サザンの桑田佳祐は韓国へ行け?擁護論と追放論で混沌とした世論!?
2015/10/09
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日本を代表する大物ミュージシャンである長渕剛さんと桑田佳祐さん。ふたりに間に起こったバトルとはどのようなものなのでしょうか。
長淵剛
1956年9月7日
鹿児島県日置市生まれ
シンガーソングライター
俳優・詩人・画家
長渕剛さんは、1978年に「純恋歌」で歌手として本格的デビューを果たし、多くのヒット曲を生み出しました。また俳優として多くのドラマや映画に出演しました。
桑田 佳祐
1956年2月26日
神奈川県茅ヶ崎市生まれ
シンガーソングライター
サザンオールスターズ・リーダー
桑田佳祐さんは、1978年にサザンオールスターズのリーダーとして、「勝手にシンドバッド」でメジャーデビューしました。サザンオールスターズは、デビューから40周年を迎えても活動を続けるビッググループとなりました。また桑田佳祐さんはソロ歌手としても活躍しています。
「純恋歌」は、1978年10月にリリースされた長渕剛さんの本格的デビューのきっかけとなった曲です。
「乾杯」は1980年9月にリリースされた、長渕剛さんの18枚目のシングルです。結婚する友人のために書いた曲で、すっかり結婚式や卒業式恒例の曲となりました。
「とんぼ」は、1988年10月にリリースされた長渕剛さんの20枚目のシングルです。長渕剛さんが主演したテレビドラマ「とんぼ」の主題歌であり、ミリオンセラーとなりました。
「波乗りジョニー」は、2001年7月にリリースされた、桑田佳祐さんの6枚目のシングルです。130万枚を売り上げ、日本ゴールドディスク大賞ソング・オブ・ザ・イヤーを受賞しています。
「白い恋人達」は、2001年10月にリリースされた桑田佳祐さんの7枚目のシングルです。150万枚を売り上げ、日本ゴールドディスク大賞ソング・オブ・ザ・イヤー、日本レコード大賞金賞を受賞しています。
「東京」は、2002年6月に発売された桑田佳祐さんの8枚目のシングルです。55万枚を売り上げ、日本ゴールドディスク大賞ソング・オブ・ザ・イヤーを受賞しています。
長渕剛さんは1995年1月24日、自宅に大麻草を隠し持っているとして、大麻取締法違反容疑で現行犯逮捕されました。長渕さんも所持を認めました。
覚せい剤使用容疑も視野に入っていたとみられますが、尿検査は陰性で、同年2月4日、東京地検は処分保留のまま、長渕剛さんを釈放しました。3月16日には起訴猶予となっています。長渕さんは活動を継続し、同年12月、東京ドームライブを行いました。
桑田佳祐さんが1994年9月にリリースしたセカンドアルバム『孤独の太陽』には、「太陽が消えた街」という曲が収録されています。同曲の歌詞には、「可愛いウチの少女には注射の跡がある」という部分が含まれており、話題となりました。
そもそも長渕剛さんと桑田佳祐さんの接点はどこにあったのでしょうか。
フォークとロック。同じミュージシャンでもジャンルが少し違うような気がします。
長渕剛さんと桑田佳祐さんの出会いは偶然だったようですが、二人が愛する「音楽」が引き寄せたようにも思えます。
桑田佳祐さんと長渕剛さんの出会いは1983年でした。飲み屋での初めて出会った二人は、酒を酌み交わしながらの音楽談義。二人は互いの音楽への情熱、姿勢に共感し意気投合しました。特に長渕剛さんは桑田佳祐さんの音楽に対する真摯な姿勢に感激していました。
長渕剛さんと桑田佳祐さん。せっかく意気投合したのに、亀裂のきっかけは二人が出演するコンサートだったといいます。いったいどんな行き違いがあったのでしょう。
音楽を通じて意気投合した長淵剛さんと桑田佳祐さんでしたが、ふとした誤解から亀裂が入ります。音楽談義をした約束をもとに、桑田佳祐さんは長渕剛さんにサザンのライブへのゲスト出演を依頼します。ところが長渕剛さんは「長渕剛&サザンの共同で開催する」と受け取ったのです。
1983年8月。長淵剛さんが会場を訪れると、そこはサザン主催のライブ会場でした。このため、オープニング・アクトという形で長淵剛さんが出演する運びになっており、長渕剛さんは「前座をやるなんて聞いていない!」と激怒したのです。
また、間の悪いことに、アンコールの際、テンションが上がっていた桑田佳祐さんがいつもの悪ノリで長淵剛さんの頭にビールをかけてしまいます。とてもシャレの通じる心境ではなかった長淵剛さんは、これで完全にブチキレたとみられます。
あの頃、長渕剛さんは様々なドラマや映画でも主役として出演していました。特に今でも語り継がれているのが「とんぼ」というドラマです。ところがこの「とんぼ」の中に、長渕剛さんと桑田佳祐さんの不仲を象徴するシーンがあったようなのです。
