宇梶剛士は死ぬほど怖かった!自叙伝で明らかになった過去とは?
2019/01/25
TAMAZO
「宇梶剛士って昔暴走族だってほんと?」
「宇梶剛士彼の昔の写真は?」
「宇梶剛士って川に落ちた人を殴って助けた?」
数多くのドラマや映画に出演されている日本の俳優・宇梶剛士さん。渋いイケメン俳優として人気ですが、高校時代からかなりヤンチャで暴走族に所属していたこともあったようです。また宇梶剛士さんの父親も有名俳優だったそうです。そこで今回は、俳優・宇梶剛士さんの昔のエピソードについて紹介します。
宇梶剛士(うかじ たかし)
宇梶剛士(うかじ たかし)
生年月日:1962年8月15日(53歳)
出生地:東京都新宿区
身長:188cm
血液型:B型
職業:俳優・タレント
ジャンル:映画・テレビドラマ・舞台
配偶者:既婚
著名な家族:宇梶静江(母)、浦川治造(叔父)
宇梶剛士さんの母・宇梶静江さんは日本の詩人、叔父は東京アイヌ協会名誉会長として活躍する浦川治造さんです。
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芸能人のヒロミさんも昔は暴走族だったことを公言しています。ヒロミさんも若い時はかなりヤンチャだったそうですが、それを凌ぐのが宇梶剛士さんだったようです。喧嘩も昔からかなり強かったそうで、出生時からそのポテンシャルが垣間見られていました。
宇梶剛士さんの出生児体重を見てビックリしました。現在の身長は188cmと大きいのも納得ですね。
拓殖大学第一高等学校では野球部に所属し、大柄だったこともあり「将来の有望選手」としてプロ球団のスカウトが宇梶を見に何回か足を運びに来たほどの実力であった。
宇梶剛士さんは野球少年だったのですね。ここでも大柄なことが注目されてスカウトが見に来たそうです。そのまま野球選手になっていたら活躍したかもしれないですね。
高校時代に友人達と暴力事件を起こし逮捕され、少年鑑別所に入所。出所後に高校を中退し、暫く叔父のいる北海道浦河郡浦河町や二海郡八雲町で労働機会を得るも更生できず、東京家庭裁判所からの呼び出しを口実に帰京。その後は暴走族に加わり、当時日本最大組織とされたブラックエンペラーの三多摩地区のヘッドから後に7代目名誉総長となり、この時代に得た一生の友のことをテレビ番組で度々熱く語っている。
宇梶剛士さんは著書「不良品―オレは既製品じゃない!」の中でも過去のことを隠す事ことなく明かしていますね。
「友達は不良ばっかりだったけど、俺はかっぱらい(万引)もしたことないしクスリ(覚醒剤)もしたことない。女がそばに来たら意識しすぎて顔をこわばらせていたくらい(笑)。今はあの頃の(うぶな)自分を抱きしめてやりたいよ(笑)」
当時のことを語った宇梶剛士さんのコメントです。硬派な不良だったんですね。
当時暴走族の総長だった宇梶さん。
300〜400人を引き連れてバイクで湘南を走っていたところ地元の暴走族1000人程のチームともめ事に・・・多勢に無勢なんですが、当時気の荒い宇梶剛士さんが逃げる訳もなく
1000人の集団に突っ込んでいく事に・・・。
ところが、宇梶さんが連れていた部下達は恐怖のあまり1人残らず途中で逃げてしまったらしいです。結局一人残された宇梶さんは相手チーム1000人に対し1人でにらみ合うことになりましたが、気持ちで負けていなかった宇梶さんが一歩前に出ると・・・相手の1000人が一歩引いたのを見て1人で特攻。前列にいた20人くらいを瞬殺すると相手は逃げていったらしいです。
宇梶剛士さん最強伝説を語るエピソードして有名ですね。1000人vs1人もスゴイですが、20人vs1人で瞬殺とは、宇梶剛士さん強過ぎます。こんなエピソードを聞いたらヒロミさんだけでなく、誰でも恐れますよね。時には自宅の住所を特定されて家まで、不良が来たこともあったそうです。しかし自慢の豪腕で撃退したとのことーーーーイケメンに加えて喧嘩も強いのは、男が惚れる男といったところでしょうか。
