桑田佳祐と原由子の息子は何してる?音楽界のサラブレッドの現在は?
2015/10/09
okaoka0820
桑田祐宜さん(桑田佳祐原由子の長男)
桑田佳祐の長男 「一生ニートで過ごす」が口癖だった時期も
サザンオールスターズの桑田佳祐(57才)と原由子(56才)の長男・祐宜(ゆうき・27才)は、ロックバンド『READ ALOUD』で昨年11月にCDデビューしていた。高校時代からバンド活動をしていた祐宜。同じ学校に通っていた山下達郎と竹内まりやの長女と一緒のバンドでデビューするという噂が駆け巡ったこともあった。
そういえば、2000年ちょっと前のダウンタウン『HEYHEYHEY』で桑田佳祐が出演していて、浜田雅功さんの奥さんであられる小川菜摘さんと子供を同じスイミングに通わせていたらしく、その時、車で前進していったとき、一方通行なのに「小川菜摘さんに後ろ下がれ!!」と怒鳴られたとか、車の隣にはかわいい子供がいたと桑田佳祐が言っていましたけっけ。あの子ども同士がもうお互いにバンドデビューしていたのですね。
プライベートでは良きマイホームパパであり、ラジオ番組では度々「息子とサーフィンをした」「ギターを教えた」などの話題を話している。特に2000年春、次男の小学校の卒業式に行った際、教室で卒業生の前で当時ヒット中の『TSUNAMI』を生ギターで唄い、この時の様子が雑誌「FRIDAY」に写真入りで掲載された。桑田が唄っている最中、原は教室の後方から桑田の姿をビデオカメラで撮影していたという。
「いくつかのレコード会社から、デビューの誘いはあったそうです。でも祐宜は“親父の名前を出されるのも、比べられるのも嫌だ”と断ったみたいなんです。そして“将来的にも、会社勤めをしたり、CDデビューしたりということは考えてない。一生、ニートとして過ごしますよ(笑い)”なんて自虐的なことを言うのが彼の口癖でした」
父・桑田佳祐が食道がんになったことから「親に心配はかけられない」
と強く思うようになり、これを機に本格的にデビューを目指す事に。
以前から息子のデビューには断固として反対してきた桑田もそんな真剣
な息子の姿に「元気なうちに、息子にしてあげられることを…」と思
い、全面的にサポートするようになったそうです。
READ ALOUD / 揺らめく世界
しかし、桑田佳祐の息子桑田祐宜さんのバンドは解散します。以下のようにcomment!
READ ALOUDより皆様へ、大切なお知らせをさせていただきます。
いつもREAD ALOUDを応援していただきまして、誠にありがとうございます。
この度READ ALOUDは約3年の活動を経て、本日をもちまして解散することになりました。
メンバーで何度も話し合い、それぞれのやりたい音楽の方向を尊重し、結果このような結論になりました。
これまで応援してきていただいた皆さんには、こういった形での報告となり、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
今後は4人それぞれの活動を見守っていただければ幸いです。
3年間、本当に本当にありがとうございました。
皆さんのご多幸を心よりお祈り致します。
2015年10月9日
READ ALOUD 一同
なるほど・・・音楽を真剣に探し求めるとやはり方向性はそれぞれに違ってくるものですよね。それでもきっと音楽はやめないのでしょうけど。
「Ero Green Classix」(エログリーンクラシックス)。
最初は、「The Notation」、途中で改名!
青山学院大学のサークル内で結成。
結成の年情報が、2006年9月と、2005年3月と、
2種あるんですが、どっちがホント?ちょっと不明。
メジャーデビューを目指してレコ発ライブなどをしながら、
東京都内を拠点に活発に活動!
2008年12月現在の名前は「Ero Green(エログリーン)」。
両親の母校である青山学院大の文学部を卒業し、青学の友達とアマチュアバンドを結成。
『Ero Green Classix(エログリーンクラシックス)』と『イエローマーフィーズ』
という2つのアマチュアバンドを掛け持ちしてました。
桑田祐宜的には、Ero Green Classix(エログリーンクラシックス)がメインバンドだったみたいです。
桑田佳祐の息子 長男「桑田祐宜」さすが良い声してる。
という具合に、既に桑田祐宜(ゆうき)さんは青山学院を基盤にして音楽の道をしっかりと歩き出しているようです。友人たちもたくさんいるようで桑田佳祐そして原由子さんもきっと安心されていることでしょうね。勿論!ファンも応援していますよね!