1988年のことです。長渕剛さんが当時主演していた人気ドラマ「とんぼ」の1シーンが話題となりました。桑田佳祐さん率いるサザンオールスターズの「みんなのうた」(復帰第一弾のナンバー)が流れてくるシーンで、長淵剛さんが『そんなくだらない曲消せ!!』と罵倒するシーンです。
ただ、これについては、なんだか「桑田佳祐さんとのバトル」を長淵剛さん自身が演出したようにも見えます。
さらにここで世間を騒がす問題が発生します。それは桑田佳祐さんの「ある歌」の内容でした。その歌詞が長淵剛さんをディスっているととらえられたのです。ただ、この歌が本当に長渕剛さんのことだったのかは定かではありません。
1994年に桑田佳祐さんがリリースした「すべての歌に懺悔しな」でバトルが再燃します。「祭りのあと」のカップリングに収録されたこの歌をめぐり、ロックミュージシャンや特定の人物を暗喩するような歌詞が週刊誌で話題になります。
その歌詞には、「道化も道化 ウンザリするような生き様シャウトすりゃ 小粋な仮面で、どこかでパクった小言を連呼する」とありました。
当時のマスコミは、この歌詞でディスっているのは長渕剛さんか矢沢永吉さんではないかとして興味本位で伝えました。その後結局、桑田佳祐さんが事務所を通して、「この歌詞は自分も含んだロックシンガー、ミュージシャンを比喩したものである」というコメントを発表します。
さらに、噂に上がった長渕さんと矢沢さんに、事務所が謝罪文を送りました。矢沢さんは「お互いクリエイターだから気にしてないよ。それよりこんな騒ぎになって桑田君は大丈夫か」と桑田佳祐さんをかばうコメントを発表したのですが、長淵剛さんはおさまりませんでした。
ついに長渕剛さんは雑誌で桑田佳祐さんへの思いを語ります。その内容は非常にショッキングなものでした。長淵剛さんは自分の想いを洗いざらい語ったのです。
長渕剛さんは音楽雑誌『Views』で「過去にあった因縁」を語り、長渕剛さん自身の『俺は桑田佳祐を許さない』というコメントは波紋を呼びました。 1995年1月24日、長渕剛さんが大麻取締法違反で逮捕され、沈黙することになるまで、この騒ぎは続いたのです。
生き方が違うからと言って互いを否定するのはおかしな話です。
ただ、誤解が生じやすくなるのは否めません。
桑田佳祐さんと長渕剛さんには考え方や立場の違いがあったのかもしれません。幸いにも桑田佳祐さんはバンドのメンバーやスタッフに恵まれ、互いを尊重しながら活動をしてきました。また非常にシャイなため、その裏返しとしておふざけも多いのです。
一方の長渕剛さんも素晴らしいスタッフやご家族に恵まれてきましたが、一時期、信頼していたスタッフとのトラブルや、大切な人との別れなどを経験し、悩みや葛藤の中から歌を生み出したこともあります。
こうした苦しみのなかから生まれた歌が、今、頑張ろうとしている人々の胸に届き、長渕剛さんのファンが増えたということもあります。同じ出来事を前にしても違う受け取り方をすることで亀裂が走るというのは、長渕剛さんや桑田佳祐さんに限ったことではありません。
ただし、長渕剛さんも桑田佳祐さんも長い人生の中で、病気との戦いや、仲間との別れなどを経験しました。また双方ともご結婚されてお子様も大きくなりました。こうした中で長淵剛さん、桑田佳祐さんのふたりの関係に変化が起きる可能性もあります。
桑田佳祐さんは、ラジオ番組でほんの一言だけ長淵剛さんの楽曲に触れたことがあります。それは「TIME GOES AROUND」についてでした。桑田佳祐さんは「これは良い曲だ」という趣旨の話をしたのです。
ジョン・レノンとポール・マッカトニーの関係が思い起こされます。ある日、ジョンレノンは大好きなラジオから、当時仲が最悪になっていたポールマッカートニーのソロ曲が流れてきたのを耳にします。そしてつぶやくように「やっぱり、あいつの歌、いいな」と寂しそうに言ったという話です。
長渕剛さんもまた桑田佳祐さんの歌をラジオで褒めたことがあるのです。
最近のサザンや桑田佳祐さんの歌を聴いて思うのですが、その楽曲スタイルやメッセージ性に、どことなく通じるものがあります。特に桑田さんの楽曲の中には、長渕剛さんが歌っても不思議ではないような歌もあるのです。
長い年月が過ぎ、人生経験を重ねることで生まれる歌は、今になってどことなく共鳴しあっているような気がします。いつか長淵剛さんと桑田佳祐さんが出会った時のように、もう一度音楽談義に花を咲かせるようなチャンスがあれば、二人の絆は更に深まるような気もします。
ギターをかきならし、どんな大きい相手にも牙を剥くビッグネームのミュージシャンといえば、長渕剛さんと桑田佳祐さんではないでしょうか。いつか長淵剛さんと桑田佳祐さんの対談、できればセッションも聴いてみたいものです。
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