【2020年】水野裕子の現在!結婚して妊娠も?サスケに再出場の可能性?
2020/04/10
gomachan
タモリさんの結婚生活について調べていると、「タモリさんって結婚してたの!?」という書き込みを見かけました。筆者もタモリさんが結婚していたというのは数年前まで知らなかったので、そういう方にも分かりやすくタモリさんの結婚生活を紹介したいと思います。
が、その前にタモリさんのこれまでをご紹介しておきたいと思います!
タモリさんといえばお昼の看板番組「笑っていいとも!」。31年にも及ぶ超長寿番組としてお昼の主婦たちの人気番組でした。数々の著名人をゲストに招いたトークコーナーをはじめ、クイズやゲームなどでお茶の間を盛り上げていました。
この番組をきっかけに、タモリさんが司会を務める番組が増えていったといいます。「ミュージックステーション」もタモリさんが司会を務めることで有名ですね。
幼稚園入園時期が迫り、園を見に行ったおり「ギンギンギラギラ夕日が沈む(童謡『夕日』葛原しげる作詞・室崎琴月作曲)」を両手を回転しながらお遊戯している園児達を見て、自分には出来ないと入園拒否
タモリさんらしいエピソードである。この頃が一番精神的に大人だった、とタモリさんも話しています。
タモリさんのサングラスの理由がこちら。今ではトレードマークとなっていますが、実はケガが原因だったのですね。
祖母に「今の内から男も料理ができるようにならないと、後々奥さんがいざと言う時に困るでしょ。私が料理をしている姿を見ていなさい」と言われ、毎日祖母が支度する姿を見ていたことが料理を始めたきっかけだという。
タモリさんは料理好きとしても有名で、その料理はとてもおいしいといいます。
その原点は子供の頃の祖母の一言にありました。「将来結婚したとき、もしも奥さんになにかあったときに自分が困らないように」と教えられたのがきっかけだとか。
のちにこの経験は、実際に奥さんとの結婚生活において非常に役立つことになるのですがそのエピソードはのちほど紹介します。
ほかにもラジオのパーソナリティを務めたこともありました。また生物の動きや鳴き声をマネする芸や、「ハナモゲラ」という実際には存在しないのにあたかも存在するような言語を発する芸など、どこかほかのお笑い芸人とは違う芸風を持っているタモリさん。
そんなタモリさんが結婚したのはまだデビューする前、しかもタモリさんが会社員として働いているときだったといいます。その結婚相手について紹介します。
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タモリさんは結婚相手に対し「頭が上がらない」と言っているとか。そこで、ここからは気になる結婚相手の紹介に移りましょう!いったいどのような女性なのでしょうか?
タモリさんの結婚相手の写真を・・・と探していると昔の写真が出てきました。右にいるのがタモリさん、中央が結婚相手です。この結婚相手は一般人のため名前は分かっていません。
タモリさんと結婚相手は2歳の年の差があるそうです。またタモリさんの個人事務所で社長を務めているようです。公私にわたってタモリさんをサポートしているのですね。
笑っていいともが始まったころに個人事務所を立ち上げたというタモリさんと結婚相手。タモリさんが仕事に集中できるように、とお金の管理は全て結婚相手が担当していたそうです。
結婚相手である女性はメディアに登場したことはほとんどありません。ただ一度だけ、所ジョージさんの結婚式で姿を見せたことがあります。結婚相手の女性はほとんど芸能界に興味がないため、タモリさんの仕事に口をだしたり、仕事で遅くなったタモリさんに文句をいったりすることもなかったそうです。
なにか結婚に至るまでのエピソードはないのでしょうか?
タモリさんが結婚したのは上でも紹介したとおり、まだ芸能界デビューする以前の話です。タモリさんとの結婚には複雑なエピソードがあるのですが、なるべく分かりやすくまとめてみます!
タモリはモダン・ジャズ研究会のマネージャー役を続行。かなりの収入を得ていたが、間もなく叔父に福岡に引き戻され、朝日生命で3年近く保険外交員として勤める。
タモリさんは早稲田大学を中退していますが、在学時にはモダン・ジャズ研究会に所属。マネージャー兼司会者を担当していたそうです。大学を中退したあとも研究会のマネージャーを続けていたそうですが、祖父の勧めで朝日生命の社員として働いた経験を持っています。
この保険外交員をしていたときに結婚相手と知り合い、交際を経て結婚したそうです。
タモリさんと言えばデビュー当時、漫画家の赤塚不二夫さんの家に1年居候
していた時期がありましたがその時は奥さんは福岡に住んでいたそうです
ここから話は複雑になります。タモリさんは芸能界デビューする前から、地元の福岡から月に一度東京へ行き素人芸人として芸を披露する生活をしていました。それを見た漫画家の赤塚不二夫さんが、自分が出演する生放送の特別番組にタモリさんを呼ぶべく東京で生活させようと決めたのです。
1975年当時、赤塚は4LDKのマンションに住み、ベンツのスポーツタイプなどを保有する売れっ子漫画家だったが、それら全てを自由に使っていいからと東京に残ってくれとタモリに懇願。
赤塚さんは自分の自宅にタモリさんを住まわせることで、福岡に帰さないようにしたというのです。そしてタモリさんはこれを承諾、居候生活が始まります。
こうしてタモリさんは結婚したばかりだというのに、結婚相手がいる福岡から遠く離れた東京の豪邸で暮らすことになるのです。
きっと結婚相手の女性も困惑したことでしょう。結婚したはいいけど旦那は東京にいて、しかも自分のよく知らない誰かの家に居候しているというのですから。このとき、タモリさんは赤塚さんから月に数十万ものおこづかいを渡されていたらしいです。
なんと居候生活はデビュー直前まで続いたとか。その間には結婚相手を居候している赤塚さんの家に呼んでしまい、一緒に居候していたというから驚きです。それを許した赤塚さんにも、タモリさんにも。
笑っていいとも!の終了を機にタモリさんのテレビ出演はだんだんと減っているような気がします。それには、結婚相手に対するタモリさんの想いがありました。
「A子さんは両親の介護の問題があり、実家の福岡と東京を往復する生活を長年、続けていました。ですが、2年ほど前から彼女自身も高齢ということもあって、体調を崩してしまうことが多くなったんです」(タモリの知人)
結婚相手の女性は、実家のある福岡と東京を行ったり来たりの生活。両親の介護が必要になったことが理由だそうです。しかしタモリさんよりも2つ年上の結婚相手はすでに71歳と高齢で、自分も体調を崩すことが多くなってしまったそうなのです。
A子さんは外にひとりで出かけることも少なくなってしまったんです。だから、タモさんはこれまで奥さんにたくさん苦労をかけた分、これからは妻のために生きようと決断したんです。
今まで好き勝手にできたのは結婚相手の女性が支えてくれたからこそ、としてタモリさんはこれからは妻のために生きると決めたそうです。長寿番組が打ち切りか、などと報道されたこともありましたがそこにはタモリさんの結婚相手に対する愛があったのですね。
いいとも!最終回スペシャルには芸能界から大物たちがこぞって集まりました。よく放送できたな・・・と思う内容でしたが、それが許されたのもタモリさんの努力と苦労があってこそなのでしょうね。
タモリさんは「妻と世界一周旅行をするのが夢」と語っていたことがあります。これからは結婚相手と少しのんびりと暮らすこともできるでしょう。お二人とも体調に気をつけて、末永くお幸せに!
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