桑田 佳祐(くわた けいすけ、1956年2月26日 - )は、日本のミュージシャン、慈善活動家[2]。シンガーソングライターであり、バンド・サザンオールスターズのボーカル兼リーダーである。愛称は、すけちゃん、ケイちゃん、桑っちょなど。神奈川県茅ヶ崎市出身。
今更という感じですが桑田佳祐のプロフィールです。
父親は佳祐が小学校低学年の頃から茅ヶ崎駅近くでバーを経営しはじめています。しかもなかなかの実業家で、平塚に割烹の店やライブハウス、横浜や小田原にも進出しレストランを興していきます。また海岸沿いに建つかつての茅ヶ崎の名所で、白亜の巨大なパシフィックホテル茅ヶ崎(通称:「パーク」)にビリヤードと麻雀の店までも出していました(父はパシフィックホテル茅ヶ崎の共同経営者のひとり映画スター上原謙と親しかった)。
父はおしゃれで新し物好きで、音楽も「イン・ザ・ムード」などで知られ”スウィング・ジャズの王様”グレン・ミラーの楽団や、明るく強烈なリズムで人気を博した”マンボの王様”ペレス・プラード楽団(キューバ生まれ。メキシコや米国で大活躍、1949年発表の「エル・マンボ」や1950年の「マンボNo.5」や「マンボNo.8」は世界的なブームに。佳祐4、5歳の時である)を好んで聴いていました。
桑田が音楽に興味を持ったのは、姉・えり子の影響が大きい(姉の岩本えり子は後年、いくつかサザン、桑田ソロの曲で英語補作詞として参加している。桑田によると、作詞に行き詰った際に電話で相談し、参考にしていたとのこと)。学生時代は、姉が集めていたビートルズ等のレコードを聴き入っていた。
The Beatles - Abbey Road (Full Album)
桑田佳祐はお姉さんの影響で音楽に入らされたわけですね。ビートルズの他にもエリック・クラプトン、ボブ・ディラン等のレコードを聴いていたということでした。よく兄の影響でビートルズを聴いていたとか聞きますよね。あのDAIGOさんもそうでした。
大学の音楽サークル“Better Days”(ベター・デイズ)に所属し、本格的にバンド活動を開始。(中略)1976年頃から自身のバンドに“サザンオールスターズ”の名を使用。これが定着し、メンバーも固定されるようになる。1978年6月25日、ビクター音楽産業より、サザンオールスターズとして「勝手にシンドバッド」でメジャーデビュー。ちなみに、大学は一度留年した後に、学費滞納により4年在学した後、1978年に除籍になったとのこと(サザンのメンバーで青学に在学していた桑田と大森・関口・原のうち、卒業出来たのは関口と原の2人だけである)。
桑田佳祐の息子もバンドデビューしているのですが、この時の、桑田佳祐率いるサザンオールスターズははちゃめちゃなバンドでかなりコミカルお騒がせバンドと最初は映っていましたね。
【嘉門達夫とのなれそめ】
笑福亭鶴光のもとを破門になった元落語家、笑福亭笑光こと鳥飼達夫は1981年12月、桑田佳祐のソロ名義のライブ「嘉門雄三&Victor Wheels」のライブに前座として出演。
こんなつながりもあったわけですね。
サザンのメンバーで、後に妻となる原由子とは「Better Days」で知り合う。当初、桑田は原の友達の女の子が目当てで原に近づいていたため、原のことは容姿を嘆いたり散々な軽口を叩いていたが、エリック・クラプトンなどの洋楽の好みで気が付けば意気投合、デビューまでの間に完全に付き合っており、サザンのメンバーやサークル仲間の間でも公認の仲であったという。詳細は、原の著書『娘心にブルースを』で語られている。
1982年1月9日~2月26日 武道館2日間を含む全国9ヶ所のコンサート「愛で金魚が救えるか?サザンオールスターズPaa Pooツアー82'」がスタート! 同ツアー中の1月19日札幌の会場にてファンの前で婚約発表!
1982年2月28日(日) 東京プリンスホテル 鳳凰の間 桑田佳祐&原由子 結婚式
・桑田さん、原坊神輿に乗っての入場。
・ケーキ入刀。
・乾杯の音頭をとる南こうせつ。
・世良正則・鈴木雅之の両氏の「勝手にシンドバッド」。
・結婚式場での桑田さんと原坊のインタビュー。
・タモリ、ラッツ&スター、もんたよしのり等が祝福のメッセージ。
・「いとしのエリー」を大合唱♪
応援団からは7.7mものウェディングケーキがプレゼントされ、支部からは3つのくす玉が割られるなど盛大な結婚式となった。
桑田さんは原坊と手を繋いで歌詞の「エリー~♪」を「由子~♪」に変えて「由子 My Love so sweet~」と熱唱♪
1982年に、サザンのキーボーディスト・原由子と結婚し、これまでに2男をもうける。長男はインディーズバンド・READ ALOUDのボーカル、桑田祐宜
1986年
原の産休に伴い、サザンは最初の休業期間に入り、各メンバーのソロ活動がはじまる。
4月、1年限定のソロプロジェクト「KUWATA BAND」結成、『BAN BAN BAN』でデビュー。桑田は音楽番組やライブで度々「新人です!」と強調していた。
BAN BAN BAN / KUWATA BAND COVER
1988 10月14日 東京 東京ドーム