ヒロミ
ヒロミ(1965年2月13日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、ラジオパーソナリティ、実業家、トライアスロン競技者(トライアスリート)。株式会社ビィーカンパニー代表取締役社長。本名、小園 浩己(こぞの ひろみ)。
ヒロミさんは50歳なんですね、一時はメディア露出が減りましたが最近は毒舌キャラとして有名ですね。
ヒロミさんは逮捕歴などはないようです。同じ暴走族ですが、伝説が語り継がれる宇梶剛士さんとはレベルが違い過ぎますね。
7代目名誉総長だった当時の宇梶剛士さんを語るヒロミさんのコメントです。地元では有名人だったんですね。
ヒロミさんの暴走族時代の情報を探したのですが、宇梶剛士さんのようなエピソードは見つかりませんでした。暴走族に所属していたとはいえ、それほどヤンチャな行動はなかったのでしょうか。
暴走族としてチームをまとめ上げていた宇梶剛士さんですが、1冊の本が転機となり芸能界に転身することとなります。イケメン俳優としてのデビューするまでに、どのような軌跡があったのでしょうか?こちらの章では、宇梶剛士さんが更生してから芸能界にデビューするまでの軌跡を紹介します。
18歳の時、暴走族同士の抗争がもとで入った少年院で、いつしかまともに会話もしなくなっていた母親から分厚い本を渡された。「チャップリン自伝」。どんな意図で差し出されたのか分からず戸惑ったが、当時は社会から隔離された院内で情報に飢えていた。思わず手に取った。
読み進めると、英俳優のチャプリンは、幼い頃から貧しい生活を余儀なくされながらも、逆境にめげず修業を重ねた努力の人だと分かった。不遇な少年時代は自身と重なったが、チャプリンが根気強く努力し続けたのに対し、自身は「社会や大人に背を向けた」点で決定的に違っていた。
本の終盤にさしかかった頃には、喜劇王として花を咲かせていくチャプリンの軌跡に耳がじんじんするほど熱くなり、感動で涙があふれ出ていた。自分を恥じ、初めて心から「これじゃいけない。自分は間違っている」と思えた。「俺も俳優になろう」。鉄格子の中で、そう決意した。
構成員2,000人の巨大暴走族の総長となり、たび重なる暴走族同士の抗争の末、少年院に収監。
そのときに読んだチャップリンの自伝が立ち直るきっかけをくれた。
チャップリンの自伝が宇梶剛士さんのターニングポイントになったんですね。その後は勉強に励み、明治大学付属中野高等学校定時制を卒業したそうです。宇梶剛士さんは努力家ですね。
宇梶剛士さんの昔の画像
ハーフのようなイケメンの容姿。暴走族だったとは思えない程のカッコよさです。
18歳の時に菅原文太さんの“弟子”となり、俳優としての第一歩を踏み出した宇梶剛士(52)は、教えを胸に今後の人生を送っていくことを誓った。少年院を出た後、歌手の錦野旦(65)の所属事務所で手伝いをしていた宇梶は、台本を取りに行った場所で鶴田浩二さんと共に打ち合わせをしていた菅原さんと出会った。一目見て宇梶を気に入った菅原さんは、その場で錦野の事務所に電話し「もらっていいか?」と面倒を見ることを決めた。
美輪さんとは、20歳の頃、人の紹介で会ったことがある。
一言目に、暗い道を歩いて来たのね、と言われた。そのとき、正直言って楽になった。
美輪さんの紹介で渡辺えり子さんの劇団3○○に入り、演技経験を積んでいった。
美輪さんに会っていなかったら、ここにはいない。美輪さんは、グレートマザーのような存在。
宇梶剛士さんにとって美輪明宏さんは恩人なのでしょうね。このお二人は出逢うべくして出逢ったように感じます。また美輪明宏さんは、オーラの泉に出演した際も当時の印象について語っていたようですね。
