが、どうやって芸能界に入ればいいのかわからないから、手伝いをさせてもらっています」と答えました。菅原のおやっさんは、その場でスタッフに命じて錦野さんの事務所に電話をさせ、「おたくのところの若い大きなヤツな、もらっていいか?」と話を通してくれました。こうして、役者の道に足を踏み入れることになったんです。
当時、変なプライドだけは高くて小物に見られることが嫌でした。菅原のおやっさんの現場でエキストラが足りずスタッフがよかれと思って勧めてくれたのに、「僕はエキストラになるためにこの世界に入ったわけではありません」と断ったことがありました。
お手伝い時代にはもう一つ重要な出会いがありました。ある時、錦野さんのマネジャーに美輪明宏さん(77)を紹介してもらいました。真っ白なドレスを身にまとった美輪さんはいきなり、「あなた、暗い道を歩いてきたのね」と言いました。全て見透かされたようでドキッとしましたね。その後、美輪さんの助言で、渡辺えりさん(58)の劇団「3〇〇」で役者修業を積みました。
渡辺さんには、斜に構えた姿勢を10年かけて徹底的に正された。
「不良は立つときも座る時も必ず斜め。心の隙間を見られることを恐れているから、そうやって意気がるんだよ。それが染みついていたから、えりさんにたたきのめされた」
俳優になってから色んな人に出会い色んなことを学んだんですね。だから今の宇梶剛士さんがあるわけです。渡辺えりさんには今でも頭が上がらないみたいですよ。
宇梶剛士さんは噂通り物凄い武勇伝の持ち主でしたね。驚くのは今の宇梶剛士さんの変わり様です。あれだけ数々の武勇伝を残された過去をお持ちなのに、まったく微塵も感じさせない真面目な優しい今の姿は人生のお手本にしたいくらいです。色んな方々に出逢い、感謝の恩を感じているのかもしれません。俳優として宇梶剛士の武勇伝は現在進行中です。これからも宇梶剛士さんの活躍を期待しています。
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