この時の東京ドーム公演には桑田佳祐氏がゲスト出演して"プライベート・アイズ"を歌っております。
桑田氏とはこの前年に日本コカ・コーラのCM出演とCMソングで共演した時の縁でしょう。この時、抽選でCM映像やメイキングのビデオが当たるというキャンペーンがありました。
Private Eyes- Hall & Oates Tokoyo
1980年代、洋楽といえばMichael Jackson、Stevie Wonder、Police、phil Collins、Chicago、USA for Africa・・・有名どころの名曲が勢ぞろいしていました。
遠き日の微笑 - Tete&周蒼(original song) with 映画「稲村ジェーン」
『稲村ジェーン』(いなむらジェーン、Inamura Jane)は、1990年公開の日本映画。
日本のロックバンド、サザンオールスターズの中心メンバーとして活動している桑田佳祐の初監督作品。
「真夏の果実」が主題曲でしたね。波の音が聞こえてくるような、夕暮れの切なさがつたわるような名曲でした。ファンでなくてもカラオケで知ってます!ね。
サザンとソロとの活動の違いが分かりづらいと指摘されることも多い。この疑問に対して桑田は、サザンのメンバーやサザンとしての活動は家族・家庭であり、ソロ時のサポートメンバーおよびソロとしての活動は愛人と逢っているようなものと例え、サザンの楽曲やソロの楽曲はそれぞれの間で生まれた子供達だと表現をしている。また、プロレスラーの武藤敬司にも例え、サザンの時は素顔の武藤として戦い、ソロの時はペイントをしてグレート・ムタとして戦うとも表現している。
文章の正確さよりも、語呂の良さ・符割などを優先させるが故の結果であり、そのためには古文・方言・都々逸も用い、メロディに合う言葉がないのなら造語を自分で作ってしまうこともある。
きせきのほし
1995年1月23日、共に編曲などで交流のあった小林武史との縁により、Mr.Childrenと桑田佳祐&Mr.Children名義で『奇跡の地球(ほし)』をチャリティーシングルとしてリリース。
というように、初映画監督、小林武史さんとの交流の結果のMr.Childrenチャリティー、たくさんのファンを動員していった桑田佳祐はじめサザンオールスターズ、・・・これらの活躍は、きっとファンたちには勿論ですけれど桑田佳祐原由子さんの息子桑田佳祐くん兄弟の両親として頑張ったのですよ!
『葡萄』のリリース前です
2015年3月のサザンオールスターズ
「アロエ」-サザンオールスターズ
楽曲の中盤には、「悲しい事は 言葉に換え 星を見上げて そっと歌うといいよ」という、リリカルで印象深いフレーズも登場する。楽しさと切なさ、喜びと悲しみが交錯する本曲は、アルバム『葡萄』の重層的なイメージを象徴する楽曲といえるかもしれない。
2007年
サザン4度目の休業期間に入り、約5年ぶりにソロ活動を再開。
4月6日、妻・原由子との結婚25周年。山下達郎・竹内まりや夫妻との合同銀婚式をお互いの事務所スタッフを交えて行った。
2010年
7月12日、初期の食道癌であることが発覚[21]。
その後、8月2日に手術を無事終了させ、22日に退院したことが公表された[2
2014年
11月3日、秋の叙勲にて紫綬褒章を受章。
2014年12月31日、年越しライブ『ひつじだよ!全員集合!』にて、同年11月3日に秋の叙勲にて受賞した紫綬褒章を披露した際に、今上天皇のものまねをし、褒章をジーンズのポケットから取り出し[16]、その直後に客に向けてオークションを意識し、「5000円から行きましょう」[17]と冗談を述べたところ、ネット上で「天皇陛下を侮辱している」「不敬だ」といった批判が寄せられ、これに合わせた抗議デモも発生した[18]。年が明けて2015年1月15日にアミューズは桑田との連名で前述の発言に対する謝罪文を発表し[19]、桑田本人も同年1月17日放送の「桑田佳祐のやさしい夜遊び」の冒頭にて謝罪を行った
桑田さんは、明るくて下ネタが好きな良きマイホームパパという陽気なイメージですが、実は食道がんを患い5年間治療を送っていたことは、ファンの間では有名な話。そんな桑田さんを原さんが献身的にサポートし、夫婦でがん治療に携わっていきます。その甲斐もあり、2013年に活動を休止していたサザンオールスターズの活動を再開しました。
原さんは、『あじわい夕日新聞~夢をアリガトウ~』という本を出しています。これは、朝日新聞の夕刊に原さんが連載していたコラムをまとめた本です。そのあとがきに、桑田さんが原さんへの感謝の気持ちを寄せています。
紫綬褒章までギャグにしてしまう桑田佳祐はもしかしてシャイなのかもですね。息子もそれを引き継いでいる可能性は大いにありますね。しかし、紫綬褒章に相応しい桑田佳祐原由子さん夫妻!いつも、桑田佳祐の後ろには原由子のkeyboardがあって支えていたのは知っていましたが夫唱婦随ってこういうことをいうのでしょうね。お二人の頑張りに脱帽!それから、息子二人にそれが伝わってやっぱり頑張れる!に決まっていますね!!
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