「不良は立つときも座る時も必ず斜め。心の隙間を見られることを恐れているから、そうやって意気がるんだよ。それが染みついていたから、えりさんにたたきのめされた」
叱られてばかりでも、尊敬する渡辺さんの教えだから受け入れられた。「俳優になりたい」という気持ちは強かったし、渡辺さんが自分の「蜘蛛(くも)の糸」だと思っていたから必死だった。
宇梶剛士さんが当時の様子を語った内容です。厳しい中にも互いの信頼関係が見えるエピソードですね。
一方同じようにヤンチャをしていたヒロミさん。宇梶剛士さんが俳優を目指す一方、ヒロミさんはコメディーの道へ進んだようです。
ヒロミさんは当時からトークで魅了するタイプだったのですね。1年目のセールスマンが成績トップとはさすがヒロミさんです。
その頃に自動車の事故で大怪我(内臓破裂)。一時重体になり、生死の境をさまよう。この時医者から家族にも「諦めて下さい」と伝えられたが、長時間の手術の末一命を取り留める。このことから「好きなことをしよう」と、以前から思い馳せていた芸能界入りを心に決めたという。
ヒロミさんがこの大けがが将来を考えるターニングポイントになったようですね。とにかくヒロミさんが無事で良かったです。
アルバイト先のホストクラブで3人は出会った。ルックスの良いアイドル志望のデビットと、ミュージカル役者&ダンサー志望だったちんにそれぞれヒロミが声を掛け、お笑いでの芸能界入りを誘った。「自分1人では無理だが、ルックスのいい2人と一緒なら…」と考えたヒロミは、必死で彼らを口説き落としてB21結成にまでこぎつけたという。
ヒロミさんがメンバーを集めるのにセールスマン時代のトーク術が活かされたでしょうね。
宇梶剛士さんは20歳の時に結婚。
22歳に離婚後、2度目の結婚をしているようです。
現在は再婚された嫁と一緒に暮らしているみたいですね。
1度目の嫁も2度目の嫁も一般人の為、嫁の画像は見つかりませんでした。
子供は最初の嫁との間に一人。息子さんのようです。
若くて産んでるので、息子さんは30歳近くになるんですね。
2度目の嫁との間に一人。娘さんのようです。
13~14歳位なのかな。
宇梶剛士さんが2度の結婚をしているのは意外でした。若い時に結婚されたのですね、息子さんも宇梶剛士さんに似てイケメンなのでしょうか。
今年で結婚22年目を迎えた2人だが、ヒロミは「ちょっとバタバタとしてたので、正確に『結婚してください』とかプロポーズの言葉はなかったですね」と振り返る。MCから結婚の決め手となった出来事について聞かれると「雑誌に写真を撮られた。それで『結婚するしかない』と思って、(伊代の)お父さんのところにお願いしに行った」と告白し、笑わせた。
ヒロミさんと松本伊代さんは今でも中の良い夫婦ですね。お二人でテレビ出演も多く、ヒロミさんのblogには奥様の写真もよく掲載されています。
ちなみに3年前にヒロミさんのblogに掲載された写真、ヒロミさんとデビットさんとちんさん、テレビでは揃うことはありませんが、B21スペシャルは現在も交流があるようですね。
元暴走族の宇梶剛士さんとヒロミさんがデビューするまでの道のりをまとめてご紹介しました。当時は不良として名を馳せていた宇梶剛士さんとヒロミさん、今ではすっかり笑顔の優しいステキな頼れる兄貴になりましたね。どこかに見え隠れするヤンチャなイメージもお二人の魅力なのかもしれません。
今や映像作品に引っ張りだこの宇梶剛士さんと、バラエティ番組でレギュラーをもつヒロミさん。お二人が暴走族出身なんてとても驚きです。宇梶さんに関しては総長だったとか想像すらつきません。
人は見かけによらず、とはこのことをいうのですね。
これからも役者・タレントとして活躍お二人に期待です!
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【この記事は2021/12/30に更新されました。】